miyamu's
DAY BY DAY

ヨコハマ徒然日記
ヨコハマ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。
December2004 back number ★過去の徒然日記
Dec 30, 2004

んだか肩こりがひどくて、○ロンパスを両肩に貼っている。自分では分かりにくいけれど、私とすれ違った人は強いメントール臭を感じていることだろうなぁ。私は万年肩こりなので、多少のだるさは我慢できる。でも極度の肩こりになると体が痛いし、おまけに頭痛や吐き気が起こることがあるので参ってしまう。今回のこの肩こりの原因はきっと年賀状を書いている間、猫背の姿勢で頭を下げていたからだろうけど。

てさて、今年も晦日の30日。我が家は今日から夫方の実家へ帰省する。車で帰るつもりなので荷造りも比較的やりやすい。悩んだら持って行くでも大丈夫だから嬉しい。それにしても寝てないのに、もう3時半だよ・・・。いつものギリギリな性格は来年も治りそうに無い。

んな訳で、日記の再開は年が開けてからとなります。
今年もmiyamuにお付き合いくださって、どうもありがとうございました。色々な出来事があった2004年でしたね・・・。すっかり日記がメインの更新が続いていますが、こんなサイトでも訪れてくださる皆さんには感謝の気持ちばかりです。来年もLittle by Littleをどうぞ宜しくお願いいたします!それでは、来る2005年が皆さんにとって素敵なものとなります様に心よりお祈りしつつ・・・ ★I wish you a HAPPY new year★


Dec 29, 2004

日も書いた地震による死亡者が、時間が経つにつれてどんどん増えている。今日の昼のニュースではすでに6万人に達していると報道されていた。6万人とはいったいどれほどの数なのか想像し難い。でも、人気の歌手が3万人ライブなどを行なったという会場の様子なら思い浮かぶ。人が粒ぐらいの小ささで、びっしり詰まった様子・・・。もしその人々が瞬く間に世界から消えてしまったのだと考えると、その喪失はいかなるものか。6万人というのは、あまりにも大きい。悲しいことに、きっとこの数字はさらに増えるだろうし、行方が知れない人々の捜索も続くのだろう。海に呑まれてしまった人間の小ささなんて、粒どころではない。1人でも多くの人が救われる事を願うばかりである。

日から夫も年末年始の休暇に入った。正しくは、昨日の午後から。とりあえず今日1日をクッションにして、我が家が帰省するのは明日からの予定。だから今日は大掃除に明け暮れる・・・はずだったのに。朝から雪でございますよ、関東は。それも、ちょっとした纏まった雪とは珍しいこと。掃除するにも窓が開けられないし、寒いから動きたくないし。

も気温は氷点下ではないし、雪質も水っぽいせいで家の周りがべちゃべちゃしている。郵便局と銀行だけは行かなくてはいけないし、雪の様子も見てみたいし、とりあえず少し外に出た。そして感じたのは、ここの冬は“じっとり寒い”ということ・・・。粉雪やピリピリした痛い寒さではないけれど、その分中途半端に寒くて、体はキツイというパターンだ。

っそダウンジャケットが“ファッションアイテム”ではなくて“必需品”だったNYの方が寒さに潔い。今私が着ている毛や布のコートは重いくせして意外と寒いのだ。uglyなエスキモーみたいなブーツやロシア風の帽子だって、寒い場所ならとても自然なのに、中途半端なここでは「大袈裟ねぇ」となってしまう。それに、潔い寒さのメリットは、室内も潔く(?)暖かいということなのが重要であることもポイントなのよね。


Dec 28, 2004

マトラ沖で起こった地震のためにインド洋に大規模な津波が発生し、1万5千人近い死亡者を出し、今もなお行方不明者が沢山いる。こういったニュースを聞き、本当に気の毒だと思う。相手が天災だけに、人はなす術も無い。地震の後で静かに海岸から潮が引き、そして急激に押し寄せてくる様はただ恐怖だ。
英語のニュースを見ていても、津波はtsunamiだった。

潟中越地震で一部運休していた上越新幹線も、今日から運行を再開させた。この努力と対応の早さが素晴らしいと思う。きちんと人々を帰省出来るようにしたのだから、作業員も総出で頑張ったんだろうなぁ。

内にやっておきたい事が押しているのか、どこへ行っても何をしていても人だらけ。学齢期の人々が冬休みに入ったこともある。それにしたって、歩行者も自転車も車も多い。よって、事故も多い。アメ横は毎年恒例の人だかり、犇(ひしめ)き合うという言葉がぴったり。

いで雑に歯磨きをしていたら、歯ブラシを勢いよく歯茎に突き刺してしまった。案の定、翌日からビッグな口内炎発生。じわじわと範囲を広げる敵。痛すぎて涙が出てしまう。年内に治りますように。

が出るといえば、1人で空いた夜道を運転していたら、何となくかけていたはずのミスチルをやけに真面目にどっぷり聴けてしまって、しんみりしてしまった。音楽で泣ける気分の時もある。お恥ずかしい。これも年末気分がなせる業なのかもね。


Dec 26, 2004

行に行った話には実は続きがある。新規で銀行口座を開設しようとしたら、普通ではなく貯蓄を勧められたのだ。貯蓄預金というのは聞いた事が無かったので話を聞いてみると、簡単に言うと普通と定期の間のようなもので、利率が普通だと0.01%のところを貯蓄では0.1%(口座に10万円以上預金されている場合に有効)で、引き出しと預け入れは出来る代わりに自動引き落としなどの指定口座にはできないという物だった。

ーん。これって本当にお得なのだろうか。0.01%と0.1%というのは10倍も違うが、数字上では低レベルな争いに思えるのは私だけだろうか?普通の口座に100万円の預金があったら、100円しか利子がつかないというのも泣けてくるけれど、それが1000円になったとしても正直いってあまり魅力的ではないような・・・。そう考えると外貨預金を持っておくメリットもあるのかもしれない。

い目で見ると、制約が多い分貯蓄は使いにくいように思えて、私は結局普通を選んだ。帰り際に窓口のお姉さんがくれたお礼の品は某スポーツブランドのプチタオルで、なんとなく、そっちの方がよっぽど利子より高いのでは?などと思ったのであった。

アに掛けるしめ飾りを買った。私の家には今もリースが掛かっているのに、クリスマスが過ぎた途端にいきなりお正月モードにスイッチを入れ替えるのだ。これぞ異文化の融合。そうそう、異文化の融合といえば、今年は韓流ブームのせいで「韓国料理おせち」なんて物まで売られているらしい。おいおい、百歩譲って韓流が流行るのはいいけれど、そんな所まで便乗するのは頂けない。日本の伝統を守る誇りって物は無いのか〜?(ちなみに、百歩譲っても「日本人女性たちの心を奪った韓国俳優四天王」などという、その“たち”っていうのは許せない。日本人女性をひとくくりにするなあっ!」)


Dec 24-25, 2004 世界中のみなさんに、Merry Christmas!

