miyamu's
DAY BY DAY

アメリカ徒然日記
アメリカ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。

JUNE 2002
Back Numbers ★過去の徒然日記

ベストカップル!

ご覧になりたい方だけどうぞ。
ハートにポインタを合わせてね。








June 30, 2002

日は特別おまけ付きでお送りする、miyamu日記。

月も最後の日曜日、今日は見事な晴天で、気温は31度と真夏日だった。この暑い日差しの下で、正午から盛大にパレードが行われた。

月の23日から30日にかけ、PRIDE WEEK 2002というイベントがマンハッタンで行われていた。この最終日を飾るにふさわしいパレードは、THE 33RD ANNUAL GAY AND LESBIAN PRIDE MARCH!なんと、ゲイとレズビアンのパレードなのだ。

ンハッタンの中心である5thアベニューを埋め尽くす人々に紛れて、私たちも道沿いの一角を確保した。パレードの起点である52stからは、次々と派手派手にデコレーションした車と、すごい衣装のグループがやってきた。

Tバック1枚とハイヒールいうセクシーな姿で、旗を掲げて歩くお姉(兄?)さんから、堂々と手を繋いで歩く同性のカップル、仮装に身を包んだグループなど、盛り上がった人々で賑わう行列は長く続く。遠くを見ても途絶える気配がない。

んな中で、私のハートをがっちり掴んだベストカップルは、写真のお2人。エンジェルになりきっちゃている身のこなしが最高だった。あまりにおちゃめな様子に、周りの人たちは引っ切り無しに彼らを撮っていた。私は勝手にアメリカ版おすぎとピーコと命名。ピンクの羽とミニスカートが実によく出来ていて、なおかつ小道具のシャボン玉鉄砲の演出がニクイ。

しも日本で自分がゲイやレズビアンだと公表したら、周りに普通じゃないとか、恥ずかしいとか言われてしまい、とても理解を得られる環境ではないだろうと思う。ましてこんな風に大通りを通行止めにしてパレードを行うなんて考えられない。

はパレードを眺めながら、日本に根強く残る「常識」を想像していた。でも今日私の目の前で繰り広げられていたパレードは、みんな自由に着飾ったり踊ったり、本当に楽しそうだった。参加している人たちはもちろん、沿道の人たちも一緒になって盛り上がっている様子に、NYの人種の多様性や、ものすごい文化のギャップを目の当たりにした。


June 29, 2002

ンハッタンの某駐車場から車を出して、家に帰ろうとした数分後、車の中の小物入れに入れておいた現金約20ドルがすっかり無くなっている事に気付いた。さらに、小銭ホルダーに入れてあった25¢までも、申し訳程度に最後の一枚を残してみんな無くなっていた。

ンハッタンのバレットパーキングは、駐車場の入り口で係員に車とキーを預けて、清算後にも同様に係員が車を出してくれる仕組みになっている。駐車場内では係員が車を運転するので、車内に貴重品を残しておくのは絶対に良くない。そこは割とよく使う駐車場だったし、今日は完全に油断して、置きっ放しにしていたのだ。

「あの駐車場で盗まれたんだ!」と気付いた。駐車場でしか盗まれるような状況は無かったからだ。私たちはすぐに駐車場に引き返した。車を駐車場の前の道に停めて、夫は事務所に向かった。彼は事務所にいた係員に「車にあったはずの現金とコインが消えた。この駐車場はどうなっているのだ」と訴えた。

が事務所で食い下がって訴えているうちに、担当だった係員がやってきた。状況から、自分が疑われているのは明白のはずなのに、彼は「自分は知らない」の一点張りで、非を認めようとしなかった。そして面倒なことになったとばかりに「どこからお金が無くなったのか、車を見せて」と、事務所の前から離れてわざわざ車の横までやってきた。夫は怒った様子で「ここから紙幣と、こっちからコインが無くなったんだよ!」と、その係員に車内の様子を見せて、問い詰めた。

「・・・じゃあこれで勘弁して!」と、なんとその係員は10ドル札を2枚、夫に渡した。この突然の展開に、私はかなり驚いた。事務所から見えない場所で、口止めしようというのだろうか。彼の態度は、金なら返すから、もう帰ってくれ〜と言いたげで、腹立たしかった。結局、最後まで、たった一言の謝罪も無かった。そうだ、ここはアメリカである。

車場の係員に渡すチップは、普通1ドルだ。車をまわして来てくれた人に、1ドル札をチップとして渡すのだ。たいていの係員のポケットには1ドル札が何枚も入っている。でも彼のポケットには、10ドル札が(きっと夫の車からとった)2枚、入っていた。疑うのは悲しい事だが、その係員だって、自分に何もやましい事が無いのなら、20ドルものお金を渡すはずが無い。

の車を出してきたその係員に1ドルのチップを渡した時、とても嬉しそうにしていたが、彼はそのちょっと前に車内を物色していたはずだ。きっとお金があったからラッキー!くらいに思ったに違いない。駐車場を信用してはいけない。働いているのは雇われた身、こんな不届き者もいる。お金を盗んだ上、チップなんて貰う資格無しだ。

車場のマネージャーと話をしようにも今日はいないという。それでも負けずに、夫はマネージャーに今すぐ電話しろと交渉した。結局今日はマネージャーと話が出来なかったが、夫は駐車場で働いている人数と名前と確認して、後日クレームをつけることにした。あの係員の名前も、彼がしたことも、マネージャーに言いつけられる運命にあるのだ。

は時々、こうやって自己主張できる夫をすごいと思う。自分が被害をこうむったのだから当たり前かもしれないが、私にはこの主張がなかなか出来ないからだ。


June 28, 2002

わぬところに、思わぬ嬉しい発見をして、今日はご機嫌である。

が時々出かける隣の町には、ヒスパニックの人々が集中して住んでいる。地価も安いようで、言葉は悪いがローワークラスの住民が多く集まっているようだ。街並みを見ると、あちこち荒れているし、ごちゃごちゃ雑然としていて、ちょっと治安が悪いのかと感じる。(とはいえ日本人家庭が選ぶ住宅地は、安全で高級なエリアとされるので、これに比べればどこも治安が悪い場所となるような気がする。)

の町の商店街にはスペイン語の看板が目立つ。さらにここのショッピングモールではスペイン語が飛び交っているし、僅かながら物価も安い。一瞬アメリカじゃないような錯覚に陥る。でもこのエスニックな感覚は楽しい。ちょっと車で走っただけで、こうも町の様子が変わるのかと思う。

しい発見は、この町にあった。以前、店の前を車で通り過ぎて、ちょっと気になってたお店に寄ってみたのだ。そこは周りの商店と比べると新しめで、きれいな外装をしているので目立っていた。ありそうでなかった自家製のパンのお店だった。

ず、味を比較するのに丁度いいバゲットを1本と、レーズンの入ったブリオッシュを1個買った。店の可愛さに似合わない、味も素っ気もない紙袋にバゲットを突っ込まれた。バゲットは長すぎてお顔を出していた。車に戻る途中、飛び出したパンをむしって食べた。・・・うまいっ!

の中でも好奇心と食欲は止まらず、ブリオッシュもかじった。こ、これは・・・大ヒット!私好みの味だった。普通の丸パンみたいなレーズンブリオッシュ、でも日本のポンパドールやサンジェルマン、アンデルセンのレーズンロールみたいに美味しい。感動。これは通う価値、ありかな?

店の発掘は当たると嬉しい。今日のは成功だと思う。よかったよかった。他の種類を試してないので、まだ魅力は未知数ながら、サワードウ(酸味のするパン)じゃない、普通の美味しいパンが買えそうなのが良い。私のお気に入りに追加しよう。


June 27, 2002

本人はけっこう人の英語に敏感だ。英語といっても、他ならぬ、日本人の英語だ。例えばどこかのレストランで、自分の近くの席にいたあるグループが目に入る。そこにはアメリカ人の中に、日本人と思われる人物もいる。当然会話は英語のはず。・・・そうすると、その人の英語につい耳を傾けてしまう。こんな人、意外と多いのではないか?

