miyamu's
DAY BY DAY

アメリカ徒然日記
アメリカ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。

JULY 2002
Back Numbers ★過去の徒然日記
July 31, 2002

っきり言って、アメリカの果物は美味しくない。美味しそうに見える果物を買い込んで、いざ一口かじってみると、予想だにしない硬い食感だったり、芳香や甘さの感じられないものだったりする。今まで何度となく失敗してきた。

本の果物の質は、きっと世界一だろうと思う。一年中、どの季節でも美味しい果物が世界中から輸入され、新鮮な状態で売られている。味も見かけも素晴らしく良い。もちろん値段も相応に高いけれど。こんな所でも日本という国の豊かさと、消費者の求めるレベルの高さを感じずにはおれない。

きなり美味しくないと言い切ってしまったが、こんな私にもアメリカでも気に入っている果物がある。もともと日本にもフロリダ産柑橘類が売られているし、オレンジやグレープフルーツなどは日本と同じおいしさだ。それにキウイ、バナナ、パイナップルなども同じ味がする。

は一体何がそんなに美味しくないのかというと。
ぶっちぎり第1位!・・・桃類
やっぱり第2位!・・・メロン
人によっては1位の第3位!・・・イチゴ

れらのフルーツほど、私を悲しませたものは無い。桃は、ガリガリいう硬さで、甘くない。あのやわらかい毛の生えた、ねっとりと濃厚な味とはぜんぜん違う。メロンも然り。よく外国人が「日本ではメロンが10倍する」とか文句を言っているが、君たち、あの味を知らないのだね・・・と思ってしまう。イチゴも、大粒で真っ赤に見えても、味はすかすかでシャリシャリいう。野菜味なのだ。

節は夏になり、果物好きの我が家に救世主が現れた。その名もスイカ!アメリカのスイカは巨大な楕円形で、縞模様が薄いので、日本のスイカとは大分違った姿をしている。スイカというと、きれいな球で、鮮やかな緑と黒の縞模様が美しい日本のスイカを思い出すけれど、ここでは見つからない。

のスイカ、見かけの違いとは裏腹に味はイケル。甘さも十分だし、種も少ないし、比較的安いのもよい。なぜかスイカは一年中売られているが、当然ながら味は今頃が一番のようだ。唯一の欠点は、スイカ割りがしたくても楕円形のスイカになるのかもしれないが・・・。


July 30, 2002

の嫌いなCMが毎日のように流れている。害虫駆除のORKINSという会社のCMだ。この最悪なCMはNYエリア限定かと思いきや、意外にもラスベガスでも放送されているのを目撃した。ORKINSは、どうやら全米規模の会社なのかもしれない。

のCMにはいくつかパターンがある。私は不運にも今まで3種類も目撃してしまった。でも、基本的にはみんな同じパターンである。リラックスな音楽が流れ、白い画面に清潔で美しいイメージ映像が映り、一瞬なんのCMかな?っと油断させておいて、そのムーディな画面上を踏みにじるようにゴッキーがウロチョロするのだ。これが本物さながらリアルな色、大きさ、動きなので、一瞬我が家のTVの画面を奴が横断しているように見えてしまい、ヒイッとなること請け合いなのだ。

わやかなCMの途中に、突如現れたゴッキーをORKINSのおじさんが殺虫剤をぶしゅっと吹きかけて、途端にポトッと落っこちるというオチになっているのだが、私の中では大分前からこのシリーズが「食事中には見たくないCM」の第1位の座を不動のものとしている。

んなに嫌っているにもかかわらず、途中まで衣類の柔軟材のフリをして、実はORKINSだった!というCMには何回か騙された。ORKINSのCMなのに、偽の商品名まで作って「○○でふっくら柔らか・・・」のようなイメージとナレーションが入っているから、最初は無意識に見てしまうのだ。と、お約束のゴッキー登場でゲッと我に返るのだ。く、悔しい・・・。

浴剤(のフリ)バージョンなんて、泡泡にした真っ白なタブに浸かって、目を閉じてリラックスしているお姉さんの上を、奴が登場してウロチョロするのだから、かなり最悪だと思う。あのモデルさんもよくOKしたなぁと思ってしまう。

っと私以外にもこのCMに不快感を示している人がいると思う、というか思いたい・・・。


July 29, 2002

が家のスリッパは日本から持ち込んだものだ。こちらに来る前に、アメリカに詳しい人からスリッパについてアドバイスを貰っていたからだ。「室内でも土足を履いて生活しているアメリカなので、なかなか品質の良いスリッパを見つけにくいわよ」ということだった。確かに、それは本当だった。

が過ぎた頃、適当なサンダルを求めてWAL★MARTまで行った。つま先まで覆われているスリッパでは、少し暑くなってきたからだ。

AL★MARTは、日本で言うところのダイクマのようなディスカウントショップで、売っているものはとても庶民的な日用品ばかりだ。店内にはもちろん衣料品も豊富にあるが、オシャレさはパッとしない。(ダイエーやイトーヨーカドーの衣料品売り場のような感じ・・・かな?)

ンダルを求めて、靴売り場に行ってみた。そこには大量生産の、使いようによってはオシャレに見える(かもしれない)無難な靴たちが並んでいた。その殆どは激安で、2000円もしないような値段が付いている。掘り出し物を探せば、いいものが見つかるような場所だ。

はそこで、室内で履けるようなサンダルは無いかと売り場をブラブラしていた。すると、ふと私の目にとまった商品があった。それは、タタミ素材で出来たビーチサンダル風のわらじだった。ビーチサンダルにしてはかなり薄っぺらいし、わらの匂いがプンプン漂っていたので、私はそれを見た途端に「あっわらじ!」と思ったのだ。

のわらじはなんと、$1.99で売られていた。この値段は恐ろしく安い。わらという素材がアメリカ人に嫌われてしまったのか、大量に売れ残っていたようだ。サンダルの紐には3色のバリエーションがあって、黒とベージュがかわいらしかった。白もあったが、それには心惹かれなかった。

