miyamu's
DAY BY DAY

アメリカ徒然日記
アメリカ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。

MAY 2002
Back Numbers ★過去の徒然日記
May 31, 2002

本人の私にとっては長〜い前置きがあったように感じるが、とうとう今日からサッカーのワールドカップが始まった。日本は開催国の一つであるため、いざ競技が始まるまでの盛り上がりは尋常ではない。中にはワールドカップという言葉を頻繁に耳にするようになっても、「いつ?」とかいう人もいたのかな?

横浜の近くに通勤していた頃、競技場を立てている頃の様子を思い出す。今ではあの周りには、国際的に注目される都市に恥じぬようにと色々な整備やらがなされているらしい。数年前には鶴見川の土手と、道を少し入れば小さな商店街や住宅が立ち並ぶ町だったのだが・・・。大きな舞台を前にしては、簡単に見積もりが通るのかもしれない。でも、それもきっと税金なのだろうね。

ールドカップはここアメリカでの盛り上がり(というか話題)は皆無に等しい。とはいえ幸いな事に、全試合をテレビ中継で観られるようだ。こうして日記を書いている今も、フランス対セネガルの試合が生中継されている。韓国の競技場は、空席が目立つ。韓国戦ではないので仕方が無いか。アメリカはメジャーリーグの季節。この試合の結果は、ニュースのスポーツコーナーで少し取り上げられる程度だろう。

ころで一昨日の夜にドリカムのライブに行ったせいで、ESLの初回をサボってしまった我が夫。いきなり欠席してしまったので緊張しつつも、昨日からスタートしたようだ。宿題が大量に出ている模様・・・。さすが大学のESLということか。それに週末は宿題の量が多いのだろう。

の方はReadingの宿題が出ている。どうやらその宿題は、なんとも切ない予感がする物語なのだ。少年の祖父が老人ホームへ入居させられる前夜の物語だ。少年の父が再婚しようとしている相手が「年寄りとは同居したくない」と主張しており、少年はそのことに反感を抱いている。祖父はそのことを知っているから、少年と最後の夜に語り合う・・・みたいな感じ。パラパラっと見たが、知らない単語が続々登場していたので、めげてしまう。辞書を片手に格闘せねば。


May 30, 2002

日はお昼に友人と地元の韓国(と日本)料理店へ行き、日本風のお弁当を食べた。なかなかコストパフォーマンスの良い昼食で、味も日本人の味覚にあっている。夜は石焼ビビンバが食べられるという。(ランチは石焼じゃないビビンバなんだって。)ちなみにお店はTarrytown方面のgowasabi。地元開拓も楽し、である。

の後、友人宅で野鳥観察(笑)。というのもアパートメントのお庭にグース隊が住んでいるからだ。なんて素晴らしい環境だろう!しかもこの前にお邪魔した時はいなかったのに、一羽だけ真っ白いサギも加わっていた。グース隊には新しい子供達もよちよち歩いていて、その光景はずっと見ていても飽きない。と、突然池の中から動く岩・・・ならぬ巨大な亀が現れて、驚いたのなんのって。それは30cmは越える大きさで、真っ黒だった。まさか亀までいるとはね〜と、しばし観察。次回は子ガモを観察させてもらう予定。

、NYのライブハウスでDreamsComeTrueのライブ(あえてコンサートとは言わない)へ。観客の98%くらいは日本人だったけれど、満員御礼の状態であった。日本人がこんなに一箇所に集まる光景なんて、こっちに来て初めてだ。もっともっと気合を入れて前方へ割り込んで行けたかもしれないが、私はおとなしく後方にいた。それだって感動ものだった。

銭的に今ほど余裕がなかった学生時代、バイトで貯めたお金で高いチケットを購入し、ドリカムの全国ツアーをいくつか見た。巨大な会場ではアリーナ席でもありんこサイズで、全然見えない。でも今度は信じられないことに、チケットも手頃なライブハウスで、一夜きりの手のひらサイズ。顔の表情も見られる距離。

本ではドリカムは大物アーティストすぎて、ライブハウスで歌うなんてプレミアの企画物くらいしか考えられないが、NYでは正真正銘、みんなの熱で温度が上がってゆくのが分かるような小さめのステージだ。日本でのコンサートのように仕掛けのある舞台装置も無いし、お遊び企画も、お色直しも無い。バンドセットとライトだけの、とてもシンプルなステージである。そこでは歌だけが全てという雰囲気だ。もしかすると彼らにとって、懐かしい気持ちのするようなステージだったのではないだろうか。

場は夜の8時、開演は9時となっていた。開演時間になり、待ちに待っている私たちの前に現れたのは、前座の人だった。ファン一同の落胆が感じられた。しかし、広告には彼も出ることが書かれていたし驚く事ではない。そして、彼の持ち時間は30分あった。はじめ、1曲目が終わった時は、会場の反応はまずまずで、2曲目が終わり3曲目に入ったときに、会場内には「まだやるの〜?」的な雰囲気が漂い始めた。

していつまで経ってもドリカムは出ないし、前座は終わらないしで、いらだち始める会場の雰囲気。それにしたってアコギ一本で真面目に弾き語っていた彼へのブーイングはいただけない。「ブーイングが聞こえるけど・・・」と言っていた彼が、日本人を嫌いになっていないことを願うばかり。結局30分の前座のあと、更に30分待ち時間があり、ドリカムのライブは10時からだった。

の10時に始まるというのは、遅い。オールスタンディングの会場で待つのも大変だ。でも、NYの前にワシントンで行われたライブも7時半の開場で、ライブは10時に始まったと聞いていたので、そんな予感はしていた。

10時になり、ドリカムがステージに現れた。本物の2人は1番前の人なら触れそうな距離。それから1時間と少し、彼らのステージはノンストップで続いた。鼓膜にビンビン伝わる音に、これぞライブだね〜!と感じる。吉田さんのパワフルな歌と、中村さんのベース、それにギターとドラムとキーボードだけというバンド構成である。ステージではここ数年の代表曲が半分と、ちょっと前の曲少しと、英語の曲(アルバムの曲)とを披露していた。吉田さんの時々英語交じりでのMCと、中村さんのギャグ(?)が面白かった。

テージの中盤のこと、なんとあの前座で出てきた彼とのコラボレーション曲が公開された!吉田さんの紹介を受け、彼は拍手で迎えられる。前座の時はあんなに「はやく引っ込め〜」と言わんばかりの雰囲気でいたくせに、観客の変わり身の早さには驚きだ。

夜、ドリカムのライブは終わった。夜の11時半前、ライブの余韻に浸りつつ帰路に着く。吉田さんは「来年も5月にNYでライブをするからねー」と宣言していたので、もしもまた行けるのならば是非行きたい。しかし、一箇所に立ちっ放しでの数時間はさすがに疲れたなぁ。やっぱり今朝はなかなか起きられなかった。


