miyamu's
DAY BY DAY

アメリカ徒然日記
アメリカ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。

MARCH 22002
Back Numbers ★過去の徒然日記
 Back Numbers ★過去の徒然日記。
Mar 31, 2002  Happy Easter !

メリカにて、思いのほか良く見かける店・・・それは中華料理店である。中華料理店は、もちろんレストランが主流であるが、テイクアウトの店も多く存在する。我が家はこのテイクアウト、通称「チャイナ・デリ」をたま〜に利用している。

ャイナ・デリの特徴は、なんといっても「早い、安い、そこそこ美味い」である。それに加えて「大量、おまけつき」なので、なんだか少しお得な気持ちになる。とにかく値段の割りに量が多いので、2人でメインディッシュを2つ頼もうものなら、まず食べきれない。もしかするとアメリカンサイズなのかもしれない。この良心的なチャイナ・デリは、アメリカ人にも人気があるようだ。

ャイナ・デリで、試しにスープ1品と前菜2品とメイン1品を買ったら、3人でも多いような料理が、ズシッと用意される。まずスープはSサイズでも2人前はある。それに前菜は、しっかりとしたおかず並の量で、かなり安い。さらにメインの料理には基本的にご飯がついてくる。そしてサービスの揚げ麺スナックと、醤油とダックソースの小袋ひとつかみと、お約束のフォーチュンクッキーがごそっと無造作に乗っている。なんだか嬉しい。

味の方は、“そこそこ”というのが的を得ていると思う。全体を評価すればものすごく美味しいものという訳ではないけれど、中には美味しいと頷けるメニューもあるからだ。中華は基本的にはどれをとっても日本人にとって食べ慣れた味だと思う。旅先でハンバーガーに飽きたら、チャイナ・デリを探すのもよいかもしれない。


Mar 30, 2002

スカンクッ!
・・・という事で、ついに本日、今年初めてのスカンクに遭遇した。高速道路を走行中、異臭に気がついた。そしてまもなく車内にも緊張が走った。まさかこの臭いは、ヤツなのか!?そして、前方に黒い物体が転がっているのを確認した。それこそが、まさにスカンク!

Yの郊外では、スカンクは秋ごろになると頻繁に出没する。昨秋、散々スカンクに遭遇した私は、その姿、その異臭には慣れていたつもりだったのに、このような季節に登場するとは思いも寄らぬ事態である。もしやこの暖かさに冬眠(するの?)から覚めたのではなかろうか。転寝も覚めるほどの強烈さである・・・。

ッ、日本ではスカンクがペット屋に売られているって?それはフェレットと同じく、分泌腺を摘出する手術を済ませた高級スカンクのはずである。野生のスカンクは脅威だ。スカンクの攻撃にあったり、または車で事故にあった場合、半径1マイル(1.6km)は臭いというほどだ。大袈裟かもしれないけれど、それもまんざら嘘ではないと思う。


Mar 29, 2002

の週末は、アメリカではEasterを祝う日曜日だ。本格的に春がきたことを感じ始める時期である。我が家の周りにも春の訪れを示すかのように、植物が少しずつ咲き始めている。一番初めはクロッカスで、次にスイセンが咲いた。それにこれからはチューリップが咲き始める。

日はとても良い天気だったので、近くの公園に行ってみた。そうしたら、地面から10cm程しか高さのない珍しい品種のチューリップが咲いていた。茎がほとんど伸びないまま、花がつく種類だ。葉に赤い筋が入っているので、見慣れないとちょっと違和感があるけれど、花はとてもかわいらしかった。もう、春なんだ。

ンギョウの黄色い花もぽつぽつと開き始めている。きっと日本でも咲いているのだろう。枝垂れになった細い枝に、小人の帽子のような、小さくて黄色い花がつく。子供の頃にレンギョウの花を摘んで、空中にパッと投げて、パラシュートと言いながら騒いだことを思い出す。くるくると回転しながら、小さな花が降るのが楽しかったのだ。