んなに安いわらじなのに、私はその2色の間で揺れ動き、売り場で立ち尽くしていた。両方とも何度も試着をして、ようやく「2ドルだから、2足買えばいいじゃん、来年も使えるし・・・」という気になった。私はそれから毎日、スリッパの替わりにわらじをはいている。使ってみて大変気に入ったのだ。どうやらこの選択は正しかったようだ。私はこのわらじを今回の旅行にも持っていった。ホテルの部屋にはスリッパなど無いので、部屋履きとして重宝するのだ。

て、アーチーズ国立公園に立ち寄った時のことである。ふとすれ違った女の子の足元を見ると、なんと、彼女も私と同じわらじを履いているではいか。すれ違いざまに「ああっ、それは私のとお揃いのわらじよ〜」と思ったけれど、なんといっても国立公園のトレイルにわらじを履いて挑む根性には驚いた。砂と汗だらけになって、健気にがんばるわらじを見つめて、私は「がんばれわらじ〜」とささやかにエールを送っておいた。


July 28, 2002

行中は、日本の情報をまったく入手することなく過ごした。アメリカのテレビで、日本の出来事を取り上げている事は滅多に無い。もしもアメリカで日本のニュースを放送しているような事があったら、アメリカがよっぽど平和な1日を送ったか、日本で大事件が起こったかだろう。

ンターネットから最新のニュースを入手出来る環境に戻ってきた。PCが使えないと、日本で何事か起こっていても、リアルタイムで知る術が無いなぁと思っていたので、帰宅後はすぐにネット情報をチェックした。結局、昨夜は遅くまでインターネットをしてしまった。私はかなりインターネット(またはPC)中毒のようだ。

想通りというか、幸いというか、日本のニュースは小さな事件がほとんどであった。芸能ニュースやセクハラ発覚など、かなりどうでもよいニュースが取り上げられてしまうあたり、日本はとても平和なのかもしれない。そういうどうでもよいニュースもくまなくチェックしている私も私なのだが。

本のニュースを知らなければ、知らないままで時間は過ぎて行くだけだし、下世話なニュースのように別に知らなくてもよい事が多すぎる。かといって、それから断絶されるというのはなんとなく不安に思うのは何故だろう。いつか日本に帰った時に、すっかり時代に取り残されているように感じてしまうのを恐れているのかもしれない。ミュージシャンや流行の女優などが分からないあたり、もう十分に、取り残されているのだけど。


しぶりに行った日本食料品店で、刺身を買った。NYの日本人コミュニティでは、生の魚が切り身になって売られているのだ。私はまさに至れり尽せりの環境に住んでいる。久しぶりの家庭料理に舌鼓を打ち、ゆったりと1日を過ごした。明日からは、また短期のクラスが始まる。とりあえず、やることが沢山だ。旅行中に溜まったホコリと洗濯物を片付けて、靴を洗おう。それに歯医者の予約も入っていた。こうして一気に現実に戻ってゆく。


July 27, 2002

ライブでのグランド・サークル巡りを終えて、本日帰還しました。

の事は日記のスペースで語り尽くすのは難しいけれど、人生に一度の貴重な経験だったと思う。ネバダ州、アリゾナ州、ユタ州に点在する国立公園と国定公園、それと名もない大自然の中を移動しながらの旅は、何から何まで新しい事の連続だった。天気は最高に恵まれていて、計画は予定していたよりも盛りだくさんになった。

の気温が50度(摂氏10度)を切るような場所から、昼の気温が112度(摂氏44度)という猛暑の場所へと、同じ日に経験する気候もめまぐるしかった。なんという温度差だろうか。自分の体温より熱い空気の中は、呼吸も苦しく感じた。太陽が高くなれば、気温は一気に上昇してくるのだ。

景の渓谷を目にした時は、「すごい・・・」しか言葉が出なかった。普段は自由に操れる日本語なのに、思いを上手く表現出来ないことがもどかしく感じられた。グランドキャニオンの谷を下りながら見た風景で、自分の小ささと渓谷の大きさに絶句した。私は山道に関しては全くの初心者なので、トレイルのきついコースは避けつつ、いくつか短めの物に挑戦する事が出来た。とてもよかった。

陰の少ない場所では逃げ場が殆ど無い。容赦ない日差しが、体を焼いているのが分かった。ジリジリを通り越して、ビリビリと焦がされるような感じだ。休み休みで立ち止まり、僅かな岩陰で水を飲みながら凌いだ。標高の高い場所での上り坂では、心臓と肺が痛くなった。大自然の中では、人間はとても弱い動物のように感じる。

・・・最後に空港で、旅行中で最大のトラブルがあった。航空会社の従業員ともめた時、自分の英語の出来なさがとても悔しくて、後から思い返しては腹立たしさに涙ぐんでしまった。後から後から、本当はこう言いたかったのに!と思ってばかりだったのだ。やはり困った時には母国語でキレる勇気も必要なのだ・・・。

回の旅行は、私にとって特別だった。沢山の経験が一度に起こりすぎて、まだ頭が整理できていない感じでいる。財産とも思えるような素敵な出来事と、苦い失敗とトラブルもあった。思い出と、膨大な写真のまとめをそのうち(希望的には)作成したいと思う。中でも失敗談やトラブルは自分にとって印象が強くて、語りたくって仕方無いから不思議だ。いつか誰かの役に立つかもしれないし・・・。旅の後片付けと、体力回復が済んだら、記録作成しよう。


July 20- というわけで、旅に出てます。


July 19, 2002

いと口に出してもますます暑さを感じる羽目になるのに、ついつい「あち〜・・・」と言ってしまう。誰だ、NYの夏はカラッとして涼しいよと私に言ったのは。蒸していて、暑いぞ。それも、エアコンの室外機から吹き出した熱風のような暑さだ。

も、そんな暑いNYから私は外にでることになった。それも、もっと“熱い”場所へ。もう体力の限界なんて想像できない。とりあえず、過酷な暑さだろうが、嵐の季節だろうが、行ってこようと決めてしまったのだ。今度は週末の小旅行とはちょっと違って、1週間ほどの予定だ。今夜発の飛行機に乗って、明日の朝には私はグランドキャニオンに着いているはずだ。

