miyamu's
DAY BY DAY

ヨコハマ徒然日記
ヨコハマ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。

February2004 back numbers ★過去の徒然日記
Feb 29, 2004

うか、今年はうるう年だったのね〜と思ったら、突然うるう年を英語で何ていうのかと気になり出したので、早速調べてみた。辞書によるとa leap yearとかan intercalary yearと言うらしい。アメリカに暮らした3年間の間にうるう年が当たらなかったので、このような言葉を一度も聞いたことが無かったけれど、せっかくだからこの機会に頭の片隅にでも覚えておこう。

の週末は色々あって忙しかった。おまけにちょっと風邪気味で、すっかりお疲れモードになっているけれど、また来週から頑張ろう。昨日から故障していたカウンターも直ったので一安心。一時100万以上という明らかにおかしな数字が出ていたので、このサイトも悪質な何かに引っ掛かってしまったのかと慌ててしまったのだが、(今はネットの世界も怖い事が一杯だし・・・。)とりあえず大丈夫らしい。ほっ。明日からはますます春らしさが増す3月。本当に早い。


Feb 27, 2004

、日本中が最も注目している話題は、オウム真理教の元代表麻原こと松本被告への判決が今日下されるということだ。事件から9年、初公判から8年経た今ごろになって!?と驚いてしまう。何件もの事件で告訴されていても黙秘(というか、無視?)を続けて容疑を否認してきたことで、判決が出るまでに本当に時間が掛かった。それでも事件の実行犯達への厳しい判決結果を見れば、松本被告への極刑は免れないように思う。それでも今後も控訴するかもしれないし、事件が全て法によって裁かれるまでにはもっと時間が掛かるのだろう。・・・さて、とりあえず最新の話題には触れておいたし、話題を変えよう。

Just my bad luck! 本当、ついてない。今朝は起きた時から変だった。

時10分、目覚ましを止めてから布団を出るまでに20分経過。朝食を作るdeadlineに、ようやく起き出す。急いで卵焼きを作り、魚焼きロースターをセットして・・・。と、ここで問題が。私は極度の近視で、眼鏡をかけていても手先30cmまでしかよく見えないのだ。(普段はコンタクト派で、寝起きのみ眼鏡なのである。)だから料理で火を使うときも、かなり顔を近づけなければならない。火傷しないように気をつけながら、真剣に卵焼きをフライパンの上で巻いていたら、どこかから焦げ臭いにおいがしてきた。手際が悪くて卵焼きが焦げてきたんだ!と、思った。急いでフライパンを持ち上げて、顔に接近させて焦げている場所を探した。しかしどこも焦げていない。ここで誤ってフライパンに指を触れてしまい、小さい火傷を作ってしまった。

げ臭さはどんどん広がってきた。何故?と、においの発生元を探したら、すっかり忘れていた魚焼きロースターの中で、すっかり木炭のように真っ黒になった物体が・・・!しかもロースターを開けたせいで一気に煙が流れ出てきてしまったではないか。ひぃ〜部屋が焦げ臭い。布についた焦げ臭さって全然消えないのだ。とにかく急いで焼きなおさなくちゃおかずが無いよぉ。そうこうしている内に、卵焼きも失敗。ああ、最悪の朝・・・。

が起きてきた。仕方なく変な形の卵焼きとさつま揚げと、ありあわせ。さ、ご飯をよそおう。
炊飯器をパカッ!
「・・・・・!?!?た、炊けてなぁぁぁ〜いっ!
ここまで来ると、苛立ちを通り越して無感覚ゾーンに到達。悲しい・・・。
時間はギリギリだけど、ご飯無しという訳にも行かず、文明の利器電子レンジで冷凍ご飯を温めて、ストックしていた茶碗蒸しを出して、なんとか朝食らしさを取り戻した。ああ、ついてない。言い訳がましいけれど、いつもの私らしくない。今日は何かがおかしいから、いつもと同じ事をする時も気をつけよう。え?蠍座はラッキーデーだって?当たらない占いだねぇ・・・。


Feb 26, 2004

25日に全米公開されたメル・ギブソン監督の映画「THE PASSION OF THE CHRIST(パッション)」が物議をかもしているらしい。キリストの最期の12時間を映画化したもので、公開数ヶ月前からその内容について賛否両論あり、注目されていた。人々の関心の高さを裏付けるように水曜日に公開された時点で大ヒットを記録している。それと同時にこの“問題作”を巡ってメディアでの論争が起こっているらしい。

