miyamu's
DAY BY DAY

アメリカ徒然日記
アメリカ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。

March2003 back numbers ★過去の徒然日記
Mar 31, 2003

ょっと掃除しなくちゃと思って、気になっていた場所に手を付けただけだったのに、いつの間にやら大々的な掃除になってしまっているというのがいつもの私のパターンである。連鎖的にあれもこれもと目移りしてしまい、最後には“ちょっとだけ”では収まりが着かなくなってしまうのだ。

っと普段から掃除をマメに行っているのならばこんなことにはならないだろうに、現在のように学校がメインの生活になると朝から忙しく時間に追われてしまうので、ちょっとぐらいのホコリなどには目をつぶることになる。かといって部屋を片付けなくちゃいけないというのはじわじわと感じるし、大きなプレッシャーにも思えてしまう。

事をおざなりにするというのは、自分の首をしめるようなものだ。積みあがってゆく洗濯物の高さをみればけっこう心苦しい。達成しておかなければならないノルマがどどーんと部屋の隅っこに固まっているのは恐怖だ。でも、学校も止まってはくれない。困った事にこちらにも達成しておかなければならないノルマがあるのだ。しかも、これは締め切りが決まっている。家事には基本的に締め切りというものがないので、二者択一になると優先順位が弱い。

日で3月もおしまいだなぁと、そんな理由で今日は朝から掃除に取り掛かった。明日の課題はあるけれど、平行させるように計画を立てれば良いのだ。たまには家のこともちょっと頑張っておかなければ。

前にも書いたように、私は物を捨てられない性質である。思うに、人が物を捨てるのにはリズムがあるのではないだろうか。とても大事に思えたはずのものが時間が経ったらさほど必要ではなくなっていたりするのは、そのリズムがあるからなのではないかと思うのだ。今日の私はどうやら“捨てられる波”に乗っていたようだ。こんな日には思い切り、溜め込んでいた「いつか使うかもしれない(≒2度と使わない)物品」の処理に取り掛かる。

いが出てきたら、中途半端な未練は捨て去って、何もかも一気に捨てないと気がすまなくなってくる。不思議なもので「こんなに大量に家から物を排除したわい」という目に見える充実感に手ごたえを感じ、だんだんゴミ袋の大きさも快感になってくるのだ。そうやって、最初は1時間だけ集中的にやろうと決めたはずでも気付けばかなりオーバーしている。気付けば昼である。ノリノリのところ残念ながら、ここが私のタイムリミットだ。あとは課題をやってから、余裕があったら掃除を再開しよう。う〜ん、なんだか部屋がスッキリしていて気持ちいい〜!!

本日の収穫(処分品)・・・リサイクル用ゴミ箱1個分の雑誌、チラシ類、巨大ビニール2袋分のゴミ


Mar 30, 2003

ヶ月以上も前からチケットを取って待っていた、MOMA(ニューヨーク近代美術館)の「Matisse Picasso展」の日がやってきた。この特別展の為に、現在MOMAは入場制限をしている。混雑を避けるために一定時間に入場できる人数をあらかじめ決めており、前売りのチケットを持っている人しか入れないようにしているのだ。だからチケットを買う時は「○月○日の何時入場分」というように、30分区切りで指定しなければならない。

いうのも、MOMAは2002年の夏から改築工事をしているため、元々あったマンハッタンのミッドタウンからクイーンズに一時的に移転しているのだ。MOMAクイーンズは、工事中の臨時的な芸術作品の保管場所と展示室を兼ねている。正直言って、この臨時の美術館は規模が縮小されているし、設備も簡素になっている。それにクイーンズはちょっと出かけるのが面倒だし、MOMAの周りに特別な見所があるわけでもない。それでも「Matisse Picasso展」にはわざわざ出向く価値がある。

OMAの開館時間は10時からで、私たちは10:30入場分のチケットを持っていた。もしかしたらまだそれほどに混雑していないかと淡い期待を抱いていたのだが、それはやはり甘かった。10時半になっても入場はノロノロで、少人数ごとに順々に入るように制限されていた。ようやく展示室に1歩足を踏み入れる。すると、おおっ・・・ものすごい混雑ではないか!

場の時間は決まっていても、退場の時間は決まっていない。当たり前だけれど、美術観賞にはその人なりのペースがあるから、興味が無ければサッと通り過ぎてしまうだけだし、好きな作品があればその前でいくらでも見とれていて良いのだ。だから展示室の中はとても混雑していて、人々は思い思いの方向へ向かって不規則に歩き回っているからけっこう気を使う。時々後ろの方から熱心に見ている人を遮ってしまっていたりするので、他の人に迷惑をかけないように注意しながら自分でも好きな物をじっくり見る。焦らずに前の人が退いてくれるのを待って、交代でベストポジションに入り込む。でも、じっくり見とれているうちに大切なものを抜き取られないように、鞄を体の前に抱えておくことを忘れない。

えばこんなに混雑した室内で美術観賞をしたのはとても久しぶりである。日本の美術館の窒息しそうな芋洗い状態ほどではないにしても、ちっともまっすぐ歩けない。人とぶつかる度に「Excuse me.」の連続である。「Matisse Picasso展」はずいぶん人気があるのだと感心してしまった。それに、よくぞこんなに集めたな・・・という展示作品の数々に驚いた。残念ながらスペースの関係か、常設展示はとても小規模にされているような気がしたけれど、特別展だけでも観ごたえは十分だった。

「Matisse Picasso展」は5月19日までの公開なので、ゆっくりと楽しみたいならば是非とも朝1番か、平日に行かれる事をお勧めしたい。


Mar 29, 2003

ュージカル「CHICAGO」を観た。1月の末から劇場をもう少し小規模な場所に移動したせいか、はたまたアカデミー賞を受賞した同映画の影響なのか、今日は超満員の舞台だった。「CHICAGO」を一言で紹介するなら、大人のためのミュージカル・・・という感じ。見所はセクシーなダンスと、聞きごたえのあるジャスと、二転三転する、意味のあるような無いようなおかしな物語である。

れ話のもつれから愛人を撃ち殺してしまった主人公が、金さえあればどんな依頼も引き受けるという敏腕(悪徳?)弁護士を味方につけて正当防衛をでっちあげ、自分を悲劇のヒロインとして無罪を勝ち取るまでというのが大きな物語の流れなのだが、ゴシップの中心となって一時の名声を得る事に快感を覚えた主人公と、彼女を取り巻く人間模様の滑稽さが面白い。

ュージカルのテーマになっているのが、不倫・殺人・強欲という非常にゴシップ的な内容なので、皮肉で難解な内容よりも幸せで愉快なミュージカルが好きだという人には不向きかもしれない。それにジョークやセクシーな衣装も大人向けだと思う。肝心の英語はというと・・・うー、悔しいながら難しかった。ダンスだけでも楽しめるけれど、英語に自信が無い人は物語の予習をしておいたほうが無難である。あらすじを知らなかったら、私も???の連続だったことだろう。

後に、劇場が小さめになったことで舞台と観客席の距離がぐっと縮まったのではないかと思う。黒一色の衣装をまとったダンサーが放つパワフルでセクシーなダンスや歌声で、劇場内は熱気ムンムンになっていた。役者さんから熱を感じられるミュージカルというのは実は少ない。派手で豪華なセットは全くないし、舞台装置もかなり単純なのに、ほとんど出演者の魅力で引っ張られたという舞台だった。次は映画の「CHICAGO」を観て、比べてみよう。


Mar 28, 2003

が家の近くに新しく出来た日本食レストランへ行ってみた。私は、初めての日本食レストランに行く時には必ずてんぷらを頼むことにしている。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、これは私のささやかなこだわりである。

んぷらは、日本料理を勉強する際に必ず1度は通る道である。きれいな揚げかたはもちろん、きれいな衣の付けかたにだってコツがあるのだ。学生時代の授業に時々各国料理のプロのシェフがゲストとしてやってきて、定番の料理のデモンストレーションをしてくれたけれど、片手間に料理人が話す裏方の話が楽しかったのを思い出す。

えばホテルの朝食などで目の前で作ってくれるオムレツを焼くのは新米の仕事だとか、先輩の包丁磨ぎをさせてもらうのも大切な修行なのだとか、寿司の卵焼きがいかに大切かとか、そういう類の話をよく聞いた。その時にあった、衣を付けて揚げるだけだから一見簡単そうに見えるてんぷらも、実は奥が深いのよ・・・という話が私にはとても印象深かった。