んな訳で、とうとうやってきましたクリスマスであります。私もご多分にもれずケーキとチキンなんぞを買い込んで、夜はワインを飲みつつ家族ディナー会を開き、クリスマスイブの夜を迎えてみた。胃袋も気分もとてもハイカロリー。

という慌しい24日だろう。私はかなりヘトヘトだった。よりによってこんな日に銀行へ行ったのだ。給料日とクリスマスイブと週末が重なるなんて、恐怖でしかない。ATMへ続く行列の長さにはビックリで、思わず携帯のへなちょこ画像で撮影してしまったほど。ディズニーランドのアトラクション?というような、ぐねぐねと折り返しになった行列は道路にまではみ出していた。こんな列を見てしまったら子連れでは並ぶ気も失せてしまう。窓口業務も混み混みで、忍耐力の限界がきたminimuをなだめるのに嫌な汗までかいてしまった。

パ地下のケーキ売り場もいつになく賑わっている。そしてイチゴが妙に高い。惣菜店はチキンの山、山、山。当然レジも行列。ギフトはラッピングが15分待ち。それでも人は物を求め、そのためにお金や時間を浪費するのだ。そう考えると、実はクリスマスってすごいイベントだ。確かに1年において日本で最もケーキが売れる日だろうなぁとは思うけれど、この派手な消費活動はなかなかのものだ。

りに私はクリスマスのブーツに入ったお菓子詰め合わせが半額になっているのを見つけ、手提げ型のを一つ買った。中には値引きになっていない物もあり、その分かれ目は何なのかと観察したところ、パッケージにあからさまにクリスマス的表現が印刷されているものだけ半額になっているようだった。なるほど、お正月にも売れそうな物は取っておこうという魂胆だな・・・。

になり、家族が寝静まったころ、私は年賀状の宛名書きに取り組むことにした。宛名書きをすればあとは印刷してあるのだから、ただ住所と名前を書けばよいのかもしれないけれど、私はなにか一言メッセージを書き足さなくては気が済まない性格をしているので時間が掛かる。郵便局のCMでは「年賀状は24日まで」だなんて厳しいことを言っていたから、遠方の友人を先に済ませる作戦にした。年賀状印刷があがったのは12月の第1週目だったのに、やはりギリギリまで動かなかった自分を悔やむ。(毎年の事だ。)そういえば来年は1月2日も年賀状配達をするらしいから、郵便局も頑張っているようである。・・・で、あと何枚書くんだっけ。げ、まだ半分〜、、、泣けてくる。


Dec 23, 2004

車やエレベーターに乗る時は降りる人が終わってから!なんて事は小学生でも知っている。・・・そう思うのは私の勘違いなのだろうか。私はベビーカーと一緒に階を移動する時にはいつもエレベーターを使っている。だから自分のマナーには気をつけているつもりだ。その分余計に人のマナーの悪さが目に付いてしまうのだ。

日だってエレベーターの扉が開くや否やドドドッと猪の大群の如く、いい大人した家族連れが突進してきた。うわっ・・・これじゃ降りられない。しかも私が何度も「降ります」と言っているのが聞こえないはずはあるまい。「あら、これじゃ降りられないわよ」と、ドアの前とは関係無い他の人たちが動き出した。そして数人が降り、なんとか入り口付近が空き、私はベビーカーをゆっくり引いてエレベーターから降りた・・・と、その途中で意地でも降りる素振りを見せなかった猪軍団の1人の靴先にベビーカーのタイヤがふれてしまった。内心、私はほら見たことかと思ったが、その人に「すみません」と声をかけた。確かにタイヤが触れたのは失礼だったとはいえ、マナーの悪い相手に謝るというのは実に理不尽に思えたからだ。

「すみません」と私の口から出てきたのは、全く心のこもっていない声だった。だって、私の心の中には“我先に割り込んでくるからタイヤにぶつかるんだってば”という怒れる気持ちがいっぱいだったのだ。まったくあの猪軍団め。混んでいる時はエスカレーターに乗れっての。足を轢かれそうになるは、おまけに私の日記に文句まで書かれるはで、ささやかに仕返しされてますよ〜だ。



な話だけではなく、少しはハッピーな事も書かなくては。もう古い話になるけれど、NYの老舗おもちゃ店のFAO Schwarz(ホームアローンに出てくる素晴らしいおもちゃ屋)がクリスマス商戦に合わせるかのように経営を再開させたという。たとえ多少値段が高くとも量販店にはない魅力があったと思うし、観光名所としても有名なスポットが無くなってしまうと聞いた時は寂しかった。他店との安売り競争に走っても勝てるとは思えないし、これからも名前の持つ信頼や高級感と、老舗ならではの“子供の夢”を大切にした雰囲気を大切にして頑張って欲しい。

日は、日本は天皇誕生日で祝日である。特に出かける予定も無いまま夕方になり、あっという間に日が沈んでしまった。夕方の5時も深夜も変わらない真っ暗さである。違うのは家々の明かりが灯っている事ぐらい。そして日が沈んだ後に気付くのが、私の家の周辺でもクリスマスらしいイルミネーションを楽しんでいる家がけっこうあるということだ。

に日本のニュースで、イルミネーションに命をかけているような地区を取材していて、白熱したデコレーション対決をしている人たちが取り上げられていた。ご近所でも評判の、アミューズメントパークさながらの演出は圧巻だった。中には家の中の家電を1つでもONにすると、途端にブレーカーが落ちてしまう程の激しい電飾の使いっぷりの家もあったりして、命をかけているという表現もまんざら大袈裟でもないのだ。アメリカの派手な電飾を上回るような凝り具合なのもすごい。やるなぁ、仏教国日本。いや、今は無宗教国というべきか。1度やり始めるて有名になると、どんどん加速して止め時に見切りをつけるのが難しくなるから、やっている方も大変だろうなぁ・・・なんて思ったりして。