リストの生涯をテーマにした映画は過去にもある中、最期の12時間だけにスポットライトをあてたものは初めてだという。実際に映画を観た人たちからは素晴らしく感動的だという声もあれば、残酷すぎるシーンが多すぎて見るに耐えないという声もあり、評価が極端に分かれている。それに12人の弟子の一人ながらキリストを売った裏切り者のユダの描き方ついて、ユダヤ人から反発を受けている。(アメリカ映画の日本人が実際と異なって酷く演出されていた時に、私たちが不快感を抱くのと同じだろう。)

メリカ国民の8割弱はキリスト教徒で、自身も敬虔なクリスチャンというメル・ギブソン。映画の内容が敬遠されるあまり映画会社を見つけることも難しく、制作にはかなりの自費を投じたそうで、そこまでしてメル・ギブソンが表現したかった世界には興味が沸く。私はというと・・・残酷なものは苦手ながら、やはりどんなものなのか見てみたい。キリストが十字架にはりつけにされて最期を遂げたという話は、たとえキリスト教徒でなくとも聞いたことがあるかと思うけれど、鞭で叩かれ、手足に釘を打たれてはりつけにされて・・・って、想像しただけで正視に耐えなそうだ。現に「そこまでやらなくたっていい」ほど強烈らしい。

かしながら、ただ残酷だから非難されるというなら、いとも簡単に人が死んでしまうハリウッド映画が非難されないのはおかしいよなぁ。あまりにもあっけなく、血が流れ、バタバタと人が倒れるなんて慣れっこのはずだというのに。ではどうしてこの映画が問題視されるのだろう。なんとなく、自分なりに考えてみた。

ずキリストの最期というのは聖書の記述なので、それをメル・ギブソンが商業的に発表(しかも最期の部分だけ)するのに難色を示されたことと、その解釈に対してキリスト教徒人々の反応が敏感だというのが1つ。それともう1つ、人(というかキリストだけど)を傷つける行為をあたかも目の前で傍観しているかのように感じられるのが精神的に苦痛なのだろう。言ってしまえば、話を盛り上げるための演出による派手な銃撃戦や大爆発などは、当たり前のように人が死んでいても無感動なのかもしれない。でもまるで自分の身体が虐げられているかのように感情がその世界に入り込んでしまうと、残酷な行為や過度の暴力にはっきりと不快感を覚える。傷つけられる人を見るのは辛いけれど、実は傷つけている人の醜さや残虐さを見るのだって十分辛いということだろう。と、ここまで書いていて思ったのだが、この映画、日本で公開される??怪しい・・・。どなたかご覧になったら、感想を聞かせてくださいませ。


Feb 25, 2004

Conversationクラスの今日のテーマは差別についてだった。外国で現地人からそれとなく差別を受けたり、マイノリティであるために損をしたり屈辱的な思いをしたりという経験談をもとに、どうして人間は差別したりされたりするのかをディスカッションした。む、難しい・・・。

の中で、日本の部落差別について「日本人は部落の人をどうやって見分けるの」と先生が聞いてきた。本当に恥ずかしいことに、私は部落差別という問題について中学生になるまで聞いた事もなかったので、こんな私に上手く説明できる訳もなく、聞く側に徹することとなった。偶然にも今日の参加者の中に関西出身の人がいて、その人の地元では部落の人とは親が反対するから結婚できないといっていた。その人の住む場所や名前や職業によって、または人の噂などによって差別が生まれてしまう現実は理不尽だし馬鹿馬鹿しいと思っていても、たとえばその暗黙の了解を破ったとたんに村八分に合ってしまうから、どんなに疑問を持っていたところで長いものに巻かれてしまうのは集団心理の恐ろしく悲しいところだと感じた。

れにしてもそんな内容をゆっくりでも不足なく表現できるのだからすごい!その人はアメリカと中国に暮らしていた経験があるらしく、かなり英語が出来る様子・・・。時々言葉に詰まって単語を探して宙を仰いでも、数秒でパッと適当な表現が出てくるのだから。同じ意味だって幾通りにも言い方があるし、機転が利くとはまさにこのことだ。う〜ん、私も頑張らなければ。

