miyamu's
DAY BY DAY

アメリカ徒然日記
アメリカ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。

September2003 back numbers ★過去の徒然日記
Sep 21, 2003

日はとうとう引越しである。家の中はいまだにごちゃごちゃで、こんな状態で大丈夫なのか不安なまま夜はふけてゆく。3年弱という期間だったけれど、住み慣れた家を引き払うというのは寂しいものだ。日本から渡米してくる時なんて、たった半年住んだだけなのに家や町に情が移っていて、涙涙のお別れをしたのだった。日本での暮らしが再び始まり、大忙しの波が去った後で、きっとやって来るであろう切なさを思うと今からつらい。でも、家の片付けで徹夜なのが目下の悩みだったりする。赤ちゃんと一緒ということで、勝負は子供が寝付いてからとなる。徹夜ということはほとんど分かっているので、今のうちに日記を書いている。

日は最後に買い物をした。親しい人に渡すお土産やら、子供のおもちゃやら、電動ハブラシの取替えやら、普段どおりの店で、とりとめの無い物ばかり。普通に車を運転して、普通にお買い物。こんなさも当たり前のような日常なのに、実はもうすぐこの町とお別れとは。ああー、実感が沸かないぞ。これから我が家はどうなってゆくのかというと、今週中に日本入りして、家探しに車探しに引越しにとてんてこ舞いの予定である。帰国してから10日間や山場となり、時差ボケだとか感じる暇も無さそうな気配だ。



てさてこの引越しに伴い、明日PCを梱包してしまうので、しばらく日記の更新が止まります。またインターネット環境が整うまでは情報を転送することが出来なくなりますので、次回このサイトを更新できるのは10月に入ってからとなりそうです。とはいえ、これまで一時帰国中にも続けて来たように、希望的には日刊みやむー新聞を根性で発行したいと思っていたりします。掲示板ならばどこからでも書き込めるので、「miyamuは今頃どうしてるかな?」と、今週末ごろに覗いてみてやってください。よし、そろそろ頑張って大掃除を始めよう。

サヨウナラは言いません。きっとまた、やって来ることを信じているから。
THANK YOU & SEE YOU AGAIN!


Sep 20, 2003

1週間ぶりの日記更新。いや、久し振りにPCに触るとやけに新鮮で、普段いかに自分がPCやらインターネットやらにどっぷり浸かっているのかが分かるってもの。私のようなコンピューター中毒の現代人に強い効き目の大自然の旅から、昨夜無事に帰ってきました。

エローストーンについて全くの勉強不足だった私たちは、有り合わせの服や防寒具で現地に乗り込んだのだが、「NYの方が緯度も高いし、ここより寒いはずないよね」というのは全くの思い込み、大きな勘違いであった。NYは平地で、あちらは高地で山地、つまり極寒地・・・。乗り換えで立ち寄ったシカゴにて、到着地の気候情報を見たときに「これはヤバイぞ」と夫と顔を見合わせた。現在、-2℃。グランドティトン国立公園とイエローストーン国立公園の位置は南北で隣り合っている。今回はまずグランドティトン内にあるジャクソンホール空港から公園入りし、イエローストーンに向かって北上してゆくプランだった。南端にあるともいえる空港の気温が-2℃なら、イエローストーンはどうなってしまうのだ?

う、何と言っても今回の旅行で最も大変だったことは、現地の寒さだった。9月中旬だというのに朝晩は氷点下だったり、日中に雪が降ったりするのだ。さらに丘陵地や渓谷などの見晴らしの良いポイントでは身体を押しやるような強風が吹き荒れていて、体感温度をぐっと下げてくる。蒸し暑いNYでふやけきった肌に、乾燥した寒風が突き刺さる。1日で体中がガサガサになり、皮膚が粉を吹いて痒くなる。ピリピリ痛いほどの寒さを久々に体験した。フリースだけでは足らず、ウィンドブレーカーを持っていない事をひどく後悔した。こうなっては格好など気にせず、重ね着で暖を取るしかない。山に慣れている着こなしの旅行者達に混ざって、やけにモコモコしている私。唯一正解だったのは“捨てるものリスト”に入っていたマフラーを持っていったことで、1度はゴミ袋に入れられていた物が最後に大活躍した。そうなると逆に捨て難くなるのが人の情だったりして・・・。(もちろんminimuだけは寒くないようにフル装備、常に毛布の中だったのでご安心を。)

