miyamu's
DAY BY DAY

ヨコハマ徒然日記
ヨコハマ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。
November2004 back number ★過去の徒然日記
Nov 30, 2004

末の悩みの種、それは年賀状。今年は(来年分という意味。)早めに申し込めば早期割引が利くネットのサービスを利用することにしていた。しかし気付けばその申込締切が今日ではないか。夕方から一生懸命になってサンプルを探し、写真を選んで、あいさつ文を考えて・・・他の事は後回しにしてPCをいじるも、minimuはそれが気に入らないようで「あ〜」とか「ば〜」などと訴えてくる。と、いざ注文しおわったら23時45分。まさにギリギリセーフ!!ネットの便利なところは24時になるまでは申込み期限に間に合うという事だ。

Y時間の今日、ロックフェラーのクリスマスツリーが点灯されるのか。ああ、生で見たいなぁ。それにしてももう11月もお終いだなんて、信じられない。サイパンの陽気と透明な海にすっかり絆されて、私は再び冬の日本脱出計画を立てたいなどと口走ったところ、夫が一言「・・・はあ!?」、その声は不快感に満ちておりました。だからちょっと言ってみただけだって・・・、ねえ。そうそう、あのTOPの画像はシュノーケルをしている時に水中カメラで撮影した、サヨリ(?)風の魚の群です。熱帯魚のカラフルさは無いものの、キラキラした姿がとても綺麗でした。


Nov 29, 2004

行で食べた物は数あれど、最後までローカルのチャモロ料理だけは食べるチャンスが無かった。いや、チャンスが無かったというより、あまり食べようという気分にならなかったというのが正しいか。なにせレストランには和洋韓中はもちろん、その他オリエンタルな物までずらりと揃っているのだ。戦後、労働のために移民してきた人々が作り上げた食文化なのか、はたまた主たる観光客である日本人の趣向に合わせたものなのか、そのクオリティはというと疑問は残るものの、とにかく選択肢が豊富なのである。

在中の私達の食生活は朝と昼が適当(前日に買ったパンなど)で、夜の比重が高かった。ディナーだけはモリモリと、サイパンの観光客が多く利用するステーキハウスやシーフードの店で“アメリカン”を食べた。値段がリーズナブルだった割にメニューが充実していて、店員たちも親切で良い人たちだった。普段は主婦をしていると、外食って実に気持ちいい。上げ膳据え膳で幸せな一時を満喫した。

地で歩いてレストランやお店を眺めてみると、あまりガイドブックはあてにならないという事を実感する。“人気”と書かれていても、実際に行って見たら閑古鳥が鳴いているような店も多々あるからだ。そうそう、初日にランチを取ったレストランでも大失敗をしたのだった。安い、旨いに惹かれてとある韓国料理店に立ち寄ったものの店内はお客もまばらで・・・と、それはどうでも良いのだ。お客がいなくても旨いのならば。しかし夫が注文した「味噌チゲ」にはすっかり失望してしまった。運ばれてきた味噌チゲは、私の石焼きビビンパにサービスで付いてきた味噌汁と同じ物だったのだ・・・。小さな石鍋に注がれた味噌汁は具こそ大目ながら、味は同じで(希望的にはひょっとしたら少しは手を加えていて欲しい)

おいおい、それって思いっきり味噌汁じゃないかーーー!?(心の叫び)

かにチゲ=鍋、味噌チゲ=味噌鍋ではあるが、それは味噌“汁”に他ならなかった。妙に大きな味噌汁が付いた、ご飯のみ。ランチセットでとても損した気分になったのは初めてかもしれない。まったく可哀相に。この初日の失敗によって、続く日々のランチがパンになったのかもしれない。本当に、ガイドブックなんてあてにならない!


Nov 28, 2004

イパンは英語圏である。細かく言えば現地のチャモロ人同士ではチャモロ語で会話し、現地の人でも外国からの移民だったりすると英語で会話しているのだが、ともかく標準語として英語が通用する。

かし・・・。多くの場面で、日本語も“怪しく”通用する。挨拶や片言の日常会話なら多くの人が知っている。例えばショッピングの最中、こちらが店員に英語で話し掛けても、会話の途中までは確かに英語だったはずなのに、最後になって「じゅうにどるにじゅっせんとデス」などと言われたりするのだ。さらに寂れた繁華街を歩けば「おしょくじはいいでーすかぁ?」やら「まっさあじいかがすかぁ?」というおかしなイントネーションの呼び込み攻撃も受けてかなり鬱陶しい。他にもお店やレストランを出る際に「ありがとござましたー」と言われたりと、そんな事ばかり。面白いなぁ、さすがは観光客の9割以上が日本人を占める場所だ。

んなサイパンで、英語を必要とする場面などあるのだろうか。ガイドブックに紹介されているような店には大抵日本語の通じるマークが付いているし、ツアーで利用するようなホテルには日本人のスタッフが常駐している。トラブルが起こったとしても本を片手に無理して英語で話すよりは、日本語が分かる人を探した方が早そうな感じだ。ちなみに私はどうしていたかというと、基本的には常に英語で話し掛けるように努力し(サイパンでは努力しなければ英語が登場する余地が無いのだ)、それで相手が日本語をかなり分かっているような場合はさっさと日本語に切り替えるようにしていた。これぞ、「私の英語力vs.相手の日本語力」という第二言語同士の戦い・・・。

る時ホテルの部屋を出ようとしたら、オートロックの鍵が壊れた。夫がフロントに電話をしてなにやら日本語で話をしていたと思ったら、突然英語で話し始めた。何事かと思って聞いてみたら、どうも電話に出たホテルのスタッフは最初こそ日本語で電話に出たものの、夫が説明した“鍵がどのように壊れたか”という状況までは日本語で理解できず、結局最後は英語で説明をすることになったという。鍵が壊れた状況を英語で正確に伝えるのは難しそうだったけれど何とか通じたようで、こういう時は英語が便利だなぁと思ったのだった。それにしても、鍵を挿す鍵穴のパーツごとすっぽりドアから抜けてしまった場合、どのように説明すればよいのだろうか。こんな時、ブランクを感じたりしませんか?ダンナさん。