のカタカナ英語を耳にして妙に安心したり、人と自分の英語力と比較してみたり・・・と、よい事ではないけれど、人の心理にはきっとそういう部分がある。ことに外国で暮らす人にとって、外国語の習得はもっとも厄介な問題だし、心のどこかに劣等感を抱いてしまうのにも頷ける。そうするとなんとなく、他の日本人には自分の英語を聞かれたくないと感じる。たとえ自分は人の英語をこっそり聞いていたとしても。

語に敏感な一例として、よくこんなシーンがある。日本人同士の集まりで、ちょっとした拍子に、思わず「ウップス!」と言ってしまった人は、仲間に「うわっ、ウップスだって〜」などと突っ込まれる。もちろん言った人は、ちょっと気まずいみたいだ。みんな1人の時はアメリカ人ばりに「oops!」と連発していようと、他の人が言うのを聞くと、なんとなく違和感を覚えるのだろう。おかしな話だ。

様に「オー、マイガッ!」と、ジョークでもなく自然に飛び出すと、「この人結構キテル・・・」と相手の温度が下がるかもしれない。さらに誰かの前で、痛いはずなのに、「イテッ」ではなく「アウチッ」と口走った場合も、しばらくの間は話のネタにされかねない。これは日本人同士の微妙な心理の表れ・・・。

「oops!」「Oh my god!」「ouch!」これを私は日本人のツッコミ頻出3大英語と定義したい。

人の心は複雑だ。自分への照れと、周囲への遠慮と、アメリカにいても自分は日本人だという戸惑いから、思い切ってアメリカかぶれになれないのだ。大人になってから英語環境に入り、なおかつ暮らした期間がそれほど長くない人同士だと、余計にお互いの目を気にしてしまう。悪循環だ。いいじゃないか、人前で「ウップス」とか「アウチッ」とか言ったって。「ウーップスも、みんなで言えば怖くない!」


June 26, 2002

後から夜にかけて激しい雷雨が降った。私は外に出られず、ずーっと家にいた。

く、稲妻が光ったら、雷の音がするまで何秒あるか数えて、この間隔が長いほど雷雲が遠く、間隔が短ければ雷雲は近いといわれる。実際にカウントしてみると、雷雲がだんだん近づいてきて、次第に遠ざかってゆくのが分かるので面白い。

外の住宅地には高層ビルやアパートがほとんど無いので、雷はよく響く。和太鼓の力強い演奏のような、はたまたティンパニのお腹に響く低音域のような音が、振動と一緒にやってくる。それぐらいならまだ良いが、時々ゴロゴロを越えてバリバリというつんざく音がするので怯えてしまう。雷の放つエネルギーは物凄いのだろう。

本は梅雨のシーズンだし、雨が降っているのだろうか。雷雨の中、ふと日本の今頃の季節を思い出した。日本の梅雨の雨は、しとしとと静かに降り、長く続くのだろう。道端にアジサイが咲いて、梅雨明けはまだかしらと思う。ずんずんと鳴り響く雷の中で、なんだか日本の雨をずいぶん風流に感じた。アメリカって、お天気までダイナミックなのね・・・。


June 25, 2002

月4日はアメリカの独立記念日である。毎年この時期になると、あちこちの衣料品店でアメリカの国旗柄のTシャツが売られている。これを毎年買い続けるのも、アメリカの愛国心の象徴かもしれない。

は昨年の夏、日本に一時帰国した。そのお土産を探しに近所の大型衣料品店へ行った時は、7月4日を過ぎていた。アメリカ柄のTシャツは、独立記念日を過ぎると半額になっていた。思わぬお買い得な商品に、ちょっとそのTシャツを買いそうになってしまう。しばしTシャツを手にして考える。私の想像の中では、友人が「うわーアメリカンなTシャツ〜(苦笑)」と言っていた。アメリカ柄のTシャツは貰っても活用の場所が無い事は明らかだった・・・。

レビでは独立記念日にちなんだプログラムが放映され、週末に「Independence Day」がやっていた。この映画は数年前に日本でもヒットしたので、割と有名な映画かもしれない。黒人俳優のウィル・スミスの出世作だ。日本の映画館で私も見たことがあったが、その時はすごいアメリカ的な映画だと思ったし、あくまでも世界の中心であるというアメリカの思いが強くて、少々食傷気味だった。

画のクライマックスで大統領役の俳優が声を高らかに宣言をし、国民を奮い立たせるシーンがある。「アメリカは卑劣なエイリアンに屈する事は無い!今日は我々にとって本当の独立記念日なのだ!」このような熱のこもった演説シーンに、私はアメリカらしいと感じたものだ。

じ映画をアメリカにて見ると、違和感が無いかと言うと、そうではない。やはり以前と同じように感じたし、映画自体もそんなにヒットするような内容か?と思ってしまった。事実、この映画はアメリカの歴代興行収入ベスト10に入ってしまうような作品なのだが、きっとアメリカ人はこの話が好きなのだろう。(注・ベスト10は最近めまぐるしく変わっているので正確さは保障できず。)


June 24, 2002

だいま履修している夏の短期集中講座も、残すところあと4回となった。ふと教科書を見てみる。私たちはこの分厚い教科書の半分も行っていないではないか・・・。なんというもったいなさ!このGrammarの教科書は、今までで一番高い一冊だったのに・・・。こうなったら掲示板に「教科書売ります!」を貼りだすか!?

の短い学期が終わると、私はしばらく夏休みに入る。夏の短期講座は5月から7月にかけての6週間と、6月から8月にかけての6週間の2部構成になっているのだが、後半は申し込まないつもりなのだ。9月からは秋の新学期が始まるので、それまでの時間にしばし充電しようと思う。やる気をなくしたら、そのままになってしまうから。

はいえ8月に予定されている、コミカレに来るゲスト先生による特別講習は申し込んだ。以前、他の学生が絶賛していた、人気のコースが再び行われるというのだ。その名も Speech Communication for Non-Native Speakers 、まさしく会話に難ありの私にピッタリのタイトル!先生はその道のプロフェッショナルということなので、私もチャンスがあったら是非受講したいと思っていたのだ。

日から申し込みが始まることになっていたのに、定員が21名のところ、私の申し込み番号は12番だった。まさか今日だけでこんなに申し込みがあった訳ではあるまいと、日付けをチェックしたところ、リストの一番初めに書かれていた人の申込日は5月とあった。なんと、そんなフライングしても大丈夫だったということなのか?私のように今まで待ちわびていた人もいるだろうに、もし今日までに定員になってしまったらどうするつもりだったのだろう。

し込みの受付にいるお兄さんは、もう顔見知りになってしまった。かつて、彼が担当している時間に何度か行ったためだ。しかも毎回よく聞き取れずに「I'm sorry?」を繰り返す私なので、今回こそは少しは会話らしくなった所を見せたいと思った。今までの私では、東洋人の、しかもかなり会話がおぼつかない女として、彼の頭の中にインプットされていることだろうから。「あー、また来たの?」と思われないぞ。

付のお兄さんは、いつもちょっと怖い雰囲気なのだが、実は私の言う不完全な質問にもきちんと答えてくれる、いい人だ。ESLの受付は、英語が下手な外国人が大量に押し寄せる場所なので、スタッフも大変だろうと思う。相手の言う事を聞き、言いたいことを推測し、子供に話すようにゆっくりと慎重に話す訓練が必要だ。せっかちなタイプにはきっと向かない仕事なのだろう。


June 23, 2002

の脱水症状は続き、やけに喉が渇く。おまけに熱射と冷房の温度差にやられて頭痛がする。夏風邪は厄介だから、気をつけなくては。何せ昨年も夏風邪にかかり、久々に高熱を出したのだ。

う暑い日が続くと、出かける際の必需品の中にペットボトルの水を加えなければならない。NY近郊で最もメジャーな“買う水”のブランドはPolandSpringという緑の帯のついたものだ。SpringWaterは湧き水のことで、日本でもメジャーなものとして南アルプス天然水や六甲のおいしい水などがある。

でに日本に浸透したミネラルウォーターという呼び名は、正しくは全ての水には適しない。水の成分中に含まれるミネラル(無機質)が一定の基準より少ないと、それは単なるSpringWater、つまり湧き水ということになるのだ。簡単に硬水と軟水と分ける場合、ミネラル分の多少によって区別する。よく水が硬いとか、軟らかいとか表現するが、ミネラルの多い水は味にクセがあって、飲み口が硬いと評されるのだ。

い日に携帯すべき、SpringWaterという話に戻すと・・・。出先でこの水を探す場合、デリや道端のベンダーで買う事になる。すると、大抵の場所では1本を$1.50で売っている。これを安いと思うか高いと思うか。私はこれを高いと思う。でも必要に迫られればこの値段でも買ってしまう。冷えている分の付加価値がつくので、仕方あるまい。

れをスーパーで買うとどうなるかというと、かなりお買い得になる。冷えていない6本パックや12本パックが割安価格になって売られているからだ。先日買った24本入りのパックは(1本$1.50と同じブランドのもの)、なんと$4.99だった。これは1本あたり約20セントということである。なんという安さだ。当然ながら商売人は、このまとめ売りのパックを買って、高い値をつけてバラ売りにしている。20セントの水を1本売れば、1ドル30セントの利益が上がるのである。なんてボロい商売だろう!