てさて話変わって、早いものでminimuが生まれてもうすぐ9ヶ月となる。赤ちゃんと呼ばれる最初の1年もも残りあと3ヶ月ということだ。本当に時が経つのは早い。近頃彼は、ハイハイを始めたいらしい。腹ばいになって手足を亀のようにじたばたさせている姿から発達して、少しずつ前に出ようともがいているその様子がとてもかわいらしい。ちなみにハイハイは英語でcrawlで、これは水泳のクロールと一緒だから覚えておこう。これから激しくハイハイするようになったら、床の物をminimuから手の届かない地上に上げないといけないので、嬉しいような困ったような。何はともあれ彼は元気に育っている。


Feb 23, 2004

び英語のレッスンに通い始めて丸2ヶ月。勉強とフリートークを兼ねているような感覚で、毎回楽しく授業に参加している。テキストや実力テストのような物はなくて、読み書きよりも会話中心のグループレッスンなので、上達した手応えや達成感を感じたい人には不向きかもしれないけれど、そういう主旨の勉強はカレッジで散々体験してきたつもりなので、今回はこれで良いと思っている。

言を求められた時にしばらく口ごもって沈黙しても、先生はみんなが言いたい事を最後まで言い切れるまで待ってくれるし、発音が著しく間違っていたり文法の間違いがあったら正してくれる。質問をすると何でも分かり易く答えようという努力をしてくれる。アットホームな感じで、グループのメンバーも良い人揃い、おまけに子連れなのも嬉しい。そんなこんなで、とりあえず今は英語環境をキープしているものの、何か大切なものがするすると抜け落ちていく感じがおさまらないのは何故なのだろう。

の問題について考えると、やはり上達に必要不可欠なのは自習であることに気付いてしまう。伸び悩みならぬ、退行を食い止める努力を怠ってはいけないし、いかにレッスン以外の時間を有効に使うかがネックなのだ。カレッジでのリーディングとエッセイに日々を費やしていた時は、同時に教室を出ても英語しかない環境にいて、間違いなく私の英語力(ここでは、テストで良い点が取れるという意味で。)が自己最高点に上っていた頃だったろう。だから、あとは下がる一方・・・。そんな寂しい現実を回避するには、日々鍛錬あるのみである。

語のレッスンは週に2回、1回に90分から2時間である。日本にいてこのペースならば、自分は恵まれている方だろうと思う。会話のレッスンをする場面は用意されているのだから、あとは他の時間にどれだけ自分の中に新しい知識を植え付けられるかにかかっている。家で仕入れた情報をレッスンで使ってみるというのが理想なのだ。とはいえ実際それもなかなか難しいのだけど・・・。日常で英語に触れられるだけでも十分だけれど、欲を言えばもう少し言いたい事をスラスラと相手に伝えられるようになりたいのだ。


Feb 22, 2004

肉が食べたい!たらふく食べたい!値段を気にせずモリモリ食べたーいッ!と、私は突然ひらめいた。でも焼肉レストランに行くと結構お金がかかる。かといって家で焼肉をしようにも、我が家にはホットプレートのように卓上で料理を仕上げる道具がない。じゃあ・・・いっその事、買っちゃう!?

はり焼肉は卓上で焼くから楽しいし、家族揃ってわいわい食べてこそ美味しさも引き立つというものだろう。ホットプレートは前から“あると良いね”と話していた物だし、思い切って買ってしまおうではないか。今日からフライパンの上でまとめ焼きの寂しい焼肉も卒業だー!

はホットプレートの予算を5,000円ぐらいで考えていたのだが、近所の家電店で見てみるとピンからキリまで揃っており、1番安いと2,000円程度で、最も高価なものだと消臭機能付きで2万円をオーバーしていた。また、焼肉専用の焼き網が付いていたり、たこ焼き専用のプレートが付いていたり、収納しやすいケースがついていたりするモデルが多い。

にこだわらなければ安くても買えるのは知っていても、そうやってある程度の機能や大きさを見比べてしまうと、さすがに安い物は見劣りしてしまう。すると求めるものの平均的な価格帯は1万円程になり、とても5,000円では買えそうになかった。困った事に私と夫とで気に入ったものが違っていて、売り場で話し合い悩むこと数十分。結局、リサーチ不足でいきなり買うのが無謀だったのだという結論に達し、散々時間をかけた挙句に買わずじまいとなった。ガッカリしつつ、買い物は慎重にしないと失敗するのも怖い。仕方ないから今日は諦めるけれど、焼肉よ、待っておれ〜!!


