ABOUT English
英語で日常生活記録

 無意識の変化 

った半年ぶりで日本に帰国した時、感じたことはそれほど多くなかった。地元は見慣れたまま何ら変わりなかったし、ファッションの流行も大体思っていた通りだった。テレビの中には顔なじみのタレントがいたし、ヒットしている音楽も知っている歌手の歌ばかりだった。

れが、1年過ぎ、1年半過ぎ・・・となるうちに、私にはもうさっぱり分からないことだらけになってしまった。駅前には新しい店が建っていたし、ファッションは数年前には見向きもされなかったようなものが流行っているし、テレビ番組は変わっているし、知らない俳優が月9に登場しているし、旬のタレントも全然分からない。歌手に至っては、全然知らない名前ばかり。

ばらく日本にいない間に、変化に取り残されてしまった人を「浦島太郎状態」だとか言う。でも、これらの症状は自分でも「取り残されてるなぁ」と自覚出来ているので、日本に帰ってしばらくすればすぐに慣れるし、そういうものだと受け入れられる。

介なのは、自覚できていない無意識の変化の方だ。



当に些細なことだと思うけれど、よくこういう話を耳にする。

葉の端々に、無意識のうちに横文字が混ざっているのに、全然気付かない人がいる。周囲からは「海外帰りだからねぇ〜」などと、異端な存在に思われ始めているのに、それにさえ気付かないというのだ。お迎えのことをピックアップと言ったり、ABCをエイビ−スィーと言ったり、実際にアメリカで生活していると耳にする違和感も無い日常会話が、日本では変に聞こえることもあるということだろう。

中でぼーっとしていて、人とぶつかりそうになった時に、とっさの事で混乱して「すみません」ではなく「エクスキューズミー」などと口走ってしまったら、ちょっと恥ずかしい。実は私は1回、言ってしまった事があるが、相手は「え?」という怪訝な顔をしていた。もちろん、アメリカで「すみません」と言った事もある。この時は相手には無視された。う〜ん・・・習慣っておそろしい。

と思い出すのは、会社勤めをしていた頃のことだ。仕事帰りに何人かで飲みに行った。その時、海外勤務歴のあった上司が、バーにて「じゃ、僕は、ブラッディ・メァリー」と、妙に英語的な発音をしていた。隣にいた私は、メニューにブラッディマリーと書かれていただけにそれがちょっと面白かった。

の後も飲み会は続いた。冷房が効いていたので、私はくしゃみをした。そうしたら上司が私に向かって「神のご加護を」と言った。何の事だかさっぱり解らずに「それは何ですか?」と聞いたら、彼はちょっと得意げに「アメリカではくしゃみをした人に、God bless you. (神のご加護を)と言うんだよ」と教えてくれた。私は「そうなんですか〜」なんて感心していたけれど、人によっては「この人随分、アメリカかぶれだな」と感じていたかもしれない。

ういう人には何の悪気もないし、いたって自然に振舞っているのだろうけれど、それが周りに理解されるかどうかは別問題なのだ。



分でも、時々、マズイなぁと感じている。

えば、アメリカの場合、公共の場所では禁煙という考えが浸透しているので、喫煙者ではない私には嬉しい。それに慣れてしまうと、時々日本に帰国して気になってしまうのは、煙草くさいレストランとか、歩き煙草などのマナーの悪さだ。こういう時、あからさまに嫌そうな顔をしてしまっていないだろうかと、心配になる。言葉に出さなくても、無意識に態度に出てしまっているかもしれないからだ。

らにマズイなぁと感じていることもある。

メリカには、つい見つめてしまうほど巨大な人が沢山いる。街中にて、普通でないほど太っている人を見かけては、「あの人、すごいねー」と日本語で言っている私は問題だろう。暑い季節に、むっちむちを通り越して、はちきれんばかりの女性が、極端に肌を露出した格好をしていると「うわっ、服が裂けそうだ・・・」と言いたい放題だ。

まやこのように、周りが誰も日本語を解らないからと、言いたい放題に毒舌トークしている。でも、これが日本でついポロッとでてしまったら大変だ。なんて無礼で、心無い人だろうと思われても仕方ない。本当に気をつけなければ・・・。(でも、日本ではそんな巨大な人とか、強烈なファッションを見かける事は少ないか。)



活の習慣の中で、人の体に染み付いてしまうのが無意識の変化だとしたら、これはつい出てしまうクセのような感じだと思う。日本で、電話口でお辞儀をしてしまったり、立ち上がるときに「よっこいしょ」と口にしていたり、特にやろうと思っているわけではないのに、やってしまうのと同じだ。

がアメリカにて身についた習慣には、良いことも悪いことも入り混じっている。お店のドアを開けた時に、後ろから来る人がいるかどうかを確認して、その人のために支えておいたり、街中では鞄の口をしっかりと閉じて歩くようになったのは、もしかしたらこれからも役に立つかもしれない。

はいえ私は生粋の日本人だし、環境が戻ってしまえばすぐに馴染んでゆくのだろうけれど、もしかしたら自分では気付いていない振る舞いがあるのかもしれない。こういう過信こそ災いのもとなのだろう。少なくとも、人前で鼻をチーンとかむ事とか、トイレの使用中に消音のために水を流さないとか、こういうアメリカ流のことはきっとしなくなるはずだ(と思う)。








 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送