ういえばもう1つ、信じられない価格設定を目の当たりにした。Washington,D.C.の某ホテルにて、室内に備え付けのミニバーに入っていた同じ水が、なんと1本$3.50だったのだ。これにはさすがに呆れてしまう。あくどいぞ、大手ホテルH!当然こんなミニバーには用無しで、私はホテルの近所にあったCVSで6本入りのパックを2ドル少々で購入し、ホテルに持ち帰ったのであった。


June 22, 2002

末に届くスーパーのチラシをよく見ると、とあるスーパーの特売品として、信じられないお買い得価格でハーゲンダッツが買えるらしかった。日本で見かける500ml入りのものとほぼ同サイズのカップが、2つで4ドルだというのだから、これはとても安い。お1人様4個までという制限がついているものの、制限数いっぱいまで買うしかない。こんな買い方をするとは、私はアメリカナイズされて来ているのだろうか!?

ーゲンダッツはブランド内にも4種類の区別があって、アイスクリーム、ジェラート、フローズンヨーグルト、シャーベットと分かれている。それぞれにフレーバーがいくつもあるのだ。この中で買うものを選ぶ時はいつも悩む。

局、夏はさっぱり味のシャーベットが食べたくなるので、今日はレモンとマンゴとピーチのシャーベットと、フローズンヨーグルトのバニラ味を選んだ。これで制限の4つになってしまった。夫もいたので、正確には1人4つずつ、計8個までは許容されるはずだったのだが・・・そんなに冷凍庫に入らない。(その前に、そんなにアイスクリームを食べるのか?)

日の4種類の甲斐があって、我が家の冷凍庫には現在ハーゲンダッツが所狭しと並んでいる。もともと食べかけのカップが入っていたので、これからは色々な味が楽しめて贅沢な気分だ。アイス屋さんになったような気分だ。しかし、冷凍庫内はかなり冷却の効率が悪そうな混雑状態になってしまった。

ーパーの巨大な冷凍庫の前で、ハーゲンダッツの種類を数えると、かなり沢山ある。日本でも売られているバニラやストロベリーやコーヒーやチョコレートなど、古くからおなじみのフレーバーの他にも、チーズケーキだとかチョコファッジやキャラメルタフィの入ったものなど、色々ある。でも、日本で人気の抹茶やロイヤルミルクティは見たことが無い・・・。おそらくハーゲンダッツ・ジャパンのオリジナル商品なのだろう。私の好物、抹茶のハーゲンダッツは、アメリカに上陸しないのだろうか。絶対美味しいと思うのに・・・。


June 21, 2002

ーブルTVにはチャンネル数が100以上ある。この数が多いのは良いのだが、我が家ではそれもあまり活用されていない。いつも見ているチャンネルが大体決まっているからだ。とは言っても視聴しているというよりはただなんとなく、そこに合わさっているだけなのかもしれないのだが。

はそれほどテレビを見ない。それは日本にいても同じことだった。1人で過ごすときは音楽を流している方が多い。そんな私が見るのは、映画と音楽番組が多い。対して夫が家にいる時は、テレビがついていることが多い。朝はCNNや天気予報、交通情報を見ているし、夜はCNNやスポーツ、それにドラマを時々見る。あ、あと料理の鉄人(笑)。

事の間などに、BGMがわりしているMTVやVH1は、歌手の最新プロモーションビデオを惜しげもなく流しているので見ていて楽しい。これに自分の好きなアーティストが出てくると嬉しい。日本の歌番組のようにスタジオで歌う企画ものがないから、MTVを見てアメリカで流行っている音楽をチェックしている。好みでない音楽も流れるけれど、いろいろな音楽が聴けるのがいい。

米後の数ヶ月は、私はやけにテレビを見ていた。それも子供向けの番組やアニメが殆どであった。ポケモンやドラゴンボールやセーラームーンを英語に吹き替えた物が放映されていたので、日本の馴染みという事でとりあえず少し見てみたら、話が単純なので分かりやすかった。しかしそれもすぐに飽きてしまった。

の後、犬を飼っている友人からの好評判を聞きつけ、私はしばらくアニマルプラネットにはまった。動物の番組はいつ見ても幸せな気分になれて、それほど英語力も必要としないのが良かったのかもしれない。我が家のペットの面白ビデオなんて、そういえば日本でもあったような・・・。ああ、それに忘れてはいけない。リアルTVなる番組が、まるで世界まるみえ特捜部(だった?)に出てくる「レスキュー911」そのもので、これも初めの頃の乏しいレパートリーの中ではよく見ていたっけ。

あ、きっと毎日真剣にテレビを見て、知らない単語を調べながらじっくり英語を聞いていたら、けっこういい勉強になるのかもしれない・・・。と思いつきはよかったのだが、まったくこれを実行する気配が無い。そしていつも私は決まったチャンネルの間を転々としているのである。


June 20, 2002

メリカに来てから今までの間に、我々が出先で貰ってきたパンフレットやちょっとしたチラシなどが積もり積もって、いつの間にやら結構あることに気付いた。じわじわと本来の置き場所から、よその場所まで侵食してきている。こまめに整頓していない為に、体積が倍増しているのだ。

とそれらの物を吟味する。いちいち中味を確認していると、時間はあっという間に流れてしまう。こりゃどうしたものかと不安になってきた。というのも、私は「別にそんなに必要ない」紙類まで持って帰ってきてしまい、多くの場合なかなか捨てられないのだ。美しく言えば思い出収集という名の、悪く言えばガラクタという名のコレクションである。

置と化している部屋に、渡米時に日本から持ち込んだ箱が「箱のまま」鎮座している。この箱の中身は、数年に渡り日の目を見ることが無いもので、何が入っているのか忘れ去られている。わざわざアメリカに持ち込んだ意味があるのか疑問だ。もしかするといくつかアメリカに置き去りにされるかもしれない。その替わりに、新しいものを詰めて持ち帰るというのはどうだろう。

々夫が言う。「日本に帰るときはほとんど処分しないと。」それはそうだけれど・・・。でも、そんなに簡単に片付くものだろうか。次第に物が増えてしまうのは、暮らしている以上当然とも思えるし、多少は持って帰れるのではないか?希望的に・・・。

んな事をぼんやり思ってしまうのは、今週末にご近所さんが家を引き払う事になっているからかもしれない。夕方にその家の近くを通ると、ブラインドの隙間から明かりが漏れていた。部屋の中の様子がちらっと見えた。もう大分片付いて、最後まで必要なもの以外はまとめられているようだった。本当に去るときは突然なので、私はほんの少し寂しさを感じた。

れにしても、大掃除は大変そう・・・。


June 19, 2002

持ちの空MDが残り僅かになってきた。MDは私が日本から必ず持ち込む物の1つで、アメリカでは意外にも手に入りにくい物だ。そもそもアメリカではいまだにカセットが主流で、MD自体が普及していないのだ。CDラジカセは見つかっても、MD機能が付いた機種は非常に少ない。需要も少ないので、当然ながら録音用のMDも少ないし、売っていたとしても高いのだ。

れにしてもMDは素晴らしい。なぜアメリカでは普及していないのだろう。もしかするとインターネットで音楽をダウンロードする方法が流行っていたからかも知れないが、無料ダウンロードは著作権の訴訟で負けてからは行えなくなったはずだと思う。これは今こそMDを知らしめるチャンスではないのか?