Dec 22, 2004

年になったらこの日記をブログにしようかと考えていたのだけれど、プロバイダー探しや改造する手間を考えるとそれも億劫に思えて、結局このままで続行することにした。あとは壁紙だけ探しに行かなくては。今年1年の日記は左端の色だけ変えていたけれど、来年はどうしようか。今のバージョンはシンプルさが良いと思って選んだはずなのに、使い慣れるとだんだん物足りなさを感じていた。(自分で作る気力もないくせに文句ばっかり、作者の人に失礼である。)でも探す前から自分でも分かっているのは、絵柄を選んでもいずれは無いものねだりになって違った物を選べばよかったと思うだろうから、きっとまたシンプル系に行き着くだろうということ。これがいつものパターン。

だかはっきりとした理由が無いのにイライラする時、決まって後で悲しい気持ちになる。よそ行きに取り繕っていた私は家に帰った途端にスイッチが切れて、突然面倒くさがりになる。「疲れたー」と不機嫌なオーラを遠慮なく噴出しまくる。こんなやり場の無い刺々しさに当られる人も気の毒だ。

がイライラの種を蒔いたら、その毒にやられて他の人がイライラする。それなのに、自分の蒔いた種でイライラしている人を見て、私はもっとイライラするばかり。果てに険悪なムード立ち込める部屋・・・。ああ、これぞ悪循環の模範のようなもの。もし自分の身近にこんなヤツがいたら、私ははっきり言ってその人を嫌いだろうと思う。嫌いなくせして、時に自分がそうなっているのだから始末が悪い。反省すべき問題点を目の当たりにして自己嫌悪で悲しくなるぐらいなら、最初からイライラするなー!である。

る程度大人になってから思ったのは、この不機嫌丸出しのだらしない自分を出せる場所こそが、私の本性を曝け出せる“家”だということだった。“いえ(house)”ではなくて、“うち(home)”。家の中にいる人達を一番大事にしなくちゃいけないと知っていて、大変な自己中心的態度を振り回してしまうのだから・・・。これって甘えだよね。優しい気持ちを忘れかけた時に、いつも行き着くのは同じ結論である。優しさや思いやりを持てとはよく言うけれど、まずは最初に自分の近くで振りまかなくては。


Dec 21, 2004

眠不足なので一言日記が続いておりますが、元気にやってます。
先週から今週にかけ、内輪でのクリスマスのミニパーティが続いている。ケーキとプレゼント交換がある以外はいつものお茶と変わらないけれど、夫が忘年会ですでに何回も年を忘れているのと同じで、私も今年は何度もクリスマスにかこつけて楽しんでいる。このままでは、本番よりもパーティの方がクリスマスらしくなったりして・・・!?

リスマスといえば、昨日アメリカに暮らす友人からクリスマスカードが届いた。カードと共に添えられていた写真には、今年のロックフェラーのツリーの正面からの姿がきれいに映っていた。私は思わぬ贈り物を貰ったような嬉しい気持ちになって、しばらくこの写真を眺めてNY気分を満喫してしまった。目を閉じると、瞼の前に広がる写真の中の世界があって・・・。今はずいぶん遠い所にあるけれど、確かに存在している別の世界。また行かなくちゃ。
 この友人の、気の利いたギフトと相変わらずキラリと光るセンスには脱帽です。


Dec 20, 2004

達の家で雑談に花を咲かせる午後。家の中にいるし子供もいるし、考え様によっては自分とminimuで過ごす時間と変わらないのんびり具合なのに、人と一緒というだけで同じ時間もまるで別物になってしまうから不思議だ。なんというか、新鮮さや充実感があるというか。食べ物だって倍おいしい。・・・あ、来年もよろしくっていうの忘れた!(きっと伝わってるよね。)

末といえば、大掃除。今日もゴミになるか、たんすの中で熟成されるかの瀬戸際にいる洋服たちについての話題になった。果たして流行は繰り返すのだろうか。肩パットの入った服もまた来るのかしら。ミニスカートのスーツも、短め丈のジャケットも、くるみボタンのセーターも、ついでにストーンウォッシュも太い眉毛もまた来る?今や日本は何でもありのファッションとはいえ。もう1度流行る?個人的には太い眉毛が来たらお手入れらくちんなのだけどなあ。


Dec 19, 2004

浜のみなとみらいへ出かけた。お店や街並みはもうクリスマス一色で、さすがに直前ムードの中にいると気分が盛り上がってくる。クリスマス前の週末はどこへ行ってもかなり混んでいたけれど、そこにはいつものテリトリーに閉じこもっていたら感じられないムードがあるのだ。クリスマスイブは金曜日だから、比較的すいている日中にまた出かけてみようかな・・・。こういう幸せな気分を再び味わいに。

きながら早々と始まっている冬物のセール品を物色。年明けを待たずに、もう少しずつ値段が安くなってきている。最近では売られている商品の季節がだんだん前倒しになってきているように感じる。きっと来月にはきれいな色の春物が出回り始めるんだろうなぁ・・・。もちろん私は新年のバーゲンを心待ちにしているから、そんな新作にはろくに目もくれず、お買い得なコーナーばかりを漁るのだけれど。1月だったらまだまだターゲットは冬物である。ジャケットやコートだってこの先数ヶ月は着られるもの。

局、今日はセーターと一枚と、膝まで隠れるほど長い靴下を買った。楽しい日曜日だった。


Dec 18, 2004

曜日の夜から土曜日にかけて、minimuと一緒に実家へ遊びに行った。お泊りの楽しみの一つに、母との夜のおしゃべりがある。人々やminimuが寝静まった深夜に、濃いコーヒーを飲みながら母とお菓子を食べるのだ。甘いチョコレートの後で塩辛いおせんべいを食べて、次にまたチョコレートを食べる・・・という繰り返し。そして色々なことをおしゃべりをする。

容やダイエットには最悪の、この愉快な夜更かしの一時が私はとても好きだ。そういえば私がまだ独身で実家に住んでいた頃にも時々そういう夜があったものだ。それに、私がお菓子好きなのはきっと母に原因があると思う。夜も遅いというのに常備品のお菓子をガサガサと掘り出し、ありったけテーブルに出してくる母にはいつも思わず微笑んでしまう。そのうきうきした様子がなんだか可愛らしい。

れほど広くない部屋に並べて敷いた布団に入ってからもちょっとしたおしゃべりが続いて、「おやすみ」を言うタイミングを何回も繰り返してしまった。こういう会話の間が、まるで修学旅行の夜みたいで懐かしい気持ちになる。昨日の“誰かに言いたいけどくだらない話”もしっかり伝えたし、よかったよかった。また夫が外出の日にお泊りさせて貰うことにしよう。今度は私のお気に入りのお菓子でも持って、遊びに行くからね。


