ABOUT English
英語で日常生活記録

 英語耳になりたい 

「な
がら聞き」という言葉が正式にあるのかは定かではないが、「○○しながら聞き取れる」という意味なのだろう。私は生まれたときから耳に入る言語はすべて日本語だったし、料理をしながらでも電話が出来る。これぞ「ながら聞き」である。たとえ何かほかの事をしていても、耳に入ってくる音の意味を、瞬間的に理解できるということだ。

が日本語を「ながら聞き」できる理由は、日本語の意味を十分理解しているし、日本語の音に耳が慣れているからだと思う。生まれ育った生活の中で、だんだんそういう耳が作られてきたのだと言える。



が日本に帰った時になんだかホッとするのは、自分の国に帰ってきたという安心感はもちろんだが、なにより「耳がなに不自由なく聞いている」からなのだろう。降り立った空港から、駅、乗り物の中など、様々な所で放送される案内を聞き漏らす事は無いし、大切な情報も当たり前のようにすんなりと耳に入ってくる。

もそもこの「当たり前さ」に気が付き、それが素晴らしい事なのだと思えるようになったのは、自分が英語を聞き取ることに不自由を感じているからに他ならない。私は英語の音を拾う能力が弱く、理解するだけの知識も足りない。英語に関していうと「ながら聞き」とはほど遠い。



「英語と日本語の音は周波数が違う」とは確かに実証されているそうだ。だからといってそれが、英語が聞き取れない原因かというのはちょっと違うのではないかと思う。というのは、英語に限らず、世界には様々な言語があるのだし、周波数が日本語に限りなく近かろうと、意味のわからない言語を聞いたところで聞き取れるわけも無いと思ったからだ。

ういえばTVで外国人が話している英語を耳にして、「これ何語?」とすっかりお手上げ状態だった自分を思いだす。そしてしばらく聞いているうちに、自分の知っている単語が聞き取れたりして「ああ、英語だった」とようやく理解するのだ。英語の耳を作るには、日本語の環境で知らない間に知っていた母国語のように「慣れる」しかないのだ。

れるなんて、言ってみたところで簡単ではないのは分かっている。でも、先ほどの話でTVの音が英語だと分かったのは、知っている単語の音が聞き取れたからである。その音は、きっと「love」とか「restaurant」とか、耳に慣れた音だったに違いない。日本でもよく耳にする英単語は、聞き取りやすいのだ。慣れるというのは、そういうことだと思う。私がイタリア語とフランス語を聞いて、どこの言語が区別がつかないのは聞き取れる単語すらないからだ。



語を聞き取れる耳になるには、努力が必要だと思う。ここで私は単純に、「英語の音に慣れる」ということだけに焦点を絞ってみようと思う。(仮に聞き取れるところまで行っても、意味を理解できるかどうかは別問題だし、話せるかといったらこれも別だから。)私が実際に英語の音に慣れてゆく過程の中で感じたことを紹介しようと思う。


「聞く」と「聴く」では種類が違う
私が英語を「聴く」時は、日本語を使って友達と話をしている時の「聞く」とは違っている。英語のときは、ものすごく集中して聞いているのだ。耳から入ってくる音すべてを拾うように、神経をじっと耳に集中させて「聴く」。それに対しておしゃべりの時は、集中しなくても「聞こえて」くるのだ(日本語に慣れているから)。そのため、英語のときは「聴く」のに必死で、日本語の時は「聞くと同時に次のセリフも考えられる」という状態になる。

英語はBGMと一緒?
日本の映画館で洋画を観ると、視覚がフル稼働で働く。巨大スクリーンと日本語字幕を追うので精一杯になってしまうからだ。そうすると、英語のセリフはBGMの一部となってしまう。「俳優の声色」だけが、理解できる唯一の手がかりで、あとはただの「声」として耳を通り過ぎてゆくだけだ。それでは、字幕が無かったらどうか?目はスクリーンを、耳は必死になって英語をと、それぞれの役を全うすべく働き出す。しかも英語が聞き取れない耳の働きを助けようと、目がスクリーンの様子をしっかりと見て、状況を把握しようとするのだ。(それでも分からなさ過ぎて悲しくなる事も・・・集中しすぎて、疲れ損。)

日本語でも、耳を酷使する時
実は、日本語を聞くときでも耳に神経を集中させる時がある。誰にでも経験があると思うが、騒々しい場所で会話をする時や、うるさい場所で自分の名前が呼び出されるときなどはじっと耳を澄ます。聞き漏らす事の無いように、しっかりと聞き入る体制になるのだ。この集中した状態こそ、私が英語を聞くときの耳の状態なのである。

意外な効果の発見
耳を英語に集中していたら、思わぬ効果が現れたことに気がついた。それは何故か、日本語も良く聞き取れるようになったという事だ。不思議な事に、邦楽を聴いている時に今まで分からなかった歌詞が「ああ、この部分はこう言っていたのねー」と聞こえるようになったのだ。どういう訳か・・・。



後に、「完璧に英語を聞き取れる耳を持っている人などいない」と、付け足しておきたい。日本語にも英語にも共通して言えることだが、100人いれば100通りの声、話し方があるのだ。それに方言もあるし、聞き取りにくい話し方をする人もいることを忘れてはならない。完璧さを求めない方が、柔軟になれることもある。

れでも私の耳は50%も聞き取れないような現状だと自覚している。
近頃の英語教材についているCDテキストや、ニュースで聞く英語は、非常に聞きやすく美しいと思うので耳慣らしの第一歩としておすすめである。









 
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