めての子連れ旅はこれまでのように大人のペースで盛り沢山には出来ない。子供の様子次第で計画は変更されてしまうし、こちらもゆとりを持って行動しなければならない。幸いアメリカの国立公園の多くはバリアフリーに作られているので、ベビーカーと一緒でも色々見られるし、広めのトイレにはおむつ替えの台が備わっている。宿泊施設ではベビーベッドを貸し出すサービスがあるので、minimuもよく眠っていた。テレビもラジオも電話も無いホテルやロッジでの夜は、とても穏やかで静かである。日中の私たちは寒さとトレイル歩きでくたびれており、夜は眠るだけなので丁度良い。

べ5日間の滞在で、グランドティトンではロッキー山脈の美しさ、イエローストーンでは有名な間欠泉と火山の温泉、そして両方に共通して手付かずの大自然とそこに生きる動物たちが印象的だった。山の雪解け水と泉から湧き出す豊富な水で、この辺りには川や湖が豊富にあり、それらの水は限りなく澄んでいる。青空の雲や周囲の木々の色が鏡のように反射しているのだ。心が洗われるような風景に上手く表現する言葉が見つからず、感嘆のため息ばかりでてくるのだ。

れにしてもこの1週間弱の間に日本では色々なことがあったようで、阪神は優勝しているは、総裁選は行われるはで、私はすっかり話題に乗り遅れている。おまけにNYの方にもハリケーンの余波が来たって言うし、別に無ければ無いでやって行けるメディアなのに、ぽっかり1週間分の情報が無いだけで不安だなんて、やっぱり私はコンピューター中毒なのかもしれない。


Sep 14, 2003

自然が私を呼んでいる!!(と言っても、トイレに行きたいという意味の英語ジョークではない。)
突然ながら、明日から5日ほどイエローストーン国立公園と、そのお隣にあるグランドティトン国立公園へ行く。翌朝の出発は4時前である。なのに、もう日付を越えて翌1時半・・・。引越しと旅支度で家の中はぐちゃぐちゃ。このまま徹夜はキツイし、アメリカ中部は時差はあるしでまずい状況である。

士山以上の標高なので、すでに10℃以下で寒い。長ズボンやら冬物衣料を日本に送ってしまったというのに、なんとも無謀な私たち・・・。ある物だけで重ね着をして、グランドティトン国立公園で「シェーン、カムバック!」と叫ぶのだ。それでは金曜日まで更新がストップしますので、どうぞよろしく。


Sep 13, 2003

メリカで知り合った友人から頂いたカードに書かれていた「Wherever you go and whatever you do, you're always in my heart.」という文章。そんな事を異性から言われた日には、思わずときめいてしまいそうである。これだから日本人女性は愛情表現豊かな西洋文化に感激しやすいなんて言われてしまうのかもしれないが、あしからず、これは女性からのメッセージである。

まれも育ちも同じ町だった私は、日本にいる頃から自分は常に誰かを送り出すという立場にいた。だから、引越ししてしまう“去り行く者”の心境を知る由もなくこれまで生きてきたのである。3年前の渡米に際しても、家族との別れは切なかったものの、結局戻る場所は今までと同じだろうという安心感が大きく、それほどお別れというセンチメンタルな心境にはならなかったのだ。