ランドキャニオンと、その周辺に環状に点在している国立・国定公園を巡る「グランド・サークル」に行くことに決めたのは、アメリカに滞在しているうちに絶対に行きたい場所だったことと、これを逃すといつになるか分からなかったからだ。休暇が真夏になってしまったのは仕方が無い。でも、ふと天気予報を見ると、華氏100度(摂氏で約38℃)のエリアにバッチリかかっていた。うへ〜・・・。

週、私はぼちぼち買い物に出かけ、服装やら非常食やらの支度をした。「グランドキャニオンとその周辺」とは言っても、距離はハンパじゃない。日本のスケールで、東京、名古屋、大阪・・・と考えては馬鹿馬鹿しいのでやめた。ただひたすらと直線の一本道を走るのだから、もう日本の尺度は忘れようと思った。

スベガスの空港に着くのは深夜だ。24時間眠らない豪華絢爛な世界には見向きもせずに(興味はあれども。)、翌朝にはレンタカーでラスベガスを後にする。大自然に向かって出発だ。それから1週間して、再びラスベガスに戻って来る頃には、どうなっているだろう?クッタクタで、カジノなんてする暇もおしいのだろうか。いや、もしかしたらタフでワイルドなmiyamuにイメチェンしているかも(笑)。

然の中に入ってゆくのは、日本では古くは林間学校、大人になってからはミニ登山やハイキングくらいのものだった。大スケールの自然に挑むのは、私にとって人生初めての経験だと言ってもよい。今まで何度となく写真で見てきた世界に、本当に行くのかとまだ信じられない。でも、現実に明日の今頃には別の世界を目の当たりにするのだろう。容赦ない日差しと熱に負けないようにするためには、もう格好など、微塵も気にしないで防御に徹するしかない。

れでは、しばらく留守にします。さてさて、当然ながらPCに触れない1週間になる予定なので、来週末まで更新が出来ません。無事に帰って来れるように祈っていてくださいませ。そろそろ帰ってきたかいな?という頃に、また見に来てくださいね。どうぞよろしく〜!


July 17, 2002

年前のこと。明日にも台風が関東地方を直撃するというニュースに、私は「会社、無くならないかなぁ?」と期待していた。翌朝になって、通勤時間がやってきたが、会社からの連絡はまったく来そうになく、さすがに大人の社会は厳しいね・・・などと思いつつ家を出た。

時私が勤めていた会社は、横浜線の沿線にあった。横浜線の八王子までのルートは台風や大雨の影響を受けやすく、大雨の日にはよく電車が遅れたり、運休したりしていた。そうなると通勤の支障になってしまうので、台風の日などには会社が臨時休業になったり、半日で終わったりするらしかった。(正確には、横浜線通勤者のみ、なおかつ任意の判断による。)

は電車通勤で、横浜線を利用していたので、このタナボタのような休日がいつか来ないかと待ち望んでいた。こんなことを狙っているようでは、私は会社にとってありがたくない社員だと思う。でも、予期せぬ自由時間がもたらされるのは滅多にないし、いつも真面目に勤務しているのだから、こんな時にちょっとぐらい楽しんだって罰は当たらないだろう。

かし、私が入社した最初の年には何事も起こらなかった。会社の先輩から聞かされた「数年前の台風の時は、半日で終わったのよ」という話に、心ときめいた。それが翌年になり、そうウマイ話はないのかと思い始めた頃に、台風直撃のニュースがやってきたのだ。

風の日の朝、とりあえず出社しつつ、天気の行方ばかり気になっていた。昼休みにテレビのニュースで、暴風域の印が動いてゆくのを眺めていた。「これは、横浜線マズイんじゃない?」と誰かが言うのが聞こえた。ふと見た食堂の大きな窓からは、大荒れの空模様と、激しい雨が見えた。「もしかして」と、期待にドキドキしてくる。

後の2時頃、放送が入った。台風で横浜線の一部が冠水して、途中駅で折返し運転になりそうだという。横浜線がこのまま運休してしまう可能性があるので、横浜線利用者は自己の判断により帰宅してくれというのだ。私は上司に「どうしましょう、(やりかけの仕事を)片付けてしまった方がいいでしょうかね」と聞いたが、彼は「いや、早く帰った方がいいんじゃないかな?」と優しい。「そうでしょうかね。」と理性的に振舞いつつ、私は内心「ヤッター!」と手放しで喜んでいた。

時の社内バスが運行することになり、横浜線の利用者達はそれで駅に向かった。私がバスに乗り込んで外を見ている時に、後ろから同期入社の友人が駆け込んで来るのが見えた。彼女の部署はもっと忙しくて厳しいのだが、どうやら帰る許可が出たようだ。「間に合ったね。」と、同じバスに乗ったことを喜んだ。

「電車が止まる前に早く帰らなきゃ」と不安げに話し合う人に混じって、「こういうのって、なんだか楽しいよね」と彼女が言った。そして、「せっかく平日の午後だし、前に言っていたケーキの食べ放題に行こうよ?」と、私を誘ってきた。私は少し驚いて、「もしかして、ケーキの食べ放題から帰る頃には、今よりもっと酷くなって、電車が止まっているかもよ?」と言った。でも、彼女は「その頃には台風も通り過ぎてるよ。ダメだったらダメだったで、なんとかなるし」と平然としていた。

は、その後まっすぐ家に帰った。・・・と言いたいところだが、その友人のペースによってすっかり楽天的な気分になり、ケーキ食べ放題に寄り道する事になった。早退しておいて、帰らずにケーキの食べ放題。なんとも不良な社会人である。

ーキの食べ放題は、新横浜のプリンスホテルの最上階に近い展望サロンのような喫茶店(夜はバー)で平日の午後に行われていた。会社に勤めていると、平日の午後にそんな場所に足を運ぶ事はまず有り得ないので、貴重なチャンスだった。こんなことなら昼食を食べなくても良かったなぁと、すっかり気分が乗ってきた。