の気配はなぜだか、心が騒ぐ。ふいに強い風に煽られると、いつかの思い出が蘇ってきたりする。子供の頃に、裏庭に咲いていたチューリップの真っ黒いおしべがなぜか怖くて、花の中をじっくり覗けなかったことや、友達の肩に毛虫がついていたのに逃げ出してしまったこと(薄情者・・・)や、校門の近くに咲いていた古い桜の下で記念写真を撮ったことなど・・・ほんのり淡い、春の思い出である。


Mar 28, 2002

日の英作文のテストを受けて、今日は先生との面談があった。予想通り、私の作文は修正箇所が山のようにあった。先生は私に自分で書いた作文を読むようにと指示し、私の朗読と平行して修正箇所を指摘してくれた。時間が掛かった・・・。

の作文のテーマはよりによって「100円ショップと1ドルショップの比較」という、思い返すほどに悔やまれるものだったのだが、意外にも先生はその「マイナーなテーマ」をちょっと気に入っている様子だった。先生も一応主婦だし、1ドルショップが好きだったらしい。(とはいえ、それが作文の評価に関わるとも思えないが。)本当は他の生徒たちの「礼儀正さの基準のギャップ」や「遅刻に対する認識のギャップ」や「刑罰のギャップ」など、もっと本人の考察を交えなければならないようなテーマこそ、適当なのだと思う。

後の指導として、やはり、miyamuは会話力をもっと高めないと・・・というような事を言われてしまった。重々承知なだけに、グサッと突き刺さる。悲しきかなそれが現実なのだ。来期の進級は難しいのかもしれないと先生は言いたかったのだろうか?ネガティブな発想ばかりを思った。とりあえず、今学期も折り返し地点に来たということだ。

持ちを入れ替えて、フレッシュな気持ちで来月を迎えよう。


Mar 27, 2002

ペラ「蝶々夫人」を観た。長崎の港町で、元武家の娘でゲイシャ(あえてカタカナ)をしていた蝶々さんが、ちょっと寄港していたアメリカ人に嫁いで(貰われて?)、彼がアメリカに帰ったあとも愛を信じて待ち続け、もちろん彼はそんな事も知らずにアメリカ人の妻を連れて日本に再びやってくる。蝶々さんの自決により舞台の幕は下りる。そんな悲劇。

にとっての悲劇は、15歳のはずの蝶々さんがどうみても45歳だったり、双眼鏡で見るに耐えない日本人風メイクだったりする事だった。私にとっての悲劇は、勘違い要素が大量に盛り込まれてちょっと間違った日本になっているのと、舞台にお籠で登場する人がいたりする事だった・・・。

と、アメリカ人と結婚するために仏教を捨て、キリスト教に改宗した蝶々さんに激昂して、彼女のおじさんの坊さんが乗り込んでくるシーンも、かなり強烈だったなぁ。「cho-cho-san!」などと叫びながら、杖を振り回していた。もちろん演じているのはすべて日本人ではない。

めんなさい。どうも日本人の主観で見てしまうと、オペラの名作なのに(しかも悲劇なのに)どうしても違和感が・・・。でも、歌は最高だったと付け加えておきたい。蝶々さんを演じたソプラノ歌手は、とても感情豊かで、艶やかでのびのびとした歌声であった。観客はみんな、オペラに酔いしれた様子だったし、もちろん私たちも満足して帰路についたのであった。


Mar 26, 2002

ウスが家に帰ってきたので、快適なPC生活が再開した。ありがたや、マウスさまさま。想像以上に指先だけでポインターを動かすのは疲れる作業だった。タコが出来たらどうしようかと密かに心配してしまったほど。

日は学校にておなかの音がグーとなるのが気になって気になって、授業に集中できなかった。私はただでさえ全力を耳に注いでいるのに、グーと鳴らないように腹筋を緊張状態にして英語を聞くなんて芸当は出来ない。グーグーグーって、ほんとうるさいよ、いいかげんにしてくれ〜。と、自分のおなかが恨めしい・・・