May 29, 2002

は、昨日からコミカレの夏期講習が始まった。私の通っているコミカレには、1月から始まる春の部と、9月から始まる秋の部とがある。その間に挟まれた6〜8月は、夏の部として短期集中講座が開講されるのだ。短期集中なので、夏の部は5週間である。5週間のセッションが夏の前半と後半に1回ずつあるので、やりたい人だけ受講できるのだ。

は今月のはじめに春の部を終了したのだが、自分にとって英語に触れない時間を増やすのはいけないと知っているので、秋まで間をあけず、夏の部を受講する事に決めた。

「間をあける」ということは私にとってどういうことかというと、単語を忘れる期間、英語の感覚を失う期間、引っ込み思案に戻る期間、面倒くさがりになる期間である。こうなってしまうと、ほんの2,3ヶ月の中断で失われるものは計り知れない。半年かけて学んだ事や、慣れた環境も、その半分以下の時間で失われてしまうものだ。

期講習は朝と夜にクラスがあるのだが、朝はなんと8時から11時という、私には到底不可能な時間だったので夜のクラスにした。このスケジュールは週に3回、6時から9時まで、5週間続く。

段は夜の部を取らない私がこの時間帯を選んだのにはもう1つ理由がある。期間を同じくして、我が夫も近所の大学のESLに通う予定でいるからだ。どうせ夜に行くなら、2人して同じ時間に勉強しましょ・・・という考えであった。(場所は違うけれど。)身近なところにmiyamuのライバル登場である。というか、ネタを提供してもらおうと思っているのだけどね(笑)


May 28, 2002

モリアルデーの3連休に、こちらも厳戒態勢のWashington D.C.に行って来た。アメリカの首都にこの度初めて訪れたのだが、歩きに歩いた3日間であった。

ロの影響でセキュリティーを強化している為に、入場できない名所が多かったのが残念だったが、いつになったら公開されるのか定かではないので仕方が無い。それに見学できる全ての建物でも、入場時には荷物検査や金属探知機をくぐる必要があった。これらは全て空港並みの検査である。美術館も博物館も、案内所さえもすべてこの状態で、入場前には列を作っていた。

きの高速でハーレー野郎たちのチームにいくつか遭遇したが、市内に入ってその理由が分かった。日曜日にハーレー集結、「爆音ライダーパレード(miyamu訳)」があるからだった。週末中ひっきりなしで轟音が鳴り響く。ホテルの目覚まし代わりにWashington D.C.内に轟くハーレーの音であった・・・。自慢のマシンの合計は、数百台は軽く越えていたと思う。観光先でも出会う、ハーレー皮ジャンの男達。それに女達。アウトローな彼らのファッションは、ライダーだと一目でわかる。でもカッコイイね。

曜の夜に、Washington D.C.の中心である国会議事堂の庭でメモリアルデーのコンサート集会があった。今年はテロ事件で命を失った人々への追悼が、集会の主たる内容であった。

たちはホテルの白いバスタオルを芝生に敷くマット代わりに持ち出して、会場に向かった。「そんなこと(バスタオルを芝生に敷いたり)したらヒンシュクかもよ」と私はちょっと心配していた。しかし会場に行くと、同様の人々が多くいたので「みんな考える事は同じだね」と妙に安心してしまった。単純である。赤信号もみんなで渡れば怖くないの心理である。

ストの中に、NY市警のロドリゲスさんがいた。彼はテロ事件の後に一躍有名になった「歌う警察官」である。冬季オリンピックでもその美声を披露した人気者である、本職が警察官である彼も、いまや素人っぽさが抜けて、すっかり堂々とした歌手になっているようだった。

ashington D.C.の美しい街並みは、さすがグローバルな国の首都と言える。アメリカの中枢、そして看板都市として立派に機能しつつ、美観も観光名所もきちんと整えられている。生活臭のしない都市部は東京のそれと似ているが、アメリカには自然や公園が多く、非常に広々としている点が大きな違いだ。そして高い建物が無い。

りの高速で、雷雨にあった。だだっ広い土地に障害物は何も無く、どこまでも続くような暗い空に包まれた。あっという間に視界が奪われ、ワイパーを最高速にしても前が見えない。稲妻が光る。空が広いので稲妻の線がハッキリといくつも見られた。怖いのに、美しい光景。そして走行が困難になるほどの大雨。

然雨の音が変わった。硬い物が当たる音がした。・・・雹だ!!なんてことだ。外に出れば矢が降るような氷の粒に攻撃される。車もへこんでしまいそうだ。高速道路は川となり、車はハザードを点けてのろのろと進む状態だった。とてもじゃないが走れない。途中、屋根代わりになる陸橋の下には避難する車が3重に駐車して道をふさいでいた。私たちはのろのろと進んで、嵐の下を通り抜けた。このような悪天候は、初めての経験だった。(高速にはハーレー野郎たちもいたのだが、大丈夫だったかな?)

の嵐の中の徐行と、少しの渋滞があったが、約6時間で家に辿り着けた。最後に、Washington D.C.は魅力の多い街である。あとは安心してあちこちを見学できるような、自由な旅行が出来る日が来るのを願うばかりだ。


May 24-25, 2002

いにやった!公園に走りに行ったぞーーー!!大袈裟かもしれないが、私にとっては改革的な有言実行である。アメリカにてたるんだ肉質を改善すべく立ち上がったのだ!近所の公園は、公園といっても町内会並みに広さがある場所なので半分以上歩いていたのだが、まあこの際OKだ。この公園での小冒険の模様は、とりあえず3日続いた頃にまた書こう。

日からメモリアルデーの3連休である。(もう今日だけど。)悪いタイミングで、NYはテロの厳戒態勢に入っているので、何事も起こらないことを祈るばかり・・・。この週末は、私も出かける予定でいるのでこの日記も更新できません。次回は、火曜日になる予定です。


May 23, 2002

うやく季節相応と言うか、天気が良くて、気温も上がって、過ごしやすくて、「気持ちぃ〜!」というお天気がやって来た。本当、先週の土曜日に寒さと強風に凍えていたのが嘘のよう。不思議なお天気も、このまま良い方向で持続へ向かって欲しいものだ。

のように気持ちの良い天気、車の運転も窓を開けて、吹く風を体に浴びていたい。というか、窓を閉めると冷房無しではおれないほど強烈な日差しをじりじりと受け、とても暑いのだ。そういう訳で、今日も窓を開けて運転していた。

、ハンドルを握る私の耳元でブーーーーンッという羽音が聞こえた。ん・・・?一瞬後に私の視界に飛び込んできたもの、それは黄色と黒のしましま模様も鮮やかな、大きなハチだった。「キエーーーッ!!!」

かったはずの車内が、その一瞬にして凍りついたのは言うまでも無い。なぜよりによって我が車内に!?しかもどこに行ったんだ?私は運転中で忙しいんだよ、出て行っておくれ〜。私は4つの窓を全開にして、ごーごー鳴る風の中、しばらく硬直して運転した。