ガラス張りの店内で、台風に荒れ狂う空模様を見ながらのケーキ食べ放題は楽しかった。案内された席の方角には、私たちの勤める会社があるはずだったので、少し罪悪感を感じつつ、「今こうしてケーキを食べているなんて誰も思わないだろうね」と言って笑っていた。私には本当に不思議だった。大荒れの台風の日に、そこで会社の方角を向きながらケーキを食べている事も、彼女と一緒にいることも。(こんなことがあってか、彼女と私はそれからもずっと仲良くしている友人なのだ)

ーキは沢山の種類が用意されていたし、飲み物もおかわり自由だったし、甘いものに飽きたらサンドウィッチをつまんで、結局私たちは会社の終わる時間までそこに居た。バスの中で友人が予言したとおり、次第に風雨がおさまり、雲が遠ざかってゆき、晴れ間が見え始めていた。ケーキを食べながら、天気の移り変わりをずっと眺めていた。台風の去った空は美しく、神秘的に見えた。

の日、すっかり不良社会人を満喫した。幸せな気分で家路に着いた。誘いにを断って家に帰っていたら、こんな気持ちにはならなかっただろうと思うと、友人に感謝したい気分だった。会社に残って仕事をしてきた人と鉢合わせにならないように周りを見回しながら、すっかり通常運転に戻った横浜線に乗った。やっぱり、台風の日はドキドキするものなのだ。


July 16, 2002

の車は95年式の日本車だ。新しくはないけれど、よく走る。大きな荷物も沢山入る。運転初心者の頃、割と大きな車体に緊張したけれど、すぐに他の車よりも目線が高いことに安心したし、ガタガタいう走りも気にならなかった。みやむー号と名前まで付けた。

やむー号には時々災難が降りかかる。乗り始めて数ヵ月後のある日、スーパーで当て逃げされて、みやむー号の顔が変形していた。犯人もいないし、怒りをぶつける当ても無いし、修理しない訳にも行かないしで、私はショックを受けた。思えばこの時、アメリカの車社会の洗礼を受けたようだ。

理工場にも何度かお世話になった。調子が悪いと思う事も、意外と「なんでもない」という検査結果がでる。走行中に前輪がシュンシュンと怪しい音を立てた時も、「この車には良くある事」と片付けられた。これもアメリカの車社会なのだろうか、なかなか慣れない。

暑の中、屋外の駐車場に停めたみやむー号に乗り込む時は、じわじわと汗が出る。いつも暑い場所にいて、ゴメンよと話し掛ける。毎日のように運転していると、車にもだんだん愛着が湧いてくるものだ。

日は、容赦ないほどの猛暑だった。いつものように駐車場へ行き、みやむー号に乗り込んだ。車内は猛烈に暑かった。この中に数時間放置されれば熱射病になる事は間違いないだろうと思った。

から、みやむー号のエアコンが入らなかった時、私は「な、ナニー!?」とマンガのような反応をしてしまった。どういう訳か、エアコンの風力調節レバーが働かなくなっていた。全く風が吹かないのだ。一気に汗が滲んできたので、とりあえず窓を開ける。おーい、みやむー号、機嫌を直してくれ〜!昨日洗車してやったじゃないか!

れこれ試して、エアコンの最大風力「4」の時だけは風が吹くということが分かった。最大風力で、車内の埃が舞い散る。それにかなりうるさい。無いよりはマシか?でも、全く風が吹かないか、一番強いかしか選択肢がないというのはとても不便だ。よりによって、こんな暑い夏に・・・困ったぞ。このまま直らないのならば、みやむー号は、病院行きだ。頼むから、早く機嫌を直しておくれ・・・。


July 15, 2002

Cの調子が悪く、2日お休みしてしまった。ハードの容量が少ない機種を使っているので、早くCD-RWを購入したほうが良さそうだ。PCショップを覗いてみたら、色々なメーカーから何種類も出ているので、種類がありすぎて何を選べば良いのか分からなくなってしまった。CD-RWについてもう少し下調べしなくては。

り急いで欲しい本があり、週末に紀伊国屋書店のあるNJ州にあるMitsuwaマーケットプレイスヘ行った。NY側からG.W.Bridgeを渡ってNJ側に渡るのだが、(橋の上に州境がある。)橋を渡るのに通行料がかかる上、幸いNJまで行かなくても日本関係の食料品や物資が手に入る環境に住んでいるので、ここまでは滅多に行かない。それでも本を買うという目的があったので、今回は久しぶりに橋を越えた。

から1時間弱で、Mitsuwaに到着する予定が、G.W.Bridgeの出口を見定めているうちに通り過ぎてしまい、とんでもない遠回りをしてしまった。NJ州に入って、交通標識が変わり、私たちには土地感も無い。これには参った。NJ州に入った途端、ハイウェイの一区間が妙に長くなり、出口が全然無いのだ。

った一つの出口を逃した為に、それからしばらく出口の無いハイウェイを走る羽目になった。Uターンできる場所を求めて数マイルは走った。久しぶりに遠出してきたというのに、目的地はどんどん遠ざかってゆくし、時間は無駄にするしで失敗してしまった。いかに運転に慣れていようと、慣れない土地ではお手上げだ。でも次回は大丈夫(だと思う)。

うやく到着したMitsuwaの敷地内に入ると、そこは日本のよう。紀伊国屋書店で探していた本を無事に購入し、店内をブラブラした。値段が高いことを除けば、品揃えは普通に日本にある書店に劣らない。日本のCDや新刊もチェックして、ここは何て便利なのだろうと感動した。

屋を後にして、Mitsuwaの巨大な店内に入る。ここはダイエーやイトーヨーカドーの食料品売り場を髣髴させるスケールで、アメリカだというのが嘘のようだ。でも、値段は高い。日本の倍の値段で売っても、売れるという事なのだろうが、普段私が利用している地元の日系スーパーと比較しても、かなり高い。それでもここの規模は他と比較できない。内心、儲かっているんだろうなぁ・・・と思う。