Dec 17, 2004

語が、そろそろ本気で消え始めている。この問題はずっと前から自分でも感じていたけれど、人が話した言葉を聞く耳は一応あるのに、同じように自分の口でoutput出来ない。今の気持ちは、とりあえずまだ生きているけど、日光と養分が足りなくて黄色くなってきた観葉植物みたい。まさに枯れかけているのだ。

い通りに言えないことがもどかしくて、自分よりも英語をモノにしている人に出会うと焦りを感じて、仕舞いには悲しくなって自分に苛立つ。嫌な自分の一面を知る。言葉を失うというのは、霧の中に立っているようにもやもやしている。さあ、この霧の中を抜けるために出来る事は何だろう。誰かが手を引っ張ってくれるなんてことは期待してはいけないから、自分の力で考えなくては。「こんなはずじゃなかったのに。」というのは言い訳で、「こんなもんでしょ。」というのが現実なのだ。


日あった面白かった出来事を、1人で何度も反芻して、後から思い出し笑いばかりしていた。この“面白かった話”というのは、面白い以外は何の為にも役にも立たないどうでもいい話だ。でも、私はこの気持ちを誰かに伝えたくて仕方ない。

の場合、ポロリと打ち明け話をしたいとか、つまらないことが笑いのツボにはまったとかいう話など、こんな話の聞き役の多くは家族や友人たちである。アメリカに住んでいた頃、しばらく私にはそんな聞き役が近くにいなかった(後々に出会うのだが)。もっぱら話相手は夫だけで、彼は女性の好きなおしゃべりに積極的に付き合えるタイプとは思えなかった。とはいえ日本に電話をしてまで伝えるような事でもないし、そもそも時差があるし・・・困った。
の聞き役の不在は、私にとって欲求不満の日々だった。誰かに伝えたい気持ちを、すぐに伝えられる誰かが近くにいるということは、当たり前のようで実はとても幸せなことなのだ。日々の雑多な出来事、ダンナさんのグチ、ちょっとした悩み、ゴシップのネタ、変なCM、嬉しいこと、悲しいこと、困ったこと、その他諸々。別に誰かに特別なアドバイスを求めている訳ではなくて、ただ言いたい。ただ伝えたい。共有したい。そんな気持ちの時って、きっとある。・・・よね?



真は今日参加した集まりで作ったもので、フルーツで出来たクリスマス人形である。胴体がりんご、頭部がみかんで出来ている。りんごに爪楊枝を4本刺した土台にみかんを乗せて固定し、フェルトの帽子とマフラーを着せ、顔を書き、針金を曲げて手の形にした物を体の左右に刺し、そこにクリスマスソングの1フレーズを切り取って持たせてある。ストローの杖の先には紙製の流れ星。接着剤は木工用ボンドと、セロテープのみ。とても簡単なので作ってみてはいかがでしょう。ちなみに所要時間は20分なり。


Dec 15, 2004

としても銀行へ行きたかったので、3時半に私は急いで家を出た。近くのデパートの駐車場に車を停めてから時計を見たら、窓口にはまだ間に合いそうだったので、駐車券をバッグに突っ込み、minimuをベビーカーに乗せて、駆け足で銀行へ向かった。

かし、物事はなかなか万事うまく行かないもので・・・。
銀行の手前10mに到達した時、私は自動ドアの内側のシャッターが降りて来ているのを見た。目の前で閉まるシャッターにガックリしながらも、一抹の希望を抱きつつ私はATMのある正面玄関側へ回った。が、無情にもやはりシャッターが降りていた。頑張って急いだ分だけ余計に悲しくなってしまう。通帳記入だけ済ませて、肩を落としてデパートに戻った。

っかくデパートに来ていることだし、少し店内を歩いてから帰ることにした。屋外の気温が冷えるにしたがって店内の暖房が強くなるので、その気温のギャップが私は苦手だったりする。走ったせいもあるとはいえ、店内のムッとした温度に息苦しくなり、私は巻いていたマフラーを外した。ジャケットも脱いでしまいたいほど暑かったけれど、それを脱いでしまうと格好がつかない服装だったので、ジャケットだけは無理して着続けていた。インナーを油断して変なものを着ていると、こういう事になる。出掛けに急いでいたからなぁ・・・。

い物をしてレジで駐車券にスタンプを貰う時に、今度はバッグに入れたはずの駐車券が無いことに気付いた。私は時々不注意で車に駐車券を忘れてしまい、仕方なく駐車場まで取りに行くという失敗をするので、今度は絶対に忘れないように車を降りる時にちゃんと確認したはずだった。それなのに、何故か見つからない。ジャケットのポケットやバッグの隅々まで探しても、どうしても駐車券の姿は無かった。まさか、無くしたとか?それとも、また車に置いて来たとか?

のため私は駐車場に戻って車内を調べた。車の周辺の床も見た。それでも駐車券が見つからない。こんな事は初めてで、正しい対処法をどうしたら良いのか分からなかった。駐車券が無いまま出口に行ったら、ゲートが上がらずに後続車から大ヒンシュクになるのは目に見えている。そんな状況でインターホン越しに守衛室などと交渉するのも気がひける。とりあえず売り場に戻って聞いてみるしかない。焦る気持ちは無かったけれど、通りすがりに駐車場の利用規約を見たら「駐車券紛失の際は規定の料金をいただきます」という注意書きがあって、さすがに気が重くなった。

は利用した売り場のサービスカウンターに行って、駐車券を紛失してしまったことをきわめて低姿勢に伝えた。すると親切そうな若い店員さんが「防災センター(守衛室)に行けば再発行できますので大丈夫ですよ」と、救いの言葉をかけてくれた。ああ、よかった。それにしてもエレベーターを何往復しているんだか。幸い防災センターの場所は知っていたので、すぐにそこへ行って事情を説明し、入庫時間に近い駐車券を発行してもらうことが出来た。心配していた規定の料金はというと、予想通りかからなかった。買い物をしたレシートがあったので時間分の駐車場も無料だった。ホッ。

タバタしたけれど無事に車を出庫させて、何だかドッと疲れたなぁ・・・と思っている時に、私はいきなり我に返った。あれ?マフラーはどこにやったっけ?バッグの中にも助手席にもマフラーが無かった。お気に入りのマフラーの不在に、私の頭の中には“デパートに置いて来たとか?”と、最悪の予感がよぎる。いつものパターンではマフラーはベビーカーに乗せたまま、トランクにしまってあるに違いないのだが・・・。家に帰って確認すると、やはりマフラーはベビーカーに挟まっていた。ああ、よかった。。。

屋で一息ついたときに、minimuの足が裸足だという事に気付いた。あれ、靴下は?

