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コミカレESL潜入記 


最後に笑うのは、きっと私 

May 8, 2003

期末の恒例ともいえるWritingの試験の日がやってきた。幸いなことにファイナルのエッセイで出されるテーマの概要はあらかじめ伝えられていたので、私は書きたいことをすでにイメージしていたし、大体の心がまえは出来ていた。私たちのクラスが学期全体と通じて扱っていたテーマがいくつかあったので、教授がその中から3つに絞り、そこから各々がエッセイにしたいテーマを1つ選ぶことになっていたのだ。

ず1つ目として、「人にとって“成功”とは何なのか定義する」というテーマがあった。授業では“成功”をテーマにしたエッセイ、物語、自伝などをいくつか読んでいたので、それらの資料から1つを実例として選んで、成功について自分の考えを述べる。人は何をもって成功していると言うのか。学業や仕事での成功のみを成功とみなすのか。そのようなことを自分なりに考えるというものだ。

に「個人が異文化へ適応する過程について」というテーマ。これは、各国から留学生たちが集まるESLのWritingにはつきもののテーマのひとつである。全く異なる文化圏からやってきた個人が、新しい環境に適応するまでに感じる障害や困難を乗り越えて、自分というアイデンティティを確立するまでに起こりうる心の変化や葛藤についてを、今までに読んだエッセイなどの資料を用いて自分の経験談や持論を述べるというもの。

らに、異文化への適応についてもう1つ。「異文化へ適応した自分の変化を客観的に分析する」というテーマが出た。異文化に適応するということは、昔の自分から変化せざるを得ないことが数々ある。例えば誰かがアメリカに暮らし始めて、戸惑いながらもようやく新しい習慣に慣れたとき、今度は自分の故郷との間にズレを感じるようになる。悲しくも自分の大切な友人や家族から「変わった」と指摘されることがある。このような事態について、今までに読んだエッセイなどの資料を用いて自分の経験談や持論を述べる。

は第一のテーマである“成功”について書くにした。異文化と自分自身という内容のエッセイはこれまで何度となく書いてきたものだし、私が日本とアメリカについて触れる時はいつも「2カ国間には対照的な要素が多い」という点ばかりに考えが行き着き、「発言したもの勝ち」の文化に適応できない自分についてや、「謙遜を美徳とする日本的な集団心理よりもアメリカのオープンな個人主義の方がお気楽、でも個人主義と身勝手さは下手すると紙一重なので一長一短だ」とか、そういう内容に偏りがちなのだ。



えばこのSpring Termは長かった。申し込む時点で既にminimuを妊娠していた私は、当時の体調こそ良かったものの、これからだんだん重くなって行く我が身を思うと、この学期が終わる頃は通学も大変になっているだろうと想像していた。ひょっとして産まれちゃったりして!?というのも冗談ではない時期に入っている。通学に余裕を持つために、週に2回の予定で厳選した2教科(ESLとPronunciation)だったはずなのに、1つはキツくてもう1つはハズレという、結果として申し込んだ当初の狙いとは大きく違う展開になってしまったのは大誤算だった。それでも始まってしまえば学期が終わるまで授業は止まらないし、おまけに成績だって付けられてしまうのだからいい加減な取り組みはできない。私自身、カレッジで学生生活を味わえるのもきっとこれで最後だろうと思っていたから、ドロップアウトだけはしたくなかった。

90分という制限時間の後、エッセイを書き終えた。教室内に「ワッ」と歓声混じりのため息が溢れると、これで終わりという気持ちが一気に込みあげて来る。課題やら寝不足やらで大変だった事も、ようやく「よく頑張りました!」と言える日がきたのだ。苦労したことも、いつか自分の力になっていくのだ。たとえその時は実感が無くても、信じる気持ちを持っていた方が良いに決まっている。あれこれ弱音を吐きつつノルマを消化することだけで一杯一杯になっていたことも、終わってしまえば清々しい。


May 14, 2003

ァイナルのエッセイを含めて、これまで自分が書いたものの中から選りすぐった数点をPortfolioとして提出した。これを複数の教授が読み、成績が付けられ、次に選択すべきレベルが決定する。そして試験から1週間後に、Conference兼、Closing Partyが行われた。この日は教授との個人面談をしてから、各々が新学期の申込みを行うことになっていた。