サカサッという音が後部座席のほうから聞こえた。ヒイ〜〜。いてもたってもいられない。落ち着かない数秒間の後、ブブッと羽ばたかせてハチは去っていった。ホッ。ほんの短い同乗時間だったけれど、とても長く感じたし、本当に怖かったぞ。大の人間がハチ一匹に翻弄されてしまうとは。攻撃しないと刺さないとはいうけれど、でもやっぱりハチは怖い。これからなおさら暑くなっても、ハチとの同乗はご勘弁だ。もちろん運転していなくっても、ご遠慮したい。


May 22, 2002

いもので、5月ももう下旬〜・・・なんて毎月のように言い続けているmiyamuである。(過去の日記参照。)このホームページを立ち上げてから、もうすぐ4ヶ月が過ぎようとしているのも、驚きである。なんだか、いつの間にかページが増えてきたみたいでホームページビルダー(で作成しているので)が重たい。

は私のPCは日本から持ってきたもので、ハード容量の非常に少ない機種なのだ。もともとインターネットとメールだけを目的として購入してきたものなので、バックグラウンドで色々な仕事をさせることが出来ない。そういう無理なお願い(連続クリックなど)をすると、とたんに気絶してしまうのだ。フリーズって、心臓は動いているし、息もしているのに、動かないから気絶に似ているような気がしない?

像編集は特に容量を必要とするようで、写真をいくつも同時に編集するのが気絶の主要因と思われる。(だから私のサイトは写真が少ないのかって、そういうことにしておこう。)こう作業環境が悪いのに、さらにまた新しいコーナーなども作ってしまったので、外付けでパワーアップさせないと・・・。そういうわけで、また気ままにコーナーを増やしてしまったので、ご覧になった方のご感想などお待ちしております。andこれからもどうぞよろしく。

日、図書館で借りたビデオを返却できないまま週末を過ごし、その上図書館の定休日も挟んでしまったので、高い延滞料金をおそれつつ返却しに行った。結局、ペナルティを2ドル取られてしまった。1日1ドルの計算か。日、月と図書館がお休みだったから、その分はペナルティに入れないでくれているようだ。ホッ。

書館は書籍、CD、ビデオ、DVD、それに絵画まで無料で貸し出してくれるのだが、延滞の場合はペナルティが存在するのだ。しかし、よく考えると絵画を図書館で借りるっていう感覚がすごい。期間は3週間も借りられるので、簡単に部屋のイメージを変えたりできる。しかも頻繁に。ここはアメリカ、部屋も広いからだね、きっと。


May 21, 2002

日は一言だけ。
メモリアルデーの3連休を前に、何をしようか考えている。でももう時間がなさすぎるので近場を開拓しに行こうかね・・・という感じになりそう。

えっと・・・色々書きかけのものが多くなってきているのに、またしても新しいコーナーを模索中(笑)なので、ご興味のある方は楽しみにしていてくださいねー。(誰かそんな奇特な人が、いるといいんだけど。)


May 20, 2002

のコースの教科書を買いに、コミカレの売店へ行った。この売店には本の他に、文房具、コミカレのオリジナルグッズ、辞書類、雑貨などが売られている。ここは新学期の始まりともなると、教科書を買い求める学生でごった返す。このピーク時は、売店のスタッフが増員される。

列に並んだ学生たちが教科書を求めて売店に殺到すると、スタッフは慣れた様子で仕事をこなす。このピークの期間、学生は本売り場に入れないようになっており、スタッフに自分の選択した授業の申し込み書を渡して待てばよい。するとスタッフがその紙を見ながら本の在庫をチェックし、学生ごとに必要なすべての教科書を集めてくれる。仕事の遅いアメリカにおいて、なかなか手際の良い売店だ。

日は夏の部が開講される前だし、売店はまだ空いていたので待たずに買うことが出来た。コミカレのオリジナルグッズをちょっと見ていたら、使いやすそうなファイルが新製品として入荷されていた。さりげなくカレッジ名がプリントされていて、いいかもしれない。

の部に選択したコースはGrammarなので、新しい教科書も分厚い文法の教科書だった。なんだか似たような本ばっかり集まってきているような気がする・・・。売店の片隅にある掲示板には「売りたし、買いたし」のメモが所狭しと張り出されているので、私の本棚に並ぶ2度と使わないと思われる教科書も売ってしまいたい。

は教科書に書き込みをするのが嫌いなので(消しゴムで消えにくい印刷紙が多いから。)どの練習問題もピカピカだし、けっこう売れると思う。アメリカにいる皆が、口を揃えて言う「新品同様」は大して当てにならないけれど、私が言う「新品同様」は、誇張じゃないからね。


May 19, 2002

天の日曜日だというのに、家で読書やら掃除やらして過ごしてしまった。もったいないなぁ。でも今週は晴天続きだということなので、平日に活動するもよし。それに、昨日あちこち歩き回ったのが効いたのか、足がいつもよりも張っている感じなのだ。日頃の運動不足が身に染みる・・・。

メリカに来る前、結婚してから少しの間住んでいた町は坂が多かった。私は独身時代から愛用の自転車を乗り回し、毎日のように坂を越えて買い物に行っていた。とはいえ坂の傾斜はただならぬもので、上りの道を行くときは自転車を降りて押している人がほとんどだった。私はその坂で降りることなく自転車をこぎ切ることに命をかけていた。

転車を押している人たちを横目に、愛車にて坂をぐんぐん上る。それが結構好きだったし、ちょっと意地になっていた。おまけに、私にはこだわりがあった。本当はとってもきつい上り坂なのに、あえて余裕な表情をしていることに。苦しげな顔をして、立ちこぎになってまで必死に坂を上るのは私の中では不合格だった。

好付けのmiyamu、その成果があってか、当時は腹筋と脚力が今よりもっと強かった。坂を上りきった後に、長い下り坂が待っているのも嬉しくて、風を切って気分爽快に坂を下ると「今日もいい運動したぞー」なんて自己満足していた。今の私でも、あの坂を上りきれるかな。

での生活に慣れ、今ではすっかり運動しなくなったから、恐るべき事に少しずつ「お肉の質」が変わってきているようだ。その変化に危機感を感じつつも、緩みきった生活は続いている・・・打つ手は無いのか!?晴天の日曜日が恨めしい。すぐに実行に移せそうな公園ジョギングでも始めようか?

