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コミカレESL潜入記 


嬉しかったこと、また次の学期  

SL105の最終試験の課題は、予告通りのエッセイだった。「THE RUNAWAY JURY 」という小説を共通テーマに、4種類のトピックが与えられた。その中から書きたい物(というか、書きやすい物!)を選んで、90分で書く。はっきりと掲示されてはいないが、基本の段落数は序文と結論を加えて7段落以上が望ましいとか・・・。厳しい。

説内で繰り広げられるのは、煙草会社を相手取ったとある大きな訴訟の判決を巡るミステリーで、裁判の最後に判決を下す役を担った12人の陪審員への心理操作や買収工作などの裏事情を描きながらストーリーが進む。ESLの授業内ではアメリカの陪審員制度についての知識や、登場人物の分析などに取り組んでいたので、試験で与えられたトピックはこれらの内容から選ばれたという訳だ。

料として、小説の本文と、授業で用いたことのある陪審員制度についてまとめたプリントを使ってよいと言われたのがせめてもの救いだった。私はたった1つでも選びたくないと思いながら、顔をあげて教室内を見回してみた。そうしたら他のクラスメイト達も同じように顔を見合わせてうなだれている様子だったので、思わずホッとした。難しいのはみんな一緒ということらしい。

なみに、トピックは以下の通り。(興味のない方は飛ばして下さい。)

1.アメリカの市民権を持つ者にとって陪審員制度を勤める事は義務である。小説や授業を通じて学んだアメリカの裁判と、自国の裁判とを比較して違いを述べよ。もしも自国の裁判について詳しくないならば、アメリカの陪審員制度について説明せよ。いずれにしても、陪審員制度についての自分の意見も書くこと。

2.小説の中で、不法な買収やプレッシャーを掛けられて、誠実な任務を妨害された人を実例を挙げ、その手段や詳細と、心の葛藤の様子を書き出すこと。また、自身にも似たような経験(悪いと分かっていることをするようにそそのかされたり、圧力をかけられた事)があるか。

3.小説の中で、原告は自分の夫が過剰な喫煙が原因で命を落としたにも関わらず煙草会社を訴えている。この場合、煙草を吸う習慣を続けた彼に責任があるのか、または人体への害をもっと提示しなかった煙草会社に責任があるのか、考えを述べよ。また、本当の責任とは何かを述べよ。

4.小説の中で、喫煙が原因で両親を失った女性が陪審員を操作して結果的に勝利するが、このように自分が正しいという信念から、法を犯した行為をするのは許されるだろうか。自分の思うがままにルール違反をした経験があれば実例を挙げて、意見を述べよ。



ッセイに取り組むと、90分は驚くほど早く過ぎてしまう。時間切れにならないようにと、事前にある程度の構成を組んでから書き出すようにしているのだが、大抵は時間が足りなくなる。とはいえどんなに話の途中であっても、時間があと10分程になったら結論に持って行かなければならない。

は自分の経験や思い出などについて一人称を使って主観的に書くことは好きだが、世界情勢や社会についてというような難しいテーマ、はたまた本の要約などを客観的に書くのは苦手である。これで最後のエッセイだというのに私はとても不調で、書いては煮詰まってを繰り返しているうちにあっという間に1時間が経っていた。そのまま時間を費やし続け、最後の5分は誤字脱字をチェックする間もないまま無理やりに詰め込んだ感じになってしまった。当然仕上がりはかなり気に入らない。

れでも私達の教授は優しい人で、規定の90分がしっかりと終わったというのに、全ての課題を提出する前に残されていた最後の授業で見直しをする時間をくれた。この見直し時間で、尻切れトンボだった話をもう少し分かりやすく書き直すことが出来てよかった。しかし、今回の試験は、これまで私が書いてきたエッセイの評価までグッと引き下げてしまいそうな失敗作かもしれない。このエッセイこそ私にとって重要だったのだが・・・。



験の後の週明けに、課題提出日があった。その日には中間の時と同様、Portfolioを提出する。一冊のファイルに一学期を通して書いた全てのエッセイと作文類をまとめて、それに最終試験を加えれば、各自の努力の結晶Portfolioの完成である。これを教授が会議に持ち寄り、数人の教授によって評価される。この結果を受けて、学生の1人毎に適したクラスと、長所、それに強化すべきポイントがシートに書き込まれるのだ。この仕組みはとてもありがたいと思う。