Nov 27, 2004

事サイパンの旅から日本へ帰ってきました。
帰りは夜中の飛行機だったので、Red-eye状態で頭が重たい。何しろ、機内では普段味わえない珍しい環境にminimuはすっかり興奮気味でなかなか寝てくれない。おまけにきれいなアテンダントさんが通るたびにムックリ起き上がっては目で追いかける始末。まったく誰に似たのやら。それでも彼にとってはこのサイパン旅行で“人生最高のモテモテ期”を味わった事だろう。サイパンではBabyはどこへ行っても免罪符であり、愛される存在のようだった。

朝に帰国したせいで、昨日は家族そろって昼まで寝ていた。とはいえ私は荷解きを真っ先に行ないたい性質なので、しばらく一人で洗濯やら仕分けやらをしていたのだが。旅から帰った時に片付けを後回しにすると、気持ちのスイッチを通常モードに入れ替えるのが難しいし、後になって旅を振り返ってセンチメンタルになってしまう。それでもさすがに半徹夜明けで疲れていたので、数日分の衣類を洗ってから布団にもぐった。いやはや、気温差が15℃以上あると身体にこたえます。

在サイパンは雨季の終わりで、毎日ある程度のスコールがあり、最終日は半分ぐらいあいにくの雨模様だった。それでも晴れ間を上手く使って充実した時間を過ごせたと思う。英語はどうだったかというと、予想通りサイパンは日本語だけでも何とかなってしまうので、言葉の苦労はほとんど無かった。片付けにようやく一息つく余裕が出来た頃、コーヒーを淹れて、お土産のチョコレート(あら、ハワイ産・・・。)をつまみつつPCをいじる。睡眠不足と疲労困憊から脱却できしだい、またゆっくり続きを書く予定である。しばしお待ちあれ。


Nov 22, 2004

inimuの為に買ったカルビーのおさつスナック、美味しくて一人でモリモリ食べてしまい反省。このおさつスナックは秋冬限定で、春夏はかわりにチーズビットが売られているってご存知でしたか?

変わって、来春から“痴呆”という言葉が“認知症”という新語に置き換えられるらしい。痴呆という文字や音が持つ悪いイメージを払拭し、一つの病気としてより一般からの理解を深めるという考えがあるようだ。確かに痴呆という言葉には差別や見下したニュアンスが無いとはいえないので、このように言葉の置き換えをするのは良い事なのかも知れない。しばらくの間、認知症という響きに慣れるまでの違和感は仕方ない。個人的には“認知”が出来なくなるなら、不認知症なのではないのかと思ったのだが、それでは不というネガティブ文字がついてしまってダメなのか。うーん、日本語は難しい。“痴呆”が差別語になる日も近い!?

れに、日本のローカルネタとしては「ドラえもんの声優が大幅変更!」という話題にもビックリ。私の中でドラえもんと言えば=大山のぶ代さんの声なのに、一体どのような声になってしまうのだろうか。ルパン三世の声優が変わってもあの「るぱぁ〜んしゃ〜んせっ(分かる?)」という声色は変えなかったぐらいだから、キャラクターにしっかり定着してしまった声を大胆に変えるのは一大リスクを伴うのだと分かるし。声も大切な個性なのだ。

日からしばらく日記が止まります。しっかり充電して、帰ってきたら再開したいと思いますので、また週末にでも覗きに来て見てください。あぁ、それにしてもどうして私は飛行機に乗る前は緊張して消化機能が過敏になるのでしょう。胃もしっくりこないし、腸も大活躍。・・・もう、極度な便秘になったら、最終手段の裏技として飛行機にでも乗ろうかなぁと思ってみたりして。それでは、旅に行ってまいります。


Nov 21, 2004

ーむ、実に忙しい週末。その訳は例のごとく、ギリギリまで支度をしていない旅の荷造りのせいである。それに、明日出発の旅行なのに日程表が届いたのは今日(前日)なのだから、参ってしまう。ツアーの内容は完全にフリープランなので、有っても無くてもあまり変わらないと言えばそれまでだけれど、一応ツアーは行きと帰りは集団行動なので、集合場所や集合時間をきちんと把握していないと大変な迷惑を掛けかねない。時間が不確かな状態で旅支度をするというのは落ち着かないものである。

にかく、今日は朝イチで私が旅行代理店までその日程表を取りに行き、スーツケースに詰める足りないものを買い揃えて、帰ったら夫が国政免許証を取りに行き、その間に私が荷造りを済ませ、午後3時にスーツケースの預かりサービスの人が来るまでに間に合わせるというハードスケジュールだった。人も車もフル回転の日曜日である。

日の夜更かしと日記更新をサボった甲斐あって荷造りは順調になるはずが、案の定思うように進まない。我が家にはせっかく鞄に詰めた物を次々持ち出してしまうminimuがいるのだ。この大量の荷物の半分はminimuグッズだというのに、本人は見慣れない大きな箱に興奮状態で、挙句の果てにはスーツケースに入ろうとして叱られて怒る始末。もう、このまま鞄に入れて送っちゃうぞー。と怖い顔で言ってもまるで通じず。

れでも今回はリストをしっかり作っておいたのでこのメモ切れ一枚に大変助けられた。階段を何往復もして必要な物を細々と集め、3時過ぎにスーツケースを預けて、ようやくホッと一息付けた。キッチリ詰まった荷物は、半分近く旅先で消費されることになっているので、帰りは大分軽くなるだろう。ちなみに私は自称「パッキングの達人」で、無理無駄なく隙間を作らないで物を詰めるのが得意だ。パズルのようにピッタリと入った時の気持ちよさがたまらなく好きなのだ。(でもギリギリ人生をいつまでも謳歌しているようじゃ、「達人」が聞いて呆れる・・・)

とは手荷物の荷造りしなくちゃね。


Nov 19, 2004

校からの帰宅途中で子供が連れ去られ、殺害されて発見されるという、なんとも痛ましく許せない事件を耳にした。それなのにこういう凶悪な事件に類似したものが過去にもいくつも起こっているせいで、真新しいショックよりもむしろ“またか・・・”という悲しい気持ちになるのだった。一体いつから日本はそんな危険な場所になったのだろう。子供が一人で外を出歩けないほど、犯罪が身近になってきている。国民が平和ボケしていると言われるぐらい、この国が安全だったのはもう過去の事?それにしたって、近年の事件に共通して感じる、どこか歪んだ犯罪者たちは男性ばかり。どうして?