から遡る事、1年前。運動不足だというのが口癖のようになったわが夫は、ある日会社から戻ってすぐにジョギングに出かけた。「やるね〜」なんて、彼の変化に私も少々焦りを感じた。しかし、その奇跡は1,2日で終わったのだった・・・。私はどのくらい続けられるか。いや、私は始めたら続けられる性質だと思う。でも、始めるまでが困難なのだ。


May 18, 2002

本から来ているお客様と共に、雨のNY観光へと繰り出した。WTC跡地と、自由の女神のあるリバティ島、エリス島、チャイナタウン、ウォール街、ミッドタウン辺りを中心に歩き回った。今日は本当に寒く、吐く息も白いような日で、吹き付けるビル風によろめきながらの観光だった。

ロ事件以降、自由の女神の内部は公開されていないので、リバティ島に行く観光客達はみんな寒風吹きすさぶ中で女神像の周りをぐるっと歩き回ることになった。そして私はエリス島にはこの度初めて立ち寄ったのだが、ここにある移民博物館は一見の価値ありである。移民の国とも呼ばれるアメリカという国を肌で感じる事が出来る。

ェリー代金(大人8ドル)でリバティ島とエリス島と移民博物館、それに船の上から自由の女神を正面から見られるという特典付きで、ちょっとお得な観光コースだと思う。移民博物館は少々大人向きの内容かもしれないけれど、広くて展示も充実していた。

ャイナタウンで久々にお気に入りの老飯店に行き、名物の小籠包を食べた。いつ食べてもここの料理はおいしい!NY近郊ならば、出かけてみて欲しいオススメのお店。もう食べられないというほど上海料理を満喫し、3人で1人辺り16ドル程度とは!!ますますチャイナタウンが好きになるわ。

えるような寒さのマンハッタンを、一日中歩いてくたくたになったから、こういう日はあったかいお風呂に入りたいね〜・・・我が家はシャワーかぁ。


May 17, 2002

が家から車で1時間ほどの距離に、御殿場にあるのと同系列のプレミアムアウトレットが2ヶ所ある。3連休ともなると何かしらのセールを催す事が多いので、私はちょくちょく足を運んでいる。中でもお気に入りのお店は、デパートのBARNEYS NEWYORKのアウトレットである。

ARNEYS NEWYORKといえば、日本では超高いセレクトショップなので、私はもっぱら覗きにだけ行く程度だったし、ガーゼで出来たようなよれよれしたカットソーが5桁の値段だったりして・・・まあ、ちょっと手の届かないお店だったのだ。(もちろん今でも、マンハッタンにあるBARNEYS NEWYORKに立ち寄ると、同じ雰囲気を味わう事が出来るのだが)でもなんと、それがアウトレットにあるなんて!

ウトレットのBARNEYS NEWYORKは、アウトレットといえど、モール内にある他の店とは違った整然とした空気が充満している。しかし、あのデパートの商品がかなりの割引価格で売られているのを初めてみた時には感動してしまった。(もちろん値引き後もまだ高いんだけど、それでも感動したの。)

置きが長くなってしまったが・・・実は16日(昨日)からBARNEYS NEWYORKのアウトレットのセールが始まったので、今日はドライブがてら行ってみたのだった。車内は日差しが入ってきて熱いし、渋滞はしているしで途中にめげそうになってしまったが、音楽をかけて大声で歌いながら気分は上々に、楽しい旅路であった。

着後、始めにBARNEYS NEWYORKをチェックした。購買意欲をくすぐる商品もぼちぼち見受けられたが、サイズが大きかったりして、すごく欲しい!というものにはめぐり会えず仕舞いであった。アウトレットだから仕方がない。それで他のお店をぶらぶらして、いくつか戦利品を手に入れて、本日の冒険に満足して帰路に着いたのであった。

ういえば、アウトレットの駐車場で日本人のグループに遭遇した。ママ4人とベビーカー4台で、お散歩がてらお買い物・・・という雰囲気だった。私は1人だったので、お友達と一緒にお買い物っていうのも楽しそう〜なんて思ってしまった。でも、買い物って一人の方が集中出来たりする場合もあるけどね。


May 16, 2002

日は学校に夏のコースの申し込みに行った。(でもその前に病院に立ち寄り注射を打った・・・。痛かったわい。)これで一応、カレッジの正式な学生となった訳らしい。おおーっ!なんともあっけなく。学校が始まってみないと分からないけれど、今日の申し込みの段階ですでに分からないことだらけだった。もちろんパンフレットのあちこちに日本語でチョコチョコと単語の意味を書き込んで臨んだのだが・・・なんだか前途多難の兆しである。

の帰り道、近所のショッピングモールに行った。春夏ものでも、一部の商品が安売りされているのでそれをチェックしに行ったのだ。しかし、何かやり遂げた後のような勢いに乗った気分で、こういうところに来てはならないね。調子に乗って、ちょっとお買い物してしまったではないか。

らにその後でスーパーに行くと、たびたび私が話題に出している「ブサトマさん」がどどーんと箱ごとトマト売り場に陣取っていたのだ。もしやブサトマ達のシーズンが到来したとでも言うのだろうか!?それに今日見かけたブサトマの大きさたるや、最大のものではゲンコツ2,3個分はあった。もちろんブサイク!

はこのトマトに、かなり勝手に盛り上がっているので、そのうちこのページに「最もブサなトマ」の写真でも公開しようかなぁと考えているのであった。ほんとにくだらないですね、ゴメンナサイ。


May 15, 2002

屋を飾る雑貨類を売っているような、ちょっとお洒落なお店を覗くのが好きだ。しかし大抵買い物はしないので、店員さんが何か申し出てきても、私の返事は「Just looking.」である。季節の移り変わり毎にお店のディスプレイもすっかり変わる。春になり、あちこちのお店でピンクや黄色などの色が並びだすのをウキウキしながら見ていた。

んな私が気に入ったアイテム、「造花の鉢植え」がとてもかわいらしかったので、ずっと私の中で印象に残っていた。それは10cm四方程度のペイントされた箱に、紙で出来たようなバラの花が隙間無くぎっしりと並んでいるだけのシンプルなのに華やかな置物だ。その素材がドライフラワーの風合いを持っていて、まるでミニチュアの花壇のようだった。もう少し安かったら買ってしまっただろうと思う。

近になっても、いつまでもそのミニ花壇が忘れられないので、ついに自分で似たものを作ってしまった。昨日、学校の帰りにWAL★MARTの中にあるクラフトのコーナーに立ち寄ったら、眠っていた創作意欲がむくむくと湧いてきたのだ!