内を物色して、いくつかの特売品をカートに入れて、レジに向かった。ここのレジは、他のアメリカのスーパーと同様にヒスパニック系の人が多く働いている。ここで私は、ああ、ここはやはりアメリカなのだと思い出す。それまでの日本的な「ご利用くださいませ〜(尻上り)!」的環境から、店員の態度が突然ガラリと変化するからだ。レジ係、まるでやる気ナッシング。この温度差、テンションの違いは激しい。

りに、夫は「態度最悪で腹立つわ。何もしなくても売れると思ってる」とぼやいていた。ここはアメリカでしょ、とフォローしてみたものの、確かにMitsuwaでの買い物はアメリカのように安くない。割に、CMや広告には費用をかけているようだし、店長がお店全体がサービス重視で・・・というのなら、やはり店員の教育などで還元しても良いように感じた。とはいえ異文化の人を日本的に教育するのは難しいのだろうけど。


July 12, 2002

後から出かけるので、夕食の料理をしている。今夜はMA州のTanglewood にて、小澤征爾が指揮を振るThe Leonald Bernstein Concertというイベントが行われる事になっていて、それにゆく予定になっているのだ。開演時間まで間があるので、芝生の上でお弁当を食べようと思ったわけだ。

anglewood は森林公園の中に野外音楽堂があり、毎年初夏から初秋のシーズンにBoston Symphony Orchestraが公演を行うことで有名な場所である。ここに集まる観客の約半分には「音楽を楽しみつつ、屋外で食事を楽しもう」という狙いがあり、座席の無い芝生の入場券を買っている。巨大なクーラーバッグやブランケット、折りたたみの椅子などを持ち込んで、ピクニックに来ているのだ。

年の今頃に、私たちが初めてTanglewood を訪れた時は、この場所の雰囲気を良く知らなかったので割ときれい目な格好をして行ってしまった。周りはTシャツに短パンにサンダルで、私たちは少し浮いているようにも感じられた。その日は芝の席ではなかったし、食べ物も持ち込んでいなかったので、売店で普通のサンドウィッチを買って食べた。今年はその学習もあって、ラフな格好でピクニックのおまけつきである。準備は着々と進む。

anglewood での大きな公演は今週末の金土日で、全て内容は違うものの「Celebrating Seiji」という共通のタイトルが付いている。これを最後に、完全にBoston Symphony Orchestraを去る小澤征爾の為のイベントなのだ。数々の旅行会社がツアーを組んでいる人気の公演だったので、日本人のファンが多く集まる事だろうと思う。

たちは、最初に希望していた公演のチケットが取れず、金曜日になってしまった。実は今日の公演はBoston Symphony Orchestraの演奏ではないし、平日なので、小澤征爾の指揮とはいえ比較的チケットが取りやすかったようだ。とはいえ、楽しみにしていた夏のイベントなので、私は今からウキウキしている。

の公演で、しかも車でも2時間以上かかる距離ので、帰りは12時過ぎになるだろう。最後に、昨年の経験談をもう1つだけ言うと、このコンサートに行くのに最も大事なポイントは「帰りの車を駐車場から素早く出す事」に尽きる。Tanglewood の周りは不便な場所で、車道が一本しかなく、しかも狭くて、帰りの車は大渋滞になってしまうのだ。


July 11, 2002

日は晴天なのに、湿度が低めのさわやかな1日で、これぞ(本来の)NYの夏!という感じで嬉しい。

日書いたダウンタウン地区のTaxFreeに乗せられて、マンハッタンへ行ってきた。実は今月の末に、私のご近所さんがもう一軒、帰国の予定になっているので、今日はその方と一緒に「帰国のお土産」を求めに行く事になってしまったのだ。

ャイナタウンで食事をしてから、SOHOの周辺をぶらぶらして、いくつかのお店を覗いて歩いた。ご一緒した方のお気に入りのブランドも、入り口にはSALEの文字が。そこで彼女はご家族へのお土産と、自分へのご褒美を買った。一緒になってあれこれ探して、色々と試したりして、すっかり楽しんでしまった。

ャケットを見ている時に、お店の人は「今日はTaxFreeだから・・・」というのを何度も強調して、勝手に商品を並び立ててコーディネートまでしてくれた。いや、別にそんなに必要ないのだが、こういう機会こそチャンスかもしれない。せっかく出して来てくれたのだし、試着してみようか。

西洋人の体形に合わせて作っている服は、日本人の体には多きすぎることもあり「ちょっと大きいと思うから」と言った。でも「TaxFree」を連発してくる相手は、「そんなことない、肩幅もあっているし・・・」などと、あの手この手で売り文句をならベてくる。でもね、肩幅は良いけれど、その服は袖が長いんだってば。

きいものは仕方が無いので、そのコーディネートは買わずじまいだった。お店の人はちょっとガッカリだっただろうか。でも、私たちは既にお土産などでしっかり買い物をしていたので、十分だったろうと思う。(とはいえ私は何も買ってないけれど・・・)

は日が長いので、つい帰りの時間が遅くなってしまったけれど、ご近所同士でこうして出かける事ももう出来ないかもしれないので、そのくらいはお互い家族には許してもらおう。彼女は帰国の際は色々と買ってしまうのだと言っていたけれど、私もきっとそうなるのだろうなと思った。


July 10, 2002

日から明日までの3日間、マンハッタンのダウンタウン地区がTaxFreeになっている。500ドル以下の買い物まで消費税がかからないというのは素晴らしいのだが、500ドルの買い物って、そうそう出来るものではない。それでも、衣料品や靴以外でも税金がかからないのは嬉しい限りである。でも一番お得なのは、高級レストランや宿泊にも税金がかからない事かもしれない。

は歯痛のせいで昨日も今日もリハビリ中だったので、明日こそはダウンタウンに行けたらいいなぁと思っている。今のところ、特にこれと言って必要な物や欲しい物は無いので、それらを探し求めてゆくわけではない。ただブラリと歩いて、TaxFreeの日を楽しもうというだけだ。とはいっても今はバーゲンの時期なので、突発的に購買意欲が沸いてくる可能性大である。