Feb 20, 2004

のところ小春日和が続いていて、日中ならばコートを持たずに出かけられる。2月とは思えない暖かくて穏やかな気候に、ご近所の庭に植えられた梅もすっかり満開になってしまった。美しく咲いた梅の木を見ていると、しみじみほっとした気持ちになれる。春の訪れにあらためて日本らしさを味わっている、今日この頃。

日の料理教室で作ったのは、鶏肉のストロガノフという料理だった。鶏のささみをバターとクリームとヨーグルトと野菜で煮た、ドイツの郷土料理の一つである。ドイツ料理がバターをたっぷりと使う割にサッパリした味わいなのは、ヨーグルトやハーブ、それにピクルスなどを加えて、程よい酸味と香りが効いているからだろう。主食として付け合せるじゃがいもとパスタが素朴な味なので、ストロガノフのクリーミーなソースと良く合う。

イツの主食はじゃがいもらしい。私は芋全般が好物なので、幸せにドイツに住めるかもしれないと思う。というのは、料理教室には元ドイツ在住という方が数人通っていて、その人たち曰く「ドイツにいた頃は、じゃがいもを見るのも嫌だったわ」という飽和状態だったらしい。いくら好きでも毎日じゃダメということか。日本人は毎日のようにお米を食べているけれど飽きないのに・・・。ドイツ人にとってのじゃがいもは、日本人のお米のようなものなのだろうけど。もし、じゃがいも嫌いのドイツ人がいたら、さぞ大変だろうなぁ。

らに食文化の話は続き、お酒の話になった。料理の先生(ドイツ人)には、日本人が次々に違うお酒を飲むことが不思議に見えるのだとか。ドイツ人が食事中に飲むアルコールは1種類が常識だという。これはどういう事かというと、日本はお酒の席でビールから日本酒からワインと、いわゆるチャンポン飲みをするが、ドイツではじゃがいもとソーセージとザワークラウトにはビール!ピザにはワイン!というように、料理に合わせたお酒を選ぶというのだ。最初がビールなら最後までビールで、途中でワインに替えるなんて事は考えもつかないとまで言われてしまった。ふ〜ん・・・。所変われば色々と面白い発見があるものだ。


Feb 19, 2004

日は月に一度の料理教室だったから、ここにはその話でも書こうと思っていたら、夕方に姉から電話がかかってきた。最初に携帯電話にかけて繋がらなかったから家にかけてきたのだという。私は普段マナーモードにしているので、急用の時には困るなと思いつつ「どうしたの?」と尋ねた。「誰かに話さずにはいられなくて。本当にいやな事があって」と、姉は話し始めた。こんな風に電話をかけてくるぐらいだから、よっぽどの事なのだろう。続きを聞くと、このような話だった。

後のこと、姉が近所の公園に子供を連れて遊びに行ったら、そこに制服を着た高校生のグループがたむろしていた。するとしばらくしてそのグループの知り合いと思われる仲間が車でやってきたらしい。その仲間は公園の前に車を停め、降りてくると思いきや車の窓を開けて、いきなり中からエアーガンのライフルを出して公園の方向へ連続発砲してきたというのだ。弾が遊具に当たってカンカンという音を立て、姉を含めそこにいた数人の親子は公園の奥のほうへ追いやられるように避難したという。

の男たちはそのエアーガンライフルを持ったまま公園に入ってきて、高校生グループとしゃがみ込んでしまい、まったく帰る気配が無い。幸い子供には弾が当たらなかったとらしいが、あまりの出来事に姉は公園から出ようとした。が、不運にも姉のベビーカーがグループの側にあった。仕方なく子供を後ろに連れて近づき、ベビーカーを掴んで歩き去ろうとした時に、高校生の1人が「すみません」と言って来たという。しかし、公園の出口に向かって歩きだした、また後ろから車の男の笑い声とともにエアーガンの弾が飛んできたというのだ。

の後姉は急いで帰宅したものの、その出来事を話さずにはいられず、私に電話をしてきたという訳だ。私はその話に強い憤りを感じたし、警察に通報した方が良いとまで思った。残念ながら姉はその車のナンバーを記憶していなかったし、特に怪我をしたわけでもないから相手にされないだろうと思ったらしい。でも、何かあってからでは遅い・・・。