段の自分らしさがあるとしたら、ここまでおかしな疲労感に襲われる日はきっと珍しい。本当にどうかしている1日だった。銀行で出足をくじかれただけで、こんなにウッカリミスや度忘れ、考えるスピードの低下などが連続して起こるなんて。我ながらこんなダメな日があると、時々自分の注意力散漫さが不安になる。考えすぎだと人に笑われそうだけれど、私って大丈夫なのだろうかと、深刻に脳や精神の病気を疑ってしまったりする。若年性のアルツハイマーだったりして?・・・疲れが溜まっているのかもねぇ。ちなみにminimuの靴下は、多分まだ車内のどこかにある、はず・・・。


Dec 14, 2004

夜は一連の忘年会により夫の帰りが遅いという事が分かっていたので、私はminimuと一緒に出かけることにした。夜に母と食事をする予定になっていたので、その前に空いた時間で姉親子に会ったら、週末に子供の風邪がおなかに来たらしく、昨日も病院に行ってきたらしい。嘔吐下痢症(すごい病名・・・そのまんま。)の症状は一過性のもので、甥っ子はもうピークを越えて元気だったものの、最近私のお友達も子供がひどくおなかを壊したと言っていたので、どうやら同じタイプの病気が流行っているらしい。姉曰く、お医者さんもインフルエンザ並み嘔吐下痢症が流行っていると言っていたそうだ。私も気をつけよう。

年会から帰ってきた夫はちょっと飲みすぎた様子だった。自力で帰って来たし、呂律も回っていたものの、今朝になって「あれ、昨日自転車どうしたっけ?(乗って帰ってきたっけ?)」などと、前日の記憶が曖昧になっていた。だ、大丈夫か〜!?結局自転車は玄関前に停められていたけれど、そんな状態で自転車をこいで帰ってきたことの方が危険だと思うのだが・・・。

は若かりし頃、真冬の夜に道端で自転車ごと倒れて無反応のおじさんを心配して119番に電話してしまった事があるのだ。救急隊員は慣れた様子で、その泥酔して自転車と共に横たわったおじさんを処理(?)し、当然空の担架のままで帰っていった。私は自分が電話した手前、救急車の到着からお終いまで立ち会っていたけれど、その間中ずっと社会勉強不足だったなぁとしきりに反省していた。119番は“よっぽど”の緊急事態の場合だろうと思ったからだ。でもその時だって確かに、この人は急性アルコール中毒かもしれない、人気も無い道でそのまま凍死するかもしれない、もしかしたら車に当てられているかもしれないなどと、状況をよく観察したし、電話する前にかなり考えた。だから昔の私のように、誰かを悩ませることなど無きよう、世の皆さんは健康的に飲んでくださいまし。


Dec 13, 2004

場はPCを触る時にいつも手首が冷えて痛くなってしまい、指先の感覚が鈍くなってしまうのが私の悩みだった。でもこの冬はこれまでとちょっと違う。ついに注文していた期待の新アイテムが手元に届いたのだ。日よけもできて、しっかりあったかのアームウォーマーである。このアームウォーマーはくしゅくしゅに縮めると手首を厚く覆って温めてくれて、先の無いミトンのように親指が出せる穴と、他の指先だけが出る形になっている。さらに伸ばせば二の腕の真ん中ほどまで長くなるので、日よけ効果も期待できるというわけ。早速使って日記を打っても、指先の動きは邪魔されないのに手のひらまでポカポカしている。これ、ちょっといいかも。個人的に大ヒットの予感!!


Dec 12, 2004

曜日、学生時代の友人夫妻と友達が来てくれた。お土産にいただいたCHAYAのスワンシューを頂き、(そのクリームは全て生クリーム、コテコテなのに甘さ控えめ。うっかり暴食すると油脂はバッチリ摂ってしまうので要注意!)日本のケーキは美味しいねぇと、語り合う。どうも、友人夫妻は新婚旅行で行ったハワイのデザート類が甘すぎでイマイチ口に合わなかったらしい。ハワイといえば、2人ともオアフ島よりもずっと綺麗でローカル色の濃いハワイ島を絶賛していたけれど、この頃はアメリカの本国から移住して来ている裕福なリタイヤ組などで人口が増加傾向にあるという話をしていた。どこの国も、楽園を目指す人々はいるということか。ハワイ話を聞いていると自分もハワイに行きたくなってしまう。これぞ南の島病。

曜日、忘年会の買い物係に任命された夫と共に、酒屋&酒売り場めぐりをした。買い物係のメリットは、自分権限で飲みたいお酒を選べるという所にあるらしく、夫は買いに行く前に色々とインターネットでブランドや価格価格などを調べていた。なるほど、こういうチャンスにお目当てのお酒を買えるというのは好きな人にはラッキーなことだ。

の後、日本酒と焼酎を求めて近場をあちこち回ってみて驚いたのは、“お酒の値段が一律に決まっていない”ということだった。需要があるのに供給が少ないような希少なお酒には当然プレミアが付き、もともとの値段の数倍にまで売値が跳ね上がる。私は普段お酒を買うということもないので全く知らなかったのだが、もしも人気のお酒が定価で手に入ったのならばネットオークションで売ると、制限時間が終わる頃にはなんと元手の何倍にもなって売る事ができるのだそう。こ、これはちょっとした収入源?素晴らしいバイトかもしれない!?しかし、実際にお酒を手に入れるまで酒屋の抽選に負け続けても通い詰める時間と気力と労力とを天秤にかけてみると・・・微妙。でも、中にはプロの人もいるんだろうなぁ。


Dec 10, 2004

12月はいつもの料理教室もクリスマス前ということで、歌やキャンドルサービスやキリストの降誕話ありと、半分のパーティのような集会だった。私にとって一番のお楽しみだったのは、やはりドイツの伝統的なクリスマスクッキーを作る日だったということ。いつものようにメインの主菜とデザートを1品ずつ作るところを、デザートのかわりに素材の異なるサラダを3種類と、クッキーが2種類という盛り沢山な内容だった。