速道路を降りて、一般道に合流する手前に一時停止の標識があった。その交差点には信号は無く、交通規則と標識だけで優先順位が決まっている場所だった。私のいた場所は、優先順位でいうと最下位の道だった。そこから目の前の道路に入るには、左右からやって来る車がいない時だけ可能だった。

かし、目の前の道路を通行する車には途切れる気配が無く、私はいつまでたっても行きたい方向へ入り込めないでいた。そのうちだんだん後続車が付いてきて、私の車が先頭にいることが心苦しくなってきた。私がここでなかなか曲がれずにいるのは、ルールを守っているからなのだから、要領が悪くて立ち往生しているように勘違いされるのは癪だった。

ろの方の車が、なかなか前に進まない私の車に抗議のクラクションを鳴らす。一台が始めると連鎖反応が起こり、私は非難の的になっていた。しかし、引っ切り無しに車が走っているのだから仕方が無いではないか。「ったく、うるさいっつーの!」と1人ブツブツ文句を言う。

、優先道で一台の車が止まって、私の方に手招きをしてくれた。自家用トラックのようなジープに、野性味溢れる短髪のいかついお兄さんが乗っているのが見えた。なんとお兄さん、私を行かせてくれようというのか?彼のタトゥーが入った日に焼けた腕が、また手を挙げた。うーん、親切を受けると、人は素敵に見えるものだね。アメリカには乱暴な運転手も多くいるけれど、こうしてちょっとした親切をしてくれる人もいるのだ。


July 9, 2002

本のマクドナルド、またハンバーガーの値段を変えるというのか!それも歴代で最も安い59円とは、一体どうなっているのだろう。ハンバーガーがコンビニのパンよりも安くなるのも、消費者サイドとしては嬉しいような、でもなんだかおかしな話だと思う。

日半額で消費者とフードビジネス界に強烈な刺激を与えたのは記憶に新しいが、休日を含めて全日80円に値上げしたのが仇となったということか。ファーストフードの売上では独走状態のマクドナルドなのに、売上が下がってしまってはしょうがないのだろう。65円から15円の値上げがあっても、まだまだ安いとは思うが、1度はその価格に慣れてしまった消費者の心を捕らえ続ける事は出来なかったのだ。

して、80円から一挙に21円も値下げして、再び挑むというのだから。

下げ競争について行けない同業他社は、ますます苦しくなるだろう。驚いた事に、59円の破格でハンバーガーを売っても黒字になると言うのだから、一体原価は幾らなのだろうか。裏ではかなりの人件費や宣伝費や雑費を切り詰めることになるのではないだろうか。

は平日半額の時も、全日80円の時も、そして今度はとうとう59円になる時も、それらの変更に伴う告知や店内の表示にかかるお金の方が無駄に思えて仕方ない。完全な薄利多売の商売で、いつまで突っ走るのだ?マクドナルド・・・。

は何を大事にするかという問題なのだろう。ひたすら安値を追求して行くか、個性をもって独自に突っ走るか(これは日本ではモスバーガー)。薄っぺらいパンに、ハンバーグと玉葱とピクルスが挟まって59円のハンバーガーと、高いお金を出してでも他のものを買うかということなのだと思う。

局のところ、選ぶのは消費者である。座席間の狭い店で150円のコーヒーを飲むか、お金を出してでもお洒落なスタバでコーヒーを飲むか・・・というのは後者に軍配が上がった。(個人的にはサンド系のサイドメニューがある安いコーヒー屋も捨てたものではないと思うが。)さあ、果たしてマクドナルドの決断はどう出るか。きっと平日半額の時同様に、一時的な成功を収めることになるだろう。

なみにアメリカのファーストフード業界にも同様の戦いが見られる。こちらでは多くの店が99¢メニューというのを打ち立てている。中には89¢という所も現れたけれど、所詮安かろう不味かろうという状態である。99¢は日本円にすると120円ほどなので、日本のマクドナルドよりずっと高い。それでもメニューと素材のバラエティが豊かなのが良い。

しかしたら、日本でも99円メニューを一層充実させて、統一感を出してみたらどうだろう、99円ショップのファーストフード版としてやってみたら、意外と流行るかも!?


July 8, 2002

週に受けたGrammarの試験の結果が届いた。まずまずの結果で一安心である。2日の日記に書いた「Don't give me trouble.」は、正解だったようだ。しかし、まったく予想もしていなかった箇所で間違えていたので、ガッカリである。文章中の三人称単数の「He comes〜」を「He come〜」としていたとか、そんなウッカリはケアレスミスとしか言いようがない。見直したはずだったのに、自信があった部分はそんなに真剣には見直していなかったのだろう。

月から、また歯医者に通っている。今日は右の下段を4本治した。日本の歯医者だと、1回につき1箇所か、途中までだと思うけれど、こちらでは1時間の予約時間なら、その時間中に出来る事を一気にやってしまうのだ。

本も同時に治療するので、強めに麻酔を打たなければならなかった。麻酔が効くと、右耳の下のあたりまで膨らんでいるような感触がした。治療中は麻酔が効いているので、なんてことは無かったのだが、3時間後に一気に麻酔が切れ始めてからが辛かった。あまりの痛さに暑さを忘れ、鳥肌がたつほどだった。病院で出してもらった痛み止めを飲んで、しばらく様子を見た。それでも治る気配が無い。

方が無いのでもう1度歯医者に行ってみた。どういう痛みなのか、説明するのは難しいけれど、「とても鋭い痛みで、アルミを噛んだようだ」と言った。先生は妙に納得した様子で、日本の歯科で使う銀色の合金とアメリカの歯科で使う白っぽい合金とでは種類が違うので、それらのことなる金属の摩擦によって、歯に電気的な刺激が感じられるのだと説明してくれた。