ものと思われる紙製のミニブーケが数色揃って売られていた。ブーケは5cm程度の大きさで、紙で作られたリアルなバラが10個ほどまとまっていた。小さな花が華奢でかわいらしかった。私はそれらの花を何度も手にとっては決めあぐね、結局3色買ってしまった。一束66セントという安さだったので、3色を4本ずつ、全部で12本買った。雑貨屋さんで見たような、ちょっとしたインテリアになるような小鉢にしようと思いついたのだ。

れにちょうどピッタリの大きさの、ブリキで出来た造花用の鉢を見つけたので、2つ買った。ここまでの出費、僅か10ドル足らず。素晴らしきかな、手作りインテリア。最終的に、とっても安い出費で、売り物に近い出来のミニ花壇が2つ作れたのでとても満足である。こんな風に自分でなんとなく再現できてしまうこともあるので、本物のお店では「Just looking.」で、新しいアイデアを拾って帰るだけでも十分に楽しいのだと思う。


May 14, 2002

いに学校が終わったー!おつかれmiyamu。誰も言ってくれないので自分で言っているし(笑)。そして、今後2週間ほどは、夏の部に向けて申し込みや雑務をこなす予定。それほどに間を空けないことも英語習得の重要課題であることは重々承知している。

ころで、ここで計画している雑務のなかに避けたいが、しかし避けて通れないことが1つあるようだ。今後コミカレにて単位が取得できるコースに進む場合は、今までとは少々勝手が異なるからだ。これまでの「希望する万人に門を開いた感じ」の、日本でいうオープンカレッジに似た雰囲気とは変わり、本物の「○○カレッジご入学」となるからだ。つまりやる気マンマンになってしまえば、あの衣装(よく映画に出てくる、黒装束)を着て卒業だって出来てしまうとか。おー・・・なんだか大規模な話になってきたぞ。

だ何にも始まってもいないうちから卒業の話なんてしてしまったけれど、実は今が丁度そのシーズンなのだ。それで、私はどうするのというと、それはとても長い道のりだし、半分以上のんびり主婦している私が、それほどに猛烈に頑張れるのかは想像できないね〜。というわけで、今までどおり主婦時々学生という身分でやって行くつもりである。

を戻し、避けて通れない嫌なことについて。それは、法律で決まっている「予防接種」なのだ・・・いやはや、こんな大人になって注射を怖がっているのもお笑い種だが、今更何の予防接種を受けるというのだ!?何を予防しようっていうのだろう。謎だ・・・。アメリカに転校してきた駐在員のお子さん達は、全員が予防接種を受ける。しかも、同時にたくさんの種類を打つのだとか。聞いただけで恐ろしい。大人だろうがそれと変わらないという事か。でも、あまり時間が無いので早めに手を打たなければならない。非常に憂鬱だ〜。


May 13, 2002

日で学校の春の部が終了するので、今日は台所で長いこと料理をしていた。全員で何らかを一品持ち寄ってささやかにパーティをする事になっているからだ。私は午前と午後に別の授業を受講していたので、パーティ2連続となってしまう。そこで何か2品目、用意しておく必要があるのだ。

前は9時から、午後は12時からなので午後のパーティには主食系を持ってゆこうかと思ったのだが、ご飯ものは傷みやすいし、クッキーを焼く事にした。とりあえず家にあるもので適当に作れないかと、捜索を続ける。ピーナッツバターが余っていたので、それをクッキーに入れてみることを思いついた。

量を済ませ、ボールの中にバターとピーナッツバターと砂糖と卵をペースト状にした後、小麦粉を加える所まで来た。ここでいきなり高速回転をかけて小麦粉が宙に舞わないようにと、電動ミキサーの泡たて部分を取り外そうとした時に、思いも寄らぬ悲劇が起こった。

ギュイーーン!と激しい音を立てて、いきなり電動ミキサーが急回転したのだ!辺りは・・・言うまでもなく、辺りはピーナッツバターと小麦粉の飛び散った無残な台所(&変わり果てた姿のmiyamu)となりしばし呆然。

の電動ミキサーには取り外しボタンにそっくりな、高速回転ボタンなるものが付いているのだ。こしゃくな奴だ。意気消沈した私は、最悪の汚れっぷりに一体どこから掃除すればよいのか分からず、とりあえず床から拭くことにした。油分たっぷりの材料が撒かれたことで、床はピッカピカ〜の輝きを取り戻した。不幸中の幸いって感じかい?・・・ハァ。

の著しく材料を欠いたボールの中味を、一抹の期待をして手順どおりに焼いてみた。しかし、とても美味しいと呼べる代物ではなかった。ましてクラスメイトに食べさせるようなものではない。

う一品のパウンドケーキはまあまあの出来で一安心、でもどちらかひとつのパーティは手ぶらになってしまう。もう作り直す気分になれなかった。手ぶらというのも良くないので、我が家にある食べきれないで残っているお菓子を持って行くことにしようかな・・・。


May 12, 2002

FK空港に、出張のお客様をお迎えに行った。到着ロビーには私たちと同様にお客様を待つ日本人が沢山いた。

、私たちの近くに座っていた初対面と思われるおじさん数名が世間話をし始めた。そのうち、お互いの素性(駐在なのかとか、どこに勤めているのかとか)に関することに話の流れが変わっていった。しまいには「私は○○社です」「私は△△社です、お世話になっています」のように、深々とお辞儀しあうような名刺交換が始まった。・・・でもここはアメリカだよ(一応)。

して、到着ゲートが開きお客様と思われる人物が出てきた。と同時に、ロビーに響き渡る「おつかれさまでしたーーーーっ!」という歓迎のご挨拶!こんな歓迎はもちろんのこと、「長旅どうもお疲れ様でした、お荷物お持ちします」という素早い働きかけなど、おおっこれぞまさに日本・・・。空港の小さな空間に縮小された日本の社会。

はこんなやり取りを横目に見つつ、空港は世界の玄関なのだなぁとつくづく思った。きっと他の国の航空会社の出口では、違った挨拶、違ったしきたり、違った表現が垣間見られることだろう。それはもしかしたら楽しい観察だし、新しい発見が見つかるのではないかと思ったのである。


May 11, 2002

輪物語の原作本を読み始めて、数日が経った。単行本で全9巻の中の3冊目である。昨日は結局1冊読破した。午前2時、ようやく就寝・・・。私はこの小説の映画化された作品を観ていないので、登場人物への先入観もなく読み進んでいる。というのも、映画化された際に、原作が多少なり湾曲されているということは聞いていたからだ。

説の世界はとても複雑な登場人物、世界観、土地感覚、専門用語が次々に登場してくるので、大人の私でも数ページさかのぼって再読することばかり・・・難航中。しかし、なんと面白い小説だろう!

の小説のジャンルはファンタジーなのかもしれないが、厳しい冒険物語でも、知的な小説でもある。登場人物(人間はほとんど出てこないが)の葛藤や弱さなどの心理描写が非常に巧みで、哲学的な要素もおおいに含まれている。まさに大人も(こそ?)楽しめる作品なのだ。

はアメリカに来てから読書する時間が以前にもまして増えた。それも、分厚くて読むのに難儀しそうな作品にも果敢に挑むようになってきた。(英語の本を読めって!?)それらの本を、私は図書館で借りている。アメリカの図書館に、なんと、日本語書籍のコーナーがあるのだ。なぜなら私の住む町には日本人の家庭が多く、その人口が増えるにしたがって図書館にも日本語の本が増えてきているからなのだ。

輪物語は、映画が公開されてから全9巻が図書館に入荷されてきたようだ。(しかも本の裏には紀ノ国屋のバーコードが付いている!どうやら新品のようだ。)私が第1巻を借りたときに、本を見るとすでに誰かが借りたことを示す貸出日の日付が付いていた。しかし、第2巻以降には日付がなかった。つまり誰かが指輪物語を借りて、読み始めたけれど、一冊で挫折したという事だ。私は全巻読破してみせるっ!なんて、思ったのは言うまでもない・・・でも、本当に面白いからすぐに読破してしまうだろう。貸し出し第1号っていうのも、なんだか嬉しいじゃない?