味深い事に、ドイツでは家庭でクッキーを焼くのはクリスマスの前だけだという。この時にたくさん焼いたクッキーを缶に入れて、クリスマスや新年のホリデーに少しずつ食べていくのだそうだ。焼きたてももちろん美味しいけれど、時間が経つとよりクッキーの味が引き立つらしい。一気に食べずにちょっとずつ楽しむという心のゆとりが羨ましい。ドイツのクリスマスティーのフレーバーはかなり強いので、バターやマーガリンをたっぷり使ったショートブレッドタイプのクッキーが好まれるのも分かるような気がする。

うにアメリカやイギリスでは年中クッキーを焼くのに、ドイツでは1年に1回というのはとても対照的だ。というか、アメリカでクッキーは買うものだったような・・・。もしかしたらドイツでも多くの場合自分で焼かずに買うのかもしれないけど、それだって味のレベルががまったく違うだろう。とにかくドイツでは手作りクッキーはクリスマス専用なのだ。最初、私にはそれが不思議に感じられたけれど、よくよく考えてみればドイツはクッキーよりむしろクーヘン(ケーキ)を焼くのだった。なんて素敵な日常!

を料理に戻して。今日の料理は鶏のむね肉とマッシュルームを使ったクリーム煮で、それから人参とセロリ、パプリカ、グリーンの野菜という3色の異なるサラダをボール4つ分も作った。クッキー2種類は初歩的なバター味とアーモンド味の型抜きクッキーだった。よく意中の相手に「○○くんのためにクッキー作ったの・・・」とプレゼントするような、懐かしのクッキーをイメージすると分かり易い(?)ハートと星の形だった。

こまで作る種類が多いとお昼前までに作れないので、今回は初めてグループごとにレシピを分担するという形で調理が進められた。クッキーだったらバター班とアーモンド班というように別れ、私はアーモンド班のギャラリー担当として手際良く捏ねられてゆく生地を見ていた。そんな私もクッキーの型抜きでついに登場!ハート型を大量生産した。それにしてもクッキーの型抜きは小さな子供達にも大人気だった。そういえばちょっと粘土に似ている。その後、焼き時間に先生の旦那様のギター演奏でクリスマスの歌を歌って、シャイな日本人婦人達は細々と合唱をしたのであった。

仕事終えて、いざ作った料理を食べる時にはかなり疲れている。立ちっ放しの体勢で低い作業台に屈んで料理するというのは腰に来るのだ。おまけに第2の我が家状態で教室をうろつくminimuをちらちら見ていなければならない。minimuが6ヶ月の頃からここに来ているので、彼も心の解放具合が激しいのだ。でもあまりにも徘徊しまくるので、他の人には本当に迷惑だよなぁ、放任のダメ母と思われているかもなぁと思いつつ、そんな我が子を可愛がってくれる先生家族の恩赦に甘えている。感謝の一言に尽きる。

肉のクリーム煮は、さすが豪快に生クリームを1パック(200cc)丸ごと使っているだけあって濃厚、それなのにマッシュルームとむね肉が淡白で、それに加えてパセリのみじん切りをたっぷり使っているので、不思議なぐらいあっさりした後味なのだ。香草やサワークリームやヨーグルトを多用するところにドイツ料理の秘訣、味覚マジックがあるのだと思う。そして野菜をこれでもかと使って食べることも大きい。今日のお皿にもサラダが色とりどりに付け合せてあるだけで、相乗効果で両方引き立っていた。

後のクリスマスティーとクッキーは、直前まで遊びまわっていた子供達も幸せ顔でハートや星を食べていた。(ちなみにminimuはミルクを片手に依然として探険中。クッキーに見向きもしない、硬派なやつ。頼むから一緒にクッキーを食べようよ〜。)再びギターのクリスマス音楽、それにキャンドルがテーブルのあちこちに灯って・・・これが夜だったらとてもロマンチックだったろう。

回で私が料理教室に通い始めて丸1年が経った。そう、私は去年のクリスマス料理の会からスタートしたのである。時が経つのは早いなぁ。それでは来年も美味しく楽しく、新しいお料理を習いましょう!


Dec 9, 2004

日はminimuの1歳半検診だったので区の総合庁舎へ行った。時間よりも早く行ったはずが結局かなり待たされてしまうのが検診のいつものパターン。誰よりも早く終わらせたいのならば、少なくとも受付開始の30分以上前には並ばなければならないのだろう。長い待ち時間を、持て余し気味にうなだれる子供達と、それをあやす多くのお母さん達。その大騒ぎに混ざって私も順番を待った。動きたい盛りの子供を膝に抱えて、愚図りかけたらなだめて笑わせて・・・まったく、エネルギーを使う。我ながら2時間もよく頑張った。実際の検診はあっけないものでも、飽きたり怯えたり泣きじゃくったり、子供だってとても疲れるのだ。minimuは涙こそ見せなかったものの終始迷惑そうな顔をしていた。むむ、ヤツは大物の素質有りか!?

方に、仕事帰りの友達が子供と一緒に遊びに来てくれた。お茶をして夕飯を一緒に食べて(夫は忘年会)楽しい一時を過ごした。そうだ、巷ではもう忘年会シーズンなのだ。仕事をしていない私にとっては忘年会や二次会や三次会のカラオケなどは遠い昔のことのように感じるというのに、すぐ隣では忘年会をいくつもこなす夫がいるのだ。これって、すごいギャップだなぁ。

酒の席は何度も重なると疲れが溜まるけれど、逆に全然縁が無いというのは寂しいものだ。かつては自分も参加していた世界だけに、忘年会の騒がしい空気も妙に懐かしい。今となってはセンスの欠片も無い大衆居酒屋でさえ恋しく思えるほど、健全すぎる子育て世代の主婦なのである。とりあえず、10年ぐらい先になったら、姉と一緒に不良主婦デビューでもしようと目論んでいる。まず目指すは、煙い焼き鳥居酒屋!うーん、目標がかわいいね。


Dec 8, 2004

の間、図書館でI SPYの日本語版を見つけた。I SPYというのは以前日記で紹介したこともある、写真版の宝探しゲームのような絵本だ。日本語版は「ミッケ!」というタイトルで、小学館から刊行されている。ちなみに訳は糸井重里氏が手掛けているというのもいい感じ。日本語版なら誰でも遊べるし、大人でも意外とはまる絵本なので、クリスマスプレゼントに良いかもしれない。ちなみに図書館で借りてきたのも、丁度クリスマス版のミッケ!で、クリスマスにちなんだ材料を使った写真がとても綺麗で楽しい。