当に、近頃の若者は、どうしたのだろう。やって良いことと悪いことを判断することも出来ないで、取り返しのつかない事件になって初めて自分の間違いに気付くのだろうか。私も今や親という立場にあり、我が子に何かあったら“今の若者は心が病んでいる”だなんて一言では片付けられないと思う。ついこの間も、子供に暴行を加えて死に追いやった若者の裁判のニュースを聞いたばかりだ。今1番危険で恐ろしいのは、他でもない、きっと人間なのだろう。


Feb 18, 2004

めは嫌いだったIdiomの勉強。それがだんだん好きになってきたのは何故だろう。直訳するとサッパリ意味が通じない熟語が、とんちのように頭を捻ると「な〜るほど!」という隠れたユーモアがあったりするから、それが面白いと感じるようになったからかもしれない。

「超カンタン、ラクラクよ!」という意味の「A piece of cake」というIdiomを巡って、私の頭の中に浮かんできたのは“一切れのケーキを一口でペロリと食べてしまう巨漢のアメリカ人の姿”だった。彼にとっては一切れのケーキなど、さぞカンタンに食べられるデザートだったろうな・・・(彼にとって、A piece of cakeは本当にA piece of cakeなのだ!)と思ったら、このIdiomが妙にピッタリに思えてきて、二度と忘れられないくらいすっかり頭に定着してしまった。

作りの単語帳をめくって、なんとかIdiomを暗記しようとしていた頃・・・。あれは中学校か、高校か忘れてしまったけれど、少なくとも英語学習の基本は暗記だった時代だ。私はそれが嫌いだったけれど、テストのために短期集中の集中力を発揮していたものだ。そんな風にして良い成績をとっても、一度テストが終わってしまえば気持ちの開放感とともに暗記したものもどこかに消え去っていた。そういう勉強をいくら繰り返しても、何も身に付かないことは自分でも分かっていたけれど、他に思いつく良い方法がなかったのだ。

はもう無理やりIdiomを覚えようなどとは思わないし、学生でもなければそんな必要も無い。考えてみればIdiomなんてネイティブにはごく普通の慣用句なのだし、ただ詰め込みに覚えようなどと考えずに自然に楽しく覚えられた方が良いのだ。多くの受験生はIdiom博士かもしれないけれど、Idiomは使わなければただの宝の持ち腐れだと思う。より会話をスマートにする道具は、使って初めて価値が出る。


Feb 16, 2004

く日本の商品は過剰包装だと言われる。確かに私もそう思うことが多いけれど、チョコレートやクッキーのように“ちょっとだけ”食べたいお菓子は個装されている方がありがたい。何種類かのお菓子を買って、気が向いた時に食べたいものを食べる。個装されていればいつでも開けたての味なのが嬉しい。食品に関して言えば、過剰包装は便利さと品質をキープするために必要なのだろう。

の中に無造作にざらざらと入っているお菓子の場合、一度袋を開けてしまうと湿気たりして鮮度がどんどん落ちてしまう。自分1人で袋入りのお菓子を買って、美味しいうちに全て食べきるのは思いのほか大変なのだ。悪くならない内に消費しようとつい食べ過ぎて、しまいには途中で飽きてしまう。そして結局、まだ残りがあるのに他の味を求めるあまり、家には開封済みのお菓子の袋がゴロゴロ・・・となってしまうのだ。お徳用だからといって勢いで買っても、結局無駄にするのでは勿体ない。

メリカの食べ物は、まさに後者のお徳用タイプだった。見ているだけでお腹一杯になるような分かり易いパッケージには、上品さもセンスの欠片も無い。しかし、そこはさすがにボリューム命の国。個装されているのは、キャンディーバーや割高のスナックパック(学校に持っていく風の、小分けスナック)、それに一部の高級な物だけだ。チョコレートもクッキーも大量が基本で、そうでなくては定番商品には成り得ないらしい。

つて私はスーパーで途方にくれていた。ふとクッキーが食べたいなぁと思っても、最小単位が“ドサッ!”である。パッケージを1つ手に取ると、ずしっと重い。これには買おうか買うまいかと悩んでしまうけれど、物は試しにと買ってみた。だからジップロックのように密封保存できるビニール袋は常備品だった。時には冷凍保存してみたりして、無駄にしないようにと努めていた。