こはアメリカなのだから文句は言えないけれど、外から見える寿司カウンター(こちらの日本食レストランには必ずと言ってよいほどある)にだけ日本人らしき職人さんを配置して、裏方では何処の国出身だか分からないバイトの人にてんぷらを揚げさせているような店が多い。今までで1番最悪だったてんぷらは、昼にまとめて揚げた物を保温器に入れていたような、しなびた衣がついたぬるいてんぷらである。そんなことがあったから余計に挑戦的な気持ちになってしまい、どんなお店でも私はやはりてんぷらを頼みたいと思ってしまう。

がてんぷらの評価基準にしているのは、エビである。もちろんてんぷら盛り合わせの構成も大きなポイントながら、やはりてんぷらの主役ともいえるエビは料理店の格を見せてくれるアイテムなのだ。てんぷらのエビをまっすぐ大きく見せるように揚げるには、下処理の包丁の入れ方と揚げる時の入れ方と、揚げている途中に付ける飾りの衣をうまくすればよい。

も、大きく見せる事だけにこだわったかのような“ほとんど衣の厚着状態”なエビにはガッカリしてしまうので、見栄えさえ良ければよいという訳ではない。例えばてんぷらうどんの上に大きな海老天が乗っていて喜んでいたら、出汁が染みて衣が剥げ落ちて、ひょろひょろの情けないエビが姿を現したときの落胆はつらい。

日のお店で食べたてんぷらは、ちょっと小さめのエビで見かけは今ひとつパッとしないながらも、衣は薄めで揚げ具合は丁度良かった。でも値段がそれなりにしていた割にエビが2本だったというのはちょっと不満だったかもしれない。いつかどこかのレストランで、満足のゆくてんぷらが出てきたならば、それだけでお気に入りのレストランに加えてしまうかもしれない・・・。


Mar 27, 2003

校の帰りは、衝動買いの危険時間かもしれない。特に木曜日は・・・。

み明けの、ボケて緩んだ頭にはとても忙しかった今週。授業が終わったら素晴らしい爽快感に見舞われて、ついつい寄り道をしてしまった。本当に天気が良くて、運転中は窓を開けて外気に触れていないと汗をかいてしまうような日差しだった。授業を終えた開放感に加えて、顔に受ける春の風とラジオの音楽に、すっかり幸せな気持ちになった。これも昨日までの窒息しそうなプレッシャーがあったからこそなのだろう。

関のドアにかける手頃で春らしいデコレーションは無いかと、学校の近くの雑貨屋に行った。店内は、もうすぐやってくるイースター(復活祭)のウサギや卵をモチーフにした商品が多く並んでいて、色々と手にとって眺めるだけでも元気になれそうな気がした。さらに、一足早いピクニック気分を駆り立てるようなマットや、カラフルな樹脂製のお皿セットなどがきれいにディスプレイされていた。ついついお出かけしたい気分が盛り上がってしまう。

目当ての玄関の飾りは、私のイメージするような良いものが見つからなかった。それで手ぶらで帰ったのかというと、そうではない。先ほどのイースターコーナーにあった卵の形のぬいぐるみを、そのあまりの可愛さにつられて買ってしまったのだ。高額ではないものほど、気楽に買う気が起こってしまうから危険なのだ。これぞまさしく衝動買い・・・。また買い物リストに載っていないものが飛び入りしてしまった。
卵の横についたファスナーを
そっと開けて見ると・・・

んま!

ぬいぐるみが入っているのです。
まあいいか、今週はくたくたになるほど頑張ったもんね。
うさぎ・ひよこ・ひつじ


Mar 26, 2003

の8時半からボチボチと課題に取りかかっていたら、あっという間に一日が過ぎてしまった。もはや発狂寸前である。怒り心頭、なのに当たり所が無い。どうにかしてくれぇーっ!と叫びだしたい心境である。プレッシャーの下にいるといのは本当に精神衛生上よろしくない。日記に八つ当たりしてしまって、ごめんなさい。最近miyamuから音沙汰無いなぁとお思いの皆さん、私は元気です。ただ、とっても忙しいの・・・。

回のOut-class Essayのテーマは3つ。私が選んだのは、先進国における子供を持たない夫婦の増加と、その考えの長所と短所について。他の2つは、10代のカップルが親になる事は良い事かどうかというのと、子供を持つ夫婦の離婚によってもたらされる子供への影響についてだった。どれもこれも、はっきり言って書きたくないよ。フフフ・・・(いい加減に壊れてます。)

うそう、最近急激に暖かくなってきたので、ご近所の庭の芝生も生えてきた。枯れ草色だった場所が、だんだん新緑の色に変わってゆく様子は素晴らしい。春の訪れと、それに生物のパワーを感じる。車に乗っていても、窓は全開で丁度良い。すっかり良い季節になった。これから一気に咲き始める街路樹の花も、春の楽しみの一つだ。ああ、これで課題さえなければ最高なのに・・・。

から、「宿題終わった?」と聞かれると返事するのが辛い。黙って首を振る。終わってないってばさー!!と泣けてくる気分を振り切るべく、とりあえず明日を乗り切るという目標を立てた。ともかく明日は中間成績なのだから、めげていてはいけない。そうそう、もうちょっとだ。頑張れミヤムー!


Mar 25, 2003

み明けの学校が始まるなり、いきなり怒涛の勢いである。はっきりいって、帰ってくるなりもう時間が惜しくてどうしたらいいのか分からないといった感じ。木曜に締め切りとかいう作文の第一草稿は、今日初めてもらったテーマで印刷用紙4枚分とかいっているし、オイオイ、という感じである。タイプ自体が遅いっつうの。

の上かなりどうでもよい宿題がどさっと(こちらも木曜日の発音クラス用)あって、これが時間がかかる割に面白くもなんともない・・・いっそやらないままでいようかと危険な発想が浮かんでくるような代物なのだ。1番厄介な「朗読している自分の声を録音」というのも残っている。とりあえず、本命の作文は明日やるにして、今日はそのどうでもいい方を片付けないといけなかった。でも授業から帰って来たら、もう夕方だし、食事の支度はしなければいけないし、泳ぎにも行かないとだし・・・ウオーー!

ういう訳で、押しに押して今ごろ日記を書いている。これはべつにノルマではないけれど私の日課だから、こういう荒れ狂う私の様子を書いているわけだ。日記は気分転換になるからよい。でも、日記すらかけない状態は近いかも・・・それはもう末期症状だ。おそろしい。

局、宿題は残っているし、明日は1日中かかるだろうなぁと覚悟の上でもう寝よう。疲れちゃ何もはかどらないのはよく分かっている。そうそう、中間成績は延期になって、木曜日に戻ってくる事になっている。教授との面接もあるから、そちらで言いたいこともあらかじめメモっておかなければ。


Mar 24, 2003

然としてアメリカとイラクの戦争が続いているので、ニュースも雑誌も新聞もその話題ばかりである。めまぐるしく報じられる新しい戦況ながら、英語のままでは理解不能な私はインターネットを活用している。本当にネットなしでは生きてゆけない。こんな世の中では、大事な事を聞き漏らしていた!と、たった1日でも時代遅れになりかねない。

争のせいで中止になるかと懸念されていたアカデミー賞の授賞式だったけれど、予定通り無事に行われた。あの赤いじゅうたんも、普通に敷かれたままだった。授賞式では、私の期待と予想を裏切らず「Spirited Away(千と千尋の神隠し)」が長編アニメ賞を受賞した。公開当時は上映されていた映画館がかなり少なめだったこともあって、今回の結果を受けて再度全米で公開されることになるのだろう。つくづく日本のアニメ文化は凄いなぁと思う。自分も一日本人として、世界に誇れるものがあるというのはちょっと嬉しい。

曜日。今日は残っていた宿題を仕上げて、文法の小テストのためにおさらいをした。またいつも通りの1週間が始まってしまったのね・・・。心はもっとお休みしていたいと願っているけれど、これ以上休むと復帰がきついだろうというのは分かっている。とても短い春休みだったけれど、楽しい時間を過ごすことが出来たからよかったとしよう。

日は休み前に提出していた課題の束、Portfolioが返却される。ファイルの中には、中間の成績表が新たに挟まっているはずだ。この結果次第で、今学期の成績が大体わかる。私は自分が今回提出した課題が自分の能力の限界だと思っているので、それがもし今ひとつの評価しかもらえていないのならば、最終的にもきっと大きな巻き返しは出来ないだろうと思う。今のクラスはみんなの出来が良いから、平均から飛び出した好成績を狙うのはさらに厳しかったりする。でも、なんだかんだ言いながらもこうして無事に折り返し地点まできたのだから、成績云々よりも自分でもよくやっていると誉めてあげよう。

校がまた始まる。ふ〜〜・・・と深呼吸してから、行って来ます!