子レンジを開けたら、ターンテーブルの上に何かがすでに乗っていた。何だ?と思って出してみると、それは昨日おやつに食べようと思っていた肉まんだった。悲しきかな、温めっぱなしでその存在すら忘れていたとは。私は1度は肉まんで食中毒を引き起こした身・・・。せっかくの肉まんでも、可哀相だがもう食べられまい。そのままゴミ箱へシュート!肉まんもさることながら、食べようと思っていた物すら忘れていた自分が哀れである。手当たり次第、だらだらと目的もなく食べ続けている日常が浮き彫りになったともいえる。


Dec 7, 2004

達のマンションを訪れた時に、掲示板に貼られていたお知らせを見ていたら「亦」という漢字が読めなかった。文脈を見れば、「○○でした。亦、□□もありました。」というように前文を受けて文頭に登場していたので、そこから推測して“また”と読むのかなぁと思った。でも、“また”は“又”があるしなぁ・・・と思い、はっきりしないまま家に帰った。後で調べてみると、亦はやっぱり、“また”だった。私ときたら、恥ずかしながら日本語もこんなレベルです。

浴中に英語の短編集を読んでいる。この本はBOOKOFFに売られていたので、きっとどこかの大学の教材として使われていたのだろう。収録されているのは主に英米作家の作品で、1つの物語が5〜10ページほどなので、1つを数日で読むぐらいのペースが私には丁度良い。読んではうとうと、数行遡って再び読んではうとうと。こんな日もあるので簡単には進まないのだ。

の本を読みながら思うのは、イギリス英語とアメリカ英語の文章の装飾や雰囲気の違いだ。作家によって当然作風も異なるので一概には言えないけれど、少なくともこれまで私が読んだ物語においてはイギリス英語の方が言い回しに捻りがあって洒落ているように思える。読み進めながら読者に想像させる面白味がある。対して、情景や登場人物の気持ちがストレートで分かり易いのがアメリカ英語。アメリカ文学はストレートと書いたけれど、こちらに一気に読ませて、読後感に残る味というか、感慨深さがあるのだ。ちなみに日本の教科書を彷彿させるような文章は前者で、ESLのReadingを思い出すのが後者(米語を習っていたのだから当然か)。これは単なる思い込みだろうか?もう少し読み進めてみたら、答えがわかるかもしれない。

ころで私が書く英文は、無理して格好良くしたいあまりに難解で、“なんとなくイギリス風にしたかった失敗作”に近い。そういえば教授から下線を引かれてquestion markが付けられていた箇所は、形容詞や接続詞を無理やりくっつけて長くした文や、言いたい事を間接的に書こうとした結果、自分以外の人には意味不明に終わってしまった文ばかりだった。まるでおませな小学生が無理して難しい言葉を使って大人っぽく書いた作文のようにギクシャクしていた。それを修正するには、文を短くしてはっきりと言い切るシンプルな形すれば間違いなかったのだが、そうすれば文章自体のレベルが落ちてしまうし、頭の中が年を取っている分だけ言い表すのが難しかった。英作文からはこのごろ遠ざかっているからまた書き始めたい。書くことは必ず力になることは分かっている。目指せ、年相応の作文!


Dec 6, 2004

ンフルエンザの予防接種の後で、私の腕が赤く腫れている。しかも熱をもってだるい上に痛い。ちょっと見では筋肉隆々になった?というような強そうな(?)膨れ具合である。接種後に医師に貰った説明書きによると、10人に1人ほどそういう反応が起こる人がいるらしい。これまで注射の後に、こんな風に腕が腫れてしまったことが無かったので、自分でも驚きつつ困っている。大事に至らないだけマシとはいえ、何だか身体のトラブルが多い年だった。

12月にもかかわらず昨日の気温はまるで春か夏のようで、それなのに北海道は記録的な大雪に見舞われているし、異常気象もここまで来たか!という感じの週末だった。土曜から日曜にかけて吹いた強風は台風直撃さながらに強かったし、明け方ごろには家まで衝撃でしなるような突風が吹きつけていた。そして日曜日の陽気で、続く今日はまた冬に逆戻り。これじゃあ風邪も引くよねぇ・・・。

て、今日は英語の日なのに、記録的な大遅刻をしてしまった。とりあえずHelloだけでも言うぞと急いでレッスンに向かうも、時計を見れば残り30分。途中で諦めの電話を入れるべきか悩んだけれど、なんとか教室に辿り着いた。向こうも幼児連れはしかたないと受け入れてくれるので、たとえ大遅刻をしても一言の苦言も無いはありがたい反面、この甘えが自分の為にならないのだ。この遅刻のせいで結局レッスンが延長されてクラスメイトにも迷惑を掛けてしまったし、反省もひとしおである。


Dec 4, 2004

度、姉親子と幼なじみの友達親子と一緒にクリスマス会なる集まりをすることになった。何だか「クリスマス会」という名前にはとてもなつかしい響きがあるように思える。きっと自分が子供の頃に仲の良いグループで「クリスマス会やろう!」などと思いつき、子供だけでパーティをした時の思い出が重なるからだろう。歌を歌ってワイワイお喋りして、ケーキを食べてプレゼント交換をして・・・と、こんな日本流のクリスマス会が私は大好きだった。当時の気持ちを思い出させるような、大人になってからのクリスマス会。それぞれが子供を持って親となっている今でも、そんなわくわくした気持ちを味わっている。

レンダーをチェックして集まる日を決めたら、ケーキやチキンなど持ち寄りの担当を決めて、プレゼント交換の額を決めて(もちろんやります、プレゼント交換!)、あとはその日を待つばかり。前にも書いたけれど、何を買おうか悩むのも楽しみの1つだ。ラッキーな事に私のクリスマス会の日に夫がちょうど忘年会の予定になっているので、時間も夕飯のしたくも気にしないで心置きなく楽しめる。こういう時なら夫の不在もwelcomeなのだ。そうだ、クリスマスっぽいムードを盛り上げるBGMもいるだろうか?ラテンな人々なら間違いなく「パーティには音楽が付き物なんだぁ!」と言うだろうし。



行から帰ったらすぐにしなければと思いながらも、今日まで延び延びになっていた用事を1つ片付けた。それは私とminimuのインフルエンザの予防接種である。流行のシーズンを考えればかなり出遅れ感があるものの、旅行の前に注射を打ってminimuが熱でも出したら大変だと思って後回しにしてしまったのだ。12歳以下の場合は2回注射をしなければいけないので、今週中に注射をしておかなければ年内にもう1度受けるチャンスに間に合わなくなってしまう。