日の詰め物は24時間で固まるらしいので、24時間の辛抱ということなのだろうか。今のところ、痛みが収まる気配がまったく無いので、ちょっと不安である。この痛みは食欲も減退させるし、集中力もなくなるし、顔の表情も常に眉間にしわを寄せているような感じになって、かなり人相が悪い。そういえばちょうど一年前も、歯医者に通って泣いていたなぁ・・・。学校が終わっていて良かった。


July 7, 2002

夜は七夕。NYの上空は晴れているので、織姫と彦星が会える。日本の夜空は晴れただろうか。

て、予定通り、週末にケープコッドへ行ってきた。ケープコッドはマサチューセッツ州の南東の、釣り針の先のように湾曲した岬である。NYから4〜5時間程の距離にあるので、人気の避暑地となっている。手付かずの自然と真っ白い砂浜のビーチを求めて、ここに1,2週間滞在する人も多いのだとか。しかしながら私たちは金曜と土曜という短い滞在だ。

回私たちがケープコッドへ行った最大の目的は、ホエール・ウォッチングだった。岬の先端のプロビンスタウンにある船着場からは、クジラ見学ツアーのクルーザーが何社も出ている。大西洋沖の「クジラのサンクチュアリ」とされる海域まで、この船に乗って行くのだ。船に乗ることわずか1時間で、野生のクジラが生息しているエリアに到着できる。

エール・ウォッチングは会社によって船の大きさが異なるので、会社選びは重要だ。ホエール・ウォッチングの所要時間は3時間半ほどあるので、船酔いしやすい人は収容数の多い大きな船を使うところを選んだ方がよい。で、船に弱い私たちは1番メジャーなところでチケットを買った。乗船前には日本から持ってきていた飲むセンパア(酔い止め)を半分ずつにして飲んでおいた。

もなく船が出港する時間になり、数十人の見学者を乗せた船は岸を離れた。船はぐんぐん進み、ケープコッドの湾を出て、大西洋へと出る。途中でケープコッドの名物である灯台が3つ見られた。灯台のある海岸には船でしか行けないようなプライベートビーチが点在していて、海水浴をしている人たちを遠くに見ながら「こんな暮らしもあるのね〜・・・」なんて思ってしまった。海上では常に風を受けて、気持ちがよかった。

のスピードが緩まって、クジラのサンクチュアリに入ったとアナウンスが聞こえた。先導をしていた海洋学のDr.だという女性が、双眼鏡を片手にクジラを探し「クロックポジションで2時の場所にクジラがいる」とか知らせてくれだ。クジラを見つけたらそのポイントに向かって船を進ませるので、クジラとの追いかけっこのようになっていった。

ジラは海面に時々体の一部分を現し、潮を吹いたり、体を回転したりして遊んでいるように見えた。船の上で、クジラはいつ現れるのかと息を呑んでいる見学者達の姿が愉快だった。一瞬クジラが見えると、船上では「Oh〜!」と歓声が上がる。クジラが居ると、思わず私も「おー!」と叫んでしまった。感嘆詞は世界共通のようだ。

番近くで見たクジラは、船から20mも離れていない辺りで、一瞬だけ現れた。写真を撮ろうにも思いのほか早いので、シャッターをきる頃にはクジラは海水の中に沈んでいた。この繰り返しである。一枚くらいは、クジラが映っているとよいのだが。

かわって、プロビンスタウンはゲイのカップルが住むコミュニティとしても有名だとかで、確かに街中にはカップルがたくさん歩いていた。ここの住人なのか旅行者なのかは分からないけれど、男性同士で手を繋いだり、同じ柄の刺青をしていたりするので、実に不思議な光景だった。困った事に、ケープコッドにいる男性同士の2人組やグループが全て“カップル”のように思えてきた。普通の友達同士なのかもしれないのに、何となくそうなのではないかとか、勝手に勘ぐってしまうのだ。

て今回の短い滞在で、私たちはクラムチャウダーを4箇所で食べた。以前ボストンでも、食べ比べてみたいと思って何杯も食べたけれど、またしても食べてしまった。同じ種類のスープなのに、店によってレシピも味も違うのが楽しくて、グルメ気取りであちこちのクラムチャウダーを食べ比べた。1カップで約3ドルというささやかなこだわりも、旅を楽しくするのだ。もちろんクジラもよかったけれど、最後はやっぱり食い気の、ケープコッド滞在であった。


July 4, 2002

日は心なしかアメリカの国旗色の服を着ている人が多かったような気がする。赤い服を着た女性や、国旗柄のTシャツなどをよく見かけた。きっと明日になれば、国旗柄のTシャツが安くなると思う。

食を作っていたら、サクと指を切ってしまった。かつて無いほどに勢いよく切れたので、ちょっと焦った。よく磨いでいない包丁でも、切れる時は切れる。そして、かなり痛い。悲しい・・・。指先に心臓があるようで、ドクドクと鼓動を感じる。この指はしばらく使えないだろう。早くつながっておくれ。

供の頃、母が急いで料理をしている時に、台所から叫び声が聞こえた。「miyamu、ばんそこ(ばんそうこう)持ってきて!」という母の声は、切羽詰っていた。どうしたのかと心配して走ってゆくと、指先から血がたくさん出ていた。急いでいる時に限って、包丁の動きが荒くなるので、指を切ると傷が大きくなってしまのだろう。母が「焦るから失敗するのよ」と言っていた気持ちが分かるようになってしまった。

日から、休みを利用してケープコッドへ行ってこようと計画中。それに伴って日記の更新が止まります。次回は日曜日?の予定です。指先も痛いし、タイプも誤字だらけなので、本日はこの辺で。


July 3, 2002

日はアメリカの独立記念日である。NYをはじめ、アメリカ各地でテロの厳戒態勢にあるので、出かける場合は常に緊張感を忘れずに・・・。

立記念日の前夜、私の住む町では花火(fireworks)がある。アメリカのカレンダーでは、打ち上げ花火を行うのは1年で独立記念日の時だけなので、日本のように花火大会が夏の風物詩・・・という感じではない。私は花火が好きなので、かなり物足りないのだ。