Mar 23, 2003

曜日にニュージャージー(NJ)州に行く用事があったので、天気のよさに感謝しつつドライブがてらに出かけた。NJ州はNY州の隣で、マンハッタンから見るとハドソン川を挟んで西側に見える。川を渡った辺りは、マンハッタンに勤める人にとって人気の住宅地になっており、夜になると川沿いに立ち並んだアパートメントからもれる灯りがとても美しい。

が出かけたのはマンハッタンから車で2-30分程度の場所にあるセコーカス(SECAUCUS)という町である。ここはアウトレットセンターが点在していることでNYの観光ガイドブックなどにも出ている。私の家からは高速道路で1時間強ほどかかる。せっかくその辺りまで出かけてみるなら近くにある物にも立ち寄ろうと、アウトレットに行ってみた。結局、帰る頃にはメインの用事よりも買い物の方がてごたえがあったのだけど・・・。

コーカスのアウトレットは、他のモール形式のアウトレットとは異なる。徒歩であちこち歩き回るにはちょっと遠い距離に、店舗が分散しているのだ。これだと車がないと辛い。そもそも町自体が、車が無ければ立ち寄れない場所のような気もする。そんな訳で、買い物袋をぶら下げて歩き回れるような感じではないので、ここに立ち寄るならば車を持っている人と一緒に・・・というのが基本だろう。

J州で買い物をする魅力は、セールスタックスの低さにあると思う。セールスタックスは小売売上税というもので、日本でいう消費税のようなものだと思う。セールスタックスはお店で商品を買う段階で、買い物客に課税される。消費税は流通過程のすべての商品・サービス取引にかかる付加価値税方式なので、この辺りが微妙に異なる。

んといっても、NJ州では衣料品と靴に消費税がかからないのが嬉しい。数年前からマンハッタンでも100ドル以下の衣料品と靴に消費税がかからないけれど、いわゆる高級品とされる買い物をする人からはきちんと税金を取る。ちなみにNJ州は衣料品・靴が無税なのに加えて普通の買い物にかかるタックスは基本的に6%である(間違っていたらゴメンなさい)。マンハッタンを含むNY市では8.25%課税される。(州から4%、市から4.25%)余談ながら、アメリカでは嗜好品以外の食料品には税金がかからない。これはきっと州が違えどき本のルールなのではないかと思う。

がアメリカで面白いと思うのは州ごとに法律や税金が異なることである。当然セールスタックスについても州ごとに規定が違っている。さらに複雑なことに、同じ州に住んでいても郡や市によっての地方税が細かく異なっているので、州境や町境に住んでいる人にとっては買い物の知恵が働くのだ。同じ物を買うにしたって、少しでも安い州に出向いた方がお得だからだ。

うそう、NJ州で買い物をしたら、忘れずにガソリンを入れて帰ろう。NJはガソリンの価格もとても安いのだ。


Mar 21, 2003

に泳ぎに行こうと思っていたのに、夕方をすぎて雷が鳴り出した。高い建物が少ない場所に住んでいる事もあって空を遮るものが無いため、こちらの雷雨は音が大きくてよく見える。東京に比べると、気象の変化がもたらす現象の一つ一つが派手で、容赦ないと思う。仕方が無くプールは諦めた。

光で時々明るくなる窓の外を眺めるのは、音や振動が響いて怖いけれど同時に美しいとも感じる。もうとっくに日が沈んでいるのに、真っ暗な空が一瞬明るくなるほどの光を放っているのだから稲光のエネルギーはすごい。この頃に起こる雷雨というと、暖かさと寒さが競い合って発生するのだろう。これが春雷というものならば、じきに暖かくなるのかもしれない。

日は1日中家にいて、目が痛くなるほど集中して本を読んでいた。ご存知のハリーポッター第4巻である。まったく、私は一体どうしたのだろうか?やろうと思っていた用事はみんな放り出し、眉間にしわを寄せて無言で本を読むだけの1日だなんて。かなり不健康である。それに、はたから見たら怖い顔をしていたことだろう。無我夢中とはこのことを言うのだ。

リーポッターの第4巻は長い。もはや児童書とは思えない長さである。しかも分厚い上下巻なので、読み終わるの時間が掛かった。私は昨日からの2日がかりで一気に読破した。昼間の貴重な時間を全て費やして、この春休みのほとんどを2巻〜4巻まで読むことに使ってしまったという感じだ。

書中、時々ページから顔をあげては時計を見た。

「(朝8時半、)ええと、今日は何時に出かけようかな。(と言いながらソファに腰掛け、本を読む。)あ!もう10時だよ。まあお昼頃に出かけるかな。(と言いながらお茶をすすり、本を読む。)あ〜・・・もう12時だ。でも、もうちょっと、この章を読みきってから・・・。あぁ〜!っていうかもう2時だよ!お昼食べなきゃ・・・(口はもぐもぐ、片手には本。)げっ、もう4時じゃん!?もう出かけるのやめよう・・・こうなったら最後まで読むよ。(おやつを探しに休憩後、続きを読む。)ハァ・・・5時かぁ。夜にプールにだけは行かなくちゃ、何にもしない日になっちゃうよ。(夫外食のため、のん気。)ゴロゴロゴロ・・・ん?あれは雷?おっもう6時だ。しかも雨じゃん、7時までに止むかな??(と言いつつ本を読む。そして7時ちょっとすぎ、)あ゛ーー、やっと読み終わった!!!つかれたぁ」

るっきりこんな感じの1日であった。結局7時半になっても雨は降り続き、プールは諦めたけれど、まあいいや・・・本を読むのは休み中に終わったのだし。

して私は今、宿題を後回しにしているという現実に引き戻され、夏休みの終わりに絵日記を仕上げにかかるような気持ちになっている。ハァ〜春休みもおしまいなのね・・・。トホホ。


Mar 20, 2003

争が始まったことで、周りからは安全を気遣うメールや電話を頂く。いつも何が起こるか分からないと思っているから、そんなに心配しないでも大丈夫だよとは言っても、やはり非常事態であることには変わりない。もう始まったからには徹底的にやるのだろうから、実に恐ろしい事になってしまったと思う。でも、常に“何かあっても、その時はその時だ”としか言いようが無いのだ。

ちらはテロに警戒するレベルが上から2番目のオレンジ(HIGH)になっているとはいえ、このような緊張感はずっと前から引き続いているので、市民の暮らしはそれまでと大きくは変わらない。ただTVのニュースだけはこのことだけで、1日中ずっと中継映像が絶えずに状況を報じている。

くから届くテレビ電話のようなぎこちない映像や途切れる音に、それが今地球の離れた場所で起こっているのだということをぼんやりと感じる。私はリビングルームのTVの前で、このように刻々と変化している戦争の様子を眺めているのだ。この、格差は一体何なのだろう。戦争が現実に起こっていることも、映像がつながっている向こう側の世界も、どちらも紛れもない真実だとは信じ難い。

新の情報は、もはやインターネットで入手するようにしている。スイッチを入れっぱなしのニュース番組は何かを伝えているけれど、こうして何か他の事をしている私の耳は英語を言葉として拾わない。単なる人の声(音声)だという認識しかない。ニュースをじっくりと画面を食い入るように見つめて、何をいっているのかを真剣に聞こうとしなければ分からない。困った時はやはり日本語が1番よい。私の英語耳はそんな程度だ。


Mar 19, 2003

夜は夫が会社の送別会で不在なので、私の一日は長い。ちょこちょこと家事をして、本を読んで、宿題を少しして、それからビデオを見た。ビデオは、ESLの授業で使われている「Kramer vs. Kramer(クレイマー、クレイマー、詳しくは3月3日の日記)」。2週間ほど前にちょうどTVで放映されていたのを録画しておいたのだ。前半はもう見たので、今日はその続きである。

々に、映画で泣いてしまった。終盤に差し掛かる頃から目頭が熱いものを感じていたけれど、ラストシーンに向かってゆくにつれて涙腺が緩みっぱなしで、ボロボロ涙が止まらない。この映画は本当に良い!なんというか、家族愛ものだとか名子役に弱い人にはハンカチ必須の映画なのだ。これを見終わったら出かけようと思っていたのに、顔を鏡を見たら1時間は自宅待機という姿になっていた。この調子では来週の授業でもまた泣いてしまいそうだ。でも、ただでさえ感情表現の激しいクラスメイト達に囲まれているのだからきっと大丈夫。みんなで一緒に泣けばいいさ!