んな風に努力をしてみたものの、大ボリュームの食品には参った。最初こそ美味しく食べていても、必ず途中で飽きてしまい、もう半年は要らないという気分になる。日本の個装された食べ物に慣れ親しんでいると、大量な食べ物のプレッシャーはきつい。逆にアメリカ人が日本の“ちょこっ”としたかわいいお菓子をどう思っているのか、気になるところである。かなりの日本通の人でなければ、個装は良いけれど高いし少ない!と言うのではないだろうか。個装が必要かどうかは、きっとお国柄が大いに関わっている。


Feb 14, 2004 Happy Valentine's Day!

「世界中の男の子達が、今日はチョコレートを待っているんですよね〜」と、ラジオのDJが喋っているのを聞いて、「いや、それは日本中の間違いでしょ」とツッコミを入れたくなる意地悪な私。まったく、バレンタインなんてチョコレート会社の陰謀じゃぁ〜!などと、ロマンの欠片も無い。(なんて騒いでおいて、もしも思いを寄せている男性に、女性の方からチョコレートを贈る習慣がある国が他にもあったらゴメンナサイ。)

面、そんな風にひねくれていないで、既婚&子持ちとはいえ、やっぱり私もバレンタインデーぐらい参加しなくちゃダメなのだろうか?とも思う。少なくとも既成のカップルには「・・・○○くん、好きです・・・(もじもじ)」と、渡す方も渡される方もドキドキするようなフレッシュなバレンタインデーではなくなっている。バレンタインデーの初々しさは、付き合いの歴が長さに反比例するのかもしれない。

年のバレンタインデー、夫が会社帰りに花束を買ってきた。夫曰く、道端に花売りが出ていたので、ちょっとだけアメリカ男性のようにしてみようと思ったらしい。私はちょっと驚いたけれど、この粋(?)な演出に喜んだ。そんなことをふと思い出し、私もカワイイ奥様路線を自主放棄するのにはまだ早いかも?と思いとどまった。さてと、それじゃぁ今年は何をしようかな、美味しい物でも食べようかな・・・。しかし。考えてみたら夫は出張なのだった。ゴーン。


Feb 13, 2004

本の電話機に付いているナンバーディスプレイ機能は本当に便利だ。電話に出る前にかけてきた相手の電話番号が表示されるので、知っている番号ならば第一声から安心して話ができるし、非通知ならばあらかじめ警戒しておける。(自分の電話機がナンバーディスプレイに対応していても、事前にNTTに有料の使用申込みをしなければならないのが頭に来るけれど。)

が初めてナンバーディスプレイを申し込んだのは、まだ独身の頃だった。ある休日にいつものようにのんびりと過ごしていたら、その幸福感を台無しにするような悪質ないたずら電話がかかってきたのだ。

が電話に出ると、知らない男性が一方的に話してきた。そしてまるで私のことを知っているかのようにこう言ってきたのだ。「俺はお前に警告するために電話してやってる。俺の先輩でヤバイ(危険な)人がいて、車の中から声をかけたら無視されたとか言って、お前に目をつけているらしい。心当たりないか?このままだと先輩は手下の奴に命令して、お前はどこかに監禁されるかもしれない。そうなったらどうなるか、俺は何人もかわいそうな女の子たちを見てきたんだ。だからお前のことを見逃してやってくれって先輩に頼んでやるから、いう事を聞け。・・・云々。」今思い出しても気持ちが悪い。

直、即いたずら電話だと思った。普通に考えたらそんな訳無いだろう。でも、相手は私の住んでいる場所を知っているかのように話して来た。何処どこを知っているか?とか、○○駅にいただろう?とか、相手の言っていることが妙にローカルな内容だったせいで、絶対にそうだと言い切れなかった。今思えば○○駅なんて誰でも利用するような場所だし、実に当り障り無い、単なる誘導尋問だったのだろう。それでも、少なくとも二十歳そこらの当時の私を怖がらすのには十分だった。ハッタリか本当か。もし本当ならば警察に知らせるべきだ。しかし、通報したところなんの証拠も無いし、相手にもされないのではないか?仕方なく私は相手の話をもう少し聞くことにした。すると、相手は私が脅されているのをいいことに、少しずつ話をいやらしい方向へ持っていくではないか。ここで、私は電話を切った。