うとう自分が“去り行く者”となった私は、ただいま周囲の人々との別れを名残惜しんでいる真っ最中である。この寂しさの原因は何なのかというと、やはりアメリカで知り合った友人との場合、次に会えるのがいつになるのか分からないという現実があるからなのだ。日本とNYという遠距離である。そして友人がいつかアメリカを離れる時が来たとしても、その人が今度はどこへ行くのかさえ分からない。日本の中でも離れ離れになってしまった友人とは簡単には会えないというのに・・・。「また会おうね」と簡単に口にすることさえ、なんだか寂しい。

「今度、食事でもしましょうね。」という社交辞令はとても曖昧で、その多くの場合において“今度”はやってこなかったりする。ありふれた口約束だけしたものの、結局は実現しないまま終わってしまうのだ。では、「また会おうね」の“また”はやってくるのだろうか?

は、また会えると信じていれば、大切な人となら絶対に会えると思う。会いたいのに会えないというのは、会いたいと言いながらも“会おう”という行動を起こさないからだ。「また会おうね」とお互いに言っておきながらもお互いに相手任せでいたら、関係は自然消滅してしまう。結局それまでの仲だったのねと後で思うような関係ではなくて、いつまでだってお付き合いしていきたいと思うような相手ならば、自分から大切にして行けるはずである。

本に帰れば、長く親しんだ友人たちに会える。それはとても嬉しいし、minimuだって家族に紹介したい。その半面で、別れがたい新しい友人たちもいる。「I miss you」という言葉がこんなに胸に染みるものだなんて思わなかった。ここに来て初めて「I miss you」という言葉に重みを感じている自分がいる。


Sep 11, 2003

れもしない2年前の今日、September 11thの悲劇的なテロ事件が発生した。

朝、起きてからテレビを見ると、ツインタワーの在った場所で行われている追悼式典の様子が中継されており、被害者全員の名前が読み上げられていた。この名前を読み上げる役をしているのは残された遺族たちである。彼らの悲しみは計り知れない。どれだけ時間が過ぎたとしても、毎年この日が来る度に同じ気持ちで大切な人を思い出すのだろう。現場には献花に訪れる人々が絶えず、ただ祈る姿が痛々しい。

う、自分だけの小さな世界の中ではあっという間に感じられた3年余りの日々でも、辺りを見渡せば様々な変化があったのだ。このテロ事件を通じて、世の中には時として「あまりにも信じられない現実」があるという事や、ここがアメリカという国であるという事や、遠くに住む自分の家族がいかに大切であるかなどを改めて思い知った。

の一生という長い尺度から見ればほんの短い期間であれ、自分が住んでいた場所で起きた出来事を私はきっと忘れる事はないだろうし、NYの街や人々が経済的にも精神的にも大きなダメージを受けて、そこから長い時間をかけて復興して生きてゆく強さを覚えていようと思う。私にとっても9月11日は忘れがたい日なのだ。改めて、被害者の方々のご冥福をお祈りします。


Sep 10, 2003

の手も借りたいという気持ちを身を持って味わっている今日この頃。最近は日記も毎日書けないくらい忙しい。私たちは再来週に帰国するので、残された時間はもう2週間足らずしかない。とはいえ引越しの日はそれよりも早くやって来るし、加えて最後にアメリカらしさを満喫するべく国立公園を訪れたいと思っていることもあって、普段通りの暮らしでいられるのは今週だけなのである。

国前にやる事は山積みになっている。私1人きりならまだしも、小さなminimuが一緒だと仕事がなかなかはかどらないので、こういう時には赤ちゃんと一緒という大変さを感じてしまう。行動時間が限られてしまう上に、1つの作業も分断されてしまうのでなかなか前に進めないのだ。しかしながら、雑務の多いこと多いこと・・・。そして1日という時間の短い事短い事・・・。同時期に引越しをする友人と少し電話で話したら、そちらも赤ちゃんと一緒で、我が家と同じような状況のようである。

