miyamu's
DAY BY DAY

ヨコハマ徒然日記
ヨコハマ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。
August2004 back number ★過去の徒然日記
Aug 31, 2004

なんてこったい!の展開で、続・口内炎でございます。

タミンBB錠剤を飲み始めた私に、変化は一日で現れた。身体が、何故か痒いのである。所々に赤く盛り上がった、蚊に刺されのような発疹がある。あーまた蚊に刺されたか・・・と、最初こそ思ったのだが、なにやら様子がおかしい。痒いなぁと思って触ったところが全てポツッと盛り上がり、次第に増えて、数ヶ所というには多すぎる数の発疹が出てきたのだ。私ときたら、まるで蚊がプンプン飛んでいるキャンプ場で虫除けも無しで昼寝したかのような姿になっているではないか。もしかして薬疹!?

いでBB錠の使用上の注意を読み直した。すると、特長の次の項目に「!」マーク付きの注意書きがあり、「以下の場合は直ちに使用を中止し、医師または薬剤師に相談してください:皮膚への発疹」となっているではないか。やっぱり!全体の利用者から見たら、発疹の出る人はとても少ないことだろうけど、どうやら私はそのタイプで、この薬は身体が受け付けないらしい。BB錠は期待の新人だったのに・・・。ダメもとだって、こんなダメ過ぎる展開は予想していなかった。いまだに口は痛いし、身体は痒いし、異常に蚊に刺された人みたいで薄着するのも恥ずかしいし、本当に勘弁してください。

弁といえば、日本流の酌み交わしで、夜遅くにdrunkで帰ってきた夫。何にも言わずにバタンキュー(死語?)。私はminimuを寝かしつけてから恐る恐る階下に降りてみれば、あら大変。何から何まで滅茶苦茶で、なんだか部屋が飲み屋くさい!?きっと最後の力を振り絞って家に辿り着き、帰った途端にスイッチが切れたようになったのだろう・・・。オイッ!酔っ払うのは珍しいとはいえ、これは即ち身体の悲鳴。年齢をわきまえ身体を労り、飲み方を考えて欲しいもの。言いたい事は山積みでも、敵は爆睡にて不完全燃焼。・・・夜は更けるのであった。


Aug 30, 2004

はこの頃、ずっと口内炎に悩まされている。やっと治った!と思いきや、次のがひっきり無く出来るのだ。唇や頬の裏を噛んでしまった時はそこに確実に出来るし、口の中に荒れている部分が有ると、そこが次の日あたり小さな穴になっていて、さらに次の日には白い膜の張った立派な穴になってしまう。この口内炎が1週間ほどかけてピークのサイズにまで成長する。7,8mmほどになってくると、痛みのあまり常にしかめ面や涙目になって、頭痛までしてくる。でもピークから2日ほどすると、だんだん痛みが弱まって治癒していく。

内炎で困るのは、穴と言っても腫れて患部の周囲は赤く膨らんでいるから、そこを誤って噛んでしまうことだ。そうなると、しばらくは絶句するような痛みである。噛んだ痕もそのまま口内炎になるので、最悪のパターンなのだ。小さいまま治る場合もあるけれど、ひどい時には最初から最後まで延べ3週間ほどかかる。この期間は痛いので喋りにくいし、美味しく物が食べられない。とにかく憂鬱なのだ。

れまで私が試してきた打倒口内炎の方法は以下の通り。

耐える(今のところ、これがほとんど。耐えるのみ・・・。)
ケナログ(ステロイド系の塗り薬。ベタベタして気持ちが悪いので私は就寝前しか使えない。)
貼り薬(口内炎パッチなる円形の貼り薬で、画期的。次第にベタベタする。でも効き目は今ひとつ。)
ウイスキー原液(消毒に塗るといいと聞いて実行するも、ただ強烈にしみるだけで治らず。)
トマト(知人がトマトを食べると治る人だったので、真似してみた。効果なし。なぜ!?)
総合ビタミン(飲んでみたけれど、効いたかどうか分からない。)
レーザー照射(歯医者でやってもらったのがきっかけで、すごい効き目。2,3日で完治。)

れならレーザーを受けに歯医者へ行けばよいではないかと、自分でも思う。でも、歯医者に行って他の問題が発覚するのが恐ろしいうえ、頻度があまりにも多くて迷惑ではないかと少し思うからだ。口内炎はメインの治療ではないし・・・と、つい遠慮してしまう。きっとお願いすればちっとも迷惑がらずに受け入れてくれるのだろうけど。これだけは最後の手段にしようと思ってとってあるのだ。

なみに今、私の唇に出来ているのはかなりの大物である。別々に2度噛んだ痕が、小さな4つの口内炎になり、それが今では結合して巨大な1つになってしまっている。この前2週間かけて治った部分は今でも少し凹んでいるのに、その真横に新しく出来てしまったのだから、泣けてくる。きっと今がピークだ。

れがあんまり痛くて日常生活に支障をきたすようになってきたので、私はとうとうチョ○ラBBなどに代表されるビタミンB群の錠剤を買った。薬局の薬剤師さんから、これを連続使用すれば口内炎そのものが出来にくくなるからと勧められたからである。心の中では効果に期待しつつ、とりあえずダメもとで飲み始めている。もし今後すぐに治ったとしても、それがBBの効果なのか自然治癒のタイミングだったのか分かりにくいので、次回に口内炎が出来たときにすぐにBBを飲み、様子を見てみようと思う。


Aug 29, 2004

きなり寒いぞ!昨日から“本当に8月?”というような肌寒さで参ってしまう。今年は夏が早くから来ていたので、その調子で秋も冬もあっけなくやってきてしまうのかもしれない。いざ夏が終わると思うと、急に猛暑の頃も懐かしかったりするから私も勝手な人間である。(もう今週から9月だし、一応は秋なのかもしれないけど。そのうちあれよあれよと年末になっちゃったりして・・・?先の事ばかり考えると焦るから、この辺で止めよう。)

「土曜日にゴルフをしに行っても大丈夫?」と夫に聞かれた時、私は「その反動で次の日(日曜日)をダラダラ過ごさないように。」とあらかじめ言っておいた。はずだった。でも、花の日曜日に夫はソファにゴロ寝して、いびきなどかき幸せそうである。そのまま既に数時間が経過中。止まない雨と冷え込みも手伝って、冬眠してしまったクマさんみたい♪・・・なんて可愛いことは言っていられない。このぉ〜・・・。愚痴を言っても仕方ないので、気分を切り替えて早々にバケーション計画でも立てようかな。(と、先の事ばかり考え出してまた矛盾。ま、いいかぁ。)

そろそろ英語が再開するので、予習というか、英語アタマを作る支度をしておこう。


Aug 28, 2004

の公園で私が蚊に刺されたのは、3ヶ所ではなくて6ヶ所の間違いだった。左肩の死角に3つ、赤いふくらみが三角形に並んでいたのだ。見たら余計に痒く感じてしまうから、見つけなければ良かった。とにかく辛い!