話を切ってから、私はすぐに電話帳を開いて、ついさっき自分の家に電話をかけてきた相手の番号を問い合わせようとした。しかしそのようなことは一般市民に出来る訳も無く、いたずら電話の被害者はそのまま泣き寝入りするしかないという。電話番号がいかにプライベートな情報とはいえ、いたずら電話をかけてきた相手を保護して、かけられた方が迷惑するようなルールに、この時私はひどく腹を立てた。仕方なく私は悶々とした気分のまま家電店に向かった。そしてナンバーディスプレイ対応の電話機を買って、その日のうちにNTTに申し込みをしたのだ。

のいたずら電話で、片耳を通じて全身に行き渡った気分の悪さを吐き出すのに、その後何日もかかった。それからと言うもの、私の電話はいつもナンバーディスプレイになっているし、非通知の相手からの電話は慎重に取るようにしている。とはいえ今や非通知の9割以上が一方的なセールスだから、留守番電話に相手をさせておけばよいのかもしれない。この日記を書く前にかかってきた非通知のセールス(カビだらけで面倒なエアコン掃除がたったの1000円!というようなものだった)のおばさんがあまりにもベラベラ喋って失言してしまったせいで、そんなことを思い出したのだ。


Feb 11, 2004

月11日が建国記念日だったなんて、カレンダーを見てようやく思い出した。日本人のくせに、建国記念日すら忘れていたとは!ひたすら毎日を消化しているだけで精一杯で、カレンダーやら行事やらに無関心になりつつあるようだ。情けなや・・・。(もちろんアメリカのカレンダーもチンプンカンプン。)

inimuが生まれてからというもの、ゆっくり映画を観る機会がグッと減っていた。2時間もの間をテレビの前に釘付けになるのは、赤ちゃんと一緒ではなかなか難しいのが現実だからだ。それでも昨夜は祝日前というリラックスした気分のせいか、久し振りに最初から最後まで通して映画を観た。数年前に一部で話題になっていた香港映画「少林サッカー」である。周りの「面白いよ」という評判と、ブルーリボン外国映画賞受賞作ということに加えて、アメリカで公開された時にもサプライズヒットとしてメディアで紹介されていたりして、密かに気になっていたのだ。

が家にはテレビが一台しかないので、映画を観ているの間は私がチャンネル権を独占してしまうことになる。仕方なく夫に「前からこれが見たかった」と断っておいた。始めこそ「何この(怪しい)映画〜・・・」とぼやいていた夫だったけれど、映画の展開に次第に一緒に見始めていた。

トーリーは至極単純。拳法の達人で、世間に少林寺拳法を普及させたいと思っている青年が、今は落ちぶれているけれどかつてはサッカーのスター選手だったというオッサン(という感じなの。)に見初められて、少林寺技を駆使したサッカーでスターになって行くというお話である。その途中で登場してくるキャラクターの面々は、敵も味方も濃い〜・・・。

言で言うなら「少林サッカー」は終始漫画のノリで突っ走る、ツッコミどころ満載の、拳法とサッカーのアクション&コメディーという感じである。ベタベタにくだらないけど、プッと笑わせてくる空気が面白い。ワイヤーアクションに怪しげな(しかもバレバレ)CGの使い方に、オーバーアクション等々・・・。始まって5分で好き嫌いがはっきり分かれそうな映画である。それにしても、アメリカでウケたというのには強く頷ける。アメリカ人は分かり易くて過激でちょっと下品な笑いと、最後は正義が勝つ!という王道の展開が大好きだからだ。


Feb 10, 2004

本の食肉がじわじわと高騰している。アメリカの狂牛病発覚(発生というか、発覚だと思う)による米国産牛肉の輸入停止から始まり、鳥インフルエンザの蔓延によるタイと中国からの鶏肉の輸入停止、それに加えてアメリカからも鳥インフルエンザの感染例が報告された事を受けて、米国産の鶏肉も輸入停止の措置が取られているからだ。

れらの問題のあおりを受けて、精肉売り場に変化が起こっている。全体的にグラムあたりの単価が上昇してきているし、安全性を疑うためか輸入品の肉から遠ざかる消費者が増え、国産というシールが貼られた肉はますます値上がってきている。米国産と書かれているだけで豚肉も売れ行きが悪そうで、ショーケースに申し訳なさそうに並んでいるパックの山には哀愁さえ漂っている。一度消費者に根付いた悪いイメージを払拭するのは大変なのだ。