Nov 18, 2004

昼ごろ、久しぶりに会う友達が子供たちを連れて遊びに来てくれた。“ごっこ遊び”が大好きで、新しい登場人物や物語をどんどん作り出してくれるかわいいお姉ちゃん、それからまだ4ヶ月の愛嬌たっぷりの赤ちゃんと一緒のひととき。我が家のminimuもいつもと違った面々を迎えて、楽しそうになにやらソワソワしていた。それにしても、赤ちゃんって本当に無垢な存在だと思う。minimuも小さかったのに、たった1年前が遠い昔のことのよう。

の時間の感覚は、自分1人の頃には感じ得ないものだ。子育てに従事する1年と、自分(+夫)だけで過ごす1年では時間の流れ方も年の取り方も全く違う。例えば常に自分だけなら、何をするにもやりたい事を自分本位で行動できるけれど、子供がいると私は常に二の次三の次になり、いつも子供の事ばかり考えているせいで自分の時間を満喫することがほとんどない。“自由に何でもできる”というのは、かえって制約が何も無い時ほどその有り難味に気付きにくいのだ。

「また冬が来て、年末ねぇ・・・今年を振り返るとしみじみするねぇ。」それが今では「また、冬が来たら、minimuは1歳半かぁ・・・育ったもんだねぇ。」と、しみじみ。すでに自分以外のことでしみじみしている自分にはたと気付く。息つく間もないまま頑張っていたら、気付くと顔にほくろが増えていた。しかも1個ではなく3個も。鏡をじっくり見つめていなかったよなぁ、最近・・・。minimuの姿形ばかり目で追っていたもの。(もちろんそれはそれで幸せな事だ。自分以外の生き物がいる部屋は温かい。私の上に乗って昼寝する、人間カイロはとてもステキだ。)

て、私のお友達へ。ちびっこ相手で体力勝負という忙しい毎日なのに、わざわざ来てもらってありがとう。お姉ちゃんのおしゃべりの合間に、大人たちはお互いの事や普段の日々の雑多な事を話し合うだけ。それでも十分楽しくて寛げました。また遊んでやってください。


Nov 17, 2004

は自分が車を運転している時、ラジオでInterFM(76.1)を選んでいることが多い。新旧入り混じったジャンルも様々な洋楽と、DJの英語のおしゃべり、それと英語のニュースをリスニングの練習がてら聞き流しているのだ。それで時々聞き覚えのある曲がかかると、「そういえばこの曲が流行っていた頃、よく通学中にラジオで聞いていたなぁ」などと、アメリカでの生活がふとフラッシュバックしたりする。好きだった音楽には、その頃の記憶や思い出が一緒についてくるものなのかもしれない。

後の6時前、すっかり暗くなった道を家に向かって車を走らせている時に、嬉しい偶然が起こった。ラジオから聞こえてきた音楽が私の好きな曲だったのだ。とはいえ、私はその曲のタイトルも、歌詞の内容も、誰が歌っているのかさえもろくに知らず、ただ向こうのFMで時々耳にしては「いい曲だなぁ」と思っていた。それが、今こうして日本のラジオでも同じ曲が聞けるなんて・・・。嬉しかった。

して、私は車のデジタル時計を見た。この時間をきちんと覚えておけば、後でラジオ局に問い合わせさえすれば「あの時にかかっていた曲」を教えてもらえるはずだと思った。しばらくして曲がエンディングに差し掛かった頃、私は耳をスピーカーに傾けた。曲の後に、曲紹介をするだろうと思ったのだ。案の定DJは英語であっさりと歌手の名前と曲名を言ってのけ、私は何となく歌手の名前だけは聞き取れたような気がした。家に帰ったらネットで調べてみよう。一文字ぐらい違っていても、ネットで検索にかければ当る事もある。

メリカのFMで何度も聞いたはずのその曲について私が何も知らなかったのは、まるっきり自分の力量のせいだろうと思う。曲を流す前後に紹介をしていても、早口を聞き損じていたのか、いつもその曲への手がかりを逃していた。歌詞さえも残念な事に途切れ途切れしか聞こえない。何と言っているのかよく分からないのに、それでも、好き。・・・きっと誰にでもそういう曲があるのではないだろうか。

宅して、InterFMのホームページをチェックした。するとサイトの中にON AIRした楽曲の検索システムがあり、そこに日時を入れるとON AIRされた曲のタイトルとアーティスト名のリストが出てくるというありがたい機能だった。過去一週間分も調べられるのも素晴らしい。私は早速、あの曲が掛かった時間を入力してみた。すると・・・。

「DON HENLEY/THE END OF THE INNOCENCE」・・・こ、これだぁー!!ラジオで聞いた名前と何となく合っていたので一安心。しかもDON HENLEYといえば、EAGLESのボーカルの人!?ああ、曲調も違うしソロの声だけじゃ聞いても分からなかった!すっかり謎が解けたことに喜んで、この曲についてもう少し調べてみると、サラッと聞き流していたときにはあまり気付かなかったけれど、この曲の歌詞は考えさせられるような悲しい物だった。それなのに私の頭の中ではすでに音楽と合わさって、ますます好きだなぁと思えるようになった。こうして私は音楽との再会を果たし、おまけに歌手と曲名まで分かって気分は爽快である。とてもきれいな音楽なので、是非聞いてみてくださいませ。


Nov 16, 2004

は何かとバタバタしているうちに時間が過ぎてしまうので、自分が自由に使える時間を求めると必然的に睡眠時間が削られてしまい、連日のように夜更かしをしている。この頃はますます朝晩の冷え込みが強まってきているので、風呂上りにこうやって日記など書いているとすぐに湯冷めしてしまう。そのせいで風邪など引いたら自業自得・・・。早く寝られる日は早く寝るべきなのだろう。でも、せっかくの自由時間だし・・・と、考えはいつも堂々巡り。