れに、また同じことをやってしまった。この失敗は後をひくのに・・・。どういう意味かよく分かっていないのに、さも分かったように無理やり答えて、「お互いにちんぷんかんぷん」状態に陥ってしまうという失敗は、最低だと思う。これは、会話の途中で知らない単語があったのに、○○ってどういう意味?とすぐに聞けなかったせい。今日も会話の中で1番大事な部分を分かったかのように振舞ってしまった。成長がない自分がちょっと苦しい・・・

ったかぶりして、その結果ボロが大量に出てしまい、恥ずかしいと感じる。もしも私が分からないと正直に言っておけば、これほどに恥ずかしいと感じることもないのに。どうしてまだ、変にかっこつけなんだ。全然かっこよくない、私である。


Mar 25, 2002

しぶりに電車に乗ってマンハッタンへ行った。駅には改札が無いので、電車に乗り込んでから車両担当の乗務員さんからキップを買う。行く先と往復だということを告げる。料金を払うと、座席の背にある隙間に払い済みの目印となる紙を差し込む。

車の中はきれいではないし、殺風景なところを走ってゆくので居心地は今ひとつで、退屈する。そこで音楽を聴きながら過ごした。ふと前方にスキンヘッドの黒人男性がいるのが目に入った。彼はヘッドフォンをして、何かを音楽を聴いているようだった。ノリノリすぎで、彼のスキンヘッドが上下左右に揺れ動く。座席の上で丸い頭が出たり隠れたりするので、ちょっと可笑しかった。

の揺れる頭が突然止まった。そして、おもむろにヘッドフォンを外した。・・・まさか私の視線に気がついたのかとドキッとしていたら、なんとクリームを丸い頭にまんべんなく塗り始めたではないか。車内にクリームの香料が漂う。もしや乾燥防止策なのかな?それにしても、塗りやすそうだなぁ。(全然マンハッタンの事を書いてないし〜。)

日は学校。前回のテストについて、先生からお達しがあるかもしれない。miyamu真面目に書いた?なんて言われそう。おそろしや〜。


Mar 24, 2002

夜はアカデミー賞の授賞式が行われる。東部時間の夕方から、TVでは生中継が始まっている。有名ハリウッド女優たちがゾクゾクと集い、美の競演を始めるのを眺めてはため息をつく。ハァ〜美しい・・・。彼女達のゴージャスな装いは、この日のためにオーダーメイドで用意した一品なのであろう。どうしてあんなにも華があるのか、ちょっと不公平じゃない?

日買った鉢植えの花は、カバーを外したら茎がボキボキと折れていた。まだ開いていないつぼみも、これから咲く事は無いだろうという傷つき方だった。ガッカリしても仕方が無いので、返品をしに行った。花なんて一種の生ものだし、それを返品するだなんて、日本にいる頃は思いも寄らなかった。そもそも返品だなんて、1度買ったものを返しに行く事自体なんとなくイヤだったものだ。

ービスカウンターで返品をして、購入金額を返してもらった。私の前にいた人は、なんとお肉のパックを返品していたからスゴイ。アメリカって、返品なんて当たり前の国なのだ。これも文化の違いの1つだと思う。(あ、返品のことも書きたくなってきたぞ。ネタ帳にメモメモ・・・)

になった途端に寒い日が続いているので、調子が狂いがちなmiyamuである。


Mar 23, 2002

が家に登場したCD付きの語学教材を読み始めた。その名も「スペイン語」・・・って英語じゃないし。欲張っちゃぁいけませんよmiyamuさんといった感じ。でも、なんとなく気分転換にページを開いてみただけだから。そしてわかった、スペイン語は本当に日本語(のローマ字表記)に発音が似ているぞ!と言う事。

IUEOは英語だと「エィ・アイ・ユー・イー・オー」だけれど、スペイン語だと「ア・イ・ウ・エ・オ」と発音するのだ。おおっなんだよ、スペイン語っていいやつじゃん。アミーゴ〜ッ!