曜日の早朝、まだ暗い時間に夫が出かけていった。お仲間からゴルフ徴集されていたのだ。アメリカにいた頃は、ゴルフが本当に身近な存在で、とてもお手軽な年会費で町営のゴルフコースの会員になれた。私はゴルフをしたことがないので関係ないけれど、少なくともゴルフは老若男女みんなの“スポーツ”で、周辺の環境が整っていたと思う。その感覚でいると日本のゴルフは高いねぇとか、数時間もかけてゴルフ場へ行くなんて・・・などと感じてしまうのだが・・・。もし私自身もプレイする人間だったら、子供を家に置いておいてゴルフに行けるなんて羨ましいな〜なんて思うのだろうか?思うだろうなぁ、きっと。


Aug 26, 2004

天とはいえ日中の気温はまだまだ高い。それでもカンカン日照りよりはしのぎやすいからと、miyamu家の女達(母、姉、miyamu)と子供2人で、金沢八景にある海の公園まで足を伸ばしてみた。横浜市内で唯一の砂浜がある公園ということで、もしかしたら子供達も水遊び出来るかな?などと思って、着替えもバッチリ用意しておいた。しかし。海はくらげとワカメ三昧で波打ち際が緑に染まっており、足を踏み入れるのにはかなり不向きな状態で、半分予想していた事とはいえ想像以上に海が汚いので軽く衝撃を受けてしまった。前からこんなだったっけ・・・うーん、透き通るようなきれいな海に行きたくなったぞ。でも自転車で通りすがった若者達のセリフに、母が1人でウケていた。「海に入って、俺達はワカメになった・・・。」悟った様子がgood。

局、海の潮風と波音と砂まじりの地面を感じつつ、私達は陸にいた。原っぱは、これまた恐ろしい蚊の巣窟となっており、蚊よけを塗っていたのにも私は3つ刺された。姉はもっと刺されていた。それでも子供達は広さに興奮して好き放題に逃亡を繰り返していたけれど。元気が良いのはいいことである。せっかく海のそばまで来たけれど、あまりのワカメっぷりが残念だった。陸で遊ぶのならばもっと遊具が充実している手近な所でもOKだったかもしれない。

談としては、28日の花火大会のためにすでに場所取りしてある無人のレジャーシートたちにも驚いた。公園の海岸近くの一等地にレジャーシートが広がり、砂袋が重石になっているのだ。それだけで場所が取れてしまうなんて、日本ってやっぱり1192だ。イイクニ作ろう鎌倉幕府・・・、もとい、横須賀。(遠足の疲れで頭が壊れてしまいました。)

れから、本日のヒット。金沢八景には食品工場が集合した地域があって、その一角にある文明堂の工場では出来たてのカステラや三笠山(どらやき)などが直売所ならではのお買い得価格で買えるのだ。私達も行きがけに立ち寄り、文明堂製品を大量に買い込んだ。ラッキーなことに月末の3日間セールの日に当っていたようで、良質な物をとても安く手に入れられ、カステラの耳(切り落とした端っこ)をオマケに頂いた。試食も沢山出ていて大満足。オススメです。


Aug 25, 2004

店時間が近づくにつれ、惣菜売り場には緊張が走る。値引きシールの貼られた弁当やおかずを巡って、「店員vs.お客vs.他のお客」という複雑でし烈なバトルが繰り広げられるからである。

日の午後6時半。残業予定の夫は食事はいらないという。そこで私は近所のデパートにふらりと出かけた。適当にウィンドウショッピングをして、7割引につられて“たわし製アニマル(注・実用度かなり低し。)”を2匹購入してから食品売り場に繰り出した。時計はすでに7時を回り、閉店は8時と迫っていた。生鮮品の掘り出し物が現れる時間である。

と肉と、惣菜の売り場を一通り見てから、もう一巡りしようと思ったその時である。惣菜売り場に黒山の人だかりが出来ているではないか。そしてその集団の中心にはエプロン姿に白い帽子を被ったおじさんがいた。彼の手に握られているのは、閉店前の必須アイテム、割引シールの束である。シール係よ・・・ついに来たか!

菜売り場が戦場と変わる時、いざ私も出陣である。先ほどまでの50円や100円引きといったシールの上に、大胆にも半額のシールが貼られていた。売り場のシール係の手が通り過ぎた後に、次々に割り込んでくるのは、狙っているおかずや弁当をさらって行く手、手、手。もしや、あのおばさんプロか?と思わせるようなすばやさである。百人一首大会さながらに、腕が「ズバッ」と出てくるのだ。お客同士もにわかに殺気立っている。個人的には、おばさんに混ざって戦っていた単身者風のサラリーマンにエールを送りたい気持ちである。

っきり言って惣菜をゆっくり吟味している暇は無い。気になったらキープ、いらなかったら返すという状態である。ツワモノレベルになると、最初から戦いなどせずに、自分の欲しいおかずをキープしておき、シール係が登場してからおもむろに「これにも貼ってよ」とパックを差し出すんだから・・・すごい。ニッポンの惣菜売り場は、閉店前が面白い。何かに熱くなりたい悩めるあなた、今夜はデパ地下&スーパーの惣菜売り場へへGO。


Aug 24, 2004

びがだんだんダイナミックになってきたminimu。我が家は玄関が廊下より一段下にあるのだが、この頃はこの段差を怖がらないようだ。廊下に並んでいたスリッパを片方ずつバラバラにして玄関に捨てていたり、玄関のシューズラックから靴を全部落としていたり、さらに自分も玄関に降りて(もち裸足です)踊っていたり、玄関マットで滑って転落したり・・・オイオイ。

