miyamu's
DAY BY DAY

アメリカ徒然日記
アメリカ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。

August2003 back numbers ★過去の徒然日記
Aug 31, 2003

日は9月の第1月曜日、Labor Dayの休日である。アメリカではこの日を境に秋が来たことになるらしい。まだまだ暑い日が続いていると思いきや、日中でも日陰や風がある場所ではもう随分と涼しくなってきている。夜になれば寒いくらいで、遅くまで出かける日には長袖を1枚持っていったほうが良いくらいだ。青空の色も空気の味も、なんとなく秋を感じる。

路樹が色付く頃になると、この辺りでは頻繁に見かける光景の1つに落ち葉の掃除がある。木々の本数から考えれば当たり前のことながら、全ての広葉樹から葉が落ちるのだから、掃除屋も大忙しのシーズンになる。この落ち葉の掃除には欠かせないアイテムは「落ち葉を吹き飛ばすマシーン」で、いつも決まって家の中まで響き渡る機械の騒音に悩まされるのだ。

れにしても、掃除機がゴミを吸引するのに対して、まったく逆の発想から生まれた機械なのではないかと思う。原理はいたって単純で、ホースからブーンと勢いよく風が吹き出すので、散らかった落ち葉が再び舞い上がってブワッと飛び散る。それだけだ。私はこの掃除方法には疑問を感じるのだが・・・だって、落ち葉を吹き飛ばしているだけで拾っているわけではないのだから、一時的には片付いたように見えても結局は何の解決にもなっていないような気がするし・・・。落ち葉は腐葉土になるし、まあいいか・・・ということなのだろうか。


Aug 29, 2003

Vガイドを見たら、ちょうど映画「BLACK RAIN」が始まったところだった。BLACK RAINって、あのブラックレインかなと気になってしばらく見ていたら、やっぱり。あの日本を舞台にした犯罪アクション映画のブラック・レインだった。出かける間際だったのにも関わらず、久し振りだなぁと思いながら見ていたら、けっこう真面目に引き込まれてしまった。というか、ツッコミどころ満載のストーリー展開と誤解されている日本文化に釘付け!という感じである。しかしなんといっても高倉健が、渋いっ!

頭からしてすごい。NYのとあるレストランでマイケル・ダグラスとアンディ・ガルシア演じるNY市警の二人が「飯でも食うか」という所に、怪しい黒ずくめの日本人(松田優作)が不気味に登場し、いきなりレストランにいた日本人の男たちを殺してしまうのだ。その時の日本語の会話にはなぜか英語字幕が出ないのだが、(つまりアメリカ人には何を言っているのかわからないはずなのだが)「こんなことして親分が黙っていると思うなよ」というようなセリフがあった。それって「組長」じゃないのか?「YAKUZA」とか言っていたし。「親分」なんていうと、なんだか時代劇みたい・・・。

してNYから犯人の松田優作を日本へ護送する命を受けて、ダグラスとガルシアが日本入りする。その前のシーンで「GEISHA遊びでもしてこいや」と、こんなセリフが普通に登場し、またしても気になるのであった。中盤でガルシアが暴走族を率いる松田優作に討たれてしまうのだが、ここで登場した武器はぎらぎら光る日本刀である。うーん、バイクが乗りにくそうだ。

ころで、犯人役を演じる松田優作にとってはこの映画が最後の作品になってしまったそうだが、悪役でもすごい存在感がある。パートナーを殺され、復讐に燃えるダグラスとの対決もいい。ちなみに高倉健はNYから来た警察官の2人につきそう大阪府警の敏腕デカという役どころである。ダグラスと高倉健のほのかな男の友情が芽生える辺り、私好みのいい味を出している。(私は渋いおじさまに弱かったりする。)そんな訳で、結局最後まで見てしまった。



Aug 28, 2003

中の暑さが落ち着いてくる夕方になると、近所の子供達が道端で遊び始める。いきなり道路に子供が飛び出してきたり、目の前をスケボーで転倒したりするので、彼らの近くを車で通る時には気をつけなくてはいけない。でも中にはいたずら好きの子供もいて、私が車で徐行しているのを知っての上で車の側にフラフラ近寄ってきて、転んだフリをするのだ。そして残りの仲間たちがニヤニヤ笑っている。こっちはヒヤッとさせられるのに、当たり屋のマネごとは。まったく不届き者のクソガキ・・・もとい、ご子息連中である。

日はドライブがてら、NJ州に住む友人の家を訪ねた。その帰りに前を通ったグラウンドの芝に、無数のグースが草を食べているのが見えた。グース隊を愛する私としては、思わず脇見運転してしまう。と、その群れの中に1羽だけ明らかに種類が違う鳥が混ざっているのが目に付いた。黒っぽい体のグースの中で、白い体がひときわ目立っていたのだ。きっと自分の群からはぐれてしまった鳥だろう。もしかしたらあの鳥は自分もグースだと思っているのかもしれないけれど。

ういえば私が子供の頃に見ていたアニメで「ニルスの不思議な旅」というのがあった。その物語の中ではグース隊の中に混ざってアヒルが1羽、一緒に冒険の旅をしているのだ。(ちなみにニルスというのは小人にされてしまった少年で、彼もアヒルに乗って旅に出るのである。)ついそんな大昔の思い出が蘇ってしまった。ニルス、懐かしいなぁ。知っている人いるかしら・・・?


Aug 27, 2003

夜は近所のイタリアンレストランにて食事をした。夫の職場に出張で来ている人たちが、「wifeとbabyにも声をかけてみたら?」と親切に誘ってくれたのだ。普段このような会合に私まで顔を出すことは滅多にないけれど、仕事というよりはプライベートでの食事のようだったので、私もこのありがたいお誘いに喜んで出かけることにした。メンバーは夫と私(とminimu)、それに仕事で来ている女性が2人である。そのうちの1人は日本人で、もう1人はアメリカ人だった。

や〜・・・本当に久し振りに英語で会話らしいものをしたような気がする。普段の私の狭い行動範囲では、英語での挨拶やちょっとしたスモール・トークは有っても「会話」と呼べるような長い言葉のやり取りはほとんどないのだ。最初こそ少し緊張したけれど、相手が聞き上手だったことに救われた。1人でも日本語が分からない人がいれば、日本人同士でも英語を使って会話するのがマナーなのだ。