日は午後に友達の家を訪ねた。彼女は普通に仕事をしている人なので、そんな風に平日の昼間に会える日は珍しい。どうも今日は子供を病院に連れて行くために休暇をとったらしい。でも幸い何でもなかったということで、急に1日が暇になったと、私に連絡して来てくれたのだ。いつも仕事をしながら子育てし、なおかつ家事もこなしているなんて、そのエネルギーと努力には尊敬してしまう。心から、ただ“偉い”と思う。たとえ誰かが誉めてくれなくても、私はその頑張りをよ〜く、知ってますぞ。


Nov 15, 2004

語に行ったら、丁度日本に短期滞在しているという先生のお友達がゲストとして来ており、飛び入りでレッスンに参加するということだった。こういう日は珍しいので、テキストよりもConversation中心になる。私としては会話が出来るほうが面白いので大歓迎!でも言いたい事が言えない英語の痴呆症状には、ほとほと参る。「あー」とか「えー」とか言いながら、結局途切れ途切れに出てきた言葉はホロボロで悲しい。

葉を口にする前に冷静に頭の中で組み立てればきっと意味も文法も正しい文章が言えるのだろうと思う。でも、それでは“会話”ではなくて“セリフの朗読”なのだ。反射神経を試されるような言葉の投げあいが出来れば気分も爽快になれるはずだけど・・・なかなか難しい。こればっかりは再び厳しいESLにでも身を投じない限り、週1,2回英会話に通っただけでは永遠の課題になるだろうと感じている。やっぱり、私って人間は追い込まれなくちゃ出来ない性格なのだ。


Nov 14, 2004

、さぶー・・・。ようやく本来の11月らしい寒さになっただけといえばそれまでだけれど、いきなりガクンと気温が下がるのは止めてほしい。身体が持ちません。ホットカーペットの上にいる時だけが幸せ。1階のフローリングはかなり底冷えするので、厚手の靴下とモコモコしたスリッパを着用中。同じくminimuにせっかく靴下を履かせても、そうそうに脱ぎ捨てるし(手で出来るくせに、なぜか口で引張って脱ぐのも謎。)指先が霜焼けになっても知らないぞ。

つ憂鬱なのが、エアコンの掃除をしなくてはいけない事。夏に冷房をフル稼働させていたので、エアコンが異様に汚れているのだ。次に暖房として使う時にはフィルターと本体周辺を掃除してから・・・と思って早数ヶ月。まだ大丈夫だと思っていたら、本当に必要な時に使えない。本格的に冬が来る前に急いで掃除しなくては。

ころで私は手や足の先が極端に冷える、先端冷え性だ。そのためPCを触る時に指先だけ出るような手袋を使わないと、冷えた指先が動きにくくなり、次第に手首がだんだん痛くなってくる。毎年それが冬の悩みだったし、今年もそろそろキーを叩く動きが鈍くて誤打が多くなって来たので、ついに指先だけが露出して親指に通す穴がついているアームウォーマーを通販で注文した。早く届かないかなぁ。運転中にも使う予定なので、それがヒット商品だったら何枚か買おうと目論んでいる。


Nov 13, 2004

先がサイパンに決定し、私は情報収集のためネット中毒になっている。中毒になるほどサイパンには何も無いと言われればそれまでながら、念のための下調べは効率よく旅行するためには不可欠だ。本を鵜呑みにして失敗するというのは意外とよくある。

応検討の経緯等を紹介してみると、私達が11月に旅行しようと決めたのはずいぶん前のことである。夫が仕事の休暇を取る日数から旅先も近場に決まっていて、始めは「台北で食べまくるツアー」が有力候補に挙がっていた。美味しい物を朝から晩まで力の限り食べ尽くすわ〜・・・。そう思っていた。

かしこの頃のminimuの活動を見る限り、彼は好奇心の塊で、何より歩きたい盛りだ。そんなminimuを人がごちゃごちゃいる路地などを放して歩かせることは絶対に不可能だし、かといって1日中ベビーカーに座らせたままという訳にも行かないし、さらに食べるのをメインにするとなると幼児は旅に参加しにくい。子連れは入れないような高級店に行く気はさらさら無くとも、愚図った子供を隣に置いて食事をするのはとても落ち着かないものだ。夫は台北で美味しい小籠包を食べるのを楽しみにしていたから(私は夜市のB級グルメ狙い)ちょっと気の毒だとは思いつつ、私の中でグアムかサイパンが急浮上してきた。

ちらも行った事がなくて、もしグアムかサイパンに行けるのならば、グアムを選ぶ人がほとんどかもしれない。私も総合的な旅の充実度を考えれば間違いなくグアムに行きたいと思う。では何故サイパンに?と言われると、答えは簡単である。羽田発のツアーに惹かれたのだ。夜中のチャーター便に乗り込んで、眠い目を擦りながら早朝ホテルにチェックインするので体力的には厳しいけれど、それでも成田に行くよりはマシに思えた。深夜の移動でもminimuは本格的に寝入ってくれればなかなか起きないので、大丈夫だと踏んだ。

人旅行の手配をするよりもホテルの付いたツアーのほうが安いので、最終的に“羽田発、終日フリープラン”という何の変哲も無いサイパンツアーに申込みをした。のんびりするのが一番の目的だから、それでも十二分に幸せになれる。ちなみにグアムへのチャーター便は年末年始にあわせて12月から始まるらしい。このタイミングの悪さだけは残念。あとはチャーター便が恐ろしく小さくない事だけを願うばかり・・・。まさかプロペラじゃ!?と、いつかの不安が頭をよぎる。いや、そんな訳ないよね、一応J○Lだし・・・



日は料理教室だった。またしても日本の家庭料理という枠から大いにはみ出し、面白い料理の発想を頂いた。アレンジの聞きそうなレシピだったのが嬉しい限り。ちなみにほうれん草のフィリングを薄いパンケーキで巻いてチーズを乗せてオーブン焼きにしたメイン料理が一品と、ゼブラクーヘン(しまうまケーキ?)というアイデア豊かなマーブルのスポンジケーキを作った。ココアとプレーンの生地を中央から少量ずつ交互に型に流しいれることで、焼き上がりの断面がまさにしまうまの模様にそっくりになるのだ。ケーキにナイフを入れたときのワッという歓声が嬉しい。