うやく出かける支度が出来たので、ショッピングモールをウロウロして、とりあえずお目当てのバースデーカードを購入した。アメリカには何かとカードを送る習慣があるので、カードのバリエーションはとても充実している。お父さん、お母さん、兄弟、姉妹、息子、娘、孫、おじいちゃん、おばあちゃん、継母・父(この辺がアメリカン)、親友、洗礼上の父母、彼氏、彼女・・・等々。このそれぞれに専用のバースデーカードがあり、しかも特別な区切りの年齢ごとにも用意されていたりするから面白い。

りに図書館に立ち寄った。借りていた本を返してから、ハリーポッターの4巻は返却されているかを見に行った。館内の蔵書はコンピューターで検索が出来るようになっているので、harry potterと入力してみた。すると、日本語版はローマ字読みのhari pottaで登録されているらしかった。私の住む街には全部で3ヶ所に図書館があるのだが、検索することで探している本の所在と状態(本棚にあるのか、又はいつまで貸し出し中なのか)が簡単に調べられるようになっている。

調べてみると、ハリーポッター第4巻の上巻は本棚に入っているらしい。でも、探しに行くっても見つからない。多分本は返却されたばかりで、まだ本棚に戻される前のラックに積まれているのだろう。夕方にもう1度来たら戻っているかもしれない。1日に図書館に何回も来るのは面倒くさいけれど、それほどまでに私のハリーポッター熱は強いらしい。ここまで来ると執念に近い。

方にプールに行ってから、その帰りにもう1度図書館に行ってみた。戻っていますようにと心に願いつつ、本棚に近近づく。すると、やっぱりあった!他のものを探している間に誰かに取られないようにと、上下巻ともすぐに貸し出し手続きを済ませた。これは一気に読んでしまいそう、今夜は寝不足かもしれない。

がいなければ、食事はあれこれと作らない。1人ならば手抜きでもよい。濡れた水着と図書館で膨れた重いバックを背負いながら、オーガニックスーパーに寄った。最近出来た魚のスープコーナーで、ロブスタービスクを買おう。スープはセルフサービスになっていて、カップの容量ごとに値段が異なる。私は1番小さなカップを選んで、フタが閉まるギリギリまでスープを入れた。

のお店、夕方は大抵いつもパンの試食が出ているので、この時間に立ち寄ると楽しかったりする。今日は3種類の食事パンが出ていて、沢山の人が群がってパンを味見していた。どさくさに紛れて繰り返し現れては、丸々1個分くらいは食べているおばさんや子供達がいたりするのが可笑しい。

メリカのパンは、おいしいかどうかの当たり外れが激しい。試食できるのはしてからでないと、失敗した時が悲しいのだ。今日は最後に試食したパンが美味しかった。フランスパンのように外側がパリパリで中がしっとりしていて、スープやオイルにつけて食べるのがオススメだという。それがまだ焼きたてで温かかったことで、私の購買意欲と食欲が一気に駆り立てられてしまった。お買い上げである。空腹時のスーパーは危険地帯だとは分かっていたのにね・・・。

に帰って、スープを食べながら思う。「今日は何だかいい日だったなぁ。」美味しいものを食べられて、買い物に出かけられて、好きな事が出来て。普段なら当たり前なことかもしれないのに、今まで忙しくしていた分だけ全てが嬉しく思える。それはきっと今が春休みで、やりたい事をやりたい時間に気ままにできるのが久しぶりだからなのだろう。ラッキーなことに、希望通り本も借りられたし・・・これであと数日は、充電できるな。

追記です
2日前にブッシュ大統領が宣言した48時間が過ぎてしまいました。そして、それから間もなく攻撃が開始され、戦争が始まってしまいました。TVではずっとイラクからの映像が流れ、メジャー局ではどこも臨時ニュースを放送しています。始まってしまったからには、アメリカの計画は遂行されてゆくでしょう。このまま戦況を見守るしかない、そういう状態になってしまいました。


Mar 18, 2003

ウンターがもうすぐ20000を突破しそうな気配である。こんな、あまり役に立たないお気楽サイトに来ていただいている皆様には、管理人としては感謝の気持ちで一杯である。いつもいつも、どうもありがとうございます。
これからもボチボチと更新してゆきますので、どうぞよろしく!

末から引き続いて、穏やかな天気が嬉しい今日この頃。友人とランチをしようとマンハッタンに出かけた時に、既に真夏の装いで颯爽と道行く人々がいたので驚いた。今からそんな薄着で、夏になったらどうするつもり?と思わずツッコミを入れたくなってしまう。かなり余計なお世話である。でも、昼間の日の当たる場所ならば、コートなしでも気持ちよく過ごせるなんて。長かった冬からの脱出の日は近い。

更ながら、最近の私はハリーポッターの小説にはまっている。このシリーズ、児童書とはいえなかなか手強い分厚さなので、まとまった時間があるときに手を付けようと思って待っていたのだ。私は本を読み出すと、なかなか途中では止められない性分なのだ。まして教科書ではなく、面白い小説ならば尚更である。

こで、春休みの今がチャ〜ンス!とばかりに図書館で3巻まで借りて一気に読んだ。(注:もちろん翻訳版である。情けなや。)時間を忘れて没頭して、立て続けにここまで読むと、今度は続きが気になって仕方ない。幸い最新の第4巻も図書館にはあったのだが、それは上下組で、今上巻が貸し出し中になっているのだ。残念ながら待ちわびている。ああ、きっと待っているうちに春休みが終わってしまうわ〜・・・。

際に読んでみると、ハリーポッターが児童書としてでなく幅広い年代から支持を受けているという理由もわかる。ハリーポッターを読んでいると、イギリスの古き階級制度や学校教育や、お金持ちなのに心が貧しいインチキエリートへの皮肉的な描写が垣間見られたりして興味深い。話の端々にいくつもの複線が張り巡らせてあったり、魔法が現代を舞台にした物語だというのも面白い。人物の描写なども、私が同世代の子供だったらとても共感しそうな部分が多い。

リーポッターのジャンルは、何なのだろう?冒険魔法ファンタジーというのが妥当なところなのだろうか。まさに自分からは進んで読まなさそうなジャンルなのに、いざ読んでみたら良かった。世間の評判が良くても、人からいかに薦められても、実際に自分の手にとって読み始めるまでは「本当にそんなにいいの?」と思っていたのになぁ。

の魅力というのは、とても不思議なものだ。そういえば以前に指輪物語を読んだ時にも、自分の固定観念を打ち破る内容に感動したのだった。ハリーポッターと指輪物語は全く異なるけれど(指輪の方は哲学的な要素が強く、かなり大人向けだと思う。)いつか原書でも読みたいと思わせる本だということは確かだ。児童書なら、英語の練習には丁度良いかもしれない。・・・分厚いけど。


Mar 17, 2003

の8時からブッシュ大統領の演説があった。どこのニュースチャンネルでも、同時に生中継に変わってこの様子を伝えていた。演説では、48時間の猶予中にフセイン大統領とその息子たちがイラクを離れることを要求することをはっきりと言い切った。48時間・・・。これから世界はどうなってしまうのだろうかと漠然と考えてみるも、わからない。これまでの長い戦争の歴史があっても、まだ新しい戦争が始まることを避けられないのだろうか・・・?