May 10, 2002 (実はもう日付が変わっているのだけど・・・)

夜はmiyamu野球強化週間をしめくくるべく、またしてもメッツ対ジャイアンツの試合を観に行った。一昨日はナイターだと思って重装備で出かけ、結局持っていった上着が座布団になってしまったという事を踏まえて天気予報をマメに見ていた。しかし、半袖でも大丈夫だった一昨日とは打って変わって、昨夜は霧雨の降る非常に寒い夜であった。気温は一桁で、球場はもやの中・・・。

は長そでのシャツにフリースの上着と、その上にキルティング素材のジャンパーと、モコモコに膨れた防寒ベストを着こんで、上半身が鎧みたいになっていた。さらに手袋と帽子も装着して、極寒の野球観戦に挑んだ。それでも球場の風は膝下から熱を奪うようで、ブランケットをかけてなんとか凌いでいた。これ5月の気候なのかと疑ってしまう。次の野球観戦はいつになるかなぁ。

日は、Conversationの先生から電話を頂いた。期末に行われる作文のテストは、担任の先生が1人で評価をするのではなく、先生方の集まる会議で複数の先生から読まれた上で最終結果を決める事になってるらしい。その電話で、私は今回のテストに合格できたという事を聞いた。私は電話では相槌くらいしか言葉を返せないので、先生もこの「合格」に不安になったろうね・・・

日の授業の終わりに、私が試験の結果はいつ分かるのかと尋ねたことを、先生は気にかけてくださったようだ。次に会う日を待たずにわざわざ電話で伝えてくれるなんて、親切な先生だ。彼女は私に、次のレベルへの申し込みについての案内をいくつか告げ、今度案内を渡すからと言って電話を切った。

れで私にはいくつかの選択肢が出来たわけだ。合格はもちろん嬉しい知らせだったけれど、今すぐにでも進むべきか、秋以降まで見合わせるべきなのか、私はまだ決めかねている。次のレベルは、単位が絡んでくるあたり今までとは少し違う。申し込みまではもうあまり時間がないけれど、最善の進路を決定したいと思う・・・。困ったぁ


May 9, 2002

aked Alaska というデザートをご存知だろうか。昨日ランチに出かけた小洒落たレストランで、私は初めてこの風変わりな名前の食べ物と出会った。だって、想像して欲しい。寒さ厳しきアラスカが、こんがり焼かれているだなんて。私の心をくすぐるナンセンスなネーミング。笑わずにはおれない。

っそく、一緒にいたアメリカ人の女性に Baked Alaska とは一体何者なのかと尋ねた。どうやらこの食べ物は、アメリカでは割とあちこちで見かけるようなポピュラーなデザートなのだとか。(私は聞いたこともなかったけれど。)案の定「それじゃmiyamu頼んでみたら?」などと言われてしまい、困ってしまう。

女は私にこの Baked Alaska がどんなデザートなのかを説明してくれた。簡単にいうと、アイスクリームを包んだ雪山のようなメレンゲにバーナーで焦げ目をつけたものらしい。今ひとつ想像が出来ない。そうこうしているうちにウエイターがやってきたので、結局 Baked Alaska を一皿頼み、同じテーブルにいた友人と半分にして食べる事になった。

場した Baked Alaska は衝撃の一品で(思っていたのと違いすぎて)、なんとも美しきデザートであった。ココット型のように円筒状にしたアイスクリームを満遍なく包むように、メレンゲを模様の入る金口でしぼり、きれいにデコレーションしていた。それにバーナーの直火で焦げ目を入れてあるので、メレンゲは所々が焼色がついて模様がハッキリと浮き出ていた。なんだか昔の神殿を再現したかのよう。芸術ポイント高し!

してしまうのがもったいないと言いながら、その Baked Alaska を半分に切った。すると、なんと中が3層になっているではないか!ずっしりとしたチョコレートケーキが一番下に、紅茶色のアイスクリームが真ん中に、うす緑のアイスクリームが一番上に重なっていた。それをメレンゲが包んでいた。きれいな仕上がりに思わず歓声をあげてしまう。

べてみて、さらにビックリ。なんとまあ繊細なデザートなのだ!アイスクリームの冷たさと口溶けに、まだ温かさの残るメレンゲのさくさく感が不思議にマッチしていた。チョコレートケーキの層も薄めで甘すぎず、絶妙の相性!そしてお皿の余白に描かれたラズベリーソースが彩りを添え、この甘酸っぱさが Baked Alaska を引き立たせている。

ょっと感動して、Iron Chef (注:アメリカで放映中の「料理の鉄人」)気取りしちゃったわ・・・(笑) もうすっかり Baked Alaska の虜になってしまったみたい。


May 8, 2002

球強化週間ということで、昨夜はメッツ対ジャイアンツの試合を観に行った。昨年までメッツにいた新庄はジャイアンツに移籍して、NYに戻ってきた。メッツファンはマウンドに現れた新庄を声援で迎えていた。敵になっても、拍手を送るさわやかなアメリカ人である。それが新庄がヒットを放ち、守備で働くと、打って変わってブーイングに!やっぱりこれでこそアメリカ人・・・(笑)

曜日のConversationの授業で、今学期の感想を1人ずつ述べることになった。私の番は木曜日に回ってくることになっていたのだが、誰かがもう一気に終わらせてしまおうと言い出した。準備不足だし、そりゃ困るって。しかしうろたえる私を知ってか知らずか、木曜日分のスピーチが始まってしまった。そして私の番になってしまった。

は人前で話す事が苦手だったけれど、この授業の中ではクラスの一員になって積極的になれた事を嬉しく思うこと、アドバイスを色々とくださった先生に感謝している事などを伝えたが、途中で感情が溢れてきて言葉が出せなくなってしまった。次第に声が震えてきた。きっと私はこれ以上ないほど赤面して、うつむいて、目に涙をためて泣きそうだったに違いない。結局途中で他の人に話を振って、自分は意見の半分あたりでこのスピーチから逃げた。涙が少し出てきたのを指でぬぐって、きわめて普通に振舞っていたけれど。