れにしても、日本人同士で英語を話すのは何故か気恥ずかしい。当たり前のことながら、私と夫の日常会話は完全に日本語のみである。夫がどう思っているのかは分からないけれど、少なくとも私は夫の前で英語を話すことを心のどこかで照れくさいと感じてしまうし、相手が誰であれ日本語を話す日本人同士なのに英語を使って会話をすることにぎこちなさを感じてしまうのだ。しかしながら今回ご一緒した日本人の方はパートナーがアメリカ人なので、彼女の英語はスムーズだし、結局勝手に恥ずかしがっていたのは“夫に対して”だけなのかもしれないのだが・・・。

事の席での会話は、そこのレストランについてだとか出てきた料理についてだとか、共通の話題には事欠かないのが良い。食べ物については、誰とでもそれなりに盛り上がることができる貴重なトピックなのだ。人間は食べ物無しでは生きてゆけないし、同席する人の出身国の名物や食文化についてなどでも楽しくて尽きることの無い会話が出来る。

が話した言葉はきっと文法や時制が怪しい英語だったけれど、久し振りに英語での会話を楽しむことが出来た。誰でも間違いは当たり前にする物だから、身振り手振りでも意味が通じればそれで良いのだろう。完璧に話そうとすることだけにこだわっていては心から会話を楽しめない。「英語で話すって楽しい」と感じる事が出来ただけでも大収穫ではないだろうかと思う。英語も日本語も、私たちの気持ちを伝える“道具”なのだ。やっぱり言語は使わなければ意味が無いと再確認した一時だった。


Aug 26, 2003

orman Rockwell MuseumとTanglewoodの話を書こうと思っていたはずなのに、どうやらまたしても他の事になってしまいそうだ。実は昨日と今日の2日間に渡って、我が家は非常にバタバタと忙しく過ごしていたのである。この報告をここに書くのは、私自身とても残念なことなのだが、とうとう私たちも9月に日本に帰国することが決定したのだ。

「エーッ聞いてないよ!!」という皆さん、ビックリさせてしまってスミマセン。

iyamuの報告はいつも急だと言われてしまいそうなのだが、私自身いつか帰国することを書かなければと思いながらも、ついためらって書きそびれてしまい、ずるずると今日まで来てしまったのだ。それでもあとおよそ一ヶ月という残された時間を考えれば、いい加減に日記で書かないと「miyamuです、日本に帰ってきました。本帰国です。」などと事後報告することになりかねない。だから、これは意を決しての報告なのである。

つまでも日記に帰国報告が書けなかったのにはいくつか理由があるけれど、中でも大きいのは「英語も学校も志半ばという現状で日本に帰ることに未練がある」という事だと思う。そもそも私がアメリカに来たこと自体が夫の仕事によるものだったのだから、いつか帰国するのは分かっていた現実なのだけれど、欲を言えばもう少し勉強したかったというのが本音なのだ。私は今年の5月にminimuを出産する直前まで学校に通っていたけれど、産後はそれまでのように自由気ままな放浪主婦ではいられないので、5月以降は英語の勉強も自然にストップしてしまっていた。

力もしないで泣き言を言うのはお門違いとはいえ、このわずか数ヶ月の間にも英語の記憶がだんだん薄れてゆくのを感じた。しかしながら、家にいる以上英語で会話するチャンスなどほとんどない。「あ〜英語をやらなくちゃ、話さなくちゃ」と焦る気持ちは募るのに、ブランクが空けば空くほどポジティブな心は閉じてゆく。だからこのまま復学することなく帰国してしまうのは、ようやく手ごたえを感じられるようになった頃だっただけに悔しいし、悲しかったりもする。とはいえ目の前には帰国という現実が待っている。これからの私は「覚えた英語を維持するための努力」にシフトチェンジしなくてはならない。

「帰国するということはホームページもやめちゃうの?」と夫に言われて、「ううん、日本で英会話スクールに行くから英語は続けるし、そのことでも書くよ。あと、逆カルチャーショックの話とかね。」などと答えたのだが、そういえば私がこのホームページを作った最初の目的は「アメリカで英語を学んだ事や体験を記録しよう」ということだった。自分で自分を評価するならば、この目的はまずまず達成できたのではないかと思う。恥ずかしながら、ここに書いたことを時々自分で読み返す事で、気持ちが弛みがちな時には初心を思い出せたし、挫けそうな時にはその気持ちを跳ね返したり出来たからだ。だから帰国した後も最初の目的はそのまま継続して行きたいし、もし同じように他の誰かを励ますことが出来るとしたら、それだけでもこのホームページの存在意義はあるのではないだろうかと思う。(思い上がりかな?まあ、そう思わせてください。目標は大きく、ね。)

10月になり、私の日記が「ヤンキースタジアムでホットドッグ食べました」から「横浜スタジアムで崎陽軒のシウマイ弁当食べました」とかいう内容に変化しても、今後も英語だけは続けて行くということだけは決めているので、日本にいるmiyamuになんて興味ないわ、なんて仰らずによかったらお付き合いください。アメリカならではの話を楽しみに訪問される皆さんには物足りない平々凡々な日記だとしても、自分の気持ち1つで普通の1日はどのようにでも変化できるに違いないのだ。

んな訳で、miyamuのENGLISH Little by Littleは日本でも続きます。

は話を冒頭に戻して。帰国が決まったことで、私はこのところ買出しやら大掃除やらと引越しの準備をしているのである。今日はようやく船便の第一弾を送りだした。昨日を丸1日荷物の仕分けで費やし、日付を越えて深夜2時までかかってしまった甲斐あって、無事に送り出された我が家の半分は一足早く長い船旅に出たのである。


Aug 24, 2003

、うどんを茹でている時にパッと電気が消えた。TVの音もボイラーの音もしないシーンとした空気の中、うどんの入った鍋だけが沸騰していた。ま、まさか・・・停電の悪夢再び!?