本ではいまやポータブルステレオにもコンポにも普通にMDが付いているし、空のMDもレンタル業界の拡大とディスカウント量販店のお陰で非常に安価で買えるようになった。私はアメリカに来るまで、MDがほとんど普及していないことを知らなかったので、初めはちょっと驚いた。日本で使っていたMDプレーヤーをアメリカに持ち込んだのは正解だったと思う。

MDの話に戻ると、私の愛用は74分の5枚入りで700円程度のものだ。このパックが安いので、帰国のたびに買いだめしているのだ。最近はMDの録音時間も80分ものが多く出回っているようで(CDの最大録音時間が約80分だから合わせているのかな?)74分のMDはますます買い求めやすい値段になっている。ああ、もっと買いだめしておくべきだった・・・。

こで私は苦肉の策に出た。持ち込んだ録音済みのMDの中で、殆ど(年に1回くらいしか)聴かないようなものを消去して、上書きしてしまおうという作戦だ。MDは何度でもそういう書き直しが出来るのが素晴らしいと思う。私はMDの箱を開いて、最近ほとんど聞いていなかったものをいくつか取り出した・・・すると、どういうわけか無性にそれが聴きたくなってしまい、消してしまうのがもったいないように思えた。めったに聴かないくせに、いざ手放すとなると愛着が湧いてくるとは。

うやら私は貧乏性のようだ。でも、結局「初めから無かったと思い込む」ことにして、思い切ってMDを全消去した。きっとこれは、「もったいないなぁ」と思って古い洋服を捨てられずに取っておくけれど、結局また今年も着なかった・・・というのと同じなのだろうと思う。そういえば、今年も思い当たる節がけっこうあるしね・・・(笑)


June 18, 2002

覚にも早朝2:30のサッカーは寝過ごした。目覚めたら時計は既に4:30だった。試合の一部始終をしっかり見た夫と、ぼんやりした頭で会話した。「どうだった?」「負けた・・・」。残念な結果になってしまったが、日本があんなに盛り上がるのは貴重なことだ。それにあのユニフォームの総売上だけでも、相当な経済効果があったのではないか?

び眠りにつき、7時前に起きた。しかし・・・て、停電しているじゃあーりませんか!!

電しているので、テレビもコンロも冷蔵庫も電子レンジも炊飯器も止まっている。デジタル時計は消えている。「これは、朝御飯が作れないぞ(しめしめ)」と思った。しかし、一体いつ停電したのだろう。

の地域では割と頻繁に停電が起こるので、それ自体はそれほど驚く事ではない。停電するも復旧するも、本当にいきなりで、何の予告も無くやってくるのだ。今日もそのうち復旧するさと気楽に過ごしていた。炊飯器の中には、一応炊けた状態の御飯が入っていた。ちょっと固まったところを見ると、炊飯中に停電になったと見える。6時台に停電したという事か。

理したおかずも無いまま、海苔とふりかけでわびしい朝食をとった。冷蔵庫から出したお茶の冷え具合が甘い。困った・・・冷凍庫に買いだめしているアイスクリームの為にも、早く停電が終わってくれるように願うばかりだ。

時前。家中の電気が再び流れ出した。FAXの紙送りの音と、冷蔵庫とボイラーの音がしたので、停電は終わったのだと気がついた。コンロの時計表示は6:15で点滅していた。この時間に電気が止まったのだ。家中がにわかに騒々しくなり、ようやく電気が使えるようになった。本当に現代の生活は電気に依存しているのだと思い知らされた。


June 17, 2002

ーパーの片隅にある季節物の売り場は、限られたスペースなので、商品の入れ替わりが早い。今は夏のバーベキュー用の木炭や、樹脂で出来た食器や、ビーチパラソルなどが並んでいる。と、その横を通る時に小さなグラスが目に入った。背が低くて、お花のような形をしていて、短いステムの足が付いているミニパフェ用だ。これでパフェを作ったら、さぞかし幸せな気分になれるだろうなぁと想像したら、無性に欲しくなって、2つ買ってしまった。買ったからにはパフェを作らないと!楽しみ・・・。

フェと言えば、学生時代に、ハーゲンダッツのカフェに行った。夏の一時期に「パフェ食べ放題」というイベントが開催されていたのだ。ハーゲンダッツのパフェは1杯7〜800円で、決して安くは無いが、1500円で食べ放題だった。1500円と言う事は、2杯食べて初めて元が取れるということだ。これは絶対に2杯は食べなければならない。

杯を食べ終えた段階で、かなり苦しかったし、アイスクリームで体が冷えて寒かった。その上味覚が鈍って、甘味は無理〜という状態だった。しかし、もう1杯食べなければ食べ放題の意味が無いのだ。3杯目のパフェは、美味しそうに見えない。しかし、のろのろとスプーンでアイスをすくっては口に運んだ。

分まで食べた辺りで、もうギブアップだと思った。そして、手を休めていると、店員さんがやって来て、信じられない事を宣言したのだ。「食べきったもののみを食べ放題とさせていただいております。残した場合は、追加料金を頂きます。」・・・それって、サギじゃないか?

500円で2杯分、もう1杯に着手して、食べられなかったらその金額を上乗せだというのだ。初めから3杯分を払うように狙っていたかのように感じた。これは食べ放題ではない。俄然やる気が沸いてきた。絶対に残すものか!・・・でも、体はキツイと言っている。そして、私はテーブルにならんだ3つのパフェグラスに、溶けたアイスクリームを均等に流し込み、食べ切ったかのように見せかけたのだった。

は変わって、今日の授業の始めに、先生が言った。「みんな良く頑張ってます。しっかり結果が出てきていますよ。今日はそれを喜んで、クッキーを持ってきました。」先生が2箱のクッキーを振舞ってくれたのだ。どうしたのかな?まさか、先週の「先生は私たちをバカにしている」発言を耳にしてしまった事で、ショックを受けてしまったのだろうか・・・先生の心遣いに感謝しつつも、そんな風に気になってしまう。

週末にReadingの宿題が出る。週末中に数ページの物語を読んで、月曜日に質疑応答と理解度を測る練習問題を行う。そして、火曜日にその物語にまつわる作文を書く。それが1つの流れのようだ。私は1つのReadingの中に、2ページ分の知らない(又は意味を確認したい)単語があるので、とても時間がかかってしまう。毎回のように同じ単語を調べているのは悔しいけれど、反復学習は効果があるかも!?


June 16, 2002

ッカーがアメリカでは全然盛り上がっていないため、最近の試合はスペイン語での中継しか無かったりする。アメリカは女子サッカーが強いし、ある程度の人気があるようだが、男子サッカーはワールドカップ中だというのに影が薄い。アメリカが決勝トーナメントで勝ち進んだら、少しは注目されるのかもしれない。がんばれアメリカチーム。

日、日本に一時帰国をしていた方からお土産を頂いた。カステラ1番電話は2番〜♪でおなじみ、文明堂のカステラであった。この貴重かつ、ツボをくすぐる贈り物に、私はハハ〜ッと拝むように感謝し、喜び小躍りした。なんて単純な私。でも、どんなものより、こういうお菓子が嬉しいように思うのは私だけではないはずだ・・・(と思う)。

が日本に帰国する時、帰りのスーツケースの半分を占めるのは日本の食品である。それも、便利なルーやら、混ぜご飯のレトルトやら、カップスープの素やらでギュウギュウになる。日本のスーパーにはそういう進化した食品が目白押しで、厳選するのが大変だが、毎度その素晴らしさに感心させられる。

に私の場合は、忘れてはいけない、日本のお菓子類が加わる。何しろ私はお菓子が大好きなのだ。スーツケースを閉じた後、重い思いをしながら空港まで運ぶ。それもカウンターで預けてしまえば、私は自由の身だ。飛行機に搭乗するまでは、手荷物として機内に持ち込む用の箱入りお菓子を仕入れる時間となるのだ。

の間一時帰国してアメリカに戻る時に、カステラを1本買った。思い返せばこの買い物以来、久しぶりのカステラ・・・。それもプレーンの蜂蜜味と、抹茶味のセットだった。今やカステラも進化していると見える。さっそくドキドキしながら開封し、一口頂くと、感涙物の美味しさであった・・・。これよ、さすがはカステラ1番、私が子供の頃から親しんだ味だ。私にカステラをもたらしてくれたお方、ありがとう、本当にありがとう〜!!