りあえず、ここのメインテーマである英語の話に戻すと、私は日本の義務教育でやった英語に関して、まだまだ改善の必要があると感じているし、批判的だし、ずっとマイナスのイメージばかり抱いていた。今でも基本の思いは変わらないけれど、少なくとも前よりも「感謝」できるようになった。

はりそこで習う英語は、私にとってとても重要な基本要素を築いていた。今からABCも読めない状態で英語を始めるのと、This is a pen./I am a student.が分かる状態から英語を始めるのとは基盤が違う。私は義務教育で英語の「基礎ルール」を教わったのだと思い始めるようになった。

ッカーに例えると、日本人はルールを知っているけどプレイは得意ではない選手で、会話が上手い外国出身の人達はルールそっちのけでもプレイを楽しむ選手。私はドリブルものろのろで、すぐカットされてしまう。パスも相手まで届かないし、パスされてもボールに追いつけないでいる。他の選手達は、いきいきとグラウンドを走り回ってボールを操っているのに。それを横目に、自分はダメだとガッカリしなくてもよい。とりあえず一緒に走るだけでもよい。絶対にまたパスが回ってくるはずだ。参加しなくなったら、もうお仕舞いだけど。

は英語のルールを知っているのだから「ゼロからのスタート」ではない。それだけだって、とても貴重だ。少しでも理解できる段階にいることを肯定して、誉めるべきだ。一応、ありがとう義務教育。


Mar 21, 2002 つづき

の心配をまったく無視したかのように、英作文は全然違うテーマが登場したのであった・・・。先生の良心か、ちょっと思いついただけだったのかは不明。結局、選ばれたのはこの3つ。「英語習得後、目標とするキャリア」と「May/December relationship(年の差カップル)についての考察」と「アメリカと自分の出身国との相違比較」。助かった!

上最低の作文になった。じつは書き始める前、ノートにアイデアを書き出していたら、貧血なのかだんだん寒気がしてきた。miyamu大ピンチである。そのうち本格的に気分が悪くなり、文字を書くのにも必死な状態になってしまったのだ。とにかく、文章のことなんて考える余裕無し。でも時間は刻々と過ぎて行く。用紙は全然埋まらないし、書き終えて帰ってゆく学生に煽られるし・・・助けて〜!

うパニックのあまり、3番目のテーマを選んだのに、全然比較になってないことを書いてしまった。アメリカと日本の比較をしてみたら、実は似てた!ってオチで・・・つまり書いているうちに話が反れて「あら、実は共通点!」になっていたのだ。しかしとにかく書くだけで必死で、そこまで冷静になれる状態ではなかった。なんてこった。

人しく、2番目のテーマにすればよかった。年の差カップルについて、今からでいいから書き直したいよ・・・。


Mar 21, 2002

付が変わり、NYは深夜0時だ。明日(もう今日か。)は学校で作文のテストがあるので、眠る前から憂鬱である。先生が事前に予告してきたテーマは10種類あり、その中のどれかが選ばれるのだ。

ーマの中でも最悪と思われるのは、アメリカで話題になっている裁判についての考察だ。5人の子供を風呂場で殺人した母の裁判で、精神状態に異常があったと主張する弁護側に対し、14年(だったかな?)の実刑判決が妥当か否かの考察を書く。考えただけでも難しそうである・・・頼むから、それだけは避けたい。

の裁判の考察は、「私の退屈な1日」だとか「私の趣味」というテーマとは、どう考えても同レベルのテーマではないだろうと思う。しかし、先生が選んでしまったらもう書くしかないということだ・・・。ああ、言葉を知らないって、こういう時辛い。辞書の使用が認められるかどうかも運命の分かれ道だ。しかしふだん使い慣れていない言葉を引用しても、不自然な文章になるだろうし、いずれにせよテーマ次第だ。

れでは、Good luck!                                   (つづく。)