日は手放す物や売りたいものを一掃すべく、奔走していた。それらの物品をまとめてMoving Saleとして近所のスーパーに貼り出すために、写真を撮って1hour Photoに出し、リストを作って印刷し、スーパーに貼って買い手からの電話を待って、日程調整の後引き渡して・・・と。さらに大量の買い物と大掃除、滞在中に増えてしまった思い出の品々の整理、家族や友人への連絡、不動産物件探しなどである。夫の方も忙しいようで仕事の残務に諸々の手続き等にと走り回っている。この山を越えなければ、安心して飛行機にも乗れない。

ころで、このホームページ用に使っていたgooのフリーメールのアドレスに、毎日のように大量のスパムメールが送られてくるようになってしまった。このアドレスにメールが来る事は稀ながらも、誰かからメールが届いていないとも限らないので、一応定期的にチェックをしていたのだ。それが数日前からフリーメールを開く度に新規メールが70件も入っており、使用限度いっぱいになっている状態が続いている。メールアドレスをインターネット上に公開していると、自動的にアドレスを回収されて、このような被害のターゲットになってしまうのかもしれない。

初こそ「うわー、70件もあるなんてどうしたんだろう?」と、期待半分で開いてみたものの、全て添付ファイル付き。見たこともない発信者と、揃いも揃って同じようなタイトルがついたメールにすぐにウイルスだと分かった。即、全部削除である。そんな訳で、急遽新しいアドレスに変更することになった。miyamuにご意見、ご感想のある方は今度からはこちらへどうぞ。englishlbl@ホットメイルドットコムです。(全部半角入力したら、元の木阿弥なので。)


Sep 8, 2003

メリカでの生活もあと僅かである。時間を見つけてはちょこちょこと家の掃除をしているのだが、どういう訳か全然片付かない。物が多いくせして何を処分すればいいのかと悩み、いちいち考えてしまうのがいけない。「これは使うかもしれない」と取って置いたくせに結局使わないという失敗を何度繰り返しても、なかなか学習しないのだ。無くなった物を「捨てなきゃよかった」というよりはとりあえず残しておいて損はないだろう・・・などと、いつも同じ発想に行き着くパターンである。でも今度ばかりはいつもとは違って、わざわざ海を越えてまで持ち帰る価値があるのかというのが判断基準なのだ。脱・捨てられない症候群なるか・・・!?

除の中で意外と時間が掛かるのは、写真の整理だ。実は数年前から現像したまま束になっている写真がいくつもある。私も写真がダンボール箱にドサドサと入っているのには気付いていたのだが、ずっと「今度暇な時に整理しなくちゃ」と言いつつ見てみぬフリをしていた。遡ること、独身時代からの写真など(それどころか高校時代の写真まで混ざっているとは!一体何年ほったらかしていたのだろう・・・。)ただのスナップ写真のはずが、なんと広辞苑以上に分厚い。しかも恐るべき事に時代もごちゃ混ぜになっている。さらに追い討ちをかけるようにminimuの写真が加わった事で、ここ数ヶ月でアルバムに入っていない写真の量がぐっと増えている。まずはこれらの写真を年代ごとに仕分けし、アルバムに収めるという作業をしなくてはならない。あまりの遠い道のりに頭が痛い。自業自得なのだが。せっかく撮った写真なのだし、きっと現像したその時に整理するのが良いのだろう。


Sep 6, 2003

日の続き。映画「Monster's Ball(邦題:チョコレート)」を観た。この映画の邦題は原題とガラッと印象の違う「チョコレート」というものだから、思わず恋愛映画かな?と想像してしまいそうになる。しかしながら、実際は全然違っていた。ストーリーでは異人種間の恋愛を扱っているけれど、恋愛といっても甘い内容ではなく、かなりシリアスなドラマなのだ。

台はアメリカ南部である。いまだに黒人に対する人種差別があったり、貧富の差が残っているような田舎の地方だ。刑務所の死刑囚棟に勤めているハンクとソニー親子。ハンクは自分の家の敷地に入り込んだ黒人の子供達に銃を向けるような激しい人種差別主義者で、彼の父親もかつて同じ職についていた根っからの人種差別主義者なのだが、一家の中で息子のソニーだけは誰に対しても心優しい青年で、自分の祖父や父親の偏見に満ちた考え方に対して否定的に生きている。