ころで、驚いた偶然が一つ。私がサイパンに行くという話をする前に、一緒に料理教室に参加した友人が「この前サイパンに行ってきたよ!」というではないか。何も聞いていなかったし、本当に奇遇で驚いてしまった。これぞ思い立ったら直ぐに行けてしまう安近短のなせる偶然ではないだろうか。おまけに雨季にもかかわらず天気は良かったと聞けて一安心である。サイパンに行くと決めたものの、雨季というのがちょっと気にかかっていたのだ。

「・・・でも、実はminimuの水着がないのよね。」そんなことを口にしたら、今度は別の友人が「家にある水遊びパンツを良かったら使って」と、これまた有り難い申し出をしてくれた。申し訳ないのでもう少し近場を探してみて、どうしても手に入りそうも無かったらお言葉に甘えさせていただこうと思う。本当、持つべきものは良い仲間・・・。いつも感謝しておりますっ!


Nov 12, 2004

し振りにメロンパンのことを書こう。秋から冬にかけて、どこの菓子メーカーもチョコレートの新製品を大量に発売し始めるように、菓子パンメーカーも新しいパンを売り出すらしい。新製品の集まったスーパーの特設コーナーは、私が食品の商品開発の仕事は楽しそうだなぁと羨ましく感じる場所である。食品メーカーに勤める知人は「それも楽じゃないよ」などと言っていたけれど、それは痩せ難いという問題のせいらしい。

を戻して、この秋に私は5,6種類の新しいメロンパンを試した。思うにメーカーの試行錯誤の結果生まれた数々の新製品でも、来年まで続けて売られるほどの定番商品となれるものはほんの少しだろうから、目に付いて気になったパンは気になったその時に試しておかなければチャンスはもう無いかもしれない。ハズレのパンは来月には棚から消えているかもしれないし、売れなければ即生産打ち切りになるのは駄作の宿命だ。

が食べた中で合格だったのは、ブラックメロンパン(これは只のココアパンに他ならないので邪道か?)と、チョコデニッシュメロンパン3個入り(これは3個で100円というお買い得商品で、チョコの練りこまれたデニッシュ生地にメロン生地が乗っている)。イマイチだったのはパニーニのようにつぶして焼かれた平たいメロンパン(もそもそしすぎ。温めたらそこそこ美味しい)。それからごく普通のメロンパンを数種類に、チョコクリームやチョコチップなどを使った甘いメロンパン等々。我ながらよく食べたなぁ。天高く、miyamu肥ゆる秋・・・。

店のオーブンで焼いたパンを売っている店でもメロンパンを買って食べている。実は先日こんな事があった。夫が仕事の帰りにK屋でパンを買ってきたのだが、家で袋を開いてみると買ったはずのメロンパンが入っていなかったのだ。袋には他に買った食パンだけが入っており、パンをスライスして貰ったことで気をとられたのか、メロンパンを袋に入れていない事にお店の人が全く気付かなかったらしい。夫も同じくメロンパンが無いことに気付かなかった。

れでもレシートにはしっかりメロンパンの金額が打ち込まれており、ほんの小額だったとはいえ一応そのことを店に伝えることにした。別にそれで文句を言うつもりだった訳ではなく、ただ“入っていなかったよ”という事だけ報告しておこうと思ったのだ。すると、お店の人はこちらが恐縮してしまうほどに真摯に受け止めたのか、「商品の金額にかかわらず、当店を信頼して利用して頂いているのに大変失礼致しました」と、とても低姿勢で、おまけに「ご自宅までメロンパンをお届けにあがります」と言うではないか。思いも寄らぬ展開になってしまった。

ちろん夫も私も「そのお気持ちだけで大変ありがたいと思いますので、わざわざご足労頂く必要はありませんよ」と断った。しかしその人はどうしても家に届けに来るという。当然そこは家庭にパンをデリバリーしている店でもないし、たった一つのメロンパンなのに・・・!?「いいえ、当店のメロンパンをお楽しみになさって買っていただいたのに、本当にすみません。」う〜、なんていうサービス精神だろう。こちらが申し訳なくなってしまう。

になり、K屋のチーフと思われるその人が家にやってきた。心からと思われる挨拶と、予告通りメロンパンを持って。・・・と、なんだか袋が重たい。1個のメロンパンが3個に増殖しているではないか。さらにクルミローフが半分入っていた。ごめんなさい・・・。あまりにも手厚い対応に、そう思わずにはいられなかった。私はここに、K屋をこれからも愛用していきますと宣言いたします。ありがとうございました。


Nov 11, 2004

近短のバケーションについて、ほとんど私が一人であれこれ考えている。図書館で旅行のガイドブックを独り占めにし、膨大な枚数のパンフレットを読み漁り、ホテルやツアー内容を比較し、料金をexcelで価格一覧にして、各社に問い合わせをして。計画している休みまであと2週間しかないのに、スロースターターな自分に呆れつつ。しかし本気を出した私はすごい。毎日暇さえあれば旅行の検討に精力を注ぎ、睡眠時間を削っている。これで申し込んだツアーが満員だったら泣くかもしれない・・・。

回の旅行で決めた予算は、単純にツアーのパッケージ料金だけなら余裕がある。でも空港までの往復の交通費や現地での食費や観光地レートの法外なオプショナルツアー料金を考えると、どう考えても赤字である。minimuが2歳に満たない幼児である事で旅費はかなり抑え目に出来るものの、子供が一丁前に大人さながらの旅行代金を請求される頃になったら、そう易々“家族で海外へ〜!”なんて言えそうにない。現に私自身、子供の頃の家族旅行といったら自家用車がほとんどだったし・・・って、時代が違う!?