囲は真っ暗で、手探りでロウソクに火をつけた。そう、この間の長時間の停電の後でしまわないでおいたロウソクである。また停電するかもなぁなんて思って残しておいたのだ。そして懐中電灯を灯し、近所の家に明かりが灯っていない事を確認した。ああ、まただよぉ〜・・・。私は今夜やり残している雑用の多さを考えてため息を付きたい気持ちだったし、何よりもうすぐうどんが茹で上がるのが気がかりだった。おまけにminimuも泣いている。しかし停電にもなれたもので、夫がうどんを担当し、私はminimuを泣き止ませるために停電の中で笑顔であやしていた。でも真っ暗で笑顔もなにも無いのだが。

電の規模を知るためにラジオを用意してみたが、別に停電の情報などはなく、通常通りに音楽やラジオ相談室のようなトーク番組が流れていた。そうこうしている内に夫が会社に電話をかけて「あ、会社は大丈夫。」と言った。自動音声に変われば、会社は停電していないということなのだ。どうやら今度の停電は小規模で、我が家の近所だけのようだ。仕方ないから電気の復活を待っている間にうどんを食べようかと思っていたら電気が戻った。その間約15分。15分でもこの間のことがあっての停電だから、真面目に心配してしまったではないか。まったく、すぐに元に戻ってよかった。

当は今日の遠出について書くつもりだったのに停電の話になってしまったではないか。MA(マサチューセッツ)州にある人気の避暑地に日帰りの旅へ行ったのだ。Norman Rockwell MuseumとTanglewoodに音楽を聞きに行ったので、その話はまた明日にでも・・・。


Aug 23, 2003

Yの東のお隣、CT(コネティカット)州。先週の日曜日から今週の土曜日までの1週間、CT州ではTAX FREE WEEKなる試みが催されていた。普段CT州では単価が50ドルを上回る洋服や靴は高級品と見なされて、購入時に課税される。つまり通常は50ドル以下の衣料品と靴は無税で購入できるのだ。でも、この期間はその限度額が300ドルまで引き上げられていたのだ。ちょっと良いお店で欲しい洋服や靴がある人は、お買い得の1週間だったのである。

もこの期間にあやかろうと、意気揚揚とショッピングモールへ繰り出したのだが、私が「これいいな、買おうかな?」と手を伸ばす商品で50ドル以上の物を見つけるのは至難の業で、意外にも50ドル以上で買い物をしようと思っても上手く行かない。夏物の売れ残りが破格になっていたり、半額になったサンダルが並んでいるのを見たりしていると、貧乏性のクセなのか結局バーゲン品ばかりに目が行ってしまいがちなのだ。もともと無税の商品を買っても何の恩恵も無い・・・。そして、たった22ドルのパンプスを買って帰ったとさ。ガクッ。


Aug 21, 2003

Yの観光をするならば絶対に外せない場所の1つである、THE METROPOLITAN MUSEUM OF ART(以下Met)。今日は久し振りに美術館へ出かけてみた。もちろんminimuも一緒である。NYをはじめ、アメリカが素晴らしいと思うのはこういう時で、たいていの場所に赤ちゃんを連れて行けるというのはすごい。もちろん子供が泣き出したり暴れたり、周囲に迷惑をかけるような場合は親としてわきまえなければならないのだが、幸いminimuはまだ寝ている方が長いような月齢なので、歩き出している子供を持つ親よりは楽だったりする。

本ではベビーカーで混雑した美術館を練り歩くだなんて「まあ、なんて非常識な人たち!」となりかねないのだが、Metの場合は日曜日以外はベビーカーもOKとなっている。今日は平日なので空いていたし、私たちの他にも赤ちゃん連れがけっこう目立っていたように思う。かなりスイスイと見所を抑える事が出来た。

etの入館料は、基本的に大人は12ドルである。基本的に・・・というのはなぜかというと、Metの入館料はDonation制となっていて、任意の金額を寄付するという形で入館することになっているからだ。無料でもらえる美術館案内のフロアプランにも「入館料の目安」と書かれている。私が以前聞いた話では、かつては決まった額の入館料が設定されていたのに、それに反発した市民が「入館料を取るなんて、貧乏人は芸術品を観賞するなってことか!?」と訴えたために廃止されてしまったという事らしいが、本当なのだろうか。目安として12ドルというのは、Metの規模と展示内容から考えればかなり安い額だと思う。しかしながら前回Metを訪れた時には確か目安は10ドルだった。Donation制なのに、何気なく値上げされているぞ。

内には数え切れないほどの展示室があり、しかも迷路のように入り組んでいるので、方向音痴の私は地図を片手にウロウロすることになる。もしも時間が許すのならば、Metは数日かけて見るべきだ。この美術館は広すぎる!1日で駆け足で見るにはかなり歩くので、足も頭も相当クタクタに疲れてしまう。一室一室に展示された作品の数も半端ではないし、展示室自体の面積も大きいから、数時間も歩けば頭の中が美術で飽和状態になってしまうのだ。

味しい食べ物だって一気に食べ過ぎると味への感動が薄れるものだ。私は芸術観賞もこれと同じで、食傷気味になったら非常に勿体ないと思う。よく美術の教科書に載るような大物作品でも、あまりに展示数が多いとありがたみや貴重さが薄く感じられ、そのうち珍しく見えなくなってきてしまう。こうなるともう、「おなかいっぱい」なので出直したほうが良い。人間の集中力はせいぜい2、3時間なのだ。それでももし半日だけとか限られた時間でMetに行くなら、何よりも先にまず見たい場所に直行することをおすすめする。(疲れる前に1番見たい場所を見るというのは、お腹が一杯になる前にまず好物を頂くというのと一緒、かな!?)


Aug 20, 2003

記でも度々触れているように、アメリカの携帯電話は日本と比べて2年は遅れていると思う。というか、まちがいなく日本は携帯電話の最先端を行く国で、少々進みすぎている。そんな日本に追従する形でアメリカの携帯電話も日本のものに近づいてきているようで、新しいSonyの携帯電話のCMではカメラ付き携帯が紹介されている。これまでも大きな液晶画面の薄型携帯は前からあったけれど、とうとうカメラ付きも一般に普及し始めるのか。

がアメリカで初めて携帯電話を持つようになった頃は、携帯といったらnokia製の通話のみ可能な小型タイプだった。nokiaはなんだか気に入らないなと思っていたらPanasonic製が新製品として登場したらしく、当然そちらの方が日本で使っていたものに近かったので、私はそれを選んだのだった。それにしてもその当時は「携帯電話は会話さえ出来ればいい」というものだったのに・・・。今や軽量化は当たり前だし、着メロが複雑になったし、カラーの液晶画面になったし、ネットが見られるようになったし、これにカメラがついて・・・と、まるっきり似たような進化を遂げているではないか。今のところはあまり見かけないけれど、そのうち折りたたみタイプが主流になるのではないかと予想しているのだが。

