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英語で日常生活記録

 2年もかかって、私が得たもの 

ンクスギビングデーの時期は思い出深い。この時期は、私がアメリカにやって来た頃とちょうど重なるからだ。毎年11月が終わる頃に、私にとってのアメリカの季節が一巡する。

(もう丸2年が経ったってことかぁ・・・。)

分ではあまり実感の湧かない年月でも、私の周りでは着実に2年が過ぎているように感じる。この約2年間の生活を振り返り、私が得られたものはなんだろうと、ふと考える。

直な話、自分が2年間もアメリカで過ごしていることを、人にはあまり知られたくないと感じ始めている。ここで暮らしている期間が長くなればなるほど、経験したはずの時間の長さに対する自分の英語力や生活能力にギャップが生じてきたように思うからだ。初めの頃には許されていた「来たばっかりで何も出来なくてね」という言い訳も、もはや使えまい・・・。



のところ、昔の私がずっと思い描いていたように「1年もいれば英語は出来る」も「アメリカ人の友達が出来る」も実現していない。それどころか、これらは不可能に近いとさえ思うようになった。

語に関して自己分析すれば、会話能力は小学生以下というようなレベルのままだ。たとえ5年・10年と過ぎても、ネイティブと同等になるのは難しいだろう。友達はというと、気の合う仲間は現地で知り合った日本人が数人。学校で出会う留学生達と親しくなっても、悲しきかな、学期が終わればだんだん疎遠になってしまう。じゃあアメリカ人とは・・・?知り合い以上に関係を深めるキッカケもございません。(そもそも日本にいたところで、本当の「友達」と呼べる人と出会うのは貴重なことだ!)



文化と言語の壁に対峙した時、自分の国ではありえないような勘違いや失敗をしたり、アンフェアな扱いを受けたり損をしたりと、納得できない事や悔しい事を味わう機会がある。小さなトラブルでさえ対処できないでいると、自分自身が無性に情けなくなったりする。

分はマイペースな性格だから、どこへ行っても日本と同じように出来るから大丈夫。渡米前の私はそのように思っていた。でも実際は、自分の知っている限られた世界の中では活発になれるくせに、新しい世界に対してはとても消極的だった。マイペースはどこへやら、失敗への恐れから、積極性がますます奪われていくことに焦りを感じた。

メリカで試行錯誤している期間に、私はよくため息をついたし、ただ手ごたえも無く単調に過ごす時間ほど長く感じていた。反面で、学校の課題に追われたり、毎日授業を受けている間は、「やるべきこと」に圧迫されて忙しい時間までも心地よく、短く感じられた。この長くも短くもある時間の中で、私はじっくりと変化していったのだろうと思う。

語や異文化への適応は、気持ちの上昇と下降の波だった。この波が繰り返されて行くうちに、高い波がやって来る感覚が広がって、だんだん穏やかになってゆく。長い道のりだとしても、いつの間にか感情の揺れに鈍感になり、傷ついたり混乱したりする自分が気にならなくなり、へこんだ気持ちを取り直すまでの時間も短くなる。知らないことを「知らない」と、受け入れることもできる。外国人に対して恐れない度胸もつく。



年という月日は長いか短いかというと、あっという間だったような気もするし、とても長かったような気もする。ただ、日本で当たり前に過ごす2年間とアメリカで試行錯誤しながら過ごす2年間では感じる時間の長さは違っていた。ここで言う「当たり前」とは、自由自在に考えて発言し、自由自在に表現して、のびのびと行動して、社会に溶け込むという意味である。

えば、誰に対しても開放的で人見知りをしない人は適応力が高く、周囲に受け入れられやすいが、こればかりは生まれ持った素質と個性なので、真似したいと思ってもその通りには行かないものだ。簡単に真似出来ないならば開き直って、山あり谷ありを地道に繰り返すまで。近道がないなら、自分流で一歩ずつ前進するしかない。

年もかかって得らたものは、もしかしたら「慣れ」だけなのかもしれない。それは、新しい環境で緊張を上手く緩めるスキルのようなものだろうと思う。ピリピリ、びくびくしていた肩の力を抜き、リラックスして生活できるようになった・・・本当にそれだけだ。大したことを達成していないけれど、この頑張りは自分にしては上出来だったと思うことにした。誰かにとっては取るに足らないほど小さくても、やってみたから手に入った経験。きっとこれからも、小石のような積み重ねで山は高くなっていくのだ。








 
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