June 15, 2002

にも雨が降りそうな曇天の空の下、用事があったのでマンハッタンへ行った。週末ともなるとタイムズスクエアの周りは大混雑である。とてもまっすぐには歩けない程に人が溢れているので、急いでいる人はもう1ブロック横を歩く方が良いかもしれない。

NYの地下鉄で思い出したのだが、私が今週の水曜日にマンハッタンへ出かけた時に、地下鉄を利用した。丁度夕方のラッシュアワーと重なる頃で、地下鉄は日本の電車さながらに混雑していた。(もちろん日本よりはマシであるが・・・)体勢を変えるのが困難なくらい、車内には人が詰まっていた。

アの近くに立てるように、私は最後に車両に乗り込んだ。すぐにドアが閉まって、汚れた硝子が目の前を遮った。私は鞄を抱きかかえるようにして持ち直し、暗い車窓に映りこんだ背後の様子を見ていた。でも、横に立っている男性が怪しいということにはすぐに気がついた。

はドアにもたれるようにして立っていた。「気をつけ!」の姿勢なのに、暗闇で何かを探っているような手つきで左手が動いていたのだ。私はその手をじっと見つめていたが、彼は不自然に手を泳がせているので、私は鞄をきつく持ち直した。彼がチラッと私の方を見たような気がした。

の駅に着き、私と彼の間に若い女の子が入ってきた。さらに混雑した電車が動き出してからも、私はずっと彼の手を見つめていた。もしも何かよからぬ事を企んでいるのなら、私は彼を止めなければと思っていた。女の子の鞄に手を触れた時、私が口を開くよりも早く、女の子が振り返り、無言で彼をギロッと睨みつけた。彼の手は宙に浮いたままで、しばらくするとバツが悪そうにポケットの中に戻っていった。

はその次の駅で地下鉄を降りた。彼はきっとそのままで、次の獲物を狙うのだろう。治安が良いNYといえど、こんな話はそこら中にあふれている。慣れた頃こそ、気をつけないとね・・・と思った。日本で、肺が潰れて息が苦しいほどの通勤ラッシュを経験していた私が、初めて日本のラッシュに慣れていてよかったと思った日である。特に男性の手元に注意が行ってしまうのは、日本での「痴漢対策」の成果だろうから。(男性の方、すみません。でも多いんですよ。)


June 14, 2002

っかくの週末だというのに、雨、雨、雨の予報でガッカリである。今日も一日中雨降りで、ノースリーブから長袖に早変わりの、寒い日だった。

のご近所の2家庭がもうすぐ帰国することになっている。今までそれほどご近所づきあいらしいこともしていなかったけれど、今回お昼を一緒にどうかと声をかけていただいた。最初で最後のメンバーでの食事会である。楽しい数時間をすごし、今までにこんな機会を作らなかったことを少し勿体無く感じた。

の近くで流行っている、アジア風のフージョン料理を出すレストランに行った。この店は、通常は夜のみの営業なのだが、金曜日だけはランチも開店しているというのだ。中に入ってみると、内装が凝っていて、大人の雰囲気のお店だった。近場の良いレストランを発見である。

て、昨日の授業中にちょっとしたハプニングがあった。10分間の休憩が終わる頃に、ポーランド出身の女の子が興奮気味に駆け込んできたのだ。どうしたの?と訪ねる前に、彼女が一気に喋りだした。そう、その女の子はとってもハキハキしておしゃべりな(悪く言うとちょっと一言多い感じの)人なのだ。

女が早口に言うことは、皆を引きつらせた。「今さっきトイレで、この授業はつまんないって言っていたの。先生は私たちをバカにしてるわって。そうしたら、彼女(先生)がトイレにいたのーーー!!」って・・・なんて恐ろしい事を・・・。実は皆、この授業を退屈しているのは事実なのである。でも、きっと先生も傷付いたことだろう。休み時間明けの授業のムードはいつもと違っていた。


June 13, 2002

の今の気分は最低だ。鼻息も荒々しく、こんなイライラした時に書く日記は、勢いに任せてひどい事を書いてしまいそうになる。でも、日記なんてそんなものか。

もそも私は授業の後は早く帰りたいのだ。しかも、今は夜の部を受講しているので、終了時間は8:45である。この時間の空はギリギリ真っ暗になる前だ。暗くなる前に運転したいし、家に帰って日記も書きたいし、ともかく、帰巣本能がビリビリと働いているのだ。

、今日はサッカーもあるでしょう?NY時間の午前2時過ぎなんて、どうすればいいのだ。私の計画では、早く帰って少し眠ったら、起き出してサッカーを見て、また寝るというものだ。そうなれば授業の後にさっさと帰るべし。9時ちょっと過ぎには家に帰りたい。

かし、この大急ぎな私に声をかけてくる奴がいた。地蔵(勝手にそう呼んでいる。メキシコ人のおやじ)だ!!!この人、すごいしつこい。マイペースで、人の迷惑なんて考えてない。授業の後で誰かしら話し相手を待っているのか、タイミングを合わせて教室から出て、立ち話したがるのだ。暇な時ならこちらも英語の勉強になるし、よい。でも、今日はすんごい急いでいる。

「ウッ・・・」と思った。その瞬間彼のトークは始まって、いつまでも続く。すっごい迷惑。でも、私はいいヒトなので、あからさまに煙たがらないし、無視もしない。(クラスではけっこう浮いている彼をみんな敬遠している。)今日は急いでいるのだって伝えて、先を行こうとした。私の言ったこと聞こえなかったの?彼のトークは続く。本当に迷惑。今週miyamuを授業の後で見かけなかったよ?とか言われた。そりゃそうだ、私が避けていたんだから。私は2度、「もう行くね」って言ったのに、地蔵は気にも留めずに話し中・・・。こういう場合は絶対に、パッと行ってしまうべきなのだ。ためらいが逆効果なのだ。

うやって話をブチッと切るべきなのか、私はまだまだ未熟で、英語の会話ではよく分からないし、うまい言い方が分からない。そのために今日もズルズルと15分も拘束され、地蔵を振り切れなかった・・・すごい腹立たしい。でも、私は一体何に腹を立てているのか?あまりにも鈍感な地蔵に腹を立てているのか、ハッキリ言えない自分に腹を立てているのか・・・。多分、両方だ。ここで日本人同士のようなツーカーの呼吸は求められないのは承知であるが、本当にそれを思い知った。

んな苛立つ私に追い討ちをかけるように、高速道路は大・大・大渋滞だった。本当に発狂寸前のイライラに、運転中に叫ぶ「コノヤローーーーー!」も、気晴らしにはならない。結局10時ちょっと前に帰宅した。地蔵に捕まっていた時間が悔やまれる。彼はきっと来週も待ち伏せしていそうなので、自分が上手な世渡り法をもっと知っていなければならないのだ。私はそんなにヒマじゃない。


June 12, 2002

ひさしぶりの、ぶらりお出かけ。
はるばるマンハッタンまで繰り出すからには楽しい1日にしよう。タイムズスクエアのTKTSで、マチネのディスカウントチケットを購入したら、開演時間まではアッパーウエスト辺りのお散歩とランチタイム。ミュージカルを観てから、またぶらりして、美味しそうなパンを買って帰路に着く。今日はじめじめした暑さで、ちょぴり日焼けもしたし、歩いた〜!

日観たミュージカルは、「THE FULL MONTY」。私がTKTSでチケットを買うときは、すでに一度は見たことがあるものを選ぶ事にしている(だって、物語の予習なしで観るのは、私の英語の理解度では勿体無いから。)。今回のこのショーは2回目だ。

かし、私も好きね〜。「THE FULL MONTY」だなんて。しかも1人で・・・。ご覧になった方もいらっしゃると思うが、このショーは様々な理由で悩める男たちが、男性ストリッパーのショーを成功させるまでの日々を描いた喜劇である。邦題は「真っ裸の」というらしい。でも、別に怪しい出し物ではないので、誤解しないでね(笑)!