りあえず今日のうちに旅行の申込みに行って来ようと思う。間に合いますように。


Nov 10, 2004

の居ぬ間に洗濯とはよく言ったもの。私の場合は、minimuの寝てる間に・・・。さて、ここで忙しい母は何をしようかとふと悩む。ようやく出来た一時は、紛れも無く私だけの自由時間なのだ。温かいお茶を入れてホッと一息つきたい。本を読みたい。ビデオを見たい。インターネットと日記を書きたい。英語もやらなきゃ。その反面で睡眠不足だからちょっとでも寝たい。それに滞っている家事もしたい。ああ、忙しい母の悩みは深い。

急ぎ(でも物音は立てずに)家事をちょちょいとこなし、料理の下ごしらえをして、自由時間の半分を消化。大体minimuは日中2時間も寝れば長いほうだ。あとはPCをONにし、お茶を入れて、日記を書いて、ネットサーフィンというのがいつものパターン。寝足りないと思っているくせに、睡眠は極限状態にもならない限り後回しになってしまう。知的(?)好奇心にくすぐられ、やりたい事が優先される。ちなみに英語と読書は入浴中。きっと世の幼児と暮らすお母さんはみんな、こうやって自分の事をあれこれ天秤にかけつつ自由時間を過ごしているのだろうな。


Nov 9, 2004

の頃日本で頻繁に目にする「モテ」という言葉。モテ顔、モテ髪、モテ肌、モテsomething・・・。利用例としては、「秋冬のモテ系ファッションはコレ!」というような感じ。この「モテ」は、どうやら女性のキレイになりたい女心をくすぐる新しい(?)単語らしい。「もてる」が「モテ○○」となることで、異性からの視線を釘付けに出来る上に流行の最先端のようなニュアンスに変わるようだ。・・・なんて、自分なりに分析してみたけれど、この頃の雑誌やメディアや広告などでの「モテ」の氾濫に食傷気味の私である。何となく、安っぽいんだよなぁ。これが流行語になんてなったらどうしよう。(そもそも私は去年の流行語も覚えてないぞ。)こういう浮かんでは消える日本の謎について裏日記でも始めようかしら?なんて思ったりして。


Nov 8, 2004

華まん物語、完結編
多くの女性の場合、出血していたらまず月経を疑うだろう。私もその時はおかしいなと思いつつ、他に思い当たる節もないので無理やり納得してバスに戻った。当然私が最期の乗客だったので、バスはすぐに走り出した。仲間からはしきりに「大丈夫?」と聞かれたけれど、幸い1回体内から毒素が出された事で私の身体は前とは比べ物にならないぐらい楽になっていた。もう平気だと伝えて、先ほどの酷い態度を謝った。

れからバスは休むことなく下の道を走り続け、朝の4時に解散場所の新宿駅に到着した。さすがは貧乏ツアー、この時間では始発もまだ走っていない。バスに乗っている他の人たちは殆ど皆眠っていた。私は結局眠れないまま始発が出るまでバスの中で待っていることにした。数時間前の恐怖体験は我ながら大変だったな・・・と思いながら。そうしてぼんやりとまだ暗い街並みを眺めている時、“あれ・・・?”と思った。お腹が痛いような気がしたのだ。そしてあの気持ち悪さが急激な速さで戻ってくるのを感じた。これは気のせいではない。何とかしなければ・・・

は立ち上がり、眠っている人達を通り越して前に行き、ちょうど仮眠中の運転手を起こした。降ろして欲しいという私に運転手は一瞬迷惑そうな顔をしたものの、トイレに行きたいと言ったらすんなりとドアを開けてくれた。そうして私はまだ夜も明けない新宿駅に走っていった。“新宿駅にならきっとトイレがあるはず。駅が開いていなくても人ぐらいいるはず。トイレぐらい貸してくれるはず。”それだけを胸に、必死に走った。ホームレスの集落を恐ろしいと思う暇もなかった。すると、意外なところで前方にトイレのサインが見えた。安堵感がこみ上げる。た、助かった!

の際トイレが汚いとか気にしている場合ではない。私は急いで駆け込んだ。これは完全に食中毒だろう。ツアーの参加者が食べた物は基本的に同じだし、状況から思い当たるのは肉まんだけだった。どんな食べ物にも見えない細菌はついているものだけれど、あの肉まんは安全なレベルを超える汚染具合だったのだろう。食中毒にも種類があって、細菌の種類によって症状が異なる。この時は発熱が無いことで、おそらく最初の発作の数時間前に取った食べ物が怪しかった。(魚介や生卵などで当った時はもう少し時間が掛かる。)私はバスに乗る前、肉まんしか食べていなかったので、それが中ったのだと思う。

度もゆっくり息をして、呼吸を整える余裕が出来た頃に立ち上がった。もう大丈夫だと思った。それにしてもなんて日だろう。ずっと嫌な汗ばかりかいている。ため息を付きながらふと視線を足元に落としたら、私は再び冷汗をかいた。さっきよりも激しく、思いっきり出血してたのだ。“何これ?絶対におかしい。”それに今回は自分でも確実に下血だと分かった。これは食中毒のせいだ。バスの中で我慢しすぎて、身体のどこかが破裂したのだろうか。それにしては痛みが無い。何れにせよ下血するというのは只事ではない。

は始発電車で家に帰った。フラフラになって真っ白い顔をしている私に、母は驚き心配していた。7時ごろにまた発作があり、今度は母にもその出血を見てもらった。どうやら本人以外にも血に見えるらしい。血という物は視覚的ダメージが大きい。とても重病なのではないかと不安になってしまう。家庭の医学を見て自分の症状を探してみても、とてもシリアスな病気ばかりが書かれており、ちっとも安心できなかった。“これが直腸がんだったらどうする?”などと、最悪な発想に到達する度に悲しくなった。

の日は日曜日だった。それでももう待っていられない気持ちに急かされ、近くの総合病院の急患にかかることにした。宿直の先生はとても良い人で、私の話をきちんと聞いてくれた。肉まんを食べたあとで食中毒になったことや、数時間我慢した事、これまでに何回出血したか、その時の血の様子などを覚えている限り事細かく伝えた。出血の原因を探るべく検査も受けた。

血はその形状によって出所を推定できるらしく、赤黒い物だと胃腸など消化器官の初めの方で、さらさらと鮮血に近いと出口に近い方と思われるらしい。私は後者だったので、何らかの原因(免疫力低下+肉まん+我慢ショック)で粘膜の血管が破裂したのだろうという結論に達した。ガンじゃなくて良かった・・・。再検査の日まで止血剤と血管増強剤を飲み、数日かけて出血は止まった。潜血反応が陰性になるまでは時間が掛かった。

