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コミカレESL潜入記


  1学期の修了

月から始まったコミュニティカレッジ(CC)の学期も、12月で終了する。中間テストを終えてからは、やけに早いペースで時間が過ぎていったように感じた。

が受講していたクラスには、2つのレベルの生徒が混ざっていたので、11月の末に、クレジットのコースに進級するための説明会があった。私はレベル40で、この説明会はレベル50にいる学生を対象としたものだったのだが、授業の時間を中断して行われたため、私もその説明を聞いた。

明会では、クレジットの授業はレベルが高く、今よりもかなり難しい事、課題が多いことなど、厳しいことを告げられた。それに応じて評価がかなり細かくなり、一人一人の全ての記録が学校に残されてゆく事などといった話もあった。今よりもっと学生らしく、きっちりと勉強することになるのだ。教室内で説明を受ける学生達は真剣そのものだった。・・・いつか私もクレジットのコースに行けるのだろうか・・・?



終テストの日がやってきた。中間テストのときと同じく、3つの中からテーマを選んで書く英作文である。テストの当日、教室の中には数人しかいなかった。一体どうしたのだと思っていたら、先生が「複数の授業を受講している人たちは、そこでもテストを受けているから、来なくてもいいの」と教えてくれた。どうやら、最終テストは1つのレベルで1回受ければ良いようだ。(私は今期は1つのクラスだけしか受講していないので、このテストは必須である。)

は「アメリカに来た一番初めの日」というテーマを選んだ。しかし書き終えてみると、「日本を旅立つ一番最後の日」についてのエピソードの方が圧倒的に多くなってしまった。アメリカに来ての印象よりも、日本を発つときの印象のほうが色濃く心に残っていたのだから仕方ない。作文がどんな内容だったかといえば、まさしくPrivateLessonの最後に書いた出来事そのものである。



日テストの結果を踏まえた上で、先生と最終の面接をした。そこで次のレベルへの進級や、学生各自の持つ問題点を話し合い、今後の方針についてもアドバイスして貰うことができるのだ。

は、中間テストの時にも言われたことを再び言われた。「会話力が伴っていない・・・」。そして先生は、私の作文が他の先生からは「飛び級できるだろう」と評価されたことを、聞かせてくれた。それでも、学期を通して見たところによれば、私は書くことへの理解と、話す事への理解がアンバランスなのだそうだ。とりあえずは、1つだけ進級したほうがよいとのことだった。

ちろん私の弱点は自分でも大いに分かっていた。それを改善する事が今後の課題となる。次期はConversationを必ず履修するようにと先生は私に強調してきた。私は承知し、それとGrammarを履修する事を決めた。レベル50に上がれると聞いただけでも、私はとても嬉しかった。



業の最終日は、ちょうどクリスマス休暇の前と言う事もあって、食べ物を持ち寄ってささやかにパーティをした。10ドル以下のプレゼントを持っていき、子ども会の集まりのようにプレゼント交換をした。黒いビニール袋に(ゴミ袋?)プレゼントを集めて、くじ引きの番号順に好きな包みを選べるのだ。

人一人、包みを開けて、歓声やらブーイングをあげ、笑った。素晴らしいプレゼントを当てた人は、チラッと見せてから、すぐにどこかにしまった。というのも実は、最後の番号をひいた人は、今まで登場した誰かのプレゼントの中から1番欲しいものと、自分の残り物を交換できるという変則ルールがあったのだ。だからみんな自分のプレゼントを隠して、ドキドキしていた。最後、素敵なランプを当てた人が、無情にもダンキンドーナツで貰えるおまけのキーホルダーに交換されてしまった。

んな風にアメリカで、諸外国から集まったクラスメイトと過ごす時間があるなんて、思いも寄らぬ事だった。丁度1年前、アメリカに来たばかりでどこにも行けずに、一人で家に閉じこもっていた頃を思い出す。寂しいこともあった。それが、こうして長い時間をかけて、私はゆっくりと変わっているのだ。



しまいに、先生から修了証書の授与があった。先生が一人ずつの名前を高らかに呼ぶと、クラスメイトは同じ学期を過ごした仲間達に拍手を送った。順番に証書が手渡され、先生と握手を交わす。・・・まずい!感動してきたっ!!こんな気持ち、どの卒業式でも感じたことはなかった。

うとう私の名前が呼ばれた。立ち上がり、証書を受け取りに行く。握手した先生の手は温かく、クラスメイト達は、私の名前が呼ばれた時にもみんなで拍手をくれた。なんていうか、もう、泣きそうだった。

んてことはない、言ってみればたかがESLの、しかも初級の修了証書なのに、私はいたく感激してしまった。世間から見れば何の価値もないのかもしれないが、私にとってはアメリカで手に入れた初めての記録なのだ。そして、あの教室で貰った拍手は、心に残る大切な宝物だ。





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