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英語で日常生活記録

 逆カルチャーショック、前置き 

000年から2003年にかけての3年間、私はニューヨーク近郊のとあるベッドタウンで暮らしていた。3年という限られた期間ながら、生活の拠点をアメリカに移して文字通り現地で“生活”できたことは、それまで日本以外の国を知らずに生きてきた私にとって大変貴重な経験だったと思う。

めて訪れた海外で見聞きするものは全て新鮮だったし、あらゆる場面で私の喜怒哀楽の感情を揺さぶった。言葉と文化のギャップで手も足も出ない状態だったからこそ、必要以上に感受性が強くなっていたのかもしれないけれど、それまで1つしかなかった物の見方の尺度を異文化という抗い難い力でグッと押し広げられたり、時には正反対の角度から自分の常識を覆されたりした事など、感心したり呆れたり落ち込んだり、何かにつけて考える時間が多かった。そんな私は、まさに「井の中の蛙、大海を知る」という状態だった。でも、大海を知るも塩水じゃ上手く泳げやしない・・・というのが現実だったりして・・・。



は流れ、2003年の秋に私が日本に帰国してから、早くも2004年も折り返し地点を超えてしまった。10月になれば、早いもので帰国して丸1年となる。私は生粋の日本人として生まれ育ってきた人間なので、帰国したってどうなる訳でもないし、単に元の場所に戻っただけのことだ。自分の母国は他のどこよりも知っているはずの国だから、日本から初めてアメリカに行った時のように小さな事で戸惑ったりもしない。アメリカの大雑把さと比べたら何かと細かな点で多忙になったような気はするけれど、何よりここ、日本では言葉も通じる、誰かが話している内容も分かる、大人のくせに子供のようなおかしな失敗もしない、会いたい人が皆近くにいる、売っている物は何でも高品質、何も不足は無いかのような生活だ。

・・・それなのに、ふと、物足りなさを感じるのは何故だろう。自然に元の世界に戻ったようで、でも心の中に確かに存在しているのは、3年前の自分とは違った変化なのだ。



えば、アメリカの生活はパンプス要らずだった。最初は小奇麗な格好でパンプスが履きたいと思った。でも、郊外暮らしでそんな格好をしていたら、とても“浮く”。そこでは日本の服装が、ちょっとした“よそいきファッション”のようだったからだ。日常生活においては、大抵の場所にTシャツと短パンで行ってよいらしい。だから家着ファッションで周囲を徘徊していても周りの目さえ気にならない。むしろ外見から現地化するということで、下手に目立たずに済み、それが自分を守る防護服のようだった。そうしていつの間にか、私は毎日ヒールの無い靴やスニーカーばかりを履くようになった。

て、いざ帰国してみて、気に入っていたパンプスを久し振りに履こうと思って驚いた。前は足にピッタリはまっていたパンプスだったのに、3年後にもう一度履いてみようと思ったら、もう私の足には合わなくなっていた。長らくスニーカーに馴染んだ足は、3年間ずっとつま先の圧迫が無かった分、指先までのびのびと広がってしまっていたのである。それでも、せっかくのパンプスだからと無理して履いたら、少し歩いただけでひどい靴擦れがいくつも出来てしまい、一歩前に進む事さえ苦痛になってしまった。

は合っていたのに、今は合わない・・・。それは何のせいでもなく、ただ自然な変化によっておこった。私の足だって大きくなりたくて大きくなった訳ではなく、もちろん成長期だった訳でもなく、単にスニーカーという新しい環境に適応して変化しただけの事、それだけだ。私にはこれが、まるで自分自身の今の姿のように思えた。日本に帰ってきてから私が感じた変化とは、こういう物ではないだろうか?だから私は今の自分の足にピッタリ合う、新しいパンプスを探しに行こう。大丈夫。だってここは素敵な靴が沢山売っている日本という国だからね。



れまでも思い立つと文章にしてきたけれど、遅まきながら、逆カルチャーショック編、こっそり細々と始めようと思います。








 
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