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PrivateLesson
  
日本で外国人への免疫をつけるのだ!

英会話学校を上手く使うコツ

「英
語が出来るなんて、すごいよね。」
「外人さんってスタイルいいよね〜足長いし。」
「あ〜、字幕無しで映画が分かったらねぇ。」
「ハッ、あの人電車で洋書読んでる!(心の声)」

が長年こんな事ばかりを思い続けて、典型的な鎖国人間として生きていたことはPrivate Lessonの初めの方で書いた。私は海外旅行にことごとく縁が無く、外国人がいると1人で緊張してしまって、日々の生活自体にも外国との接点は何一つ無かった。街で見かける西洋人は何故かみんな格好よく見えていたし、おまけに英語が出来る人を尊敬とちょっとヒガミの入り混じった眼差しで見つめていた。

日本はきっと英語無しでも生きてゆける国だけど・・・。



る日そんな私にも英語を始めるキッカケはやってきた。アメリカへの引越しは決まってしまったから、後は残された時間でどこまで出来るか・・・それだけだった。「この私が外国人と会話する?しかも英語!?・・・無理っぽい・・・。」しかし、なんとかして外国人に慣れなければいけないことは分かっていた。とにかく、英会話学校に行こうと決めた時、私はそういった流れを受け入れるような形で現実と向き合ったのだ。

えばこれが最初の分かれ道だったように思う。もしも私が何か他のきっかけや夢の為に俄然やる気をかき立てられて、自分から進んで英語を習う決心をしたのだったら、その地点で精神的に前向きな分ずっとリードしていただろう。自分から始めたという勇気があれば、知らない世界に飛び込んだ後だって伸びやすい。英会話学校に通うのならば、レッスンに向き合う気持ち1つでその人の上達はまるで違ってくる。前向きさがあるのならば何よりのことである。

年もの時間が経った今、私はこの頃の自分を振り返っている。そして、その頃にまるで気付いていなかった事や失敗した事をいろいろと思い出した。できることなら過去の自分にアドバイスをしてあげたいと思うほど、私は不器用だった。もっと上手にレッスンを受けたり、もっと上手に肩の力を抜く方法を知っていればよかったけれど、それでも当時は自分なりの一生懸命だった。

自発的に英会話を習おうと思うことが、とても大事なのだ。



ッスン中に、外国人の先生に対して石化してはいけない。あまりにも緊張してしまうならば、こうやって考えてみよう。日本に来て英語を教えている外国人講師たちは、生徒たちが英語を話せないから習いに来ていることも、外国人慣れしていないシャイな日本人の性格も知っているのだ。さらに素晴らしいことに、先生の話すスピードはゆっくりだし、日本語発音の英語にだって耳が慣れてくれている。何より英会話学校はサービス業、無愛想でせっかちな先生なんてこっちからお断り。

(注:上で述べた事は、お金を払って習う以上はこうであって当たり前だろうと思うことで、中には英語が出来ないことを馬鹿にしたような態度をとる先生だとか、教え方が下手だとか、英語が訛っているとか言っている事が早すぎるとか、ノービザでバイト感覚の先生がいる違法な学校とか、そういった事も多々ある。今日なら○○でお得だとか、そういう売り方をする学校は疑わしい。せっかくのレッスンだから、ワガママにじっくりと選びたい。)

徒たちは、英会話学校で思いのほか上手くコミュニケーションが取れると嬉しいし、だんだん気持ちが前向きになって自信もついてくる。そうなってくれば、その人は有効に英会話学校に通えていると思ってよい。ここまでの変化の段階では、大抵の場合、実は始める前とボキャブラリーの豊かさや文法力は変わっていなかったりする。それでも口から英語が出てくるようになるという変化は素晴らしい。

語の上達に最も必要な心の変化は、ゆっくりと作られて行く。残念ながら私の場合、英語の実力そのものはほとんど上達しないままレッスンを終える日がきてしまったけれど、それでも当時の先生とはとても親しくなれたし、外国人に心を閉ざしていた私が彼らに対して積極的になれそうな気持ちになりつつあったのだから、変化は大きかった。

初級から脱出するには、はっきり言って心の変化のみでいいんだ!



は英会話学校に数ヶ月間通ったけれど、最初はその良さを半分も分からないままレッスンを消化していた。その間、なかなか居心地のよさを感じられず、いつも飛び入りのゲストであるかのように緊張していた。もっとリラックスした気持ちで授業に参加できればよかったのに、変にカッコつけたり、変に恥ずかしがる気持ちが心を開きにくくしていたのだ。

国人や耳慣れない言語でのレッスンに緊張するのは当然で、これは自然な心理状態だ。それでも英会話学校の門をくぐったら、この際上手く出来ないことへのバツの悪さや劣等感を一切捨てるべきなのだろう。

会話学校に行くと、思い通りに出来ない自分に苛立ちや恥ずかしさを感じたりすることがある。レベルの高い古株の人や、さも楽しげに外国人の先生と会話にいそしむ生徒たちが目に付くと、彼らが特別であるかのように引け目を感じてしまうこともある。(時々そういう優越感に浸っている勘違いな人もいるのだが。)

んな事があっても、決して周りを気にすることはない。これは言うほど簡単ではないとは分かっているけれど、自分は英語が出来ないから習いに来たのだという大前提を、いつも忘れてはいけない。自分は英語が出来ないから、英語を習う為に授業を買って「自分に投資している」のだと、傲慢にならない程度に生徒の権利を主張する気持ちは必要だ。堂々としていたらいいじゃない?その場の雰囲気に負けるなっ!

出来る人にだって、出来ない時期があったのだから。




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