うしてこんなにボロボロになるのだろう。自分でも全く理解が出来ない。頭に血が昇って、顔が真っ赤に熱くて、全然悲しくものに、ただ緊張と興奮のしすぎで取り乱し、泣きそうになる。この緊迫した心理状態はなんなのだろう。人前で話す事を得意だという人は少ないだろうが、さすがに私のようにひどくパニックするほどではないだろう。こんな風に激しく取り乱す私は、はたから見ればとても不思議だろう。たかがそれだけの事で・・・と思われても仕方がない。だけど分かって欲しい。こんな弱点を抱える人間もいる。

然変わっていないんじゃないかと、自分が情けなくなってしまう。


May 6, 2002

飯にカレーを食べていると、映画「ノッティングヒルの恋人」が始まった。カレーを食べるか、映画を観るか、悲しきかな同時にはこなせない。これが日本語だったら、カレーを食べながらだろうが、勝手に耳から会話が入ってくるのだろうけど・・・。どうしたって、極限に集中しなければ英語は「意味のある言葉」ではなく「単なる声」だ。

日は、夏にちょっとよさそうなお手頃ピアスを買った。明日の午前中は天気が良くないと聞いたけれど、せっかくのオニュウだから着けていこう。ところで、私がピアスをし始めたのは学生の頃だった。その頃は栄養学の実習などで、アクセサリー禁止の授業が多かった。実習中、ピアスをする事は当然ながら禁止だったので、学生達はどのタイミングでピアスの穴を開けるのかで悩む。ファーストピアスは数週間はつけっぱなしにするので、実習がない時期を狙わなくてはならないからだ。

メリカにてそんな事を思い出したのは、若い女の子たちのほとんどがピアスをしているからだ。日本みたいに学校の校則が厳しくないのだろうし、いつピアスを開けようかなんて、学校の時間割で悩んだりはしないだろうから。

日を含めて、コミカレ春の部もあと3回で終了である。(でも、2週間後に夏の部が始まるのだけども・・・。)作文が終わってしまったので、授業も気合が抜けているかもしれない。試験の後の、消化すればよいだけの授業は、なんだか期末テストが終わって夏休みを待つまでの落ち着かない様子に似ている・・・。


May 5, 2002

日も昨日に引き続き、素晴らしいお天気であった。車の窓を開けると、春の日差しや匂いが感じられる。こんな気持ちの良い日曜日なので、家から30分ちょっとの距離にあるロックフェラー財団のお屋敷を見学に行った。ハドソン川を見下ろすような高台に建てられたお屋敷は、4月の最終週から晩秋まで一般に公開されている。敷地内にはプライベートのゴルフ場や、庭園、クラシックカーの車庫、ギャラリーなど、個人の邸宅だとは信じられない(信じたくない!)富豪の聖域が広がっていた。もちろん屋敷自体も、現実離れしているのだけど・・・。(ちなみに今は実際に人が暮らしているわけではない。)

緑の季節で、よく手入れされた庭のあちこちに、彫刻が配置され「ここは箱根彫刻の森美術館かい!?」とツッコミを入れたくなってしまった。ほんとうにすごい。ツアーバスの運転手さんが「パワーボール(高額宝くじ)に当たれば、こんな暮らしが手に入るよ」なんてジョークを言っていたのだが、はっきり言ってパワーボール3回ぐらい当たらないと無理だ(笑)。

月5日は日本では子供の日。日曜日だから、振替で明日までがゴールデンウイークということか。待ちに待った休みも、終わりが近づくころには、急に現実に引き戻されてしまうようでなんだかとても寂しい。でも、そんな風に思うこともないほど、連休のないアメリカのカレンダー・・・。

かった頃、私たちは子供の日になると居間の柱に背丈を記していた。定規で柱に印をつけて、その横に鉛筆で名前を書いた。私の2つ年上の姉が2年前につけた跡と比べて、自分の方が大きかったら少しだけ嬉しかった。懐かしい、子供の日の思い出である。今もどこかで、こんな子供の日を過ごしている家族がいるのだろうか。


May 4, 2002

気予報の通り、きれいに晴れた空の下、野球観戦に行った。日差しは強くても気温自体は低めで、日陰に入ると寒さがきびしい。ヤンキースタジアムの1塁側は、午後から日陰になる。今日の座席は、球場全体でみると非常に上の方で、一塁側だった。風が吹いてくると、しっかりと着込んでいてもまだ寒い。

ームは2回までの攻撃でヤンキースが5点先制していたので、球場にいるファン全体が「今日はイタダキだ」と余裕風吹かせていた。私も、しょっぱなから「これは厳しいね〜」なんて思ってしまった。野球は一方ばかりが攻勢だと物足りない。シーソーゲームにこそ、野球の面白さがあるように思う。今日は、つまらないかもしれない・・・

れが、終わってみればマリナーズが4点差をつけてヤンキースに勝利した。イチローも今ひとつだし、チーム全体にも全然ヒットが出ないとため息をついていたら、4回頃から単独のホームランが3本出て、いつのまにか2点差になっていた。球場の空気が変わった。ヤンキースファンの応援が過熱する。そうして同点に追いついてからは、ややピリピリしたムードになっていた。最初の5点リードからひっくり返されてしまうとは、誰も想像していなかっただろう。これだから野球って分からない。

ンキースのファン(に限らず、アメリカのファン)はよく熱くなる。盛り上がる。ノリやすい。散らかす。すぐ立ちあがる。ブーイングする。しょっちゅう口笛をふく。そして・・・自分のチームを見放すのが早い。今日も同点に追いつかれてから、これから面白いと思うのに、ファンはゾロゾロと帰り始めた。追加点を貰ってからは、顕著であった。寂しいくらい空席が目立ち、応援もまばらになってしまった。あんなに熱くなっておきながら、こうも簡単に見放すとは!なんだかちょっと薄情に感じる。彼らはサヨナラ大逆転を信じていないのだろうか?

メリカの場合、野球場まで車で来る人が多いので、帰りの大渋滞を避けるためには早々に球場を去りたいのかもしれない。でも、選手は最後まで応援して欲しいと思うのだが・・・どうなのだろうね。


May 3, 2002

日は土曜日。野球を観に行く予定である。時はゴールデンウイーク、そしてヤンキース対マリナーズという人気の対戦。ツアーでイチローの応援に来ている日本のファンが沢山いるかもしれないぞ。

Yが本拠地であるというのに、今年はヤンキースの試合がTVで放映されていない。ヤンキースの試合の放映権と契約金の問題でもめているらしいのだ。それにしたって、3月からシーズンが始まっているのに、いまだに放送されないとは、どうなっているのだろうか。試合を自宅で観ているファンの事を考えていないかのようだ。

ういうわけで、明日のヤンキースとマリナーズの試合も放送されることはないだろうと思う。実はこれからの一週間、偶然にも野球に行く機会が集中しているので、我が家は野球強化週間なのだ。

年の秋、やはりヤンキースとマリナーズの試合を観にいった日、抑えのはずの佐々木が連打を浴びてコテンパンにされた。帰り道、私たちを日本人と思ってか、ヤンキースのファン達に攻撃的に大声でひやかされたことを思い出す。夜の11時、球場の周りは試合に勝って大騒ぎのヤンキースファンで溢れていた。いい気分に酔っ払って、「ザマーミロ」と、日本人をからかってみたのだろうか。ちょっと怖くて、逃げるように家路に着いた。明日はナイターではないので、安心かな?