思えば、あの食中毒は一体何だったんだろうという体験だった。肉まんを食べてまさか血が出るなんて誰が思うだろう。でも何があるのか分からないから油断は出来ないということだ。それからしばらくの間、私はあらゆる中華まんを食べることが出来なかったし、自分の手指はよく洗ったし、電車の手すりやつり革を触るのが嫌になったし、もちろん貧乏ツアーは二度と行かないと誓った。あれから何年も経った今はもうまったく神経質にならずに中華まんを買うし、ちっとも潔癖症ではない。でもこれだけは言える。屋台やホットケースの食べ物を食べる時は、食中毒のリスクも心の隅に忘れない事。身の安全は自分で気をつけること。

それではこれからの冬本番、皆さんも中華まんには気をつけて。長くなりましたね、失礼。


Nov 7, 2004

続・中華まん物語ということで・・・。(注:きれいな話ではないのでお気をつけください。)
中華まんのチェックポイントを書いている私自身、実はコンビニの中華まんを食べて食中毒を起こした事がある。学生時代に貧乏バスツアーで、深夜発・翌早朝戻りという強行スキーに行った帰りでのことだ。東京行きのバス乗り場の前にあった売店で売っていた肉まんを、ケースの中をろくに見もせずに買ってしまったのだ。何せ集合が迫っていたので、私も相当慌てていたのだろう。急いで買ってバスに乗り込んだ。

かしそれが悪夢の始まりで、バスが発車して2時間程した頃に、私はひどい吐き気と下腹部の激痛に襲われたのである。最初は我慢したものの徐々に不快感は強くなり、腹痛の波の間隔も短くなり、強がりの私でも脂汗でぐっしょり、もう同行していた仲間と口が利けないほどに弱っていた。気持ちが悪いのに吐けないし、バスにトイレは付いていない。絶体絶命の予感・・・。

乏ツアーは現地を夜に出発し、東京に着くのは早朝である。私は真っ暗な窓際で壁にもたれかかり、死にそうな息づかいでこらえていた。次の休憩までは、まだ2時間あった。というのもこの貧乏バスツアーはいかにも“貧乏”なだけに、高速道路を一切使わずに下の道だけを走り、おまけに運転手からはバイト的な雰囲気が臭っていた。私は貧乏ツアーの恐ろしさと共に高速道路のありがたみを思い知っていた。

時間ほど過ぎた頃だろうか。時間の流れの遅さが腹立たしく、次々に襲い掛かる波をやり過ごしながら、泣きそうな気分で私は耐えていた。すでに「大丈夫?」と人から優しく尋ねられるのでさえ鬱陶しく思えるほど苦しい状態だった。「ごめん、気にしないで。お願いだからほっといて!」と冷たく言い放つので精一杯だった。目を閉じて肩で息をして、全身汗まみれなのに身体が冷たい。

った一言、運転手にトイレに行きたいからどこかでバスを止めてと訴えれば良かったのに、当時の自分は身の緊急時にもかかわらず“私一人の為にバスを止めるなんて悪いし・・・”とか、“それ(バスを止める)って、かなり格好悪いよな・・・”と思っていた。たとえ訴えたところで、あのバイト風運転手にトイレの場所を見つけられたかどうかは疑問だったけれど、変なプライドが助けを求めることを拒み続け、結局深夜に休憩所の道の駅に着くまで私はじっとりと冷たい汗をかき続けた。

スが駐車場に止まると、私は最後の力を振り絞って前列にいた人を掻き分けてトイレに走った。もうすぐだ!!!という安堵感があれば、人は不思議にも頑張れるものらしい。辿り着いた寂れたトイレの中で、私は汗で湿った頭を抱えて座り込み、心身ともにグッタリした。人生最大のピンチワースト5に入りそうな数時間を耐えた後だから仕方ない。しばらく休んでいたら休憩時間がギリギリになり、仕方なく気分の悪いまま立ち上がった。すると最悪な光景が目に飛び込んできた。明らかに、鮮やかに赤い。これは・・・血!?

この話は続くのであった。


Nov 6, 2004

変わらず歯茎から咽にかけて腫れているけど、最高に痛いピークは越えたかしら?という小康状態(でも痛いけど。)に入ったようだ。親知らずは少しずつ生えてきて、痛いのと無感覚なのを長い周期で繰り返すので、このまま放置しておいたらまたしばらくの間は休火山のように痛みが無くなるはずだ。それでも抜歯はした方が良さそうなので、今回の腫れが引いたら潔く歯医者の予約を取ろうと思う。

レビで中華まんのCMが流れ出すと、冬は近いなと感じる。今もこうして日記を書きながら私は昨日買ったまとめ売りのピザまんを食べている。中華街のぶたまんも美味しいけれど、こういうお買い得商品も悪くないし、ずっと経済的で身近な存在だ。でも中華まんといえば、個人的に思い入れがあるのはやはりコンビニだろうと思う。私が初めてアルバイトをした駅前のコンビニでも秋になると中華まんを扱っていたから、その時の印象が強く残っているのだ。

ンビニの中華まんは冷凍で、朝にその日の予想売上に応じて何個かまとめてレンジで温める。それを消毒したケースに並べて蒸すこと数十分、蒸したてのようなしっとりした中華まんが出来上がる。あとは売れ行きに応じてケースに補充していく。加熱してから売り切るまでの時間はお店によって決まっている。4,5時間ぐらいが普通だろう。でも、夕方のシフトに入った時に朝から全く売れない中華まんを発見すると焦った。必要以上に蒸気を吸い上げた皮が膨らみ、ぼてっと、べしょっとケースに並んでいるのだ。明らかに食べ頃を過ぎた物は、残念ながら廃棄扱いになる。