時を過ぎて、夜空が完全に暗くなったところで、花火のイベントが始まった。私の家の2階から花火が見えるので、音が聞こえてすぐに2階へ上がった。確かに大きな花火が夜空を飾るのだが、それは花火大会と呼べるような豪勢なものではなく、約15分ほどで終わってしまう。急がなくては見逃してしまいかねない。

しぶりに打ち上げ花火を見た。と、気分は自然と日本へ行ってしまう。繋がった空の下で、日本でも花火大会が行われているのだろうと思いを馳せた。子供の頃住んでいた家が近かったこともあって、私は多摩川の花火大会をよく見に行った。子供が夏の夜に出かける定番は、花火大会と盆踊りとお祭りだった。懐かしいなぁ・・・。

火大会の夜店で買った食べ物がおいしかった事や、浴衣を着る前のちょっとドキドキしたような嬉しい気持ちを覚えている。会場でクラスメイトに出会わないかと辺りを見回したり、遠くで花火の音が聞こえると気持ちが急かされるような気がしたり・・・こんな気分は大人になっても忘れないものだ。

っぱり花火大会は、日本が一番。背中にうちわを刺した浴衣で、ビール片手に夜風に涼んで・・・って、こうでなくっちゃ。そういえば一応アメリカに浴衣をもってきているのに、着る機会が無い。何せ浴衣は女性を1.5倍美しく見せるって言うので(miyamu談)。

にかく、日本の花火大会は素晴らしいと、遠く離れて気がついたのだった。(それに花火大会がないと夏の恋が盛り上がらないよね?)今夜は花火を見ながら、日本の花火大会が無性に恋しくなったmiyamuであった。


July 2, 2002

6週間に渡って行われたコミカレの夏の短期講座も、本日ようやく終了した。一応最終日なので、試験があった。作文ではなく、文法の筆記テストだった。今のところ分かっている間違いは1個だから、まあ大丈夫だろうと思う。

スト中に、物凄い初歩的な事ながら、Don't give me trouble.(トラブル)という文が合っているか、間違っているかで悩んでしまった。troubleが数えられる名詞か、数えられない名詞かで、混乱してしまったからだ。もしも数えられる名詞だった場合、冠詞をつけてDon't give me a trouble.にしなければならない。

段「トラブルがいっぱいで・・・」と言いたい時、troublesを使うような気がした。でも、トラブルはtimeやadviceのように数えられないもののような、そんな気もする。困った。これぞまさしく I'm in trouble.といった感じ。この場合、troubleは単数形で冠詞が無い。

は何とか他に、troubleを使った言葉を思い出そうとした。そして間もなく、頭の中で流れ出したのは織田裕二の「OVER THE TROUBLE 〜♪」という曲だった。おや、この曲の場合は、troubleに冠詞のtheが付いている・・・。だんだんこんがらがってきた。私はこの名詞の区別が苦手なのだ。どうしたらいいのだ?

局、織田裕二の曲名は却下され、Don't give me trouble.を正しいとチェックしてしまった。テストの後で、近くにいたクラスメイトにtroubleはどっち?と聞いたら、彼は「troubleは数えられる」と言った。ああ、織田裕二の歌う通りにしておけばよかった。試験の結果は郵送で送られてくるので、1週間くらいはポストをチェックしなくては。

便で思い出したのだが、7月からまた郵便料金が値上がりした。封書の場合、アメリカ国内ならば今までは34セントだったのに、いきなり37セントになったのだ。(ちなみに葉書は21セントから23セントになった。)
1年前に33セントから34セントになった時は、僅か1セントのために切手を買いに行ったのだが、今度もまた差額のために切手を買わなければならないのか・・・ちょっと面倒くさい。



July 1, 2002

Y近郊のベッドタウンで、住人中の白人の割合が高いような地域は、高級住宅地とされている。冬が終わり春が来ると、大きな屋敷の、数台分はあるガレージから、コンバーチブルの高級車が登場する。冬の間乗っていた、雪にも強い大きな車はしばらく車庫に収納されるのだ。車を季節や用途で使い分けるなんて、とても贅沢だと思う。(それも欧州の高級車ね・・・。)

中や高速道路を美しく飾るオープンカーに乗っているのは、お金持ちの坊ちゃまだったり、ロマンスグレーのおじさまだったり、金髪でサングラスのお姉さんだったり、定年後の夫婦だったり、それはそれは楽しそうに乗っている。このような車を良く見かけるようになると、ああ、夏になったんだと感じる。

ころで、信号待ちをしている私たちの前に停まっていた車には、なんだかため息が出てしまった。黒のベンツのオープンカーには、中年のカップルが乗っていた。「あ、また高そうなオープンカーだね」なんて話しながら、車のナンバーを見た。と同時につい反応してしまう。

のナンバーとは、「TOY4MARC」と書かれているオリジナル版だった。・・・Toy for Marc 、つまりそのベンツは、マークくんのおもちゃってことなんだね〜。ふ〜ん、すごいね〜。・・・っていうか、自らそんなナンバーを申請してしまうマークはなかなか嫌味なやつだ。ベンツの運転手に向かって「お前がマークかぁ!?」と叫ぶ夫とmiyamuであった。

た私の歯医者通いが再開されてしまった。今度も長丁場になりそうな予感で、末恐ろしい。昔治療したはずの永久歯の多くに、虫歯があったのだ。一見なんともない詰め物の下に、レントゲンでは虫歯が映っていたようだ。痛くは無いけれど、予防医学のアメリカなのだ。こうなったらデジカメで治療前と治療後の写真を撮っておこうかなんて思ってしまう。

の治療は、多少の痛みは付き物だと割り切っているので、つい忍耐してしまう。私は目をかたく閉じて、手を握り締めて、この時間が終わるのをひたすら待っているのだ。今日の治療の途中で、歯医者さんに「あなたはかなり我慢強いみたいね」などと感心されてしまった。いや、本当はかなり痛い。でもどうしたってそれ(ほんと、強烈な注射だった)をしない訳には行かないのだから、忍耐しているのだ。それとも日本人は何事もあまり訴えないと思われてしまったのだろうか。



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