Mar 16, 2003

日はとても暖かい日だったので、コート無しで外に出た。3月もいつの間にか折り返し地点だし、ようやく本来の時期相応の気候になっただけなのかもしれない。それでも、穏やかな春らしい天気がやけに嬉しく思えてしまう。何せ今年は記録的に寒い冬だったのだ。

で買い物に出たら、町中に今日の暖かさを感じさせる光景を目にした。この暖かさを待ってました!とばかりにオープンカー比率の高いのなんのって。ちょっと身なりのよさそうなおじさまたちがサングラスをかけて、暖かな風を受けて走っている。う〜ん、渋いわ。

にとっては無縁のことながら、この辺りでオープンカーが増えるというのは春から夏のお約束である。私の住んでいる場所から少し離れたところには高級住宅街があるのだが、その辺の有閑おじさまたちのセカンドカーが春の陽気に出てきたのだろう。雪の季節をガレージの中で逃れていただけあってか、みんなピカピカ!う〜ん、悔しいけどかっこいいわ。

和な陽気とは裏腹に、アメリカの戦争へ向けての猛突進は止まらないようだ。イラクへの攻撃が始まる時まで、もうギリギリの瀬戸際に来てしまった。随分前からそうだとはいえ、今度こそ本格的に危機感を感じる・・・。これから、世界は一体どうなるのだろうかと思う。将来のことを考え出すと果てしなくて、最後にはただ祈るような気持ちになる。平和って何なのだろう。


Mar 15, 2003

が家の食事は、基本的に自炊の日本食である。朝食と夕食はたいてい家で何かしら作って食べている。日本にいた頃よりもパンを食べる機会が増えたのは確かなのだが、朝はやっぱり御飯の方が落ち着くし、できる限りは御飯とお味噌汁を食べるようにしている。そんなことを書くと健康そうに思えるけれど、実は問題もある。以前は朝にアジの開きや紅鮭やシシャモなどの魚を食べていたのに、今は別のおかずで代用している。そう、私の食生活は魚から遠ざかっているのだ。

メリカのスーパーで手に入る材料で日本的な食生活を維持するのは難しいわけではない。ただし、新鮮な魚があまり手に入らないために肉の比率が高くなってしまう。私の作る料理がつい洋食寄りになってしまうのは、肉が多いからなのだろう。時々焼き魚が恋しい気分でも、ちょっと生臭い売り場に怪しくだらりとディスプレイされた魚を買う気がしない。

ういえば、このところ私は魚を食べる機会が極端に減っている。何不自由ない食生活と思いきや、魚に関しては少々難ありという感じだ。もちろん日本食料品店に行けば新鮮な魚を買うのはたやすいし、デリバリーしてもらうサービスなどもあるにはある。でも、いいものを買おうと思えばそれなりの出費が必要だし、2切れの魚を買うより500gの肉の方が安ければ、ついついお肉を選んでしまう。おまけに主菜としてのボリュームを考えると、魚は値段の割に満足度がつり合わない。そんな訳で、私の料理のバリエーションも魚不足である。

「アメリカでは何を食べているの?」と、時々日本にいる友人から聞かれる。私は「普通に日本食を食べているよ。」と答える。でも、純粋に和食なのかというとそうではない。何が日本食と呼べるものなのかと考えるとカレーライスやハンバーグなどは微妙な存在のように思えるからだ。カレーもハンバーグも日本の家庭料理では定番ながら、和食ではなくて洋食だ。私は日本食を作っていると思っているけれど、日本の洋風家庭料理というのが合っているのかもしれない。


Mar 14, 2003

えば、今日は3月14日。日本ではホワイトデーというイベントなのに、こちらはホワイトデーなるものは無い。でも、ふと前を通った日系スーパーに「ホワイトデー」という横断幕があったものだから日本の習慣を思い出した。そうか、今日は男性から女性へのお返しの日!なんて言っても、バレンタインデーで何か特別な贈り物をしてもいないのにお返しも何も無いか。

だ寒さの残るNY。太陽が照っている時はまあまあ暖かいけれど、風はとても冷たい。マフラーなしでは首元が寒いわ・・・と周りの人を見てみる。何だか今日はやけに緑色のマフラーを見かけるような??ああそうか、3月17日はSt. Patrick's Day(聖パトリックデー)というアイリッシュのお祭りだ。この日は聖パトリックというアイルランドの守護聖人を祭ったイベントが各地で行われる。

t. Patrick's Dayのラッキーアイテム(?)、それは鮮やかな緑とクローバー(shamrock・シャムロック)。聖パトリックがキリストの三位一体をクローバーの三つ葉を使って説明したといういわれがあるとか。NYでも毎年恒例のパレードが行われるので、街中が緑色の物を身につけた人達で賑わう。特にアイルランド系の人が多いNYなので、アイリッシュバーではこの日は夜通しお祭り騒ぎになる。

も、大々的に「今日はSt. Patrick's Dayだー!」などといっても、別にアメリカ中が祝日となるわけではなく、実はただの普通〜の日だったりする。学生や社会人には全然関係なかったりするからちょっと寂しい。アメリカは祝日が少ないんだから、お休みにしたらいいのに・・・。


Mar 13, 2003

曜日が終わって、これでようやく春休みに突入っ!授業が終わって、帰り道は超ご機嫌である。なんてことない普通の1週間なのに、これほどに時間を貴重に感じるとは・・・日頃の圧迫がどれほどかと思い知らされる。ちょこまかとした宿題はあるものの、そんなのいつもの作文に比べれば可愛いもの!!ビバ春休み。街よ、友よ、私を待っていておくれ〜!

み中に読む本を借りようと図書館へ行った。私の住む町の図書館には日本語の書籍が充実しているのでとても嬉しい。これまで借りていた本を返してから、さっそく新しい本を探しに行った。本を読む時間があるのも嬉しい限り。目当ての本を2冊持って貸し出し口へ行こうと歩いていたら、あることに気付いた。「あれ、私の図書カードはどこだっけ・・・?」

てて鞄を探しても、財布の中を探っても、カードは見つからなかった。家を出る時には絶対に持っていたはずだからと、じっくり考える。そうだ、さっき返却した本に挟んでおいたんだった!本を返したのは数分前の事だし、すぐに見つかるはずだと思いつつ、急いで返却口へと向かった。

イミング悪く、返却口は混んでいた。さきほど私の対応をしてくれた図書館のスタッフは他の人に付きっ切りだった。ソワソワしながら待っていたら、後ろの方から「何か御用ですか」と見慣れない男性スタッフに声をかけられた。違う人に聞くのもどうかと思いながらも、とりあえず事情を話すことにした。

「ほんの数分前に返却した本に、私の図書カードを挟んだままでした。」そうしたら当然ながら「なんていう本?」と聞かれてしまった。私の借りていた本は日本語のものだから、タイトルを言っても通じるはずも無い。あたふたしながら、ただ「日本語の本です」としか言えない私に、その人は「ちょっと待っていて」と言って返却ボックスや返却ワゴンから手当たり次第に日本語の本を持ってきてくれた。残念ながらその中には私の借りていた本は無かった。

「もう一度見てくるから」と言ってその人がまた裏手に引っ込んでいる間に、私がその人と話をしていたところを見ていた中年の女性スタッフの人に「あなたは○○のガールフレンドなの?」と聞かれた。何で突然そんなことを言い出すのかと「ハ???」となっていたら、「あぁ〜ら、いやだわ。勘違いしちゃったわ!○○が女の人と話していたから!」と妙にハイテンションで言われた。「彼、とてもいい人なんだけど、相手がいないのよ〜」と付け加え、とても残念そうだった。ううむ、これって老婆心というのだろうか?その女性スタッフの反応が強烈だったので、戻ってきた彼の顔を見たら笑ってしまいそうだ。だってその彼、どう見ても30代後半くらいだったから・・・。

うこうして待っているうちに、私が本を返したスタッフの人が空いたようだった。そこで私は改めて事情を話して、さっきの本はどうしたかと聞いてみた。そうしたら、「さっきの本ならまだここに積んであるわよ」と言ってカウンターの下から取り出すではないか。他の人にわざわざ探してもらったというのに、いとも簡単に解決してしまって申し訳ない気持ちになってしまった。図書カードはやっぱり本に挟まっていた。色々と探してくれた人にはよくお礼を言っておいた。無事に本も借りられた事だし、電車に乗る時にでも読もうっと。