の番がやってきて、「これからmiyamuはどうするの?」と教授に聞かれた。私は「出産したら学校に復帰したいけど・・・忙しくなるだろうからこれが最後になるかもしれない」と、曖昧な返事をした。出産と育児に追われるうちに帰国となり、そのままカレッジともお別れとなるだろうという事は自分でも分かっていた。「でも、これからも英語だけは続けていきます」と言った時、教授が「あなたは私のクラスのStudentなのだから、いつでも何でも相談に乗るからね」と、温かい言葉をくれた。「赤ちゃんが生まれたら大変だろうけど、手伝える事があったら言って頂戴ね」と、おまけをつけて。

室のあちこちから聞こえてくるのは学生たちの弾んだ声で、彼らはお互いに新学期に取るクラスについて話し合っていた。親しくなったクラスメイト達はこれからも上を目指して行くのに、自分は通過点で取り残されるように思えて、私は心に一抹の寂しさを感じない訳にはいかなかった。カレッジに通い始めた最初の頃は、出来るところまでやればいいと、英語環境に慣れる事だけで精一杯だった。それなのに英語の楽しさに触れ、物事が次第に分かってくるにつれて、私はいつの間にか欲張りになっていたのだ。

々と出会う目標を掲げた学生たちや、素晴らしい教授たちから受けた刺激はどれも新鮮だった。人は国籍も年齢も関係なく、本人次第でどのようにでも頑張れるのだと知った。私はこの学期でここを去るけれど、それでも私には私の世界とやる事がある。諦めない限り、新しいチャレンジはいくらでもやって来る。


最後に、miyamuから皆さんへ。

ずコミカレESL潜入記として、私が約2年間のコミュニティカレッジライフを通じて書いてきた事が何かの役に立てば幸いです。そして、いつかアメリカで大学やコミュニティカレッジに通ってみようと思っている人や、すでに現在学生として頑張っている人は沢山いらっしゃることでしょうから、そんな人たちを心から応援しております。それからもう1つ、私のようになんちゃって学生生活(しかもESLだなんて威張れる事ではない!)を体験した者だからこそ、あえて“私みたいな思いをしている誰か”に向けてエールを送れる事もあると思います。

かにチャレンジしたいと思った時、すぐに始められる人もいれば、ゆっくりでも自分の気持ちに従って進めていく人もいます。中には臆病な気持ちが先に立って誰かに背中を押して欲しい人もいるだろうと思います。(私に限って言えば、自分は2番目か、あるいは3番目のタイプかもしれませんが。)もしもあなたが「何かがしたいのに出来ない、何かやらなきゃと焦りを感じているのに動けない、でももしかしたら、立ち止まっている原因は自分自身にあるのではないかしら?」と気付いているのなら・・・思い切って始めてみませんか?

分の経験談で恐縮ですが、カレッジに通う以前の私は、時間があるのに自分がやりたいことが分からないとか、言葉が通じないせいで子供のような間違いをして情けないとか、家以外に自分が存在する場所が見つけられないとかで、悩みだすとただ悶々と時間だけが流れ、時には悔しくて涙が出てしまったりと・・・かなり塞いでいました。自分に出来なさそうな事をしている他の人はみんなキラキラと輝いて見えるのです。下手に高いプライドにすがるよりも「ぜーんぜん分かりません!」と開き直って笑い飛ばした方がどんなに楽しいだろうなぁと思いつつ過ごしていました。

メリカという新しい環境に放り込まれた事で、私は自分にいつも強がっているくせに口先ばかりでなかなか決断できない優柔不断の部分や、始める前から悪い方にばかり考えて臆病になってしまう部分があることを嫌というほど見つけてしまいました。どんなに周囲から失敗を恐れるなと言われても、はっきり言って失敗はとても怖くて恥ずかしいものです。かといって必要以上に人目を気にして恥ずかしがったり、引っ込み思案になってモジモジしている自分のほうがよっぽど格好悪いはずなのに、弱点を吹っ切るのはたやすい事ではありませんでした。思い切っていざESLに飛び込んで英語環境に揉まれるようになってからも、その弱点はずっと私に付きまとっていましたが、そんな自分の性格を個性の1つとして受け入れてくれる仲間たちに出会うことが出来ました。悩んでいた時期さえ、今ではいい思い出です。

SLに通っていた時間は、日々訪れる小さな出来事に傷ついたり、飛び上がるほど喜んだりという一喜一憂の繰り返しでしたが、私の気持ちを動かしたどんなに小さなことでも決して無駄ではなかったと信じています。自信喪失させられるような苦い経験だって、何もしていないで嘆いているよりは気持ちがよいものですよ。ある先生が言いました。「まずは自分なりにやってみて、努力をしてみて、それでダメならその時に思いっきり泣いたり落ち込んだりしよう。その悔しさはもっと高く飛べるためのバネになるはずだから。」私の好きな言葉です。







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