日も自分用にカフェオレとパンを用意してから廊下に出たら、気付くと玄関中に靴やスリッパが散らかっていて、minimu本人もいたずら風の笑みを浮かべて降り立っていた。うわぁー・・・と思って、即行でminimuを捕獲し、手足を拭いて廊下に上げた。靴とスリッパを元に戻して、やれやれとリビングへ戻った。すると、minimuは私のカフェオレが入ったグラスを両手に持って口に寄せているではないか。しかし上手く飲めるはずも無い。私が伸ばした手も虚しく、だばだばだばーっと、カフェオレがminimuの頬から首を伝って全身にこぼれ、あっという間にそのまま床のラグに染みこんで行った。ああ〜。フフフ・・・笑えますな。


Aug 23, 2004

リンピックの女子マラソンを観戦したせいで、今日は1日中眠かった。日本時間の深夜0時から生中継が始まってしまったので、途中まで見てしまうと寝るに寝られず、結局日本人選手勢が全員ゴールするまで見届けてしまったのだ。睡魔と戦った甲斐あって、金メダルの感動を生で見られたから良かった!

朝の空気は鳥肌が立つぐらいにひんやりしていた。真夏日の後で急に10℃も気温が下がると、私のように体温調節の下手な体質の人間にはきつい。半袖と短パンでは寒すぎるし、靴下を履かないとつま先から身体全体が冷えてしまうのだ。私の気分もすっかり秋モードである。気温のアップダウンに挟まるように雨が降るので、それを繰り返しながら季節が秋らしくなっていく様子を眺めている。日本で向かえる秋。秋が来れば帰国して季節が一巡し、丁度1年になる。

らしいといえば、今やどのファッション雑誌も洋服売り場も秋一色である。気が早いブーツの人までチラホラ見受けられるようになってきた。真夏日のブーツにはさすがに??と思うけれど、秋のファッションが売り出されているのだからと新しい装いを楽しみたい気持ちは分かる。先取りのオシャレさんということで・・・。

い物に行った時にも売り場の“秋”が目に付いた。つくづく日本らしさを実感したので一言触れておくと、日本は季節が変わるごとに新製品が出るというのも“すごい”と思う。例えばビールや発泡酒が秋を意識した展開になったり、チョコレートの新商品が冬に向けて増えるといったことなどが分かり易い。四季の特徴に合った商品が次々に開発されては売り出されて行くのは当たり前のようで実はそうではない。私はこれも、新しい物が好きだったり、常に流行に敏感な日本らしさの一面だと思う。そういえばアメリカは1年中決まった定番商品ばっかりでつまらないし、新しい物といったら大抵失敗するのがお約束のパターンだった。だから日本のような商品展開はお菓子&チョコレート大好きの私には嬉しい限りなのだけれど。


Aug 22, 2004

Surprise!

メリカのサプライズパーティ同様に叫んだ訳ではないけれど、21日はサプライズのウェディングパーティに出席した。新婦のMさんと私は学生時代からの友人である。

ヶ月ほど前のある日、友達のYさんから突然連絡が来た。「8月に、Mさんの旦那さん(彼)の会社の人たちが主催でサプライズの結婚式をするみたいなんだけど、miyamuも来れる?」という内容だった。前に仲間で集まった時に、Mさんに結婚の話はどうなっているのかと尋ねたら、入籍は先に済ませてしまい、ある程度の蓄えをしてから結婚式をしたいという話を聞いていた。だから結婚式はもう少し先かなぁと勝手に予想していたので、私はとても驚いた。

さんから詳しく話を聞いたら、そのパーティは新婦のMさんには全て内緒で準備が進められて、当日は“彼の会社の人がささやかにお祝いしてくれるから、とびきりオシャレして行こう”と彼女をレストランに連れ出し、会場に行くとなんと家族から友人までズラリと大集合!というシナリオになっているという。馴染みの顔ぶれが揃って、「実はあなたが主役でしたー!」とビックリさせるという一大企画・・・。内輪とおもいきやご両家のご家族までいるのだから、Mさんはさぞ驚くことだろう。しかも、そのまま人前式での結婚式を行い、祝福ムードいっぱいのままでパーティへ突入するらしい。最初にその話を聞いた時から、私は年甲斐もなくウッキウキ状態でこの日を待っていた。すごいなぁ、粋な演出を思いつく人がいるもんだ!

列予定の人たちは「秘密厳守、時間厳守で!」という約束で当日を迎えた。私は朝から緊張のあまり食欲もなく、身支度して家を出た。結婚式は自分のことではないのに、それまでの1ヶ月沈黙を守ったことと、成功させようというプレッシャー、久し振りに友人と会う楽しさ、綺麗に着飾ろうという気合いetc・・・感情が胸を圧迫して、遠足や運動会の朝のように食欲が沸かない。誰が見るとも知れないので、日記にさえ書けないのが本当にもどかしかった!!

浜駅での待ち合わせで、数人と合流できたことで一息つけたけれど、みんなが口々に言うのは同じようなドキドキした気持ちだった。(余談ながら、思えば私は電車に乗ること自体とても久し振りで、普段車に乗って生活をしていると電車にまで不適応になってしまうのだと感じたりして。切符を買っているのなんて私だけだし。私は「スイカって何ぞ?イオカードと何が違うの?」というレベル。)

留の新しいビル群の中、ひときわ美しいタワーの上階、それがパーティの会場だった。ホールの中心にある階段が結婚式に相応しくデコレーションされていて、何も知らずに階段から降りてくるMさんと仕掛け人の彼。BGMが流れ出し、照明が落ち、人々の視線が階段の上に注がれた。もうこの時点で私は胸がいっぱいだった。Mさんの喜ぶ表情が見たい一心で、私も友人も瞳が潤んできていた。一般の通行人も注目する中、最上階の中央にライトが照らされ、とうとう2人が揃って登場した。一段一段降りてきた彼女はとても可愛らしく、途中で思ったよりも大人数が集まっていることに気付いた。そして、家族や友人の顔を見つけて・・・。何というか、すごく、いい顔をしたのだ。ああー。本当に綺麗。