メリカの携帯電話の進化は日本を追従しているとはいえ、日本と異なる点もいくつかあったりする。個人的に今後の動向が気になるのは「低年齢世代(中学生以下)にも携帯は普及するのか」という事と「カメラ付きの弊害として盗撮などの犯罪が増加するか」という2点である。(なんと!このソフトでは「トウサツ:盗撮」と変換できないぞ。)アメリカは日本のような「皆が持っているから私も欲しい」という感覚が薄い個人主義の国であるとはいえ、流行に敏感な子供達にとっては「皆が持っているのに私は持っていない=クールじゃない」などとなってしまうのではないだろうか。

れと余談ながらもう1つ、携帯ストラップというのもアメリカでは使われていないのが気になる。でもそのうち「SpongeBob携帯ストラップ」なんて売り出されたりして・・・!?(SpongeBob Squarepantsスポンジボブ・スクエアパンツという、アメリカの子供達に大人気のアニメである。海底にすむ黄色いスポンジ君のコメディで、日本ではスカパーで放映されているらしい。でも、あんまりかわいくない・・・。)何故かどこに行っても見かけるくらいSpongeBobは人気があるので、私だったらアメリカでこのストラップを売り出すのにな・・・。


Aug 19, 2003

らら、このところ隔日更新になってるなぁ。特別な何かをしているわけでもないのに、それでも何故か雑務に終われて忙しい時があるから不思議だ。でも毎日チェックしてくださるステキな皆様、のんびり付き合ってくださいね。

はMTVという音楽専門のチャンネルが好きで、PCを触りながらそれを見ていることが多い。MTVは平日の午前中にTop20など流行っている旬の音楽を流している局だ。そこでミュージシャン達のプロモーションビデオを延々と見ているだけで「ああ、この曲はこの人が歌っていたのね」とか「今はこれが若者にウケてるのか」とか「スタイルいいなぁ、かっこいいな、センスいいな」などとアメリカの音楽事情を窺い知ることができる。洋楽好きにとって、MTVは最新のプロモーションビデオを見られる幸せなチャンネルだ。

楽以外にもMTVには性や暴力を扱ったものやらピー音続出の俗世的な内容のプログラムもあるけれど、これも今の時代にあった内容なのだろうなぁと思いながら、アメリカの若者文化を垣間見ている。日本でもアメリカでも、芸能界には放送禁止なゴシップが溢れているのだろう。かつて初級のESLの授業の中でグループディスカッションをする時に、ペアになってお互いに好きなテレビ番組をインタビューするという内容があったのだが、私のいたグループのメンバーが「MTVは馬鹿馬鹿しいのが多くて嫌い」と言っていた事があった。もちろん弱気な私は「よく見てるよ」なんて言えなかったのだが・・・。

まや洋楽を楽しく聴いている私だが、日本にいる頃の私にとって洋楽はBGM程度の存在だった。それでも今は車を運転している時にも音楽はカーラジオからずっと流れているし、意識しなくても毎日耳にしてしまう。こうなるとさすがに前よりは詳しくなったしずっと好きになったと思う。

ジオでもテレビでも流行っている音楽は頻繁にリクエストされるし、しょっちゅうかかる。そういう売れている音楽を聴く時に私がいつも思うのは“同じ曲ばかり何回も聴いているとメロディは頭に残る。でも、歌詞(つまり英語)は残ってないなぁ”という事である。邦楽だったら何度も聴くうちにメロディと同時に歌詞も口ずさんでいたりするけれど、結局英語も私の耳にとってはギターやピアノの音と同じような存在だということを思い知らされるのだ。一応サビの部分だけはやたら元気になる私。う〜ん、悔しい・・・。

はいえ、言葉なんて分からなくとも「いい音楽はいい!」というのが私の持論である。例えばラテンミュージックはスペイン語が全然分からなくても体が自然と乗ってしまうし、アフリカの民俗音楽なんて声が意味のある言葉なのかさえ分からないけれど、心にしっかり響いてくるものがある。意味なんてわからなくてもまずは音楽を楽しんで、言葉はその次、それでも気持ちがよければOKだ。


Aug 17, 2003

たまた停電の後日談である。私の住む辺りはまだ電気の回復が早かった方らしいけれど、今でも電気が来ないとか水が出ないというトラブルの最中にいる場所もあるらしいから大変だ。私ももうしばらくはロウソクがすぐに使えるようにスタンバイしておこう。

電の余波なのか、昨日行ったIKEA(セルフサービスの大型家具店)の照明が所々消えていた。さすがにエアコンは稼動していたけれど非常灯だけでは買い物もしづらい。でも、私にとってそんなことは小さな問題にすぎなかった。停電の余波は我が家にもしっかりやってきたのだ。

電していた半日あまりの間、我が家の冷蔵庫の中は常温に近い状態になっていたようである。冷蔵庫に入っていた食材を使って食事をした後、夫も私も二人揃ってお腹を壊してしまったのだ。牛乳にあたってしまったらしい。使う前に危ないかなぁと気になりつつも、加熱すれば大丈夫だと思ったのだ。ちょっと甘かった・・・。

んなわけで、現在我が家の冷蔵庫には常備品の牛乳が切れている。私はいつも冷蔵庫には牛乳を切らさないようにと心がけているけれど、停電の後の数日間は牛乳を買わないことにしたのだ。考えすぎかもしれないけれど、少なくとも半日あまりの間はスーパーの冷蔵庫さえも停電していた訳だから、新しい牛乳を買ってもお腹を壊すかもしれないような気がする。明日はもう大丈夫だろうか・・・そろそろ牛乳が恋しいぞ。


Aug 15, 2003

たちはマンハッタンの某ビルの地下階にいた。人々で混雑した賑やかな空間が一瞬にして沈黙した。
「・・・停電!?」

っ暗闇に目が慣れてきた頃には周囲の賑やかさも戻ってきて、なす術も無くただ電気の回復を待った。そこは古いビルだったので「もしかしてこのフロアだけか、このビルだけかもしれないね」などと、その時はスケールの小さな事を話していたのだ。15分ほど過ぎただろうか?警備員と思しき男性がやってきて、仲間に「地下鉄もストップしている。マンハッタン全部停電だ。」と話している声が聞こえた。非常灯の灯る室内で顔を見合わせた。そして夫とどちらからともなく「これは異常事態だね、早く出なきゃ。」と、出口へ向かったのだった。エレベーターは止まっている。しかし狭い階段には明かりが無く、minimuを夫が、ベビーカーを私が抱えてゆっくり地上へ向かった。高層ビルにいなくて本当に良かった。道路に出ると、周囲の建物からも同じように人が出てきていた。