題の提出から待つこと約1週間。今学期の最後の最後に課題の返却日があった。今回私は、この返却日まで次に申し込む授業を決めずにいた。実は数週間前に早期申込みが始まった頃、私は教授からアドバイスを貰っていた。なんと私が書いたこれまでの作文の出来が良く、もしかしたら来学期は次のレベルを飛び級できるかもしれないというのだ。

の言葉は今までESLを受けてきた中でも1番嬉しかったし、頑張ろうという気持ちのきっかけになった。でも同時に、こういう判断はたった1人の教授が決める事ではないので、最後までどうなるかわからないとも言われていた。私自身もそれは分かっていたし、決して期待はしないでいた。おまけに最後に提出したエッセイが贔屓目にも良いとは言えない出来だったこともあって、運次第かと思われた。



ortfolioの返却日は空いている方が話しやすいかと思い、私は遅めに教室に行った。すると、多くの学生達がまだ教室に残っており、彼らもみんな教授のアドバイスを待っていた。教授は1人1人に、あなたは文法の授業を受けるべきだとか、会話の授業を受けるべきだとか、その人に合ったクラスを推薦してくれるのだ。

番を待って、私の番が来た。私は自分のPortfolioを手渡される時に、教授に次の学期は何を申し込むべきなのかと尋ねてみた。教授は、もしも私にチャレンジする意欲があるのならば1つ飛ばして次のクラスに行っても良いし、もちろん従来通りに1つ上のクラスを受けるのも自由だと言って、自分の意志で決めるようにと両方を勧めてくれた。それって、上に行けるということ!?

業内容はもっともっと難しいと言われても、私にとって限られた時間に与えられたチャンスなのだ。もちろんチャレンジする意欲でおりますとも!出来ることならばアメリカにいるうちに、出来るところまで頑張ってみたい!!

はもう1つ、発音のクラスを取って発声や発言に慣れるようにしたいと伝えた。それには教授も納得してくれ、すぐに2種類の英語クラスを申し込む用意をしてくれた。ESLの学生の場合は、申込み時に担当教授かESLコーディネーターのサインが必要なのだ。間違ってハイレベルな授業に迷い込んで、自他共に授業に乗り遅れないためのルールなのだろう。

こで1つ、私には「書けるほどに話せない」という困った弱点がある。英語力のバランスが悪いことが悩みなのだ。こういう学生は、きっと一方向からのみレベルを判断すべきではないのだが、私が抱えている問題も教授はよく分かった上で推薦してくれていた。話すことは内面的な部分が大きいから、怖がらず、自信をもって焦らず、ゆっくりさを自分のペースとしたら良いのだと言ってくれた。とても嬉しいアドバイスだった。



のように、12月の中旬に、9月から通った秋の学期も終了した。初めてのクレジットコースだった今学期、私は英語を2クラスとサルサなど、計4つの授業を受けた。私にとってのメインは、もちろんサルサ!・・・と言いたいところだが、やはり英語だったのは仕方ない。その授業に費やす時間も、課題の量も申し分なく1番だったのだ。

ころで、コミュニティカレッジで英語というと2種類ある。1つは補習のESLで、もう1つは語学の一般教養としての英語だ。両方ともクレジットのコースでありながら、これらの違いは大きい。前者はカレッジレベルに満たない英語力の人を対照にしたものであり、後者はネイティブスピーカーをも対象にしているということだ。日本人でも一般教養で国語の授業を受けるような感じだと思う。これは当然ESLを全て修了した人以上でないと受講できない。

授が言うには、カレッジレベルに達した(つまりESLを卒業した人)ということは、アメリカ人と同じ土俵で全ての授業を受講できることを意味しているそうだ。ただし一部の授業は専門的な知識や用語を多く必要とする為、それらは一般教養の英語レベルを必須としていることもある。

レッジレベル・・・悔しいけれど、なんと長い道のりよ。この言葉を教授が口にする度、私は英語の難しさを改めて確認させられてしまう。教室内でべらべらとお喋りしているかのようなクラスメイトたちも、みんなカレッジレベルというものに達していないからESLを受けているのだ。話すことも書くことも、両方上手くやるのは難しい。でも、私にとって重要なのはレベルなどではなく、ここでこうして学んでいることだと思う。どのレベルだろうが一生懸命になれたら、それだけでも貴重な経験になるだろう。







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