んな風にして、最初から最高潮にパーティは始まった。人前結婚式の宣誓、指輪の交換や誓いのキス、花束贈呈や署名、全てのイベントが盛大な祝福でもって進んでいった。2人の人柄があってこその、アットホームな完全に手作りの結婚式だった。Mさんの幸せな表情がとても印象的で、ついもらい泣きしてしまう。どんなドラマよりドラマティックで、こんな結婚式を挙げられる人が羨ましいと思ってしまうほどの大成功ぶりだった。写真撮影の顔、お化粧が落ちてるよぉ。

ストランに移動してからも、素晴らしい時間が続いた。手作りのスライドショー、Mさんの友達が手作りしたウェディングケーキへの入刀、芸達者なお仲間によるプロ級のマンドリン演奏、テレビ電話で繋がったと思った遠方の友達が突然スクリーンから出てきて会場に現れたり(!)何から何までサプライズなパーティだった。ウェディングプランナーの作ったプロの式ではない“良さ”が隅々まで行き渡っていた。Mさんに知られないように、同居している新郎が夜な夜なこっそり支度をしたエピソードだって、職場の仲間達が仕事の後でオフィスにこもって打ち合わせをしていた事だって、本番の仕上がりを見れば苦労の甲斐があったって物だろう。

ーティが終わっても、帰路の間も、ずっとパーティの話で持ちきりだった。私は家庭をしばし離れて旧友と語らい、美味しいお料理とお酒を頂き、リフレッシュした一時を過ごさせてもらった。おまけに参列した人全員が最高のプレゼントを貰ったかのような幸せを共有し、味わったのである。Mさん夫婦にとってはもちろん、あの場所にいたみんなが忘れられないような素敵な結婚式だった。結婚生活には時々サプライズがあるからこそ、新鮮な関係を維持できる・・・若い部下達から「長〜い!」とブーイングの来た課長さんのそんなお話も、私には身に染みたしね(笑)

Mさん、本当にオメデトウ。


Aug 21, 2004

ヶ月以上前からずっと楽しみにしていた土曜日が、とうとうやって来た。想像するだけでドキドキしながら長いこと待っていたけれど・・・う〜ん、いよいよ今日が本番っ!何があるかは、事後報告をお楽しみに。


Aug 19, 2004

はここ数週間「カタツムリを飼いたい熱」にかかっている。きっかけはいつだったか、私の家の外壁にへばりついているカタツムリの殻を見つけたことだった。私はとりあえず「カタツムリがいる!」と思ったけれど、その時はまだそれを捕まえる気にはならなかった。しかし翌日になってもカタツムリがそこにいたので、とうとう捕まえて部屋に戻って、レタスの入ったカップの中に水を浸してカタツムリが殻から出てくるのを待った。

の頃は毎日ウンザリするような真夏日で、夜になっても25℃以下にならなかったような時期で、「出て来い」と思いつつ、もしかすると死んでいるかもしれない気がしていた。待つこと1日、残念ながらそのカタツムリは空っぽで、体が外に出てくることはなかった。昨日のうちに捕まえておいたら、もしかしたら間に合ったのかもしれないと、私は少し後悔した。いないと分かると、なおさら欲しくなる衝動なのか、きっとそのせいで私は今でもカタツムリを飼いたいと思い続けているのだろう。

「一体どうしてカタツムリなんて?miyamuも物好きねぇ。」と思われても仕方ないけれど、実を言うと私は子供の頃にカタツムリを飼っていた事があり、それを妙に懐かしく思い出したのである。昔住んでいた家の外水道の横にアジサイがあって、そこで偶然見つけたカタツムリを持ち帰ったのがそもそもの始まりだった。その後、最初は数匹だったカタツムリが繁殖を繰り返してわんさかと大所帯になり、最後に多摩川で野生に還すまでの数年間、私は大小さまざまなカタツムリを観察しつづけていた。

さな真珠のような卵から孵ったばかりのカタツムリは透けていて、生まれた時から一丁前に殻を背負っている。とても小さいけれど、きれいだった。水槽の中で人参やキュウリの端っこをもそもそと食べている姿がもう1度見たくなったのだ。どこかにいないかなぁ。でも増えると困るので、1匹だけ飼いたい。余談ながら、私の姉はラジオの「子供電話相談室」に、カタツムリの悩み相談で出演したことがある。懐かしい昔の話・・・。


Aug 18, 2004

分の事を棚に上げてこんな事を言うのも恐縮ながら、最近人が使っている日本語の乱れが気になって困る。スーパーに買い物に行った会計の時や、オーダーが揃ったレストランのテーブルで店員に言われる「以上でよろしかったでしょうか?」が個人的にはかなり好きではない。「よろしかった」じゃなくて、「よろしい」で良いではないか。丁寧そうに聞こえて何だかおかしいので、「ハイ、よろしかったです」なんて皮肉って返してしまいたくなる。他にも「逆に〜」や「ありえなーい」も、気になる、気になる。つまり、私はもう若者ではないということ!?

本語が時代の流れとともに変化しているのと同じように、英語にも当然若者特有の言い回しやスラングが沢山ある。カレッジで若者の話す最新鋭の英語が聞こえてきたとしても、悲しきかな、私にはサッパリ理解できなかった。(それをいい事に堂々と侮辱的な言葉を使われていた事もあった・・・と思う。人の表情や口調から言っている内容が汲み取れる事もあるので、何か悪いことを言われているなと感じる時には、たとえ分からなくても毅然としていたいけれど。)話が逸れたけれど、どんな言語もどんどん変化している。ファッションと同じように流行があるし、流行り廃りも早いのだ。世間では教科書に載っていないような日本語が溢れているから、日本で暮らす外国人の人もきっと苦労しているだろうなぁと、ふと思った。

休明けのせいで、頭の中も身体の生活パターンもいまいち切り替わっていない。通常モードになろうにも、オリンピック観戦の睡眠不足と日中の真夏日の復活で、いつもずっしり疲れているような感じに見舞われている。重い頭でのろのろしていると気付くと「んまっ!もうお昼じゃん!?(横浜弁。言葉使いが悪いなんて、私も人のことを言えないか。)」・・・という生活。完全にスイッチが切れている、今日この頃。