Mar 20, 2002

う、いやじゃー(昨日の続きね)。マウスのない暮らしなんていやじゃーと文句を言っていたら、「じゃあ買えば」と言われた。その通りなのだが、そんなに高くもないと分かっているのだが、そう言われると「いい・・・。」となってしまう。私は変なところに意地を張る性格をしているようだ。そして今日もマウスなし。明日も。そのうち慣れるかもしれないけど、指先が疲れるからいやなのだ。(真ん中に赤いぽっちが付いているIBM製。けっこう固い。)

朝は早起きして、同僚の家まで夫を送る(相乗りして出張に行くらしい)という任務があった為、早朝ドライブをした。7時前に晴れて自由の身となった私は、近くの公園にでも行って渡り鳥の観察でもしようと思っていたのに、生憎の雨であえなく中止。早朝のため空いている店も少ない。仕方なく、24時間営業のCVSへ行った。

CVSは、ドラッグストア兼コンビニのようなもので日用品が売っているチェーン店だ。私はそこでルーズリーフの中味と、4ロール入り3パックで$2.5の特売トイレットペーパーを買って帰宅した。それにしてもそんな朝早くに、トイレットペーパー買って行く変な奴だと思われただろうな。よっぽどこの人困って来たのかしら〜なんて、思われてしまったか?それもなんだか嫌だなぁ。


Mar 19, 2002

まったー始まったぞー、学校が始まってしまったー。
たった一週間の春休みも過ぎて、また学校が再開された。実は、内心ホッとしている。もしこれ以上英語から離れてたら、せっかくの勢いが怖気づいたり、英語自体をどんどん忘れてしまうからだ。私には多分、一週間が限界なので丁度良いのだ。

ころで、我が家にはPCが2台あるのだが(仕事用と、ネット・メール・HP用)、何故かマウスが1つしかない。後の一台を購入した時に、私の頭にせこい考えが浮かび、「付け替えて使えばいいさ〜」などと思いついたからだ。しかし、今日は夫がマウスを会社に連れて行ってしまったために、さっきからこの日記を書くのにさえ難航している・・・。やはりマウス無しは何かと不便なのだね、うう。

ソリンスタンドに給油しに行った。アメリカはセルフがほとんどなので、始めは緊張したものだが、慣れるとけっこう楽しい。私は日本の免許を持っていながらも、全くというほど運転していなかったので、アメリカに来るまでは自分でガソリンスタンドに入った事は無かった。そもそも教習所でガソリンスタンドにどうやって入るのかとか、教えてくれると思っていたのに、それはえらい勘違いだったし。

年、日本に帰国した時に車を借りた。いきなり日本の公道を走るなんてと周囲には心配されていたようだったが、大丈夫。生まれ変わった私を見よ!とばかりに、ブーっと走った。でも、ガソリンスタンドはセルフのところに入ったので、ガソリンスタンドのフルサービスはいまだ未経験。日本もセルフの所が主流になってしまう日が来るのかな・・・。


Mar 18, 2002

すぎるものを食べたときの人体の反応について、今日は書こう。というのも、先日私が食べた恐ろしく辛い中華での経験を、このまま思い出になどしないようにと思ったからだ。

ニューにあったチンジャオロース(牛肉と野菜の細切り炒め)の横には、★が2つ付いていた。これはつまり辛さを示すバローメーターであり、欄外にはきちんと「超辛い料理」と書かれていた。しかし、私はチンジャオロースが食べたかったし、超辛いといっても、それほどではないだろうと思っていた。

かし本当にとんでもなく辛かったら困るので、夫は注文の際に「もう少しマイルドに作ってください」と頼んでくれた。素晴らしいフォローだ。さすが注文しなれている。

て、待望の料理がやってきた。店員さんが二つの皿に取り分けてくれた。早速食べてみる。非常においしいチンジャオロースだった。牛肉は絶妙に柔らかく、味付けはしっかり目で、ご飯とよくあう一品だった。勢い良く食べ続ける私に、間もなく悲劇が訪れた。カッッカラーーーーーーッ!!!