人の死刑囚のローレンスに死刑が執行される日、ローレンスを電気椅子に連れて行く役をしていたソニーはその酷さに耐えられず、職務中に取り乱す。ハンクはこの事でソニーを激しく罵り、2人は決裂する。「僕を憎んでいるんだろう?」と聞いたソニーに「ああ、憎んでいるさ」とハンクは言う。しかし、「僕はお父さんを愛しているのに」という言葉を残して、そして和解も出来ないままに、ソニーはハンクの目の前で自殺してしまうのだ。この事件をきっかけとして、ハンクの中で変化が起こり始める。

方、ローレンスの未亡人であるレティシアは、極度の肥満児である息子と2人で貧しい暮らしをしている。父親がいないことで心を病んでいるのか、息子はキャンディ・バーを止められないのだ。そんな息子を愛しているのに、夫を失ったことと貧困とで心に余裕が無く、ついヒステリックで暴力的になってしまうレティシア・・・。

んなある日、交通事故に遭ったレティシアの息子を病院に運んだことによってハンクとレティシアが接近する。「あとは警察にまかせよう」というハンクに、レティシアは淡々と「黒人の子供が死んだところで、警察は動いてくれるかしら」と、差別的なアメリカ南部の社会で真実を突いている事を言う。この事故で結局息子までも失い、レティシアは一人ぼっちになる。以前は黒人の言う事になど耳を貸さないような人間だったハンクなのだが、次第に貧しい彼女の手助けをするようになってゆく。ソニーを失った喪失感を埋めるようにレティシアに近づくにつれて、ハンクの中にあった黒人差別の意識が薄れてゆくのだった。同様に夫と息子を失ったレティシアの中にも徐々にハンクが入り込んでゆく。実は夫の死刑を執行した人物である事も知らずに・・・。

の書いたあらすじでは本当にうわべだけの薄っぺらになりそうなのだが、これはよく出来た人間ドラマで、心の中にある深い葛藤と共に、どこかに救いや拠り所を求めてゆく気持ちなどが言葉の一つ一つや表情で見事に表現されていると思う。とてもシンプルで静かな流れで、心理描写がじっくり描かれている。登場人物が極端に少ない映画ながら、ハンクを演じるビリー・ボブ・ソーントンとレティシアを演じるハリー・ベリーが非常に上手い。アカデミー賞の授賞式で、有色人種で初の主演女優賞に輝いたハリー・ベリーが感極まって長いコメントをしたのを思い出す。人種差別の問題提起もしているこの映画での受賞だし、彼女にとっても、映画界にとってもきっと大きな意味があったのだろう。

ころで私は原題の“Monster's Ball”の“Ball”を、最初は投げるボールだと勘違いしていたのだが、これは舞踏会(楽しい宴)を意味する方のボールだった。社交ダンスで踊る場所をボール・ルームという、そのボールである。

刑が執行される前夜に、死刑囚は1番食べたい物をリクエストする事が出来る。この最後の晩餐こそ“Monster's Ball”で、死んでゆく死刑囚に施される最後の宴なのだ。映画の中でもローレンスのために彼の好物ばかりをのせた御馳走がやって来る。とても切ない。ハンクがソニーに“Monster's Ball”について「In England, they give the man a party the night before. (多分、こんな内容のセリフ)」と説明するのだ。ちなみに邦題の「チョコレート」とは、映画の中で黒人の肌の色を象徴したかのようにチョコレートアイスクリームが数回登場することにちなんでいるのかと思う。

