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コミカレESL潜入記


This class is very united.

当ならば授業が始まるはずの午後12時ちょうどに、カレッジ西館のロビーにはConversationのクラスメイトが集合していた。みんなの手には、食べ物や飲み物の入った袋がぶら下がっていた。5月の第2週をもって、コミカレの春の部が終わる。今日はその最終日である。

週、私たちの先生が「最後の日は私の家でClosingCeremonyをしましょう!」と素敵な提案をしてくださった。教室はワッと盛り上がり、積極的にまとめ役を申し出たJ君が、すぐに彼のノートを一枚破ってリストを作った。参加者と、持ち寄るもののリストだ。

君の取り仕切りによって食事からデザート、飲み物、使い捨ての食器、音楽に至るまできちんと分担されて、都合のつく限りほとんどの学生が参加すると言った。これはさぞかし賑やかなパーティーになることだろうと思った。先生の家は、コミカレの校舎から車で数分の近距離にあって、住宅街は車を駐車するスペースが限られているため、学生達は12時にロビーに集合して、分乗してゆく事になった。



12
時少し前にロビーへ行くと、参加者の半分は既に集まっていた。そこには先生もいて、彼女は皆に家までの地図を配っていた。「それじゃ、集まった人から家に行きましょう」と先生が言った。J君は遅れてきた参加者を待つためにロビーに残った。

も必要があれば運転してゆくつもりだったのだが、先生が「miyamuは犬は大丈夫?」と私に聞いてきた時に「犬はとても好きです」と答えたために、先生の車に乗ることになってしまった。駐車場に向かう間、私は先生の車はどれだろうと辺りを見回した。先生は駐車場に止まっている中でも最も年季の入った白い小型車に近づき、中にいる犬に声をかけた。私は助手席に座って、後部座席から顔を出した巨大なビーグル犬をなでた。このハーレー君はかなりの老犬で、太っていて足が弱っているようだった。でも元気一杯だった。

生の車は、明らかに10年以上は走っている様子のマニュアル車だった。エンジンもご老体で、先生がアクセルを踏み込むとかなり苦しそうな音がした。コミカレから先生の家までは、信号の無い交差点がいくつかあり、STOPの標識がついていた。先生は一時停止すると、再発進する時には毎回のようにエンストした。最後のエンストは先生の家のガレージまでの坂道だった。私は普通に装っていたが、実はかなり可笑しかった。だって先生が車に向かって「クッモーン!(c'mon! = come on! ) 」と叫ぶから、それがいかにもアメリカっぽくて・・・。



生の家は広い一軒家で、新しくは無いけれど魅力的な家だった。季節の花が咲く庭が家を取り囲み、庭を見下ろすように、明るいサンルームがリビングから繋がっていた。ここで一日中過ごしたいような気分になる。先生はそこにご主人と犬と暮らしていた。部屋のあちこちに趣味の良いアンティークが置かれ、子供や孫と一緒の写真が沢山飾られていた。アメリカの老夫婦の、静かな暮らしを垣間見た。

12時15分には、参加者が全員集合した。ごちそうを皆で手分けして用意して、音楽をかけた。J君のしきりで乾杯をしたら、楽しいパーティーが始まった。どの食べ物も美味しかったし、いつも誰かが笑っていた。私はコーラでも酔っ払ってしまいそうな愉快な気分になった。

ーブルにはコロンビア出身の人が持ってきた小さなバナナ型の揚げピロシキのようなものや、ペルーのビール、メキシコのスナック菓子、ロシアのサラダ・・・などなど、国際色豊かな食べ物に加えて、手作りのクッキー、サンドウィッチ、ケーキが、食べきれないほど並んでいた。



生はあちこち移動して、皆と写真を撮ったり、談笑していた。学生達はお互いに進路の事を話し合ったり、試験の結果を教えあったりしていた。その間に、部屋の隅のほうでは、1人ずつお礼のカードにサインをしていた。事前に有志でお金を集めて、秘密でカードと花束を用意していたのだ。

