ABOUT English
英語で日常生活記録

 英語ペラペラってなんじゃ〜? 

メリカに住むと決まってから、会う人会う人に「じゃあ帰ってくる頃には英語ペラペラだねっ」と言われ続けた。

メリカに住み始めてからたまに日本に帰ると、会う人会う人に「英語ペラペラになったでしょ?」と言われ続けている。

メリカから帰ったあかつきには、会う人会う人に「いいね〜もう英語ペラペラなんでしょ?」と言われ続けるのであろう・・・。



は今、縁あってアメリカで生活をしている。普通に生活をしているという事は、普通に英語を話せるという事ではない。当然ながら英語の壁は分厚くて硬い。今はその壁を、小さなスプーンでカリカリと削っているような状況だと思う。

語の羅列とボディランゲージで何とか通じさせる事は出来る。海外旅行ならばそれだけ出来れば上等だろうし、「通じたー!」と素直に喜べるはずだ。嬉しくて楽しい事をすくい取って、短い滞在は終わるだろう。ところが同じ場所でしばらく生活をしていると、理不尽で不自由で苦い思いも体験してしまう。それらの原因となるのは、やはり言語の不自由さなのである。



国で暮らす時には意識すらしなかった当たり前のことを、まんまと失敗してしまう。簡単な事もなかなか出来ない。言いたい事が上手く言えないし、なかなか通じない。何か言おうと試みているのに、あからさまに馬鹿にされて、話すら聞いてもらえない事もある・・・。

会話学校の先生達は優しい。彼らは英語を教える事が仕事であり、英語が下手な人との会話に慣れているからだ。話し方も生徒に合わせてくれるし、私たちが訳の分からないことを言ったとしても意味を汲み取ろうと働きかけてくれる。しかしそこから一歩外に出てしまうと、残念ながら、教室で出来た通りにはいかない事が多い。


「こんちくしょーッ!」(失礼!)という思いを今まで何度も経験した。その都度胸につかえる苦しさを、深呼吸して吐き出してきた。時々コテンパンに打ちのめされて、情けなくて悔しくて、やり場の無い感情を飲み下す。次へ次へ、前へ前へという姿勢だけを持ち続けるのは勇気がいる。



然、私も「英語ペラペラ?」と言われると「イテ・・・」となる。そもそもペラペラって、何だ?日本語と同様に操れるということを指しているのだろうか。アメリカ人の友達と楽しくおしゃべりをするような雰囲気のことだろうか。(ってまず、アメリカ人の友達がいないのだが・・・)

は日本で海外とは無縁の生活をしていた頃に、「1年も住めば英語ペラペラになるでしょ」と無責任なことを本気で信じていた。現実を何も知らなかった。甘かった。もし実際にそんな人がいるのだとしたら、とてつもない努力家か、日本とは無縁の生活をして、鍛えられた意志の強い人だろう。

語を勉強して、確かに以前と比べれば少しは上達したと思う。その程度の変化でも、昔の無知な私から言わせれば「英語出来てカッコイイ人」に見えるのかもしれない。「英語は何にも分からない」という人から見れば、少しでも英語が出来る人は「すごい人」だろうし、もしかしたら「英語ペラペラ」に見えるのかもしれない。蓋を開けてみれば、現地で「ハァ〜?」としかめっ面で覗き込まれるように、冷たくあしらわれているとしても。

のギャップをじっくりと思い知った。私が英語コンプレックスを抱いていた証拠だ。



在期間が長くなるほど、「英語ペラペラ?」は聞かれたくない一言になってゆくので厄介だ。たとえ10年住んだって、ネイティブ英語には程遠いのが現状だからだ。笑ってごまかすしかない。仕事で英語を使っているとしても、ネイティブ英語との距離は計り知れないという。まして主婦生活の中でだったら、片言の英語しか話せないままかもしれない。

には努力なんてするだけ無駄と、割り切って暮らしを楽しんでいる人たちもいる。実際マンハッタンやその近郊には場所柄か日本人が多く住んでいる。そういう地域には日本人を相手にしたサービスや商売が充実しているので、日本語だけでも生活できてしまうのだ。英語のストレスが限りなく少ない快適な暮らしだって不可能ではないのだ。

本語を話す国は、世界では日本だけ(あと人気リゾート地)、これは紛れも無い事実だ。もし英語を話せれば、共通の公用語を持つ国々へ行っても不自由は少ないだろう。日本語を話せても、日本以外の国では通じないのとは対照的だ。



本で友達と自由気ままに会話していたように、いつかは英語を操れるようになりたいものだ。時々そういう「他愛も無いおしゃべり」が恋しくなる。

「英語ペラペラになった?」と聞かれたら、私はとりあえず「野垂れ死にしない程度には出来てるみたいよ」と答えている。だってそれが本当のことだから。








 
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