はこのショーがかなり好きである。(あ・・・私やっぱり怪しい?)確かに、男性のストリッパーだとはかなりユニークなテーマであるが、ストーリーは悲喜こもごもで退屈せず、安心して観られるミュージカルだし、爆笑せずにはおれない内容なのだ。

演直後から、「ちょっと恥ずかしいこともみんなで思いっきり楽しく盛り上げてやろう!」という雰囲気が会場を包んでしまう。男性ストリップとなると、観客の主役は女性達である。実はオーケストラ指揮者も女性で、彼女のノリノリなパフォーマンスも会場を盛り上げる。「THE FULL MONTY」は現代劇のノリのよさが特徴的で、会場の笑い声も計算されたショーの一部なのだ。下ネタ好きのアメリカ人観察、それだけでも十分楽しめるってものだ。

メリカ人達は笑う場所では遠慮なく笑うし、冷やかしも容赦ないし、叫び声も思い切りがよい。映画館で面白いシーンがあっても、1人で笑うと恥ずかしいと感じる日本人には、アメリカ人のそれはかなり過剰反応に思えるかもしれないけれど、これは国民性と文化の違いだろう。アメリカ人は愉快だと思ったら声をあげて大笑いする。その上、みんな大好きの下ネタとなると、一段と歓声が高いのだ。

日のマチネだと、観客にはおばさまの割合が多く、今日は盛り上がりも最高だった。私の席はおばさま達にしっかり囲まれていたので、朱に交われば赤くなる、miyamuもおばさまに混じって笑った。しかしその声も、彼女達の「キャー!」という黄色い声によってかき消されてしまうのだった。

った1人で「THE FULL MONTY」を観に来ている人は見かけなかったから、おばさま達に、私はマニアだと思われてしまったかも(笑)!?周りの評価はともかく、私は「THE FULL MONTY」を、楽しくって元気になれるミュージカルだと思う。これは、是非とも女性にオススメしたい。あと、アメリカ人女性のパワーを感じたいあなたも必見!最後に、「1人じゃそんなショー、恥ずかしくって行けないわ!」というシャイなお友達を募集中〜(笑)!


June 11, 2002

うやく学校から帰ってきたので、本日の料理教室体験について紹介しよう。そもそも私はこちらに来てから、英語の他に習い事やスポーツクラブをする機会が無く過ごしている。今日の料理教室は知人の紹介による飛び入り参加で、欠席者の空席を埋めるべくmiyamuに白羽の矢が立ったのである。

際結婚をなさっている日本人の先生が開催するこの教室は、楽しい経験だった。先生は、アメリカのスーパーに並ぶ「なんじゃコリャ?」という食材を上手に活用し、食卓に上げる方法をいくつか紹介しながらデモンストレーションしてくれる。これは、使い方の分からない、日本には無いような便利な食材で、簡単に料理をするというものだ。

ードブルにサラダとメインとデザート。メニューは日本の料理にアメリカ流のエッセンスを加えて作るものだったり、純粋にアメリカ風だったりした。これらの料理は実にシンプルな行程で、簡単なものである。でも、ちょっと上等なご馳走に見えるというのが、さすがアメリカ流。私の知らない便利食材が沢山登場し、興味深い数時間だった。

が家は偏食の多い夫を抱えている為に、野菜にしても使える種類が限られている。今日は、私が普段使えない食材(セロリ、ズッキーニ、キュウリ、ハーブ等)をふんだんに用いたメニューだったので、おそらく自宅でこの料理を作る事は無いだろう・・・。美味しいのにね。

日の私の収穫は、インスタント粉末のドレッシング。瓶にこの粉末と酢と油と水を入れて振るだけで出来てしまう、優れものである。へ〜こんな物があるのね、なんて感心してしまう。このドレッシング専用の瓶には、目安の線が付いているので、その線まで酢や油などを入れればよい。計量用具も要らない。

加者の皆さんは、季節柄、庭先でのバーベキューの話題で盛り上がっていた。残念ながら、私の家にはバーベキューの用具が無いし、屋根のある日陰も芝生の庭も無いので、きっとこの夏もバーベキューは遠い存在だろう・・・。「普通のフランクフルトが外で焼くと美味しいの!」っていう一言に妙に納得し、私にもその気持ちが分かるだけに、こうなったら誰かに招待してもらうしかないね!と思った。

日は水曜日、学校も無いし、主婦業もお休み。ブラリお出かけしよう。


June 10, 2002

タカナは外来語や擬音を表示するのに使うものだと思っていたのに、何で携帯電話のことをケータイと言うようになってしまったのか?と、インターネットのニュースを見ながら1人さびしく異議申し立てている。私もこんなことを考えるようなってしまったら、もう完全に時代に取り残されているんだろうなぁ・・・。

こで今日はケータイ進化論を考えてみようではないか(笑)!

ータイはもともと、携帯できる電話だから「携帯電話」という名前だった。それが短くなって「携帯」になってしまった。これが第1の進化である。といっても、これは略語というより、単に「電話」という部分がカットされてしまっただけなのだが・・・。でも、何で「携帯」なのだ?「電話」ではだめなのか?よく考えてみて欲しい。携帯という言葉のどこに電話の意味があるというのだ?

は少し考えて、多分、「電話」というのは家の電話のことを指すから、区別化を図るべく「携帯」になってしまったのだろうという結論に至った。(でも、「電話ちょうだいね」とは言うが、「携帯ちょうだいね」とは言わないよね。)

て、短くなった「携帯」が「ケータイ」になるまでが第2の進化である。「携帯」という日本語の読み仮名は「けいたい」でも、実際には「けーたい」と発音する。しかし、それがどうして「ケータイ」ってカタカナになるのだ?別にカタカナにしなくたっていいじゃないか。・・・しかしながら、この若者文化から派生したと思われる「ケータイ」という言葉は、すでに「携帯できる」という本来の意味を超えて、新しい単語となってしまっているのだ。(きっとこれで「携帯」という漢字が書ける人も減ってゆくのだろう。あ、でも漢字が分からなかったらケータイ使って調べればいいじゃん?って?)

やドコモの携帯電話も自ら「ケータイ」と名乗っている。私はどうもそれが気に入らない。やはり一企業は硬派でないと。日本の携帯電話市場の最大手が「ケータイ」だと言うのならば、もはや抗いがたいものを感じるが、何だかなぁ、日本語もどんどん新しくなってしまうんだね・・・さびしいmiyamuの戯言でした。


June 9, 2002

NY時間の朝の7時半、サッカーの日本対ロシア戦は始まった。1点を守りきっての勝利、途中何度もハラハラさせられつつも、よかった!たとえトルシエ監督の横にいる通訳のお兄さんがココリコの田中に見えようとも・・・。

て、夫はゴルフなる集会に出かけてしまった。私はサッカーのためにマンハッタンへ出かけるには出遅れてしまった。そこで今日は近くのショッピングモールをウロウロしようというお手軽な計画に落ち着いた。なんだ、結局変わり映えしない、平凡な日である。日曜日のモールは、私と同じように暇を持て余してウィンドウショッピングしている人が沢山いるので、普段は人気がなく、近寄りがたい雰囲気のお店にも堂々と入ってゆける。

日は初めて入るお店をいくつか見た。今年に出産予定の親しい人たちに、何か素敵なものはないかと思い、子供服の店やマタニティファッション専門店などを覗いた(ここで知り合いに遭遇したら、きっと誤解されてしまうのだろうな・・・)。赤ちゃんの服はどれも日本と比べて安いようだ。赤ちゃんグッズはどれも非常に小さいので、たとえ郵送しても、その送料はさほど掛からないだろうと思う。

しく開店した「BONZAI」の店は、なんと盆栽屋さんである。どういうわけか、アメリカでは盆栽がアートとして受け入れられているようだ。小さめの鉢に松や観葉植物を植え、石や人形を配置したものが売られているのだ。よく見ると、日本と中国をごちゃ混ぜにしたようなミニ盆栽が多い。ミニ中国人形と、石庭が一緒になり、鳥居があったり、番傘があったり、仙人がいたりする。楽しいなぁ〜。

の洋服をディスプレイしている店に立ち寄ったら、おおっ、ここはメルヘンの国かい?と思ってしまった。一面に並んだ新製品は、今年の流行であるフリルやレースを使ったスカートやトップ、花柄のふんわりしたカットソーなどだ。なんともかわいい。でもちょっと甘すぎるかも。

ころでアメリカの流行は日本と同じなのだろうか?ふと気になってしまう。いまや日本のファッションは目まぐるしすぎて、すでに私の手の届かない所へ行ってしまった。帰国時は周りの視線に怯えてしまう。しばらく前から止まったままの私の服装は「みて〜あの人の服!最悪〜」とか囁かれてはいないだろうか?そんな心配をしている私を自意識過剰だという夫は、きっと女性のチェックの厳しさを知らないのだ。