ンハッタンには車で行っていたので、まずは駐車場から車を出さなければならない。駐車場の混雑を覚悟していたけれど、帰ろうと思いついたのが比較的早かったので数人の行列が出来ているだけだった。当然クレジットカードは使えないのでレジでは現金のみで、懐中電灯の下で完全で手作業だから時間も掛かる。こんな時でも仕事をしなくてはならないのだから、駐車場スタッフも大変である。それにしても現金を持ち合わせていない人はどうするのだろう・・・?銀行もATMもストップしているのだから、こんな時はカード社会も困った物だと思う。現金のない人は、たとえお金持ちでも立ち往生である。

て、家に帰るにはとにかくマンハッタンから脱出しなくてはならない。情報が欲しいと携帯をかけるも、回線がパンクしているようで全く通じない。カーラジオだけが頼りだ。ラジオでブルームバーグ市長の会見と質疑応答が始まったので、久し振りに耳に神経を集中してラジオを聞いた。すると、ナイアガラの方にある送電所がオーバーロードのために故障したという。暑い日中の消費電力が限界を超えてしまったということか。(朝のニュースでは、落雷が原因の可能性があるとのこと。)カナダの一部からNY、オハイオ、ニュージャージー、ペンシルバニア、コネティカットの各州まで停電していると聞き、この停電がただ事ではないのだと実感した。NY州だけでもとても広いのだ。これでは我が家も停電しているだろう。誰もいない自宅に何度も電話をかけて、ようやくかかった時に、留守電の自動音声が始まれば電気はきている。でも、呼び出し音がとまらなかったことで家が停電している事がわかった。

ジオで繰り返し言われていたのは、「これはテロではない」という呼びかけだった。でもこのパニックに乗じてテロが起こってもおかしくない。どうか何事も起こりませんように・・・と真剣に願ってしまう。市長は数時間で回復する見込みだと言っていたが、アメリカの数時間をあてにしてはならない。これは長引きそうだなと思った。

りあえず車にはガソリンと水があった。minimuのミルクも用意できていた。ひとまず重要な項目を確認して、マンハッタンを北上した。間もなく道路は大混雑になった。信号が止まっているので、ぶつかる交差点ごとに車が我先にとクラクションをならす。歩道には人々が民族大移動のようにぞろぞろ歩いている。地下鉄もバスも電車もフェリーもストップして、自分の足しか移動手段が無い人々だ。私たちも混雑した道路に完全に閉じ込められていたので、はっきり言って徒歩が1番早いのだが。それでも道端で行き先を書いた紙を持って途方にくれる人々や、車の窓越しに行き先を尋ねて交渉するグループなどが車に相乗りしている姿が目に付いた。ヒッチハイクは乗る方も乗せる方もリスクがある行為とはいえ、このような時は助け合わなければ仕方ない。

滞を抜けてマンハッタンを脱出するのに2時間半を費やし、結局家に帰ったのは暗くなる直前だった。光が消える前に懐中電灯と電池、ロウソク等を準備して部屋のあちこちに置いた。冷蔵庫の中から食べられそうな物を素早く取り出して、唯一使えるガスでお湯を沸かして簡単に食事をとった。蒸し暑い中で、うちわが唯一の冷房だった。近所からは停電という状態に開き直って、外でビールを飲む人々の楽しそうな声がしたりして面白かった。停電なのに、なぜか普段よりも賑やかな夜。きっとテレビもゲームもインターネットも使えないことで、唯一の娯楽が談笑だったのだろうと思う。回復を待つ不安さはあるけれど、こんな風に周囲と向き合うきっかけとして停電を前向きに受け止める方が良い。私たちも目が覚めた時に電気が戻っている事を願いつつ、いつもより早く就寝した。

朝の3時過ぎに、半日かかった長い停電が終わった。停電が終わったことが分かる目印に、小さなルームランプをONにしておいたのだ。半日くらいの停電なら珍しい事ではないかも知れないけれど、今回はさすがに範囲が広すぎだった。アメリカの北東部とカナダの一部に至る広い範囲が1ヶ所の発電所がダウンするだけで一斉に停電してしまうとは、日本では信じられない出来事だと思う。それにしてもこのような大停電は1977年以来だったとか。一部のホテルでは宿泊客を受け付けず、ブロードウェイのショーも中止、レストランやお店も閉まっているし、お盆休みで日本から来ていた人々にとっては大変なハプニングだったに違いない。安全な公園などにはマンハッタンに閉じ込められて家に帰れない人や観光客が溢れていたようだ。夏だから良いようなものだけど・・・。いかに都会の人々が電気に依存して生活しているのかを浮き彫りにした大停電だったように思う。1977年と2003年では、人々の暮らし自体が大きく変化しているのだ。

記ながら、電気の復旧は一斉ではなく北部から徐々にとのことなので、まだ停電している場所もあるそうだ。おまけにマンハッタンの地下鉄は動いていないらしく、通勤時間のバスが日本のラッシュアワーさながらに混雑している映像がニュースでも流れていた。もうしばらく停電パニックは続きそうだ。


Aug 14, 2003

は血行が悪い体質をしているのか、慢性的に冷え性や肩こりに悩まされている。こんな体質改善にはゆっくりお風呂に浸かるのが効くのだろうが、アメリカではシャワーばかりで、ほとんどタブにお湯を張っていないのが現状だったりする。

かしながら、最近の肩こりは自分でもかなりの重症だと思う。このところ背筋も首も緊張しっぱなしで、毎日アンメルツや湿布の世話になっている。それでも、日々重量をましてくるminimuの抱っこや細々とした世話をしていると、時々肩と首がピキピキに引きつるほど固まって痛くなるのだ。もうちょっとやそっとの外用薬じゃ効果がないぞ。