分の経験があるせいで、私がコンビニで中華まんを買う時にはケースの中を良く見るようにしている。中には店員がイマイチな店もあり、よく先に入れた物は先に出すのを面倒くさがってつい並べ替えなかったり、味がお客さんから敬遠されているのを温めすぎて売れ残ったりすると、ぶよぶよになった中華まんが10時間以上も売られ続けたりするのだ。誰でも出来るチェックポイントとしては、一個だけ他のと比べて妙に大きい物は“大きいね、ヤッタ!”ではなく、ただの売れ残りである。それからカレーまんなど、皮に着色した中華まんの様子に注目。カレーの黄色が蒸気を吸い過ぎた為に薄くなっているものは要注意。


Nov 5, 2004

日前から左の上の親知らずが盛り上がってきているようで、奥の歯茎が二つに割れている。これがかなり痛い。最初はそれほど痛みも感じず、ただポテトチップスでも挟まったかな?ぐらいの余裕な気持ちでいたのに、今ではその割れた部分が大きく腫れてしまい、さらに上顎まで腫れが広がっていて喉まで痛いような感じになってきた。我ながら、本当に口腔のトラブルが後を絶たない私である。こうなってしまっては、また親知らず抜歯の予約が必要かもしれない。数ヶ月前に抜いた右の上の親知らずがあった場所はもう無事に歯茎に変化したし、早めに左もやっておくんだったなぁ・・・。痛くなってからそう思っても遅いか。もし本当に治療をすることになったら、絶対に笑気ガスを使ってやるぞ!!


Nov 4, 2004

大統領選挙はブッシュ氏の再選が決まった。いつも世界の中心的な存在感と影響力を示しているアメリカなので、大統領が変わったら何かしらの変化が起こりそうなものの、結局ブッシュ大統領が二期目に入るのならば経済や世界情勢も大きな変化はなさそうだ。これで向こう4年間は今と同じような感じで日米関係が続いていくのかなぁと予想されるし、テロや抗争も続くのだろう。

日は文化の日で日本はお休みだったので、久し振りに家族でみなとみらいに行ってみた。ちなみにこの久し振りというのは、買い物や食事のために行くのが久し振りということで、個人的には他の用事があってみなとみらいの近くに来るというのはボチボチあったりする。でも基本的に普段は住んでいる周辺で大抵の事が事足りてしまうこともあり、なかなか混雑した横浜やみなとみらいに出かけないのだ。

ンドマークプラザとクイーンズスクエアを散策し、クリスマスの装飾がなされた店内やショーケースを眺めたりオーナメントやリネンなどを物色していると、ここはやっぱり地元じゃないなぁと感じる。すべてがキラキラしていて眩しい。通りを行く人々はみんなおしゃれで幸せそう。クリスマスを盛り上げようとする街並みだとか雰囲気は賑やかで、これからイルミネーションが本格的に始まったらもっとウキウキすることだろうと思う。外は着々と冬が近づいて来ているから、その反動で“ホッとあたたかい幸せ”に憧れるのかも・・・。

ころでクイーンズスクエアを歩いていたら、通りの奥にある広間に天井に着くほど背の高いネットに包まれた四角い箱が用意されていた。毎年同じ場所に大きなツリーが飾られるのが定番なので、あの中に今年のクリスマスツリーが設置されているのだろう。ずっと前に、ここのツリーがまだ真新しい頃、日本ではあまり見かけないサイズの大きなツリーに感動して写真を沢山撮ったのを思い出す。去年はみなとみらいのツリーを見に来る余裕が無かったから、今年こそは点灯されたツリーを見に来よう!

ちこちを回って歩きつかれた頃、子連れでも気兼ねしないイタリアンの店で食事をとり、行列の出来ていたクレープ(ROMANDO ROLLなる巻きクレープ。生地とクリームの感触がいい感じ。次は他の味も試さねば。)を1つ買って、誕生日プレゼントという名目でツリーのオーナメントを買って、う〜ん、贅沢満喫。良い休日でした。


Nov 2-3, 2004

よいよ、今日はアメリカにとって重要な運命の日。大統領選挙の開票速報の様子は日本のテレビ(日本時間3日)でも生中継で見られる。向こう4年間、アメリカの顔となるのはブッシュ現大統領か、民主党のケリー候補か。

えば4年前の今頃、英語もろくに理解できない状態で、私は大統領選挙のゴタゴタをテレビで見ていた。当時のアメリカメディアが非常に盛り上がっていたのは外国人の私でもわかった。あれから4年が過ぎたということを今度は日本から間接的に知る。昔はアメリカの大統領が誰かは知っていても、その選挙にはちっとも関心が無かったのに、今はどうなるのかとても気になっている。限られた時間だったとはいえ、世界情勢が目まぐるしく変化した期間に住んでいた当事国。思い入れが強くもなる訳だ。

んな大統領選挙の陰に隠れて、私はとてもささやかに合同誕生日会を開いた。私と夫の誕生日は偶然にも1日違いで、毎年いっぺんに誕生日祝いをしている。ケーキを食べるチャンスが1回減るけれど、一緒というのはそれはそれで楽しい。いわゆる“デパ地下”にケーキを買いに行ったら、見た目もセンスが良くいかにも美味しそうなケーキが何種類も並んでいて本気で悩んでしまった。これって、とても豊かで幸せな悩みだ・・・。


Nov 1, 2004

年も残すところあと2ヶ月。先月から私は家の中で小さな整理を続けていて、年内に家からゴミを排出しなくてはと考えている。ゴミというよりは“捨てられる物は思い切って捨てよう”という感じで、勿体ないと思わない割り切った気持ちで挑んでいる(つもり)。大きなゴミ袋がいっぱいになる度にちょっとした満足感に浸っている。

つも捨てようと口先ばかりの私でも、今回はちょっと本気である。理由は簡単。私の住む横浜市でゴミの分別が厳しくなる前に、一気にまとめて捨ててしまえーーー!!という狙いがあるのだ。環境のためには当然のリサイクルでも、今までひとつのゴミ箱にポイポイと投げていた物を細かく分別しなければならないというのは大変だと思う。とりあえず紙は紙のみ、プラスチックはプラスチックのみ、食品のパックや皿は洗って回収、捨てられる大きさのリミットが縮小となり、さらに細かい部分で規制が細かくなるらしい。きっと今後も厳しい方向へ移行していくことだろう。ただでさえ台所は狭いのに、ゴミ箱置き場に占拠される日も近い・・・。




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