June 8, 2002

準的な日本人の体形の人でも、アメリカに来るととても小さく感じる。縦にも横にもアメリカ人は大きい。となると、私の悩みは一つ。洋服を選ぶ選択肢が少ない事だ。

はアメリカ人と比べて薄い。メリハリボディではない。手足が短い。つまり、私はこの国では子供っぽい体形の人なのだ。こうなると、ちょっと素敵な洋服を見かけてもピッタリのサイズがなかったり、格好いいラインのパンツを見かけても裾が長かったりする。笑ってしまうのが、「ブーツカットのはずなのにストレートになってしまう」現象だ。フレアの部分が長くて、丈を詰めたがために起こる悲劇である。

々、私は家族のために選んでいる振りをしながら子供用や女の子用のコーナーにて商品を物色している。洋服売り場の一角にある鏡の前で、それらの小さい洋服を体に当ててみる。子供用のトレーナーが、ジャストフィットの予感である。でもまわりに誰かがいるとちょっと恥ずかしい。

は今日も、売れ残ったセール品の中から子供用Tシャツを一枚購入した。$6.99というお得な値段に購買意欲が高まって、つい衝動買いしてしまったのだ。子供用の衣料品は、どちらかというと消耗品なので、大人用よりもかなり安い。子供用なのに私には十分の大きさで、けっこうお気に入りな一枚になりそうだ。


June 7, 2002

事現場の騒音のために図書館へ避難する日々が続いている。今日は長居するつもりで週末に出た大量の宿題を持ち込んだ。図書館の雰囲気は「勉強しなさい」とばかりに静まり返っているので、めんどうな作業でも集中できるのが良い。ドリルの音の中では得られない、作業効率だと思う。

生で1番勉強していた(気がする)高校時代、放課後に図書館へ通うのが私の日課だった。家で勉強するのは、TVやマンガやお菓子などの誘惑が多いので、意志の弱い私には向かなかったのだ。ふとそんな昔のことを思い出すが、きっとその頃の私の方が英語力(特に単語量と文法の理解度)が高いのだろう。ハァ〜、でもそれが現実。

っと読み進めていた「指輪物語」もようやく最終の第9巻に突入した。分厚い単行本を短期間で9冊も読破するというのは、さすがに疲れる。それでも一気に読み切りたい衝動のほうが強く、止められない。このところ、物語が終盤に差し掛かってからというもの、1日に4時間以上は読んでいる。恐ろしい指輪の魔力・・・(笑)。

のごろ、我が夫は会社関係のお付き合いが混んでいる。今夜も日本への帰国が決まった同僚を囲んで食事に行っている。私も今日は食事を作らなくても良いので、お出かけでもしようかと思いつつ、やめておいた。彼は日曜日に、ゴルフなる集会に参加することになっているので、どうせならその日にしようと思い直したからだ。

曜日にはミュージカルのマチネ公演があるし・・・。駅前の駐車場も休日は無料だし・・・。ささやかなお得がいっぱいの日曜日なのだ。サッカーの日本戦を観て、天気がよければお出かけしよう。せっかくの休日を退屈なまま過ごすのにはもったいなさ過ぎるような、良い季節なのである。


June 6, 2002

校の帰り、激しい雷雨に遭った。まいったなぁと思いながら、家路に着く。しかし、こんな悪天候の日。やはり、ハイウェイで交通事故があったようだった。いつもの入り口から合流地点に入ろうとして前方を確認すると、本線はひどい渋滞だったのだ。

光掲示板には、1マイル先にて事故処理が行われており、左の車線が封鎖されているが表示されていた。矢のように降り注ぐ雨と、稲光で時々空が白く光るのがあいまって、不意に不安になる。しかも、この渋滞はなかなか抜けられそうになかった。

ばらく先に、パトカーの光が見え始めた。そこまではまだ500mほどありそうだった。車の列は3列から2列になり、割り込みと合流とでまったく先に進まない。怒り狂った後方の人がクラクションを鳴らしてくる。そして、驚いたことに車線は2列から1列になった。ちっとも進まないわけだ。

故現場の横を通り過ぎる時、消防士が10人ほどいて、作業をしているようだった。車道には3車線を斜めに塞ぐように消防車とパトカーが数台止まっていて、ボロボロに壊れた車が2台見えた。もう1台はレッカー車に牽引されていた。の到着を待っているようだった。視界が悪く、玉突き事故を起こし、壁に激突したようだ。消防車がいるところを見ると、炎上したらしい。

線が全て封鎖されていたため、路肩を1列になってノロノロと走るしかなかった。ようやくの思いで渋滞を抜ける頃、雨はさらに激しくなっていた。こんな日は早く帰りたい。


June 5, 2002

が家の裏の空き地に家を建てているようだ。朝から夕方までひっきりなしに削岩機の音がする。地下室用に地面を掘っているのだ。1秒に4回のリズムで、延々と続くドリルの破壊音に耐え切れず、私は耳栓をした。しかし耳栓の向こうから聞こえ続ける騒音に、2時間後には発狂寸前になる。

りあえず気分転換に掃除を始める。自分も音を立てて、気分を紛らわすという作戦だ。それでもドリルの音が耳に突き刺さる。もちろん掃除が終わっても休み無く続くようだった。もう、私に残された道は一つしかない。家からの脱出だ。

っそく身支度をして図書館へと向かう。インターネットか、宿題か、読書か(ずっと読んでいる「指輪物語」もようやく第8巻目に突入したので)何をしようにもこちらの方が快適だった。空調の効いた新しい建物の中は明るい自然光が入る大きな窓で、コンピューターも豊富に並び、読書室には皮製の肘掛け椅子とオットマン(足載せ用の台)がいくつか並んでいる。このちょっと高級な図書館を、私は非常に気に入っている。

からお目当てだったCDがようやく返却されていたので、まずそれを借りてから、読書をすることにした。皮製の肘掛椅子は競争率が高いので、空席を見つけてすぐに着席した。時間を忘れてしまって爆睡しているおじさんがいたり、ちょっとそこまで・・・というスタイル(Tシャツと短パンにビーチサンダル)で新聞を読んでいるおじさんがいたり。みんな思い思いの時間をリラックスして過ごしている。

のような東洋人の女子(笑)がおじさんに混ざって皮椅子に座り、くつろいだ様子で読書しているのは珍しいのか、空席を探す人たちが意外そうな表情で通り過ぎてゆく。いいじゃない?私だってここの住人なんだから。臆することは無い。

腹が空いてきたので図書館のカフェテリアに行ってコーヒーを飲んだ。今日のお茶菓子は自宅からの持ち込みである。図書館内は飲食禁止なのだが、このカフェテリアだけは例外である。ここは図書館の職員達の食堂を兼ねているようだ。

フェテリアの一角に、図書館の蔵書を売るコーナーがある。基本的に貸し出し後の古本なので、掘り出し物を探すと楽しい。ハードカバーは50¢、単行本は25¢という価格設定も魅力の一つなのだ。先日、殆ど誰からも借りられずに、新しいままお蔵入りとなった植物図鑑を買ったので、今日も何かお宝は無いかとチェックする。ラッキーな事に、前から買おうと思っていたアメリカの栄養所要量一覧表を見つけたので、すぐ購入した。コンディションもとても良い1冊で、大満足である。

い物をして家に帰ると、ドリルはずっと続いていた。現場をチラッと覗いたが、朝と比べてもまだまだ掘り進む様子なのでウンザリしてしまった。明日も図書館に逃げ込むか・・・。


June 4, 2002

ッカーの試合は早朝の5時からだった。私は二度寝してしまったので、結局録画で見た。(わが夫は頑張って起きていた。)テレビに映る日本人選手を見て、何でみんな髪が茶色(白?金色?)なの?と思った。よその国からは、日本って不思議なチームに思われてそう。チャラチャラして〜と思う私は、もしかしておばさん!?でも、黒い髪の選手がサントス選手と丸坊主の小野選手以外いないではないか!どこの民族だよ〜!?