ーティーが1時間ほど過ぎた頃に、先生から修了証書を授与されるイベントがあった。先生は1人ずつの名前を呼び、証書を手渡した。証書の裏には小さな字で、次に受講できるレベルと、それぞれの学生に合ったコースがメモしてあった。皆の歓声の中で終了証書を手にした時は、いつだって胸が一杯になる。それがたとえ初級の、クレジットもないクラスだったとしても。

員が証書を手にして、今度はこちらから先生へ感謝の気持ちを贈る番だ。学生から代表の2人が出てきて、先生にカードと花束を渡した。皆で「Thank you ! 」と声を揃えて言った。花束を抱いた先生を囲んで、集合写真を撮った時、先生はとても嬉しそうに笑っていた。皆の手には、もちろん修了証書が掲げられていた。



楽は大音量で、南米の音楽を流していた。ラテンのリズムが心地よくて、自然と体が動いてしまうような楽しい音楽・・・。と、突然コロンビアから来たMさんが「これはコロンビアの音楽だ!」と立ち上がって言った。それを聞いて、皆は「踊ってよ、踊ってよ!」とはやし立てた。Mさんは「しょうがないなぁ」といった態度で、でもとても嬉しそうに踊りだした。何というノリの良さ!サンルームは一気にラテンダンス会場となってしまった。

娠8ヶ月のJさんが、大きくなったお腹を気にせずに立ち上がって、Mさんと一緒に踊り始めた。彼女もコロンビア出身で、2人のダンスは練習したかのように息がピッタリだった。途中でMさんは、もう1人のコロンビアン、Eさんと交代した。JさんとEさんのダンスは、もう、くねくね絡むセクシーダンスで、見ているほうが「おお〜っ」となってしまう。お腹の大きなJさんの大胆なダンスと、聖職者(笑)のEさんのダンスは「これぞお国柄!」としか言いようが無い。お見事!

らは「ダンスが無ければパーティーじゃない」とまで言い切っていた。子供の頃からダンスに親しんできたような国では、ノリのよい音楽がかかればダンスの始まりらしい。練習なんてしなくたって、体に染み付いたものなのだろう。この陽気な感覚はちょっと羨ましい。色々な文化の交流は、最高に楽しいひと時だ。

つのまにか即席ダンス講座となった会場で、“一番ダンスに無縁な雰囲気”を醸し出していた人物・・・それはmiyamu。私は何となく嫌な予感がしていたので、よそ見をしてとぼけていた。それなのに、まんまとパートナー指名の白羽の矢がたってしまった。私の手持ちの踊りは、盆踊りとマイムマイムとオクラホマミクサー、それに小学校の集会で習ったジンギスカンくらいだというのに。

っかくのムードをぶち壊すのも嫌なので、私は「Tell me how to dance! 」と言って立ち上がった。これに見ていた皆も加わって、なんちゃってラテンダンス大会が始まる。くねくねした腰の振り方を習って、皆でくねくねした時は、大爆笑した。誰かが「This class is very united.」と言った。「ノーノー!私は踊れないよ!」なんて言わないでよかった。「アメリカでこんな経験をした。」と、いつまでも思い出せそうな出来事だった。



れからもパーティーはしばらく続いて、3時ごろにお開きになった。とても名残惜しい、素晴らしいひと時だった。先生は「最後の宿題は、これを読むことね」と、次期の申し込みと、案内の書かれたプリントを配った。そうだ、このクラスが終わっても、ESLはまだまだ続いてゆく。全体を見通せば、私たちは始まったばかりの地点にいるのだ。

車場で皆と別れた。立ち話が途切れないと、いつまでも去りがたい。それでも、秋には再会できるねと言って、電話番号を交換して別れた。こうして私のノンクレジットのESLは終了した。私の終了証書の裏には、試験の結果と、次のレベルの案内が記されていた。今後はクレジット(単位制)の授業が選択肢に加わるので、自分に合ったものを求めて行こうと思った。

こんな素晴らしい時間をもたらしてくれた、Conversationの先生と仲間達に感謝!





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