の時、私の呼吸は止まり、鼻は全開し、目は潤んだ。な、なんとかして口の中を浄化しなければ!しかし辛さに打ちひしがれる口の中に、水は禁断の液体である。辛さは緩和されるどころか増強される。私は必死にぱさぱさの米を噛みしめた。でんぷんの甘さに救いを求めて・・・。

さは次第に増してくる。口の中が燃えるように熱い。そして痛い。お茶さえも痛い。既に額には汗が光る。私に救いは無いのか!?それ以上食べられず、箸の止まった私を見て、夫が続きを食べ始めた。・・・そして悲劇は彼の口にももたらされたのであった。固まる夫。顔が怖い・・・。なぜか、私の方に辛い成分が固まっていたのだ。

で感じるもののうち、甘味・塩味・苦味・酸味・旨味は味覚であり、辛さだけは「痛覚」とされているとかつて学校で習った。教授、そして皆さん。それは本当です。これからは★の表示を信じる事にしようと肝に免じた体験である。


Mar 17, 2002

って来ました、I Musiciのコンサートへ。

Musiciというのはイタリア出身のわずか12人の楽団である。1952年に12人の同級生がI Musiciを結成してから、今年で50年。その節目の演奏を聴けたことが、なんとも嬉しい限りである。演目は「四季」に代表されるヴィヴァルディ尽くしだ。

台には11個の椅子と、ハープシコードが一台置かれていた。あまりにもシンプルで、その飾りっ気のなさがI Musiciらしさなのか、と思った。「I Musici」とはイタリア語で「音楽家たち」という意味なのだ。

Musiciの演奏法は独特で、指揮者がいない。指揮者によってリードされるのではなく、12人の呼吸とフィーリングが、音楽を紡ぎあげてゆくのだ。12人それぞれの巧みな演奏技術が一瞬の間で一つにまとまる時、世界中を魅了してきたという理由がわかった。I Musiciの音楽は美しく、楽しく、そしてなにより音楽そのものへの愛情が溢れている。

席から見るI Musiciは、50年というキャリアだけあって、失礼ながらかなりお年を召されているようだった。若い演奏者は、力のみなぎる音楽を奏でるけれど、I Musiciにはそういう激しさは無く、静かで、でも洗練されている。それがとても心地よかった。

しかすると音楽家には旬と呼ばれる時期があるのかもしれない。I Musiciは決して若くないし、音も昔とは違うかもしれない。それでも彼らのコンサートの後、私はしっかり感情移入していた。I Musiciのフィーリングが伝わってきたのだ。若くて力のみなぎる演奏者からは感じられない、調和の世界。するどく、ハラハラするような音ではなくて、穏やかで心温まる音だった。


Mar 16, 2002

Y流の運転は、ケンカに似ている。

ンハッタンの中をドライブすると、必ず危なっかしい目に遭う。はじめに感じた心臓が縮む思いも、いつのまにか当たり前の事だと思ってしまうようになった。事故にさえ遭わなければOK、運転マナーなんて無いも同然だ。

たちも、だんだん肝が据わってきた。急発進、急ブレーキ、急な割り込みにも怯まないし、隣の車線の車は5cmもあれば余裕の顔してすり抜けてゆく。中指を立てられても、気にしない。大人しそうな顔をして、随分とNY流になってきたものだ。ただ1つ、車のナンバーがNY州でないことを気にしなければ。

たちの最大の敵は、なんと言っても歩行者である。

Yを闊歩する歩行者は危険な「動く障害物」だ。彼らは、信号に従うということを知らない。車が接近してきても、我が物顔で道を横切ってゆく。すれすれに危なくっても、車が止まるだろうと思っているのかもしれない。飛び出す人を見ても「危ない!」なんて誰も叫ばない。ありふれた日常風景に、誰も関心が無い。

れでも車も負けてはいない。交差点ではクラクションをけたたましく鳴らし、歩行者がいても減速しないで突っ込んでゆく。すれすれに危なくっても、歩行者がよけるだろうと思っているのかもしれない。お互いがそんな風に思っていても、悲惨な事故が起こらないのだから、彼らは本当の限界を心得ているのだろう。私たちは、まだそこまで見切れてはいない。

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