日の授業で、Readingの小説(昨日の日記参照)の続きを考えるという作文があった。私はこのハッピーエンドではない話に何らかの希望が残るようにしたかったのだが、あまり上手く表現できなかった。複数の人物の抱く思いを、一つのまとまった結末にするのは難しい。一つを選べば誰かが不幸せになってしまいそうだから。

は「結局祖父は老人ホームに送られてしまい、父は再婚し、少年は新しい家庭で強く育ってゆく」という設定で続きを書いた。願わくば、少年が祖父を訪ね続けて、再婚相手の若い女性は家族愛や優しさを学んで欲しい・・・と思ったままに。所定の30分はあっという間で、未完に終わってしまったのが悔やまれる。この小説の続きは、人によって全く違った。クラスの半分は「祖父は老人ホームへ行く」と言い、もう半分は「同居する」とか「父の再婚は失敗する」とかいった考えを持っているようだった。

業の後でメキシコからきたクラスメイトと立ち話をした。私はクラスメイトの名前を覚えるのが非常に苦手である。耳で聞こえてきた名前も、文字で書くと全然違う名前だったり、発音も(ESLの学生は特に)人によって異なるし・・・誰が誰かなんて、学期が終わる頃だって分からないかもしれない。

前をはっきり知らない相手でも、話ははずむ。しかし、はずむほどに「名前を教えて」と聞き出すきっかけは遠ざかってゆくように思う。名前が分からないままに15分ほど過ぎた頃、相手が先に「なんていう名前だったっけ?」と聞いてくれた。なんだ、お互い名前を分かっていなかったのか。


June 3, 2002

夏のコミカレの授業は、夜の6時から8時45分までである。お腹が空く時間帯なので、授業中に何かしら食べている人が多い。練習問題を解いているシーンとした空間に、お腹の音が教室のどこからともなく聞こえる。授業中にお腹の音が鳴ると、ちょっと恥ずかしい。これはどうやら世界共通のようだ。

て、先週の宿題だったReadingの小説(の一部)を読んだ。まったく知らなかった単語と、7割は理解しているけれど再確認したい単語と、熟語や言い回しをチェックしていたら、最終的にノート4ページ分の行を埋め尽くすほどになってしまった。繰り返し学習が功を奏すると良いのだが。

寂しいけれど、心に残る物語だった。

少年と父と祖父の男3世代が同居していた。父が再婚する予定の女性はまだ若く、祖父との同居を拒んでいた。彼女は年老いた祖父のことを厄介者と見なしていたからだ。父は彼女のご機嫌取りの為に、祖父を老人ホームへ入居させる事にした。少年はそれが信じられずにいた。しかし、祖父との別れの前夜、父が祖父の為に買ってきたブランケットを見て、本当に祖父が老人ホームに入れられてしまうことを悟るのだった。

そのブランケットはダブルサイズで、上等なものだった。父は本当は祖父に申し訳ないと思っているし(しかし彼女の愛を失いたくないから)、これからやって来る冬に、老人ホームでも暖かく過ごせるようにとそのブランケットを贈ることにしたのだ。

祖父は自分の境遇を前向きに従えようとしていた。本当は老人ホームになど入りたくはないのだが、息子と若い婚約者が結婚し、新しい暮らしを始めるのに自分が邪魔者になることよりは、自分が家を去ることを選ぼうとしているのだった。少年は祖父が好きだし、婚約者に溺愛している父を見て、それを悲しく思っていた。

別れの前夜、ベランダで過ごす少年と祖父の前に、父とその婚約者がやってきた。彼女は祖父に別れの挨拶をしに来たのだ。そこで祖父は彼女に、自分の息子から贈られたブランケットを見せる。上等なこのブランケットを持って、年寄りはこの家から立ち去るよと彼女に告げた。すると、彼女はそのブランケットを見て、「こんな上等なブランケットは、さぞお高かったんでしょうね」と高価なものを祖父に与えようとした父を責めるのであった。父は、自分の父に不憫な思いをさせたくなかったのだと告白するが、彼女はそれを聞いて激昂し、走り去って行こうとした。

その様子を見ていた少年は、彼女を呼びとめて叫んだ。「おじいちゃんにはこんなブランケットは必要ないよ!」。その一言に、全員が少年の方に注目し、婚約者もベランダへ戻ってきた。

少年は、家の中からハサミを持ち出すと、父に差し出して言った。「このブランケットはダブルだから、おじいちゃんには半分でいいよ。残りの半分は、いつか役に立つ日が来るから。さあ、早く半分に切ってよ!」父はその言葉の意味をよく理解できず、それはどういうことなのかと少年に尋ねた。少年は言った。「もう半分のブランケットは、いつかパパを老人ホームに入れる日が来たら、僕からパパに贈るから。」

沈黙の後、祖父は「悪気が無い事は知っているさ」と父に言うのだった。少年は泣いた。そして、父も、祖父もそのまま立ち尽くして泣いた・・・。


いう物語である。なかなか切なくて、グッと来るお話である。


June 2, 2002

iyamuご愛用のスーパーマーケットSTOP&SHOPでは、会計にAMEXが使えなかったのだが、どうやら先月末よりそれが解消したようだ。AMEX、正しくは「アメリカン・エクスプレス」という名前のくせに、アメリカでこのカードが使えない店があるというのは驚きだ。

うやらAMEXは小売店にかかる手数料が高いのか(?)ディスカウント系のお店などでは時々使えない店があるのだ。しかしAMEXはメジャーなクレジットカードだし、それが使えないとなるとお客からは不満の声があがる。もしかするとSTOP&SHOPはお客の要望に応えたのかもしれない。

ールドカップは続いている。我が家のケーブルTVのチャンネルでは、2種類の生中継が見られることが分かった。1つはアメリカ人向けの放送で、もう1つはスペイン語チャンネルの放送だ。NY周辺には中南米出身のヒスパニック系の人口も多いので、テレビにもしっかりスペイン語チャンネルがあるのだ。実際この辺りでは、スペイン語は巷では英語の次に耳にする言語だ。まさに英語が出来なくたって生きてゆけそうな、便利な環境。

ペイン語圏である中南米出身の人々はサッカー好きである。こちらで知り合った私のクラスメイト達も、スポーツといえばまずサッカーだという。サッカーは最もエキサイティングで、熱いスポーツなのだそうだ。アメリカで1番ワールドカップに盛り上がっているのは、もしかしたらアメリカ人ではないのかもしれない。日本人の私たちも、その1人なのかも・・・。

間に録画のサッカー中継を見た。スペイン語の放送だったので、実況は中南米諸国に味方しているかのようだった。この実況、得点が入ったときの興奮っぷりがものすごくて、笑ってしまった。
「ゴーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(約15秒)ル!」
って、長すぎる。途中でチャンネルを合わせた人は、一体何の音かと思ってしまうだろう。その上、
「ゴールゴールゴールゴールゴーーーールッ!」と続くのだから、クドイッ。ほんとに熱い人達だ。
もしかすると日本の実況も、自国の得点のときはこんな風になってしまうのかもしれないね。



June 1,  2002

Yヤンキース対ボストンレッドソックスの試合に行った。午後1時、晴天の球場はとても暑かった。幸い1塁側の「万年日陰シート」だった為に、日射病と日焼けから免れたという感じ。こんな日には球場の高いビールでもよく売れる。メモリアルデーが過ぎ、本格的に夏がやってきた!

ールドカップを全試合TVで見られると昨日書いたのだが、見られるとは簡単に言ったものの、日本とNYとは時差が13時間ある。この時差は大きい。日本の午後に行う試合はこちらでは深夜早朝や、よくても午前中になってしまう。日本対ベルギーの試合も、朝の4:30からだって・・・生中継で見たくても、これはさすがに起きられない。日本の方は、盛り上がっているのだろうか。

ッカーと聞いて私が思い出すのは「キャプテン翼」である。アニメ化もしていたし、知名度も高いと思う。このマンガに出てくるキャラは、突っ込みどころ満載のスーパープレイをするのだが、それでも昔は素直に楽しく見ていた。よく弟と「翼君ごっこ」をしたものだ。布団の上でオーバーヘッドキックの真似をして、ビーチボールを蹴っ飛ばしていたら、隣の部屋から父に「うるさいっ!」と怒鳴られたしね・・・懐かしいわ。

つて高校生の頃、サッカー部にいた同級生がこの「翼君」を全巻貸してくれたので、私と弟は真面目に読みふけったものだ。この話の主人公の翼君も、ライバルの日向君も超人的なプレーヤーなのだが、それにしたって「顔面ブロック」という持ち技1つで日本代表にまで選ばれてしまう石崎君(お笑い担当、ニックネームは「ファンキー・ガッツマン」って・・・)もかなりすごいよね。・・・って、かなりマニアックで分からない話を書いてしまって、ゴメンナサイ。



                          Back Numbers ★過去の徒然日記。





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送