Mar 12, 2003

に友人からお誘いを受け、近所のレストランでランチをした。なかなか素敵な食べ放題だった。ズラリを並んだ料理の数々はアメリカンというよりは色々な西洋料理を組み合わせたような感じで、食べ放題にしては高レベルな味が楽しめた。以外な穴場でも、知っている人は知っているのだ。私ももう少し周りを見習って、探究心を持ってあちこち冒険しないとね・・・。

週は待ちに待った春休み。恐れていた大物の課題もどうやら出なさそうなので、少しは休みらしい生活がおくれそうな予感である。このところ課題によって生活が荒んでいたから、嬉しいなぁとしみじみ思う。

も、休みの前には厳しい山場がしっかり用意されているものらしい。春休み明けに中間成績が出されることになっているので、これまでに書いた作文の初稿から最終版までをすべて揃えて明日までに提出しなければならないのだ。提出したものは休み明けまでの1週間で複数の教授に評価される。もしかしたら教授には春休みなんて無いのかもしれない。学生の数は沢山いるし書いている量もそれなりにあるから、読む方も大変だと思う。

日は提出するものをチェックして細々とあるミスの手直しをしていたら、ほとんどそれだけで1日が過ぎてしまった。さすがに疲れた。家にPCやプリンタが無い人たちは一体どうやってこなしているのかと思う。わざわざ学校に行かなければならないのはとても大変だし、まして車が無かったらどうなることやら。

報ではまた雪が降るというけれど、明日を乗り切れば幸せが待っている!あと1日頑張ろうっと!


Mar 11, 2003

たな戦争に向けていきり立っている感のあるアメリカ(の上層部)。イラクに攻撃をするという姿勢のまま、その最終決断を下すという期限が延びている。時間が熱くなった国民の頭を冷やしているのか、戦争を始めようという強固な大統領の姿勢に不信感が募っているのか、少しずつ支持率も下がって来ているようだ。

のニュースで米連邦下院の食堂のメニューにある「フレンチトースト」と「フレンチフライ」をそれぞれ「フリーダムトースト」、「フリーダムフライ」に改めると決定したという内容が報じられていた。なんていうか・・・ちょっと呆れてしまう発想に感じてしまう。イラクへの攻撃を支持しないフランスの態度があちこちで反仏感情を生んでいるというのは聞いていたけれど、その不快感を表明するのに「フリーダムフライ」とな?それも連邦下院ともあろう施設で・・・。う〜む。

んな風に思うのは私がアメリカ人ではないからなのか、何なのか。でもきっと同じように疑問を感じているアメリカ人も多いのではないかと思う。


Mar 10, 2003

メリカの家庭雑貨は楽しい。単一の目的のためだけに製品化されたようなグッズがちまたには溢れている。今日はそんな素敵なアイテムの中から厳選された一品をご紹介。その名も「Pasta Pro(パスタプロ)」!

てください、この便利な鍋を!
パスタを茹でたら、ぬ・・・ぬわぁ〜んと
フタをしたまま水切りが出来ちゃうスグレモノ!
しかもフタが外れないようにロックも出来ちゃいます。
今ならこの鍋にミニサイズと、チーズシュレッダーがついて
40ドル相当のところを19.98ドル!!!


Pasta Pro? is as easy as 1-2-3!! (超カンタン、使いかたは3ステップ!)
1) Just place in your favorite pasta (お好みのパスタを入れて)
2) When ready, turn lid to locked position (茹で上がったらフタをロックして)
3) Pour the water out, keep the pasta in (お湯を流すだけ!)

のパスタプロ、最近のTVショッピングではかなりの主力商品のようである。鍋のフタに穴を空けて、鍋本体とフタにかみ合うように溝を付けただけなのに・・・。すごい名発明であるかのように大袈裟に宣伝しているから笑ってしまう。普通の鍋を使っての失敗例(湯気によってアチチとなって、流しにパスタをぶちまけるという)が実写で挟まっているのだが、それもまたアホくさい。こんな風に穴が空いていたら、湯が沸くまでに時間がかかるし、これってそんなに便利なの?

は某家庭雑貨店でこの商品の実物が売られているのを見たのだが、はっきり言ってガッカリした。もしかして、あのフタが2重構造になっていて、スライドさせれば穴が塞がるのかな?とか期待していた気持ちはあっけなく裏切られた。フツーの底が薄い鍋に、叩いたら折れそうなちゃちな樹脂で出来た取っ手と安っぽい塗装。そして何より、鍋本体とフタの形が合っていないので、フタを外すのに思いっきり金属の擦れる音がする。セットで19.98出すくらいだったらもう少し良い鍋が買えるぞっ!

んなを鍋のセットをパスタを茹でるためだけにわざわざ買ってしまうアメリカ人の主婦心理は不思議だ。水切りのためにザルを汚さないで済むわとか、フタをしたままでカンタンだとか、パスタをこぼさないで済むわとか感動してしまえる感覚がすごいかも。この鍋でパスタがプロみたいに上手くなれちゃうなら、プロも嘆くわい・・・。なんて、言いたい放題な私ですが、ご愛用中の方がいらっしゃったらごめんなさい。


Mar 9, 2003

宅のPCのマウスを新しいものに変えた。今まではPCに最初から搭載されていたシンプルなものを使っていたので、数年経って買い換えるとなると、その進化は目覚しい。とりあえずマウス売り場に行ってみたのだが、そこに並んでいた主流の商品はコードレスとかトラックボール付きのものだった。これはもうマウスって呼ぶのはちょっと??という形である。

が今まで使っていたような左右のクリックだけしかなくて、本体の裏にボールが付いているタイプのマウスは激安で、端の方に2,3種売られているだけだった。そう、今や時代はオプティカルマウスなのだ。といっても私自身、オプティカルというのが何のことだか売り場で知ったようなものなのだが・・・。超簡単に説明すれば、オプティカルコントロールというのはマウスの動きを光で感知するしくみのようで、これならもうマウスの裏にボールは付いていないし、溜まった埃を掃除する必要もないのだ。

が家のPCの主たる用途はインターネットなので、結局マウスにトラックボールの付いたものを購入した。トラックボールを指先で転がせばマウス自体を操作しなくてもポインタが動く。ということは、マウス据え置き状態でマウスパッドも必要ない。う〜ん、こうして様々な物事がどんどん快適になってゆくのね・・・。

使いやすさとデザインを第一に選んだつもりだけど、正直言ってデザインは苦渋の選択だったかもしれない。灰色(シルバー?)で大きめの本体が何だか妙にメカチックな感じで、そして何より赤いトラックボールが奇抜な雰囲気を醸し出しているような・・・!?仮面ライダーの目みたい。ここがアメリカだからなのかもしれないけれど、電化製品にデザインのセンスを求めるのは難しいような気がする。

速使い心地の方を試してみた。トラックボールは動きが掴みにくく、しばらくリハビリが必要という感じである。あまりにポインタの動きが良すぎると、手書きのイラストのように手首で操作して何か線を描こうというのには不向きのように思う。私が指先のコントロールを熟知するまでの間、はたまたみやむーちゃんなど絵を描きたい時などには旧マウスとの併用になるだろう。


Mar 8, 2003

本に帰国する時にいつも感じることがある。それは日本の台所にある流し台と作業台が低いということだ。初めてアメリカに来た時には、引っ越して来た家の台所が高い事に「ああ、やはりアメリカ人は背が高いのね」と思ったのだが、今ではその高さに慣れて適応しているので、日本の台所が低いなぁと感じてしまうのだ。

の身長は日本人女性の平均的な高さ(約160cmほど)なので、アメリカ人と比べたらもちろん小柄だし、腕も足も短い。そうなるとアメリカの作業台の高さが不便な時もある。台の上で何かしている時は、姿勢を前かがみにしなくて済むため非常に快適なのだが、パンなどの生地をこねる時などのように腕に力を込めて何かをしたい時には台の上だとちょっと高すぎて上手く行かない。オーダーメイドで無い限り、建て付けのものは一長一短なのだろう。

メリカのキッチン収納は、非常に大きい。大抵の台所には戸棚や引き出しがたくさんあって、天井の高さまで収納がある。アメリカ映画で見られる典型的な家庭のキッチンそのものである。そういえば映画「シックス・センス」でも、アパートのキッチン収納扉や引き出しの全てが開いていてギョッとするシーンがあるけれど、あんな感じで台所には収納スペースがたくさんあるのだ。