「痛い痛い」が口癖にようになっている私にと、夫が新しい塗るタイプの筋肉の鎮痛剤を買ってきた。その名もBENGAYである。この手の商品の中で、BENGAYはアメリカでは最もポピュラーなブランドらしい。有効成分の配合量によってパッケージの色が異なり、とりあえず緑と赤の2種類を選んだとのこと。この2つ、実は有効成分の量が2倍も違い、夫曰く「まず弱い方を塗って、効かなかったら赤(強い方)ね」だそうだ。
湿布系の塗り薬はメントールが目に染みる。薬を塗った後の手でうっかり目でも掻こうものなら、目がヒリヒリに痛くなってしまうので気をつけなければならない。そこで、今回私はビニール袋を手にはめて、それを手袋にして塗ってみた。塗った途端にメントールの刺激が鼻をつく。何しろ「出かける前にはBENGAYを塗るべからず」という位だというので、これは効き目にも期待が持てそうな予感だ。

写真:こちらは赤い方のULTRA STRENGTH。
「STRONGEST BEAGAY EVER」だって。効きそう〜。
ンターネットでアメリカの医薬品の個人輸入をしているサイトを発見したが、そこではこのBENGAYが4200円で売られている。ちなみに夫が買ってきたBANGAYは、強力なULTRA STRENGTHの方だってわずか5.99ドル。日本円にしたら750円もしない。もしかしたらお徳用サイズなのかと容量をチェックするも、まるっきり同じ2オンス(57g)の商品だった。これはひどいぼろ儲けではないか。BENGAYはそんな人気商品なのか?それなら、アメリカのお土産にでもしてしまおうかな。


Aug 13, 2003

NNを見ていたら、ちょっと面白いニュースが出ていた。ドミノ倒しの世界記録に挑戦中の会場に、台所の敵ゴッキーが現れ、きれいに並べたドミノの一部を倒してしまったという話だ。この挑戦者の女性は6週間以上かけて35万個のドミノを並べるそうで、まさに気の遠くなる作業の途中で起きた事件だけに、面白いというか、当人にとっては悲惨な話である。

れはシンガポールでの出来事らしいが、シンガポールのゴッキーは日本のよりも大きいのだろうか・・・?住む土地の環境や気候によって生息する生き物にも違いがあるから、シンガポールにはドミノを倒すパワーのある品種がいるのかもしれない。や、想像しただけでブルッときたぞ。

物や植物にも違いが有るのだから当たり前なのだろうけれど、私が虫にも違いがあると気付いたのは恥ずかしながらけっこう大人になってからだった。私はずっと同じ場所で育ち、田舎というものが無かったので、関東地方での常識が日本全体でも当たり前なのかと勘違いしていたのだ。

生時代のある夏に、構内でセミの声を聞いた。私が「アブラゼミだね〜」と言ったら、九州出身の友人が「うちの方ではアブラゼミなんて弱小品種、セミと言ったらクマゼミだよ」と言うではないか。私にとってクマゼミは図鑑の中にいるレアで高級な(?)セミだったのでその感動を伝えたところ、こっちじゃそれが当たり前よ〜とのこと。横浜あたりではせいぜいミンミンゼミが高級なのになぁ・・・。

メリカでの最初の夏を迎えたときに、なんとなく静かに感じるのは何故だろうと感じたものだった。こちらではほとんどセミの声を聞かないのだ。アメリカの西部や南部にはいるのかもしれないから、この感覚はNYあたりだけなのだろうけれど、日本の夏をますます暑く感じさせるあの「ジーー」というセミの声でも聞こえないと物足りないと感じるのは私だけだろうか。(あ、ドミノを倒すようなゴッキーはいらないけどね。)


Aug 12, 2003

メリカのカレンダーには日本のように大型の連休がないし、祝祭日も少ない。当然ながらお盆休みも無い。でも、お盆休みの週は駐在員たちも休暇を取る人が多い。お盆休みの時期はほとんどの日本の企業が休みに入るので、この間は仕事の電話もメールも来ないからだ。現に私の周りにも旅行に出かけたり日本に帰国したりする人がいる。かくいう私は休みの計画に出遅れて普通に家にいるのだが・・・。

くに真新しい出来事もなく過ごした日には、ご飯のことでも書こうかな。

日は、主婦人生で初めて「ネギトロ丼(もどき)」を作った。近所の日本食料品店で刺身用マグロの切り落とし(中おち)が安く売られていたのだ。私は普段、たとえそこで刺身も手に入るからといって、高価なものなのであまり買わない。今回は安かったので、特別だ。筋張った部分だから叩いて丼にしようと思いついた。

ったく不思議なことに、私はアメリカに来てから生魚を食べられるようになったという珍しい人間だ。子供の頃に刺身を食べなかったために、刺身全般を食わず嫌いになっていたのだ。同様に握り寿司もダメだった。わさびが嫌いだったという話もあるのだが。だから、その当時の私からしたらネギトロ丼もイクラ丼もウニ丼も、みんな「絶対に食べられない物」だったのだ。

が刺身や寿司を食べられるようになったのは会社に入ってからで、お酒を飲む機会が増えてから自然と少しずつ生魚を食べる機会が多くなっていったのだ。それでも自分から進んで食べようとは思わなかったし、寿司屋に行こうといわれても全然気乗りしなかった。それが、人の味覚って変化するのだ。自分でもこの変わりようは意外だったし、まぐろばっかりご飯に乗せても「おいしい」と言える変化には驚くばかりだ。まさか、自分からネギトロ丼を作れるようになるなんてねぇ。


Aug 11, 2003

本ではお盆休みの今週。暑中お見舞い申し上げます!

気に恵まれなかった先週。週末に野球観戦の予定があったので、1週間前から天気予報を見ては心配していた。そして迎えた日曜日、天気は曇りである。それでも湿度が高くおまけに雲の動きが早いので、急にザーっと雨が降ったり、強い日差しが差したりしそうな気配だった。こんな時は全天候型の支度となり、荷物がかさばる。雨合羽やら日焼け止めやら、ごちゃごちゃ入ったバッグを持って出かけた。

ンキースタジアムはヤンキース対マリナーズという強いチーム同士の人気の対戦だったので、上の方の座席まで非常に混雑していた。松井とイチロー効果に加えて日本がお盆休みに入ったこともあり、観客には日本人のグループが多く、一瞬日本の球場かと見まがうような感じだった。メジャーリーグでも、やっぱり人気があるのだと実感する光景である。

場を訪れる日本人にはいろいろなタイプがあるように思う。根っから野球が大好きで、ヤンキーファンに負けないほど熱く応援をしてしまう人と、ブームに乗っていつの間にやらファンとなった人。そして、全然野球には興味が無いけれど日本人選手の出る時だけ盛り上がる人と、他の日本人をクールに見据えて自分は一緒だと思われたくないという人、等々・・・。私は2番目の、にわかファン、つまりミーハーな奴である。それでも臨場感溢れるスタジアムの熱気の中で、楽しみながらゲームを観られたら最高だと思うので、きっかけはどんな理由だっていいのだ。

合の後で他の場所で試合を見ていた友人達と合流し、一緒に食事をしてから帰ったのだが、その席で友人が「そうそう今日ね、雨上がり決死隊の蛍ちゃんがいたよ!握手しちゃった!」と、球場での意外な遭遇を語っていた。私もちょっと見たかったかも・・・。クリボー(古い?)みたいな髪の毛を触ってみたかった。ちなみにコンビの宮迫さんはいなかったらしい。ガッカリ・・・なんて言ったら、蛍原さんがかわいそうか?