本で公開されたときには成人指定されたというだけあって、映画の中では殺伐とした刑務所でのシーンや過激な性描写などが登場する。例えば、思わず目を背けたくなるような死刑執行のシーン。しかしこの死刑執行のシーンをぼかすことなく映像にしてしまうことで、観ている側にもその酷さや、ソニーが自殺してしまったことや、レティシアが夫を失ってしまったという重たい現実もグッとリアルに伝わってくるのだ。


Sep 5, 2003

“Autumn”と“Fall”、どちらも秋という単語だけれど、アメリカの日常生活でAutumnという表記を目にすることは少ないように思う。普通の会話中でもほとんどFallを使うし、学校の学期もFallだし、スーパーのチラシもFallだし。私が中学校で習った英語ではSpring/Summer/Autumn/Winterと習ったのだが、あれはイギリス英語だったのかもしれない。思えば習ったはずなのに使わない英語や、日常会話で使う割に習わない英語はけっこう多い。教科書の定番だったMr. Smithも、ちょっと古めの名前だというし。

変わって、映画「Monster's Ball(邦題:チョコレート)」をテレビで観た。主演のハリー・ベリーはこの作品で2002年の第74回アカデミー賞で有色人種としては初の主演女優賞を受賞したので、どんな映画なのかずっと興味があったのだ。・・・と、その話を書きたかったのだけど、感想や内容をサラッと書くにはテーマが重たく、ずっしりしすぎていた。ちょっと時間が掛かりそうなので、この話は明日にでも。


Sep 4, 2003

のところ雨が多く、肌寒い日が続いている。半袖では鳥肌が立つほどの気温なので、もうすっかり秋になってしまったようだ。アメリカの広い空を見られるのもあと少しなので、早く晴天の青い空が見たい。10月頃のよく晴れた日に、よくIndian summerという言葉を耳にするが、これは晩秋の頃に澄んだ青空の暖かい日が続く事である。どうしてIndianというのかと気になって辞書を引いてみても、小春日和とは出ていたけれど語源はわからず仕舞い。今度誰かに聞いてみよう。

、minimuを風呂に入れ、ミルクを与えてから寝かすようにしているのだが、「さあて、そろそろごちそう様かな?」という時になって、せっかく着替えた服も飲ませたミルクも全部台無しになってしまうほど、一気に逆流されてしまった。「あ゛〜風呂に入った後だというのに〜・・・」と思いながら、もう1度着替えさせる。私の服もべしょべしょになってしまったので、着替える。ソファーにこぼれたミルクを拭く。おまけに机の脚に小指を引っ掛けて、あまりの痛さに声も出ない。

を取り直して再びミルクを飲ませる。しかし悲しきかな、早く寝かせようと思っている時に限って、また吐くんだよねぇ・・・。再々着替えである。今度はクッションカバーもべしょべしょである。立て続けに2回も振り出しに戻ると、とほほである。何もしていないのに刻々と時間が過ぎ、2時間もそんな事を繰り返していたことにドッと疲れが出てしまう。そんな私にお構いなしにminimuはニコニコしているものだから、ついつられて笑ってしまう。ふう、まあいいか。焦らない、慌てないのが育児の鉄則。私も休憩してお茶でもしようか。今日は夜更かしになりそうだわい・・・。


Sep 3, 2003

前中、minimuの3ヶ月検診があったので病院へ行った。そこのアシスタントの人はヒスパニック系の女性で、英語の訛りがきついので、時々「え?」と思ってしまう時がある。今日も挨拶の次に言われた言葉が何なのかサッパリ分からなかったのだ。彼女に「チャッカ?」と聞かれたのだが、分からなかった私は「Excuse me?」と聞き返した。するともう1度「チャッカ?」と言われ、ますます「え、チャッカ??」となる。全然聞き取れない私に、彼女はとうとう言い方を変えて、今日は何のために来たのかと聞いてきた。これは分かったので、私は赤ちゃんの3ヶ月検診に来た事を告げたのだが、彼女が再び「そう、チャッカね」と言ってきた。チャッカって何だと考えていたら、ようやく分かった。何てことはない。「check up」の事だ。チェックアップがチェッカと聞こえるのは良くあるけれど、チャッカとは・・・。分からんぞー!!