ッチン収納の1番上の段は踏み台が無ければとても使えない。それで私は普段あまり使わないものや、買い置きしている予備の物などを高い場所に入れている。でも基本的に、私はそんな上の方を使わなければならない位に食器や食料品を置いていない。ふと、アメリカの台所というよりは生活習慣自体が日本とは違うのだろうと思う。

の台所に立つと、アメリカ人家庭の典型的な暮らしぶりなどを想像できる。こんな大きな収納に入りきらないほど、アメリカの家庭には色々な物が溢れているのだ。大人数のパーティにも対応できる食器を一そろいと、やたらに買い置きされている食材と、食器洗い機用洗剤の大きな箱に、大量のキッチンペーパーのロールに、巨大な鍋セット、etc・・・。売られている商品の1パックがとても大きいこと、まとめ買い、それに家族の1人ずつに好みのシリアルがあったりすることなど、ここは何かと場所を必要とするのが当たり前の生活なのだ。


Mar 7, 2003

んと、ブロードウェイのミュージカルがストライキをしているらしい。信じられないことに、現在全ての公演がキャンセルになっている。これはオーケストラ担当のミュージシャン達がそろってストライキを決行したためで、音楽なしではミュージカルにならず公演が不可能だということからこのような事態になってしまったのだ。

夜(金曜の夜)の公演はすでにキャンセルになったとニュースでは報じられているが、このまま週末の公演もキャンセルされそうな気配である。この時期にNYに観劇に来ている人達にとってはとんだ災難だろうと思う。今週の公演のチケットを持っている人は、今後の展開に気が気でないはずだ。こんなストライキがあるなんて、そういえばこちらに来てから初めてかもしれない。

客さんは何も知らずに、この日を楽しみにしていたはずだから、そのガッカリさ加減を思うと本当に気の毒である。タイムズスクエアでビラをもって立つ人達と、今夜の予定がふいに無くなってしまい、路頭に迷ってしまった人達が悲しい・・・。


Mar 6, 2003

の7時に外を見たら、雪が一片チラっと見えたような気がした。そして食事の支度をしてから7時半にもう1度外を見たら、なんと!雪がじゃんじゃん降っているではないか。おおー、これはすごい勢いだっ!早速テレビをつける。学校のが臨時休講になるかもしれない。クローズ情報をチェックしなくては。

の授業は9時半からだった。天気予報では1日降ると言われていたにも関わらず、別に学校についての情報は得られなかった。みるみるうちに積もってゆく雪に、通学にも余計に時間がかかる。雪のせいで遅刻しないようにするためにと、8時45分に家を出た。この時点ではまだ休講の情報がこなかったので仕方が無かった。よっぽどでなければカレッジは閉まらない。授業に遅れないためにはもう行くしかない。

全防備をしてから車に乗り込んだ。駐車場までの短い時間でも全身が雪まみれになるほど降っていた。車を出そうとするとハンドルを取られる。前途多難な気配・・・。おまけにガラスが凍っているし、思っていたよりも重症だ。予想通り、道は徐行のためにとても混んでいた。吹雪の中はホワイトアウトの世界で、あまりの事態に笑えてくる。とりあえずハイウェイに乗っては見たものの、前方の事故で渋滞していた。

局、ハラハラしながら45分かけて学校に辿り着いた。いつもの3倍も時間がかかっている。これで駐車場に車がいなかったら大ショックである。「ここまで来たなら授業してくれ〜」と思う。学校に近づくと、いつもよりは少ないものの車が並んでいるのが見えた。やっぱりね、カレッジは閉まらないのよ・・・。と、車を降りようとした私の前を次々に通る人々が目に入った。みんな校舎から出てくるではないか。時間は9時半丁度。もしや、授業がキャンセルされたのか?

さかと思いつつ、隣に車を停めていた人に「授業はどうなっている?」と聞いたら、「全部キャンセルになったよ」と言うではないか。ウッソ〜!?せっかくここまではるばるやって来たというのに・・・。ショックのような、微妙に嬉しいような、複雑な気持ちになる。その人を信用していない訳ではないが、一応校舎の中に入って学校のスタッフに聞いた。やっぱり、今日は夜の授業まで全〜〜部、キャンセルだった。8時半からの授業は始まっていたものの、どうやら9時過ぎにキャンセルにすることが決められたようだった。なんというタイミングの悪さだろう。もっと早くに決断して欲しかった・・・。

り道、ふとキャンセルになったことが嬉しくなってきた。「今日はフリーだ!何しよう?」と、浮かれ気分になってきたのだ。だって、よくよく考えてみると今日学校が無かった事で少なくとも日中の5時間は空白になり、さらに週末の時間を奪う宿題の山がなくなったのだ。時間に追われるプレッシャーもない!なんと、今日の授業が無いだけで明日も明後日も明々後日も、心軽やかにフリーになった。すごいぞ、雪!!!

うして考えると、学校に行っている時間以上に、いかに自分が他の時間を課題で費やしているのかと感じる。特に作文系の課題を出された場合、手抜きする事も出来ない。教授はきちんと課題を評価しているし、私は適当でいいや!なんて割り切れない性格なのだ。書くからには内容についてをじっくりと考え込んでしまうので余計に時間がかかるのだ。たかが課題にこんなに時間を取られているなんて、クラスでも私くらいだろう。

業が無くなって週末の時間が増えた事を喜んでいながらも、その時間を普段と同じようにしっかり勉強した方が身につくのだということも感じる。でも、いいさ。雪は天からの思し召し。きっと、お天気の神様もたまには休めといっているのだ。そういうことにして、明日も楽しくすごそうではないか。


Mar 5, 2003

日の天気は雨のち曇り、夜は雨。煮詰まった英作文を数時間も続けていたら、いい加減に作業効率の悪さに気がついたので泳ぎに行くことにした。書けない時は時間があっという間に過ぎて行くだけで、本当に何も書けないし思いつかないのだ。本当はプールに行く時間さえ惜しいところながら、少し泳いで時間を空けてサッパリしたらもう少しアイデアが浮かんでくるかもしれない。(泳いで眠くなったら最悪なんだけどね・・・。)

に出ると、所々で霧が出ていた。視界が悪い日に運転する時は周りに気をつけないといけない。霧の中は突然真っ白に濃くなったり、フッと途切れたりと不思議な世界だ。数年前に行った富士山で、5合目までの道路がすっかり濃い霧の中に入ってしまっていた時があった。富士山ともなると裾の方でもそこそこ標高が高いし、遠くから見たら私は雲の中にいるんだろうなぁと思った。霧もきっと、とても低い雲の中にいるようなものなのだろう。

がかった状態のことを、英語ではfoggy(フォギー)という。ローカルの天気予報を見ていたら、私の住む辺りにfoggyと書かれていた。と、隣町辺りの地図上にhazy(ヘイズィー)と書かれているのが目に付いた。使われ方からして意味はfoggyと同じようなものなのだろう。気になったら忘れないうちにと、すぐ単語を調べる。(これが大事なのだ!)辞書には「hazy・・・かすんだ、もやがかかった状態」と書かれていた。で、これってfoggyとどう違うの?

うやって謎が新しい謎を呼んでくる。何か調べている時には、こういう連鎖反応が尽きない。英英辞典で意味を調べたら、説明文に分からない単語があったかのようなものだ。気になったら最後、乗りかかった舟である。foggyの使われ方やhazyの使われ方を例文などで見るしかない。そして行き着いた結論はというと、どうやらhazyのコンディションよりも、foggyの方が深刻らしい。hazy<foggy<too foggyという感じ・・・かな?