Aug 9, 2003

で1時間少々かかるアウトレットモールへ久し振りに出かけてみた。我が家がよく利用するアウトレットモールはNY州とCT(コネティカット)州にそれぞれある。NY州のアウトレットは観光名所としても有名なWoodburyで、家からの距離も近いのだが、今日はあえてCT州の方へ行く事にした。

T州のアウトレットはWoodburyとくらべるとずっと小規模である。当然ながら来客数も少ないので、その分メリットもある。まず店内がぐちゃぐちゃに荒らされていないし、同じ商品でもサイズが残っていることが多いのだ。それにTAXも安い。さらに100ドル以下の靴と衣料品ならば無税なので、少し遠くても行ってみるかなという気持ちにさせられる。

日は出かけようと思った時間が遅かったので、行きの道が渋滞でいつもよりも時間が掛かってしまった。1時間半以上かかってようやく到着した後、疲れないうちに真っ先にお目当ての店を散策した。私はそこで実用的なナイロンのバッグを買ったのだが、その時にレジのお姉さんがちょっとおっとりしている人で、夫のクレジットカードを手で持ったままその事を忘れてなかなか返してくれない。「僕のカードは?」と夫が言ったら、彼女はあわてて「すっかり忘れてたわ!」というような感じで顔を赤らめて謝ってくれた。

に帰って、買ってきた戦利品から値札やら何やら外していたら、私の買ったバッグに万引き防止用のプラスチックで出来たタグがくっついたままなのに気付いた。レジで専用の機械を用いてガチャンと外す、あのタグである。「あちゃー、あのお姉さん・・・外すの忘れてるよ。」とタグを引っ張るも、びくともしない。困ったぞ。もう1度あのアウトレットまで出かける気にはならないし、どうしたものか。

理に引っ張って、中からインクが飛び出してきたり、ブザーが鳴り出したりしたらどうしようかとあれこれ悩んでいたら、夫がドライバーを持って来て、黙々と取り外し作業に取り掛かった。背後で様子を伺っていたら、タグの隙間にドライバーを突っ込んで、力ずくでパーツを2つに分解してしまった。おおっ、お見事!とりあえず分解されたパーツからインクもブザーも出なかったのでホッとした。遠くまで出直ししなくて済んだぞ。それにしてもあのお姉さん、やっぱりボーっとしていたのかなぁ・・・。


Aug 7, 2003

ーパーのデリコーナーを私はよく利用する。ここで好きなハムを選んでスライスしてもらうのだ。店員さんがハムのブロックを抱えて(とても大きいのだ)スライサーにどんと乗せ、好みの薄さに切り分けてくれるのを見ているのは楽しい。この新鮮なハムでサンドウィッチを作れば、簡単にちょっとした美味しいランチができる。

のオーダーを取ってくれたのは中国人のお姉さんで、私に「韓国からきたの?」と聞いてきた。何故だろうと思ったけれど、「日本からきたよ」と答えた。そうしたら、「日本にはこれ(私が頼んだハム)売ってる?」と言うので、「ううん。中国には売ってる?」と逆に聞いてみた。「中国にもないのよ。美味しいのにね。」そんな単純会話なのに、同じアジア人同士。やけに話しやすい。実はこのお姉さん、私の家に近い同じチェーンのスーパーでも見かけたことがあったので、もしかしたら店間での転勤があるのかもしれない。

変わって、今日見た子供向けテレビ番組で面白かったフレーズがあった。
「I scream Icecream !」
これは英語のシャレだ。「I scream」と「Ice-cream」の音が一緒で、同じ言葉を2回繰り返して言っているようで、実は文として意味が通じているのが楽しい。くだらないことだけど、覚えておこうっと。この他にも、子供番組の英語はゆっくりで聞き取り易いので勉強になるし、アメリカの子供の間でどんな習慣や流行があるのかを垣間見たりできる。日本にいる外国人がポンキッキやおかあさんと一緒を見ているようなものだろう。子供番組、けっこうオススメである。


Aug 6, 2003



はココアパフ系のシリアルが好き。そんな私の新しいお気に入りにこの度加えられたシリアルをご紹介。Post社の「Extreme Creme Taste OREO O's」である。その名の通り、OREO味のココアシリアルだ。O'sというのは、ドーナツ型の小さなシリアルをアルファベットのOの形に引っ掛けてあるのだろう。

のシリアル、オリジナルのOREOにサンドされたクリームの味を再現すべく、苦肉の策とも思われるカリカリに乾燥したマシュマロが入っている。この似て非なる白い物体をマシュマロと銘打ってしまうのにもビックリなのだが・・・まあサクサクして、それなりにおいしいから大目に見ておこう。

て、シリアルに付き物の「おまけ」に注目である。シリアル紹介はこの辺でお仕舞いにして、今日の日記で書きたかった本当の目的である、「似ていない特集 第2弾!!」だ。

のシリアルはパッケージにも書かれているが、1箱に1つもれなくおまけが付いているのだ。そして現在展開中のおまけキャンペーンは、人気メジャーリーガーのBOBBLEHEAD人形というものだ。先月の日記で松井のBOBBLEHEADについて書いたけれど、シリアルはおまけ版という事でミニチュアサイズの人形が封入されている。

ッケージの裏には「メジャーリーガーのボブルヘッドは全部10種類!頑張って全種類集めよう!」というような文章と共に、人形の見本がズラリ。よく見ると、その10種類の中にICHIROという文字が。厳選された10人の人気メジャーリーガーの中にイチローが入っているというのはスゴイ。

かし、そのイチロー人形がどれだか分からないというのがもっとスゴイ。まあ見てください。そして私と同じように「に、似てなさすぎ!」と笑ってください。



TA-DA!!


