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コミカレESL潜入記 


チャレンジ精神を忘れずに 

Apr 20, 2003

作文は難しい。ただ文章を書くだけならまだしも、ミスを全くしないで、なおかつ話に説得力やまとまりを持たせた文章を書くのはそう簡単には行かなかったりする。同じ作文を何回も編集しなおして提出するたびに、教授は新しいミスを発見して手直しを加えてくる。よく考えると、英語でも日本語でも書くということは同じなのかもしれない。些細な事ながら、日本語で「私は行く」と「私が行く」ではニュアンスが違うように、英語でもそういうちょっとした間違いをしてしまうのだ。

の場合、語彙の少なさとイディオムをほとんど使いこなせていないのは以前から変わらない問題である。それをごまかしながら、なんとか読める文章になるように取り繕いながら書いている。しかし、下手な細工をしても教授はいつも見破ってくる。達筆な文字で書き加えられた部分が示すのは、つまり私の弱点だ。

「文法のテストでは毎回いいスコアを取るのに、どうしてか作文になるとミスが目立つわね」・・・グサリ。まさに仰る通りのご指摘である。基本的なルールは日本で叩き込まれているから、私はテストならけっこう出来る。でも、それを文章に盛り込んで応用する力が不足している。これぞまさに日本の英語教育のなせる技ではないか。・・・恐るべし中学英語。



「m
iyamuが言いたいことはよく分かる」と教授は言う。でもどこかアンバランスで、無駄が多く、読みにくいのだそうだ。教授に言わせれば、私の作文は、「自然な英語」ではないという。「自然な英語」というのは、会話の時に口からスラスラと流れ出てくるような、滑らかで簡潔ながらも十分意味の通じる英語ということだ。

く考えずに、まるで誰かに話し聞かせるような感じで、スラスラと書けたらいいのだ・・・。なんて、そう思うことは幾度あっても、これは自然に会話が出来ない者にとっては夢のような話であり、とうてい簡単ではない。「慣れる」ということに近道なんて無いので、ひたすら続けて書いたり読んだりするしかないのだ。

授がクラスに1つアドバイスをくれた。「書いたら、自分の書いた文章を声に出して読んでみる。そして、しばらく時間を空けてからもう1回声に出して読んでみる。そうしたら不自然な部分に気づき易くなるはず。」実践してみると確かにその通りで、書いた瞬間は「これでいい!」と思い込んでいても、冷静になってから再び読み直すと時制がバラバラだったりとか語順が間違っていたりするのを発見できる。



月のファイナルに向けて、各々が取り組む課題が発表になった。誰か著名人について書かれたBiography(伝記)またはAutobiography(自伝)を一冊読んで、それを元に自分なりの視点から要約をしたBiographyを改めて書くというものだ。最終的にその読んだ人物についてのスピーチまで行う予定らしい。

ずは本を読まなければならないので、面倒な課題である。著名人とは言っても、その選択肢は幅広い。教授の出した条件は、「その人物の人生を振り返りながら、彼(または彼女)が行った功績がいかに現代社会に深くつながっているのかを述べる」という点だけだったので、自分の興味のあるどの分野から選んでもOKということだ。ただし最後にはスピーチがあるし、誰でも知っているような人物でなければやりにくい。

ラスメイトがどんな伝記を選択するのかに興味があった。私は読むことにあまり負担がかからないようにと、既に知っているHelen Kellerの生涯を書いた本を選んだ。本の内容としては小学校高学年から中学生位の児童用なのか、比較的文字が大きくて200ページも無い。それでも全て読むとなると、かなり気合が必要だ。

のクラスメイト達は「なるほどね」という本を選んでいた。スイス人のクラスメイトはノーベル賞のノーベルについて、インド人のクラスメイトはガンジーについてというように、納得の選択の人が多かった。私は皆が持ってきた本が辞典のような分厚さで、辞典サイズの細かい文字だったらどうしようかと本気で心配していたが、まるで聖書のような本を持ってきていた人は1人だけで、教授から「それはBiographyにするには長すぎるから他の本を選んだ方がよい」と指摘されていた。ホッ。



の課題を後々まで残しておくのは心身ともに負担が大きいので、このところ時間に余裕があればHelen Kellerの本を読んでいた。そして早々に作文の第1草稿にも着手し、後でプレッシャーを感じないようにと勤めている。夏休みの最終週にガーッと宿題を仕上げるように、何とかなるさとのんびりしていてはいけない。大変な思いをするのは目に見えている。自分の処理能力を超えていると分かったら、さっさと負けを認めて地道に動き出すしかない。

elen Kellerは奇跡の人として名高い。世間では彼女が井戸のくみ上げポンプの前で言葉を思い出したという辺りが最も有名で、このシーンは演劇や物語などで何度も再現されている。でも、彼女の人生の中でこのポンプでの出来事はほんの走りの部分でしかなく、そこから新しい人生が始まるといっても過言ではない。耳が聞こえず、目が見えず、言葉を発する事が出来ないという三重苦の状態から這い上がり、大学を首席で卒業して、生涯を他の人々を手助けするために尽くすという生き方には感銘を受けた。

SLという言語を習う教室の中にいる私にとって、Helen Kellerの飽くなき探究心や努力は眩しいものだ。人は気持ち次第でいくらでも頑張れる、何事にも限界など無いと信じて突き進む力を持てばどこまでも行けるのだ・・・という気持ちにさせられてしまった。もしかしたら、「もうダメだ」と限界を作ってしまうのはいつも自分自身なのかもしれない。







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