くよく考えればそんなの当たり前じゃない?なんて言われてしまいそうだが、こうやってちょっとした事でも少しずつ覚えて、知識となって行くのだからヨシとしよう。アメリカの世間話は天気からというのが王道なので、英会話上達のためにも天気の話は知っていて損なことはない。


Mar 4, 2003

近寒さが緩んできたようだ。車を運転している時などは日差しが強く、風さえなければ暑いと感じるほどである。この季節、私の気温バロメーターとなるのは天気予報でも体感温度でもない。それは、他でもないスカちゃんである。スカちゃんの気配・・・というか、においを感じた日は暖かいのだ。

カちゃん、それは一体何ぞ?という方もいらっしゃるだろう。こちらでは春と秋などにおなじみの白黒の動物である。日本では家庭用ペットとして一部の方々から愛されているスカンクだけれど、私の言っているのはもちろん野生の生き物の方である。スカンクと呼ぶよりはと、我が家では一応スカちゃんの愛称で呼んでいる。

かい日になると、スカちゃんは何処からともなく登場する。スカちゃんは冬の間、冬眠(巣ごもり)をしているのだが、寒さが一時的に緩んで暖かくなると「あら、もう春かしら?」などと勘違いしてフラリと巣から出てきてしまうらしい。そうすると、思いのほかまだ寒いではないか。目覚めたからにはおなかも空いたし・・・と、またフラリと辺りを散策するうちに、スカちゃんを悲劇が襲うのだ。巨大な物体の来襲、交通事故である。

のところ、5℃以上の日に車を走らせていると「あ、またスカちゃんだ。」となる。スカちゃんの事故現場はどこだかわからないものの、姿は見えずともにおいの存在感はものすごい。かわいそうに、中央分離帯をまたいで反対車線で息絶えたスカちゃんなどがいようものなら、そのエリアを通過する時は通行中の全車両が「あ、スカンク」と思っているはずだ。

は今のところバッタリとスカちゃんに出会ったことはないけれど、交通事故には遭いたくないと切に願う。今週はまた雪の予報が出ていたから、スカちゃんはおとなしく寝ていればよい。クラスメイトに、日本でスカンクはペットとして売られているよと言ったら驚かれるだろうなぁ・・・。それにしても、私はスカちゃんのことを半年に1度は書いているような・・・!?


Mar 3, 2003

SLのLAB(リスニング強化の補習)では、映画を教材にしている。先週から始まったのは「Kramer vs. Kramer(クレイマー、クレイマー)」。若きダスティン・ホフマンが主演の名作である。この映画は1979年のアカデミー賞受賞作品で、ちょっと古い映画だけれど観た事のある人も多いのではないかと思う。幸い私は一度字幕つきで映画を観た事があったため、今回は何とかなりそう・・・ホッ。

語は妻の家出から始まる。仕事中毒の夫(ホフマン)が夜遅く家に帰ると、荷造りを終えた妻が待っている。家に帰っても即電話でビジネスの話を始める夫に、妻はクレジットカードや家の鍵、夫婦名義の小切手などをまとめて返し、三行半を突きつけて家をでる。夫にしてみれば、何が不満なのかさっぱり分からない。自分は外でバリバリ仕事をして、家族を養ってやっているというのに・・・。そして残されたのは彼と、7歳の息子だけ。

はメリル・ストリープ演じる、子供のために仕事を辞めて家庭に入った都会の主婦。子供の世話と退屈な家事、それに家庭を顧みない仕事人間の夫との狭間で、自分の生きがいや目的を失ってしまったのだ。彼女はかつて持っていた自立心を取り戻し、人生をやり直すべく家を出る決意をしたのである。教授曰く、この妻の設定は映画公開当時まだまだ残っていたウーマンリブ(Women's Liberation)の流れも汲んでいるのだそう。

業では毎回20分程度映画を見てから、映画の中で起こったイベントや登場人物の様子などを説明する。例えば妻に出て行かれた後で一気に露呈する夫のダメさ加減や、父としての子供への無関心さなどを物語るシーンはどこで、誰が何をどう行ったかというように書き出す。ホフマンの早口に、もごもごした声はリスニングには厳しい。でも、物語を追ってゆく作業は楽しいし集中できる。今まで見過ごしていた「ああ、そういうことだったのか!」という発見があったりして、1本の映画への理解がグッと深まるのだ。

婦の別居から始まった物語は、この先離婚と養育権を巡る裁判に発展する。アメリカでは日常茶飯事ともいえる社会問題ながら、じきに変化してゆく夫と息子の親子関係が観ていてほのぼのと温かく、子供の気持ちがただ切ない。思わずクスッと笑える親子のやりとりに加えて、徐々に終わってゆく家庭の哀愁とが入り混じっている。課題が終わったら是非、全編通して観たい作品である。


Mar 2, 2003

日は雨が降っていたので、昼にTVでやっていた「The Shawshank Redemption(ショーシャンクの空に)」を観た。この映画を日本語字幕で観たのは数年前のことで、完全に内容を覚えていた訳ではなかったから、所々分からない部分があったものの(やはり英語は難しい!)何度観ても良い映画だと思う。唯一の難点は、CMが多すぎて物語が細切れにされていたことだ。

んびりお昼を過ごした後で、週末恒例のスーパーマーケットへの買出しに行った。重たいものを買う時は、夫が一緒に行ける週末が良いのだ。今日の目玉は2箱で5ドルのコカ・コーラ系の炭酸飲料である。私はアメリカに来るまでこういった類の飲み物は殆ど飲まなかったけれど、お茶の代わりにソーダを飲むような国にいるとだんだん習慣が変化してきたようである。

箱で5ドルというのは、1箱に日本の350ml缶が12本入っているケースが2箱で5ドルということである。約600円で24本もの缶コーラが買えるとは、なんという安さだろう。1本辺り25円ということだ!しかも別に2箱必ず買わなければならない訳ではなく、1箱で買っても2.5ドルになるのだ。それなのに2箱で・・・とあえて書くのは、購買意欲を駆り立てるための常套手段である。

分は殆ど炭酸飲料を飲まないくせに、あまりの安さと缶飲料は賞味期限が長いという事に惹かれ、「買い置きしても良いよね?」などと思ってしまった。そうしてレモン入りダイエットコークとダイエットスプライトを組み合わせて買った。我が家も買い方がアメリカナイズされてきた。もちろん、他の人達のカートにはリミット4箱の限界までしっかりコーラの箱が積まれていた。


Mar 1, 2003

月?え、もう?

いもので、本当に今日から3月なのだ。うう〜、6分の1年の消化という事実に意味もなく焦ってしまう。

Y Rangersの試合を観た。私にとってこれが初めてのアイスホッケー観戦である。アイスホッケーだなんて、ルールも全然分からないよ?という感じに会場に乗り込んだ私だったけれど、帰る頃にはすっかりはまって熱くなっていた。ホッケーは楽しい。スピード感と、パワフルなぶつかり合いがTVとは違う臨場感で、ホッケーの魅力をしかと見届けられたかも・・・!?と、すでににわかホッケーファンである。

ッケーの試合は目を離すとあっという間に展開が変わっている。氷の上での闘いなので、選手の素早いスケーティングとスティックさばきに感心しながら、リンクを飛び回るパックを見失わないように目を凝らすのだ。ゴール前の限られた空間に、キーパーとオフェンスとディフェンスが押し合いへし合いになっていると、パックのような小さい物体はすぐに見えなくなってしまう。こうもごちゃごちゃした状態だと、ゴールが決まった決定的瞬間がよく見えない。プレーヤーの動体視力のよさには感心してしまう。

ッケーファンは熱い人が多い。ユニフォームを着て、ビールを飲んで、大声で応援(又はブーイング)して、ちょっとした事ですぐに立ち上がる。これでは野球と同じようだけど、ちょっと違う。ホッケーの試合自体が血の気の多い男たちの闘いという感じで、野球のようにゆっくりと試合が進行しないのだ。スティックで攻撃、進行妨害、つかみ合い等々・・・試合がよく中断されることといったら!だから、観ているほうもドキドキさせられて、ついつい熱くなってくるのだ。

も試合が大方片付いてくると、あと10分を切るくらいからどんどん帰る人が出てくる。そして前の座席が空くと、そこに何処からともなく現れた人達が民族大移動のように動きだしてくる。少しでも前のベストポジションで観てやろうという執念というか、積極的というか・・・別に周りなど気にしないで自分のやりたいようにしてしまう辺りも、マイペースな個人主義なのである。(それで時々帰ったと思っていた人たちが席に戻ってきたりすると、押し出し式にパニックするのだが。)

となく感じたのだが、バスケットとは違ってホッケーファンは白人が殆どのようだった。これはホッケーのプレイをする人達に白人が多いのと共通しているのかもしれない。そういえば休憩時間にあった子供ホッケーチームのミニ試合でも、出ていたのは殆ど白人の子供たちだった。きっとホッケーには特別な用具と場所も必要で、実際にプレー出来る人がある程度限られてしまうのだろうと思う。それに対してバスケットはどうかというと、ちょっとした空間にゴールとボールが一つあればみんなで出来るし、万人に身近なスポーツなのだ。




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