Aug 17, 2004

リンピックは日本人のメダリスト続出で、驚きの好成績が次々と飛び出している。様々な競技を見ていると1つの事を極めている人々はみんな輝いていて、人種も年齢も性別も関係なく素敵だと感じる。世界中の人々を同時に感動させるパワーはすごい。私にも何かそういうものが有ったらいいのにと憧れる気持ちさえ湧いて来る。でも忘れてはいけないのは、そういった才能はただ欲しがって得られるような物ではないということ。選手達が能力を開花させるまでには、いくつも乗り越えなければならない壁や長く険しい道のりがあっただろう。月並な言葉になってしまうけれど、観ている者の心を動かすようなアスリートたちは、汗も涙も本当に格好良い!(それでも、アメリカでは盛り上がっていないんだろうなぁ・・・。)

んな風にオリンピックに刺激を受けたからなのか(?)私も新しい目標というか、ちょっとチャレンジしてみようかと思える物を見つけたような気がして本屋に関連本を探しに出かけた。思い付きで新しい物に着手してはやりかけで放り出すのは悪いクセだけど、常にアンテナだけは外に向かって伸ばしていたい。実際にそれをスタートするかどうかは別にして、最初は興味のある対象について調べておいて損はないと思う。思えば9月は新学期の月だし、新しいことを始めるにはピッタリの時期。もうすぐ英語も再開されるので秋セメスター気分で取り組みましょう!


Aug 16, 2004

ういえば日曜日は「40日連続の真夏日からの解放」という日でもあった。でもいきなり10月並みの気温に下がられても困ってしまう。こちらは身体が完全に対真夏日モードになっているのに、長袖でないと肌寒さを感じるような急降下では風邪を引いてしまうではないか。めちゃくちゃな気候に振り回されつつ、これから少しずつ秋めいてくるのかと思うと、それも何となく寂しい気がした。もうだんだんと、日が短くなって来ている。


Aug 15, 2004

願かなって、上京中の友達と再会した。彼女は社会人になってからも勉強を続けていて、現在は通信教育で大学生をしている。そのため夏になるとスクーリングのためにしばらく東京に来ているのだ。私なんてのほほんと生きているというのに、立派な社会人でありながら“もっと勉強したい”という気持ちで頑張っているなんて、本当に頭が下がる思いだった。いい大人でも、堂々と学割利用者。こういうのって、何だかいいよね。自分も負けないようにガンバロウ!という良い刺激を貰った気がする。

クーリングは限られた期間に集中的に単位をとるため、彼女は月曜日から土曜日の朝から夜まで勉強に明け暮れている。だから会えるチャンスは日曜日しかないらしい。そこで東京にいる最後の日曜日となる今日、そんな貴重な1日を私のために使っていただいたのである。滞在先からはるばる我が家に来てくれると言うので、せっかくだからと学生時代の友人を他にも数人招いておいた。すると、みんなも私と同じように会いたいと思っていたということで急な誘いにも関わらずOKしてくれた。

年会っていなくても、「久し振り」の挨拶のあとノリはすぐに元通りになる。みんなが口々に他愛ないローカルなネタや学生時代の思い出話などを持ち出すものだから、1人の時にはすっかり忘れていた記憶が呼び戻されて、笑いすぎの涙の連続だった。「囲む会」はランチとお茶とお喋りで、あっという間に時間が流れていった。あんまり楽しい時間だったものだから、別れ際には切なくなってしまう。

は夜になっても興奮冷めやらず、語りきれなかった気持ちや感謝などを込めて彼女へ手紙を書いた。宿泊先に送って驚かせてやろうと思いながら、まだ気持ちが熱いうちにと一気に書いていたら、丁度その時携帯に彼女からメールが来た。その内容が「もっと色々話したかったから、手紙を書いたよ」というものだったから私は驚いた。なんと、2人して同じ事をしていたのだ!遠くにいながら同じ気持ちを味わっている不思議な繋がりを温かく感じた。グループで集まったことで、2人だけでじっくり語らうという時間は少ししかなかったけれど、でもこうしてもう1度会えたことにはとても大きな意味があったのである。


Aug 14, 2004

ただいま。箱根より帰還いたしました。

根に行ったら大涌谷!黒たまごは箱根の大涌谷名物で、1個食べれば7年寿命が延びるとか。硫黄臭さも何のその、岩の階段が急でも気合いで登りきり、蒸したてで熱々の黒たまごをゲットするべし。売店の玉子茶屋の周りに卵の黒い殻が散らかっているのもいつもの光景。黄身で喉が詰まるのもお約束。(ところであの岩場をヒールの付いたサンダルと街ファッションで登るのだから、今時の女子は強くなったもんだ。)

の下にある富士屋ホテルに併設されたパン屋「PICOT」で、開店直前の行列に参加。お目当てのレーズンパンとビーフカレーパン、クッキーの詰め合わせを買ったけれど、クッキー以外はお土産になる前にお腹の中に入ってしまった。ふわふわで軽い食感のレーズンパンは、表面にかかった粗目の砂糖が素朴な味わい。ビックリしたのはパン屋にドアマンがいたことで、開店直後は混雑するため、ゆっくりと買い物が出来るように入場制限しているのである。ドアマンを含め、スタッフの全員がきっちりとした身なりをしていて礼儀正しく、かなり古くて“きれい”ではないパン屋なのに、富士屋ホテルの歴史を感じたのであった。おまけで、富士屋ホテルのそばにある和菓子店で箱根らしく温泉饅頭を買ってみた。

昼には箱根名物の箱根そばを食べて、蒸かしたてのお饅頭を食べ、すっかり食べてばっかりの箱根ツアーになってしまったけれど、帰りに御殿場のアウトレットモールに立ち寄った。NYのWoodburyを思い出しつつ、沢山の人で混み合ったモール内をあちこち歩き回った。ぐるりと一周する頃には戦利品もポツポツ見つけて楽しかったけれど、いちいち夫と2人で米ドル換算して比較してしまうあたり、まだまだ“かぶれ”が抜けていない。でもアメリカンブランドはアメリカの無謀な安さには到底かなわないなぁというのが実状である。