昼前に病院に行くと、土曜日の午後が休診ということもあって待合室は大変に混み合っていた。患者さんは予防接種のために来ている人がほとんどだった。きっと私と同じように年内に注射を済ませなければと考える人が多いのだろう。30分ほど待って、minimuと私は無事に予防接種を受けた。ちなみに一緒に行った夫は、注射せず。もしや、余計な痛い思いをしたくないとか!?不安顔のminimuは最後まで泣かず、偉かったというのに・・・。

りあえずminimuと私は年内にもう1回追加の注射を受けに来なければならない。先生曰く、「大人も2回受けた方がいいんです」という事で、念のため私ももう1度受けることにしたのだ。親子で2回ずつで、合計12000円弱。決して安くはないけれど、自分がインフルエンザ中に育児なんて限りなく不可能なのは分かっているので、掛け捨ての保険と思えば良い。本当に行動が遅いと思われても仕方ないが、これでひとまず気懸かりだった事が半減した。ところで私達の前に診察室に入った親子が、元野球選手のKさんだった。夫が言うには、身体が大きいのと苗字で気が付いたらしい。待合室では全く気付かなかった。あの親子も予防接種に来たのかなと想像してみたりして・・・。


Dec 3, 2004

の頃毎晩のように1度はminimuが起きる。我が家は一緒に寝付かせた後で親子の寝室を分けているので、ふと目が覚めて1人きりだと不安になるのだろう。そのような感情の芽生えを嬉しく思うけれど、季節は冬。セントラルエアコンではない我が家は一歩布団から出るとかなり寒い。急いで上着を引っ掛けてminimuの部屋に行ってみると、彼はどうやら寝ぼけているようで、むっくり起き上がってちょこんと布団に座っている。なだめて横にして毛布を掛けるとすぐに寝てしまうので、ただ大人を呼んでいるだけなのだ。

夜も「あー、あー、あー」という声がしてから“このまま寝るかな?”などと思って少し様子をみていても寝そうに無い気配だったので、私が布団から出てドアを開けたら(ちなみに夜中に起きるのはいつも眠りの浅い私の役目である。)「あー、あー、ばば、あー、あー。」と、呼ぶ声の合間に「ばば」が混ざってきた。どうも私のことを“ばば”と呼ぶらしい。うーん、お婆じゃないんだけど・・・と思いつつ、そうやって呼んでいる姿がなんとなく愛しく思えてminimuの布団に並んで寝た。そうしたら案の定、minimuはあっという間に落ち着いた寝息を立てて眠ってしまった。

いなぁ、minimu。暖かくとても幸せそうで・・・。ふかふかの布団に包まれてぐっすり眠れて、呼んだらすぐに来てくれる“ばば”がいるということが誰にでもある当たり前の幸福ではないということ、きちんと知っている優しい人に育ってくださいね。


Dec 2, 2004

12月に入り、日本でもクリスマス商戦が本格的になってきた。デパートを何の気なしに徘徊しているだけでこちらまでクリスマス気分になってしまうほど、どの店舗も美しくディスプレーされている。プレゼントのために用意された特別なラッピングもかわいい。私達はイベントの時にあまりプレゼントを贈り合わない夫婦だけれど(「何が欲しい?」と聞いても夫はいつも「別に・・・」と答えてしまうのだ。)こうやって周囲がクリスマス一色の中にいると、私も何か買いたくなってしまう。誰かに贈るプレゼントは選んでいる時から幸せなものだと思うからだ。

れにしても年末年始は何かと物入りだ。私はまだ子供が小さいけれど、minimuが育ってきたら毎年12月にはクリスマスプレゼントを買い、年が明けたらお年玉を与えることになるだろう。さらに将来兄弟など増えたとしたら、その人数分だけ出費も倍になる。その上もし子供のいる親戚たちが新年の会で大集結などしようものならお年玉を頭数だけ準備しなければならないし、しかも子供の成長に合わせて毎年お年玉袋の中身を増額するとしたら!?よくよく考えると、悲鳴が上がるほどの家計大打撃。自分が子供の頃にはそんな心配などしなかったけれど、今になって親のありがたみや大変さが分かるような気がする。年が明けるとよくニュースで小学生が何万円貰ったなどとインタビューしているけれど、子供がそんな大金を手にしてしまう時代。私はただ冬のボーナスがカットされないことを祈るばかり。

変わって、最近急に増えてきているのが、Hotmailなどのフリーメールや携帯への迷惑メールで、さも受取人の友達であるかのようなタイトルが付いているものだ。「久し振りー!」だとか「返事遅くなってごめん」などと書かれている。こういうメールは開いてみると単なる出会い系サイトへのリンクだったり、そのメールへの返信を期待してのいたずらだったり、メル友募集の誘いだったりする。私の場合は、送り主のメールアドレスやドメインが怪しかったり全く思い当たらないなら、すぐに迷惑メールに登録してから削除している。そもそも私のフリーメールのアドレスは基本的に人に知らせていない。それでもたとえ自分に思い当たる節が無くても、こちらが少しでも「あれ?」と考えさせられてしまう巧妙さが余計に腹立たしく思えてしまうのだ。


Dec 1, 2004

レンダーが最後の一枚になり、壁に貼ってあるNormanRockwellの描いたサンタクロースがいい顔している。思えば私は家のあらゆる所にカレンダーを飾っている。自分としてはあくまでも“飾って”いるつもりなので、その多くがお気に入りの写真やイラストだから、今月が終わればお役御免になると思うとちょっと寂しい。もちろん今年のカレンダーだって仕事を終えてもアートとしての存在価値がいつまでも残るわけだから、大切にしたいと思うけれど。

ろそろ来年のカレンダーを用意しなくては。今年と同じシリーズで2005年版が手に入るかどうか分からないし、せっかく新しい年になるのだからカレンダーも新しく魅力的なものを選んでみたい。カレンダー1つで部屋の表情が変わってしまうような、素敵なデザインの物をItoya辺りで探してみよう。来年のカレンダーといえば、実は既に1つ予約してあったりする。友達のアーティスト(!)作のカレンダーを注文することにしているのだ。こちらが私の大本命。とっておきの一枚を今から部屋のどこに飾ろうかと考えては楽しんでいる。

うして少しずつ、年末モードに突入している。また“年内に片付ける事リスト”を作っておこう。ハッ、そういえば中断している本、やっぱり年内に読破できなかったし・・・それなのに他の本を読んだりして・・・。この移り気には我ながら沈むなぁ。




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