May 2, 2002

や〜、終わりましたよ、作文のテスト。これで私の今後の身の振り方が決まるわけだ。(大袈裟・・・。)昨日と今日と、コミカレでは試験のクラスが多く、私も友達も・・・

ここまで書いていたら、電話が鳴った。私の天敵、それこそ電話での会話。身振り手振りも、顔の表情ひとつ通じない、恐怖の時間・・・。仕方がないので電話に出た。新聞のセールスだった。週末だけ配達の地域新聞で、とにかく安いから、今がチャンスだそう。私が「I'm not interested in. No thank you.」などと言っているのに、食い下がってくる。断ったら一方的に切ってしまえば良いのだろうが、ついタイミングを逃しがちになる。いかにも不機嫌そうな人ではなく、機械的でもなく、相手の愛想が良かっただけが救いだ。ホッ

のクラスメイトも、ESLのいずれかのクラスで必ず試験を受けている。方法は恒例となった「テーマ選択式の作文」だ。3種類のテーマの中から自分の書きやすいものを1つ選ぶ。今日リストにあったものは、これまた定番の3つ。
1)アメリカと出身国の相違点 3つ以上の実例
2)自分の理想とする仕事 それが社会にどう関わっているのか、なぜそれが自分を惹き付けるのか
3)自分が成し遂げた偉業、どんな時に自分を誇らしく感じるか、またそれまでの過程

は3番を選んだ。結果として、英語版徒然日記のようになってしまった。今思えば、このテーマに望まれていた「困難に打ち勝った時に感じる達成感」という要素が丸ごと抜けていたかも・・・。ああー。本当に作文って、パニックしていると書けないものだ。日本語でだって、制限時間のある作文は嫌いなのに。

生が試験の時間配分について、45分を作文の構成づくりと下書きに、1時間を清書に、15分を読み直しと誤字脱字、文法チェックにするようにとアドバイスをくれた。実際の私は、30分を構成と下書きづくりに費やし、1時間28分を清書に、残りの2分を見直しにという散々な時間配分になっていた。起承転結の起承転までがだらだらしすぎて、結の部分が超あっさり味に仕上がってしまった・・・。おまけにスペル間違いも大いにあるだろうね。

、いいの。終わってしまった事にはクヨクヨしない。私は英語を習いに行っているのだから。何もかも完璧だったら、習う必要なんてないのだから。うーん、前向き。または開き直りともいうのだろうね〜。


May 1, 2002Morning 

日はマンハッタンへ行こう。思い立ったら吉日である。日本は連休中だし、しかもど真ん中。旅行中の人も沢山来ているだろうか。私の本日の予定は、とりあえずミュージカルのディスカウントチケットを手に入れて、マチネのショーを観るということなのだ。水曜日のマチネは比較的空席が多いので、希望のショーが安く見られる可能性が高い。といっても、私のお目当ては大抵ここでディスカウントされているのだが。

人でマンハッタンをウロウロするのは、昼間だったら一向に構わないけれど、ただ1つ問題があるとすればレストランに入れない事だ。1人の女性客はほとんどまれで、非常に目立つし、なによりも寂しい。しかも私は明らかに外国人で、ただでさえ周りと違うし(こういう言い方は良くないけれど、事実)、なんだかこう、表現しにくいのだけど、「居心地」が良くないのだ。その上変な輩に声なぞかけられたものなら・・・ちょっと1人では怖い。マンハッタンで1人暮らしをしているような女性はどうしているのだろうかと、ふと考える。

いう訳で、私が1人で入れる店は、マンハッタン中のいたるところにあるスターバックスや、カジュアルなカフェという事になる。どうせなら、美味しい物を食べたいなぁ・・・。

つづく。

帰ってきました。Evening編です。

日は、11時前にディスカウントチケットの列に並び始めて、30分もかからないで無事購入できた。予想外にも、予定していた演目のチケットが売り出されていなかった。そんな時は、いつ見ても感動できる「LesMiserables」。オーケストラの最後列だったけれど、真ん中の席だった。

だ開演までに時間があるから、前述の通り「安心」なカフェに行く。かねてから興味があった、SOHOのはずれにある、「Once Upon a Tart」に向かう。本当に今日はよいお天気で、あちこちにオープンカフェのテーブルが出ていた。みんなランチメニューの書かれた黒板を外に出している。つい他の店に入ってしまいそうになるけれど、今日はタルトを食べるのだ。

ョーケースの中にはデザートの甘いタルトや小さな焼き菓子、それにサンドウィッチなどが並んでいた。こうなると、私は本気で悩む。メニューを見て昼食にもなりそうな、野菜のタルトコーナーから選ぶ。結局、ほうれん草とマッシュルームのタルトとコーヒーを買って、$6ちょっと。お手頃価格のコーヒーに比べて、タルトがやや高い。

員さんはフレンドリーで、タルトを温めているからちょっと待っててねと言った。5分ほどして出てきたタルトは、タルト部分以外は見るも美しいグリーンだった。一口食べる。タルトの断面が、隙間なく、見事にほうれん草だった。こりゃ体によさそうだ!さくさくしていて、美味しい。後味にピリッと、何やらスパイスが効いている。でも、ほうれん草が大好きな人じゃないと、途中で飽きるかもしれない。デザートも食べたいのに、もうほうれん草だけでお腹の中は一杯だった。出来れば今度は誰かと来て、おかずタルトとデザートタルトを半分こにしたい。

ュージカルの前に、SOHOのH&Mを覗いたら、もうすっかりと夏していた。チープなアクセサリー(特にヘアアクセ)が安くてかわいい。でも5thのH&Mの方が商品が充実しているので、何も買わずじまい。

場に行くと、なんだかいつもと様子が違う。「LesMiserables」にしては、やけにヤング(笑)が多いのだ!これは、きっと社会科見学だ。引率と思われる大人が数名と、ヤングたち。私の2列前から、10列ほどだろうか、まさにヤング一色である。ああ、若いって素晴らしい。笑いも涙も惜しみない、感受性豊かな若者世代である。私もすっかり精気を分けてもらったわ。

動がてら、ついでに歩いて5thのH&Mまで行ってみた。そこで$3.50のサングラスを購入した。なんと!タルトよりも安い。サングラスを消耗品価格で売っているなんて、さすがアメリカ!これだけ安かったら、心置きなく使えるってものだ。胃袋に余裕が出てきたので、最後に駅でJunior'sのチーズケーキを買って帰路に着いた。(そして今から食べる予定。)



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