局、箱根ののんびりとアウトレットのごちゃごちゃが混在した旅になってしまった。久し振りの温泉は気持ちよかったし、幸い家族風呂を利用できたので心配していたminimu大暴れにも対処でき、とても良いリフレッシュになったと思う。またいくぞ、箱根〜。帰ってくるなりオリンピックで私は寝不足。ああ、また夜が開ける。寝なきゃぁ。


Aug 12, 2004

日から1泊の予定で、箱根へささやかな旅行を計画している。あ、もう今日だぁ。気付けば2時になっちゃうわ。これぞ旅行前夜の王道パターンだ、イエーッ!なんて、笑い事ではないけれど。

を隠そう、私は旅行の準備が相当苦手なのである。支度するものはあらかじめ頭に入っているのに、集める途中で「これも要るかなぁ?後で困るよりは有った方がいいかも・・・」などと不安に陥る。だからいちいち想像が膨らんでしまい、最後には備えあれば憂いなしという状態になって荷物が増える。対する夫は、最初に何が必要なのかをリストにして、着々と揃える派である。私も真似してリストを作ってみても、順調に進まないのはやはり性格のせいだろう。

題はもう1つあって、私の言う旅行の準備というのは自分の物だけではなく、minimuの分もあるので大変なのである。こればかりは単純に2人分やればいいという訳にはいかない作業で、子連れの旅支度は大変なのである。子供特有の必需品は忘れた時に代替品を探しにくい上、トラブルに直面した時に「ちょっと待って!」が通用しなかったりする。だから私は子供のために眠い頭を働かせ、1日に何回オムツを替えるかとか、ミルクを何ml飲むかだとか、よだれかけを何枚汚すかなどを予想するのだ。1泊でも1週間でも手間は同じ。これは多くの場合母親の役目だから、時間が掛かるのは仕方がない。たかが1泊、されど1泊。あと寝る前に洗濯と食器と生ゴミを片さなくては。

れでは明日は日記をお休みして、温泉につかってのんびりしてまいります。ビバノンノン♪


Aug 11, 2004

休みの真っ只中の混雑を覚悟で横浜八景島シーパラダイスへ行った。1時間で着きそうな道のりを、渋滞や駐車場待ちなど2時間近くかけて到着した。せっかく水族館に行ったのに予想通りの大混雑で、海の生き物をじっくり観察できるような余裕がなかったのが残念だった。でも無料の水上スキーショーがあったり、海を見ながら野外テントのB級グルメを楽しんだりと、なかなか気分上々の休日だったと思う。唯一気になったのは、バリアフリーの動線がかなり限られていて、車椅子やベビーカーの家族達が1基しかないエレベータの前で大渋滞になっていたこと。もう少し、改善の余地があるのではないだろうか。

れにしたって、八景島なんて冬の平日に来れば寂しいほど空いているのに、この違いは一体なんだろう。と思ったら、先月からオープンしたDolphinFantasyという、今までにない角度からイルカの様子を見られるという画期的な施設が呼び物だったらしい。実際に中に入ると、DolphinFantasyのには2タイプの水槽があった。活発に泳ぐイルカたちがいるトンネル型の水槽と、シロイルカが美しく漂う巨大な円柱型水槽だ。トンネルの方はまるで水槽の中に入り込んだかのように感じる作りになっていて、水を切るように泳ぐイルカの姿にはかなりの迫力があり、真下からジャンプを見られることにとても感動した。対するシロイルカの方はトンネル水槽とは打って変わって、壁の向こうでゆらゆらと泳いだり、体をくねらせては愛嬌を振りまく可愛らしいイルカの姿が見られるという癒し系だった。時間さえ許せばいくらでも眺めていたい。これは、とてもオススメ。

景島は無料で入場できるので、近くに住んでさえいれば犬の散歩コースにも出来る。もし私が近所で犬を飼っていたら、夏には毎晩花火の時間に散歩に行くのになぁ・・・なんて思ってしまった。ちなみにお金が掛かるのは水族館の入館料と海の生き物のショーに、遊園地の乗り物である。次回は是非とも冬の平日を狙って来て、イルカの水槽でひたすらリラックスして過ごそうっと。


Aug 10, 2004

ょっと恥ずかしい話。
minimuを連れて家族3人で歩いているとき、突然思い立ってゲームセンターに立ち寄った。まっしぐらに目指すは、プリクラである。私は自称硬派(?)なので、女子高生ホイホイのようなデザインのプリクラのカーテンをくぐる事自体に緊張する。でも3人揃ってプリクラを撮るなんて滅多にないチャンスに思えて、急に欲しくなったのである。(そもそも私の夫はそういうものが好きではないタイプなので、子供が一緒の時ぐらいしか乗り気にならないだろうし、発作的に何が何でも今がチャンス!という気持ちになったのだ。)

かし。前にプリクラを撮ったのはいつだったか、自分でも覚えていないぐらい前のことで、最新機種の複雑な機能にすっかりうろたえてしまった。全身写真、落書き機能、フラッシュの調整などなど、手順をまったく知らない私にはただでさえ複雑すぎるのに、制限時間なるものがあるらしく、カウントダウンされていく秒数を見ては余計に焦って意味不明な操作をする始末。最後までminimuがカメラ目線になってくれないしで、出来上がったプリクラはちょっと慌てたような、よく言えば自然な表情の私達だった。400円もしたのにぃ〜・・・。でも画像は驚くほど鮮明だったし、出来上がりスピードも以前の半分以下で、最新の技術はすごいと素直に感心してしまった。悔しいからリベンジするぞ。でも1回100円のダイソープリクラでいいや。私にはシンプルなのが合っているのよ、きっと。


Aug 9, 2004

年に入っての「嬉しいことベスト10」にランクインしそうな、嬉しい出来事が突然やってきた。学生時代の大切な友達から葉書が届いたのだ。大切な友達ならば疎遠になるのはおかしいとは思うけれど、Uターン就職をしてしまったその彼女とは卒業以来なかなか会えず、最後に会った後で私が日本を離れていた事もあって、そのまま数年が過ぎていた。