に帰ってから、せっかくminimuがうとうとし始めたというのに、いきなりどこかから“ガンガンガン”と岩を叩くような音が鳴り出した。そのアスファルトを打っているような音で、家の裏に新築しているタウンハウスからだろうと思ったのだが、おかしなことに“ガンガン”いう音が少しずつ大きくなっていくではないか。しかも、外からではなくて我が家から聞こえているような・・・!?

ならぬ騒音に脅えつつ、「まさか・・・」と地下室へ続くドアを開けた。すると、ますます音が大きくなる。間違いなく、下から音がしている。地下室にあるのは湯沸しのための巨大なボイラーと洗濯・乾燥機なので、もしボイラーが誤作動して超高温になっている音だったらどうしようかとハラハラしながら急いで階段を下りた。

下室のドアを開けた私の目に飛び込んできた光景は、それはそれで衝撃(笑撃ともいうが。)だった。なんと、洗濯機が勝手に数十センチほど前に移動していたのだ。あの“ガンガン”いう音は彼の足音であった。もちろん洗濯機が自分で歩く訳もなく、脱水中に洗濯機に入っていた物の位置が偏ってしまったせいで遠心力のバランスが取れなくなってしまったのだ。まったく、アメリカの洗濯機は出来が悪い。日本の洗濯機でも時々ガタガタと振動する事はあるけれど、あの重たい箱が移動してしまうほどは揺れないだろう。それにしても発作を起こしたように暴れる洗濯機の姿には驚いたぞ。早く諸悪の根源ともいえる回転棒を無くすべきだと思うのは私だけではあるまい。


Sep 2, 2003

月1日といえば、防災の日である。神奈川県出身の私にとって、「関東大震災のあった日にちなんで9月1日が防災の日なんだよ」というのが子供の頃から聞かされていた話だったし、特に記憶に残っているのは毎年この日に行われていた避難訓練である。私の通っていた小学校では2学期の始業式の後に決まって避難訓練があり、下校時は保護者が迎えに来ることになっていた。う〜ん、懐かしいなぁ・・・。

ういえば1年に2回は避難訓練の日があって、担任の先生が朝礼で「今日の2時間目の途中で避難訓練があります」と言うと、不謹慎にもドキドキワクワクと、落ち着かない気持ちで非常ベルやサイレンを待ったものだった。予告通り、2時間目の途中にジリリというベルの音が校舎中に鳴り響くと、教室の中では生徒達が「待ってました!」とばかりに防災頭巾を被り、ガタガタと机の下に潜りこむ。間もなく職員室からの臨時放送で訓練の始まりが知らされ、一列になって校庭への避難が始まるのだ。

校生徒が校庭に集合したら、訓練のお決まりである先生からの評価と校長先生からのお話があって、いつも「非常時の約束は“おすな、しゃべるな、かけだすな”で、頭文字をとって「お・か・し」と覚えるように。」と言われていた。私は、「おかし」ではなくて「おしか」じゃん、だとかクスクス笑っていたのだが。我ながら、かなり訓練の意義を勘違いしている困った子供だったと思う。でも、校庭に上履きのままで飛び出すというルール違反といい、授業が短く終わったことといい、当時の私には何だか特別に感じられる日だったのだ。

Yでは9月の第一月曜日のLabor Dayが過ぎたら秋が来たというが、今週は雨模様で肌寒いような天気が続いているから、本当にその通りといった雰囲気である。青々としていた木々もだんだん退色してきているし、ここは本当に夏が短いなぁと感じる。(夏が短いというより、冬が長くて他の季節はみんな短いのだが。)9月といえば周りはみんな新学期の季節だというのに、始まるべく学校がないというのはやっぱり寂しい気がするけれど、私も残り少ないアメリカでの日々を満喫すべく精力的に活動していくつもりである。がんばろう!




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