のイチロー、足元にかかれたICHIROという文字を見ないとどこかの怪しいひげ男である。(かなりひいき目に見て、俳優の浅野忠信という感じに見えなくもないが・・・。)Sマークのキャップで、かろうじてマリナーズの誰かであるとうかがい知れるものの、これは松井のBOBBLEHEADよりひどい。

しかしたら、しばらく見つめたら似て見えるかなと試してみても、やっぱりダメだ。たかがおまけに文句を言うのも大人気ないが、似てなさすぎて逆に面白いぞ。私が買った時には残念ながら他の選手のBOBBLEHEADが入っていたけれど、こうなったらICHIROが出るまで買ってやろうかな!?(イヤ、もちろん冗談です。)

ちなみに・・・「TA-DA(タダーッ)!」は、日本語の「ジャーン!!」と同じ感覚で使われる口語である。映画やテレビで頻出するので使ってみよう。

Aug 5, 2003

に降られた昨日の今日で、なんとなく頭が痛い。朝からずっと熱っぽいし、身体もだるい。私は「病は気から」という言葉をけっこう信じているので、こんなことで閉じこもっては余計にいけないと外に出かける支度をした。と、その途端にまた雨だ。こうして出鼻をくじかれて、結局家でのんびり休む事にしたのだった。

えば、会社勤めをしていた頃の私はちょっとくらい調子が悪い時だって、「さあ仕事に行かなくちゃ!」と着替えて外にでれば、その1日を気合で乗り切れていた。しかも家に帰る頃にはいつも通りに体調も復活していた。逆に「あぁ〜、今日は調子悪いぞ・・・」と自分で自分のことを心配してしまえば、余計に気分が悪くなってしまい体の中から精気が奪われて行くのだ。要は心の持ちよう1つで、ネガティブな思想はますます人をマイナスの方向に動かしてしまうのだろうと思う。(それでもやっぱりダメな時は、本物の病気なのだけど。)

方なくTVで今週の天気予報を見ると、毎日のように雷雨のマークが付いているではないか。週末は野球に行く予定があるので困ってしまう。雲の動きを遮るような高い山などが無いので、この辺りの天気予報はよく当たるのだ。雷雨のマークがある時、天気予報を読むアナウンスは「Shower」という言葉をよく使う。にわか雨や雷雨のようにいきなり降りだして短時間で止む雨のことを、Showerというのだ。ちょっとだけ地上にシャワーを浴びさせるような雨・・・というニュアンスなのだろう。でも最近の雨はShowerというにはまとまって降りすぎなので、私の出不精がひどくならないうちに晴れて欲しいものだ。


Aug 4, 2003

の頃よく雷を伴って激しく降るような夕立に見舞われる。空が急に暗くなり、西のほうから黒い雷雲がどんどんと迫ってくる光景は迫力がある。ひとたび雨粒が落ちはじめると、数分も経たないうちに一気に大粒の雨がばらばらと降って来るのだ。

い物を済ませて外に出ると、どしゃ降りの雨になっていた。視界が遮られるほどに大粒の雨が降っている時は、車の中に逃げ込むまでにびしょぬれになってしまうので、少し軒下で様子を見るようにしている。しかし、今日はタイミングを見損ない、駐車場に向かって歩いている途中で急に雨足が強まってきてしまった。私はminimuのベビーカーを押していたので、とにかく早く車に入ろうと急いだ。

かし、急いでいる時に限って車のキーをどこにしまったのか忘れてしまっている。焦るな焦るな・・・と自分に言い聞かせながら鞄の中に手を突っ込んでガサガサと探った。困ったぞ・・・見つからない。そうこうしているうちに私のスカートやシャツに雨粒がしみこんでゆくのが分かった。ほんの1分足らずで頭のてっぺんからサンダルから出た指の先まで水浸しになってしまう。ようやく見つけたキーで車のドアを開けるも、ここまで降られたらもういいわ、という感じだ。

しいことは、最初に「絶対ここじゃない」と思って中を見ないでいたポケットにキーが入っていたことだ。ほんと、慌てているとロクな事がないんだから・・・。車を離れる時にカサを持ってゆこうか悩んだ末に、結局手ぶらを選んだのだから、これもみんな自分のせい。まったく、ダメなことって連鎖するのだ。


Aug 3, 2003

月が始まった。先月下旬に日本から来ていた家族もこの週末で無事に帰国し、またいつも通りの日常に戻った。不定期更新だった日記も再開である。

思議な物で日記を書かずにいる時に限って、「ああ、これ今日の日記に書きたいなぁ」という出来事やトピックが発掘されたりする。でもその都度メモにとっているわけでもないので、さあ書くぞという時に「あれ何だったけか?」となり上手く思い出せない。現に先週も色々とあったはずなのに、こうして今思い出そうとしても文章が先に進まない。こんな時は何も書かないでもよいのだろうけれど、せっかく新しい月が始まったことだし、今日は「前から気になっていたけれど日記に書くほどのことでもないなぁ」という話題を格上げしてしまおう。

本で15年以上も前に放送されていた人気バラエティー番組の「風雲!たけし城」を覚えているだろうか。(こんな事を書いたら年がバレますな・・・。)これは、たけし軍団を率いるビートたけしが城主である「たけし城」を、一般から募った参加者がスタントばりのアトラクションに挑戦して陥落させるという、素人参加バラエティーの中でもかなり過激な内容の番組だった。数々のアトラクションには池にドボンと落ちたり、泥だらけになったりする罠が仕掛けられているので、見ている方は参加者の活躍というよりは失敗を見て笑うというような感じで、数年に渡って放送されていた。

れが今、なんとアメリカで放送されているのだ。その名も「Most Extreme Elimination Challenge」である。番組は日本で放送されていたものを編集した吹き替え版で、「たけし城」というよりはアトラクションに挑む参加者たちのハプニングや痛い瞬間を次々に流しているという感じ。それらの映像だけ見たらかなり笑えるけれど、ビートたけしを中心とした軍団やレギュラー陣との面白いギャグの掛け合いなどは意味不明で、それがアメリカ人にとって「一体何をやっているの??」という感じにならないのか疑問だったりする。それにしても、ビートたけしが若い!

末の夜、TNN局で放送されているので興味がある方は見てみてください。




  ★7月の日記       Back Numbers ★過去の徒然日記


 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送