は私には彼女に負い目があった。以前、一時帰国した時に遊びに行くねと言っていたくせに、結局その時間を作ることが出来ないまま、話が立ち消えになってしまったのだ。相手を喜ばせておいて、その期待を裏切るようなことをしてしまった。心の中ではそれを申し訳ないと思っていたくせに、きちんと謝るチャンスを逃していた。きっとガッカリさせただろうし、嫌われてしまったかもしれないと思うと、余計に言い出せなくなって時間ばかりが過ぎていた。帰国してから出した報告を兼ねた年賀状にも返事が無かったので、もうダメかなぁ?と、遠距離恋愛の彼氏宜しく、ずっと片思いしていたのである。

れなのに、諦めかけた頃になって、私の心のポストに一枚の葉書が舞い込んできた(ロマンチック風に)。そこには懐かしい文字がびっしりと並んでいて、なんだかね、あたしゃ素直に感動してしまいましたよ。しかも冒頭には「airメールにビビッて返事を出さなかった私をゆるしてください」って・・・。許す、許しますとも。それより私のこと怒ってないの?こっちの方が悪いことをしたってずっと思っていたのに。本当に、手紙をくれてありがとう〜〜(感涙)。

し2人して罪悪感を言い出せずに困っていたのだとしたら、そんな勿体ない事ってないと思う。世の中って、実はそういう行き違いがたくさんあるのかもしれない。葉書によると、今月はしばらく東京に滞在しているというし、この連休が俄然ありがたいものになって参りました。


Aug 8, 2004

休になると毎日のように感じる土曜日気分。その日を休日として過ごしたのに、まだ明日もお休みなんだよなぁという安心感がまるで土曜日みたいに思える。今日も、明日も、明後日もまだお休み。嬉しいような気もするけど、会社員ではない私にはあんまり関係無いのかも。ちょっと退屈。

語はお風呂で読書中。忘れないためにも声に出して喋りたいけど、夫婦では日本人同士な上にレベルが違うので難しい。語彙の量が違いすぎる。おまけに間違っていても、ダメ出ししないで会話してくれる先生じゃないと、照れも入って余計に無理。そんな気持ちって分かるかなぁ。人の運転には「ちゃんと見て!」とか「前、前!」とか、「あぶないよっ」などとあれこれ口出ししないで、ドーンと居眠りぐらいして欲しいのに、信用が無い緊張ムードなのよねぇ。。。そんな感じ。余計にわからないって!?


Aug 7, 2004

の甲子園が始まった。前回の日記で書いたサッカーは、見事日本が優勝した。もうすぐオリンピックも開幕する。なんだかこの頃はスポーツイベントが目白押し。私は“見る専門”ながら、鍛えられた選手たちの妙技を見るのはとても楽しいし、本物の試合は劇的な展開も多く感動的なので、お盆休みはスポーツ観戦でもしようかな・・・あ、結局ゴロゴロのカウチポテト連休ってこと!?

いう訳で、日本は今日からお盆休みの大型連休に入りました。でもここはいつもどおり、のんびり更新していきたいと思っております。もし更新されてないなぁと思われたら、そんな時はきっとmiyamuが「連休→夫在宅→ゴロゴロ→遠出なし→家事倍増→ヒィー。」という状況に直面しているということですので、ご心配なく。それでは皆様すてきな夏休みを。


Aug 5, 2004

ッカーのアジア杯の決勝戦である日本vs.中国戦が北京で行われることで、激しい日本バッシングが予想されている。現地でサッカーを応援する日本人や、観光客や居住者に向けて、「興味本位で自分の身を危険にさらさないように、人が多く集まるような場所に近寄らないで」というようなお達しが出ている。暴徒と化した群集の行動には全く予測が出来ず、遠くから言葉で罵られるとか石を投げられるぐらいではすまないかもしれないので、関わりあうのは絶対に避けたい。人間の集団心理(群集心理)はたいてい悪い方向にしか働かない。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」は集団心理を上手く表した例だと思う。日本に限っていえば、赤信号を無視して渡るのは危険だし、良い事ではないと子供の頃から道徳教育を受けている。でも、赤信号で足止めされている時に車が通っていなければ、車もいないし渡っちゃおうかなと誰もが一瞬思っているだろう。だから始めの一歩を踏み出した人がいたら、僕も私もと後に続くのだ。(しかしながら不思議な物で、他に誰もいないで自分1人だけの状況だったら、赤信号でも迷わず道路を横断する人でも、他に通行人がいる時にはその人達の目を気にして躊躇してしまったりする。これはきっと恥を重んじる日本人特有の行動ではないだろうか。)

は心の中では悪いと思っている事でも、目の前で“みんな”がその悪いことをしていたら、自分もやろうかなと思ってしまう。自分1人じゃないという安心感に後押しされて何故か強くなったような気分になったり、やれやれという雰囲気に飲まれてしまうと、小さないたずらがどんどんエスカレートして大きな悲劇をもたらすこともある。集団心理にコントロールされて人が何か事件を起こしても、“私のせいじゃないよ、だって、みんながやっていたんだもん”なんて子供の言い訳は通用しないのだ。

わくは、中国で何事も起こらないでサッカーが終わり、もちろん日本が勝利する!というハッピーエンドということで。あ、でも日本が勝ったら後が大変そうだ。それとも日本が負けたら、それこそ輪をかけて強気になったフーリガン達が暴れ出すかもしれないし・・・結局危険なことは変わらないということなのね。


Aug 4, 2004

メリカから日本に一時帰国している友達と、約1年振りに再会した。まずはランチでもしようと立ち寄ったカフェで、席に着くなり「そんなに長いこと会ってない気がしないんだけど」と言われたのは、彼女がちょくちょく私の日記を見てくれているかららしい。私が歯医者通いしていたことや、夏風邪にダウンしていたことなどまでご存知とは!御見それいたしました。(そんな訳で、もし後でこの日記を読んでいたら、勝手に書いて〜っなんて怒らないでね!)

っと外国人が1年ぶりに友達と再会したらばお互いにHugやKissをするのだろうけど、何せ日本人同士で、しかも日本の駅前ではなかなかそんな行動も出来ない。でも彼女は相変わらず元気そうで、遠くから見慣れた笑顔が近づいてきた時には嬉しくて早足になってしまった。お互い変わらないねと言いながらも、minimuだけはすっかり大きくなっているので、私自身も彼女と一緒になってその成長ぶりに驚いてしまった。最後に会った時には寝返りも出来ない“赤ちゃん”だったのにねぇ。

女と一緒にやって来た懐かしい“地元”の話を沢山聞かせてもらうと、懐かしい気持ちと新しい驚きが次々と沸いてきた。私が帰国してからの1年足らずで色々な新しい物が出来たり無くなったりしていることや、NYの現在の様子など、お土産話は尽きないまま時間だけがどんどん過ぎてしまった。日本から離れた最初の頃は、横浜に何が出来たとか何が流行っているとかいう話にとても敏感だったけれど、まるでその時のような感覚だった。

ころで今やこんな風にくだけたお付き合いをさせて頂いているけれど、彼女は素敵な人生の先輩で、私が普段どおりに図々しいほどカジュアルに接しているのも失礼かもしれないと、時々思ったりする(のですよ、一応)。けれど、これがきっとアメリカという場所柄生まれたFriendshipなのかもしれないと、自分勝手に解釈していたりする。私がアメリカに滞在していた頃、自分と同じように夫の駐在に付いて来ているという女性達と知り合う機会が多かったけれど、その中から友達と呼べるような大切な人達が今でも残っているという事はとても嬉しい。改めて、自分は出会いに恵まれていたなぁと、しみじみ思ってしまうのであった。

り際に、彼女の持っていた水色のバッグが印象的だったので、思ったままに「すごくいいね!」と伝えてみた。するとそのバッグはお店に3回も通って悩んだ末に買ったという思い入れのあるバッグだったようで、そのエピソードが“らしいなぁ”と思わせるものだった。というのも、彼女はそのバッグを一目見て「いいな」と思ったものの、すぐに買おうと思い切れるほど手頃な値段でもなく、でも気になって何回も見に行ってはセールになっていないかチェックして、最後には店員さんにセールにならないのかと尋ねて、「絶対に?」と念を押して確認したというのだ。結局そのバッグは最後の一点で今後もセールにはならないと言うことで、買うことに決めたという。

にはこの光景が目に浮かぶようで、何だかおかしかった。これはいたって普通の日常風景なのだろうけど、彼女の人柄はもちろん、海外で暮らすセンスにしても、英語での堂々とした振る舞いにしても、“しなやか”という表現が似合う人だなぁと、ちょっと憧れてしまったりして。何というか、ターコイズっぽい明るい水色が彼女の自然なキャラクターにとても似合っていたのだ。最後に、遠路はるばる来ていただいて、ありがとうございました。
See you !


Aug 3, 2004

Yのシンボル、自由の女神(Statue of Liberty)の内部が、2001年9月の同時多発テロ事件以来3年ぶりに一般公開されることになった。Statue of Liberty scheduled to reopenCNN(アメリカ版)

が初めて自由の女神を訪れたのは、2001年の夏のことだった。おのぼりさんよろしく、女神像の中に入り、急な螺旋階段を昇って辿り着いた女神のてっぺんのことは今でもよく覚えている。その時の思い出も、それから数ヶ月後に起こった信じ難いテロ事件のことも、まだホームページを立ち上げる前だったのでここには触れられていないけれど、どちらも私のアメリカ生活の中で忘れ得ない出来事だった。渡米して1年足らずの当時の自分にとって、テロ事件のことについて何か言うのはとても難しいことだったから、あれから3年経った今でこそ冷静に思い出せるのかもしれないけれど。

ロ事件の後、女神像のあるLiberty Islandへの立ち入りが出来なくなってから、しばらくして島までは船で行けるようになった。ただ、Liberty Islandに上陸して女神像の間近に立って真下から見上げることは出来たけれど、像の内部には一切入れないままだった。それがこうして約3年ぶりに公開されるというのだから、喜ばしい事だと思う。

も今回公開されるのは残念ながら全てではなく、女神の足元にある台座の展望台までとなっている。それ以上は狭くて急な階段となっているため、万が一何かが起きた時に危険だと言う判断なのだろう。再び誰もが女神の王冠の内側に行けるのはいつになるだろう。一度に何もかも欲張ってはいけないとはいえ、かつてStatue of Libertyの名の通り、移民となってアメリカを訪れた人々に思いを馳せるような気持ちを、またあの王冠の裏側で叫びたい。「Freedom!」・・・なんて、恥ずかしくて出来ないか。

なみに公開は現地時間の3日からで、内部に入るのは完全予約制となっているそう。セキュリティのチェックもますます厳しくなっているとのことなので、多少の不便や不快感は覚悟の上で訪れた方がよさそうだ。ところでCNNのニュースによると「The Staue of Liberty's new glass ceiling allows visitors a glimpse into the statue's crown.」と言う事なので、これ以上は上に昇れないリミットの場所にガラス製の天井(?)が作られ、来場者が上の様子をちらっと見られるようになっているらしい。


Aug 2, 2004

ょっと用事があって新横浜に出かけたら、横浜アリーナで何やらコンサートがあったようで、歩道には人だかりが出来ていた。月曜日とはいえ、世間は夏休みなのだ。女の子(一部、おばさま)しかいなかったところを見ると、ジャニーズ系のアイドルだったのだろうか。用事を済ませた帰りに、まだけっこう人がいるなぁと思いつつアリーナの横を通り過ぎた時に、暑い日差しの下で並び続ける人の数に驚いた。看板には「コンサートのグッズ売り場への最後尾はこちら」・・・って、売り場が全然見えない。色々な意味で、すごいと思う光景だった。


Aug 1, 2004

バテして、すっかり食事を作る気力を失っていた今日の夕方。立ち上がると頭がボーっとしてふらつくし、身体が熱っぽくて息苦しい。それなのに朝からパンだけしか食べていなかったので、お腹だけはかなり空いている。ああ〜、台所に立つのが辛い・・・。外食や出来合いの物やデリバリーという選択肢もあれど、冷蔵庫の買い置き食材が勿体ないし・・・。

に一度はこの手の葛藤はあれど、ほとんどの場合、結局私が自分で料理をすることになる。それでも“逃げ”の選択肢が豊富なのだから、日本の便利さはすばらしい。そういえばアメリカのスーパーに売っている出来合いの物なんて、本っ当〜に美味しくなかったから、どんなにやる気が無くても作るしかなかったもの。

あと、覚書をちょこっと。
8月になったので、英語の自習強化月間として読書とワークブックを頑張るぞ。




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