丼の吉野家が、ついに11日で看板商品である牛丼の販売を一時中止するという。アメリカからの輸入牛肉で実現させていたローコスト(といっても業界全体から見れば高いが)だったのだろうし、アメリカがダメだからと言って、いきなりオーストラリアからの輸入牛肉に切り替える事は出来ないだろう。経営はかなり切羽詰った状況なのだろうし、とても気の毒なことだと思う。築地にある本店だけは和牛を使った牛丼を販売するというので、本当にマニアな吉牛ファンは和牛バージョンを食べに駆けつけるのかもしれない。でも、販売値段は約2倍だったりする。

品の自給率が低い日本のような国は輸入に頼るしかないけれど、肝心の輸入が出来ないとどうなるか、この先を想像しても明るい展望が待っているとは言い難い。これまで牛、鶏と来て、今後豚にも鳥インフルエンザが流行したらどうなるのだろうかと思ってしまう。もちろんどんなに厳しい状況になっても、国産の安全で美味しい高級肉がある所にはあるし、買える人には買えるだろう。でも、買えない人はどうすればいいのだ?例えば夕食の支度で牛肉が必要なのに高級和牛しか売られていなかったら、その値段が自分で出せる金額の限度を越えてしまっていたらどうしようか。この先“買える人にしか買えない”なんていう悲しい事態に陥らないことを願うばかりだ。


Feb 8, 2004

いこと買おうか買うまいかと悩んでいたクッションをついに買ってしまった。我が家はコタツ生活なので、食事もダイニングテーブルと椅子ではなく、コタツを囲んで床に座っている。食事以外にもパソコンや書き物もみんなコタツで行うため、座り心地のよい座布団や座椅子は必需品なのだ。

近のクッションは進化していると思う。見かけただのクッションと思いきや、中に低反発ウレタンが入っていたりパウダービーズが入っていたりして、座った時の感触がとても良いのだ。その代わり1個の価格がそれなりにしてしまうけれど、生活に心地よさを追及するのならばこういう部分に出し惜しみしてはいけないのかもしれない。何せ毎日私の重たいお尻の下に敷かれる物なのだから、ちょっとやそっとで潰れてしまうようなヤワなクッションではお話にならない。たかがクッション、されどクッションなのだ。

ょっとセンスの良いインテリアや、色がきれいな家庭雑貨を扱うFranc francは、私の好きな店である。ただし“好き”とは言っても、そこで売られている物は決して安くないので、大抵は店内のディスプレイを見てアイデアだけを貰ったりして帰ってくるのだが。しかし、1ヶ月も前に初めて見た時からずっと気になっていたクッションだけは別だった。それは直径60cmぐらいの丸クッションで、赤や紺やベージュなどのベーシックな数色が揃っており、中にはパウダービーズが程よい固さで詰まっている。クッションが積み上げられている様を遠くから見ると、カラフルな巨大どら焼きが重なっているような感じだった。

のクッションのサンプルを試して座ってみると、これがとても気持ち良い。体重に押されたパウダーがクッションの中を移動して体の形にフィットするので、埋もれた身体を自然に支えてくれるのが良いのだろう。ちなみに値段を見ると、「う〜む・・・」という感じだった。1個3900円というのはクッションにしては高い方だと思うし、もしこのクッションを買うのならば、2個買わなければ夫婦揃って使えない。(1個だけ買ったら、間違いなく夫に占領されるであろう。)でもそうしたらただのクッションに8000円も出さなければならない。

んな訳で悩むこと1ヶ月。最後には夫と一緒に店まで出向き、座り心地を今一度チェックした後で決断しようという事にした。そして実際に座って、値札とにらめっこして、ようやく決めた。よしっ2個買うぞーっ!長く悩んだ甲斐あって、手に入れたクッションはとても気に入っている。ラグの上に重なる巨大どら焼きも部屋に馴染んでなんだかカワイイ。これでますますコタツから出られなくなりそうだけど、3900円分は大活躍しそうな予感にとりあえず満足である。


Feb 7, 2004

っという間に2月も1週間を消化した。早いぞ。ちょっと焦りを感じつつ、今日は趣向を変えて私が暮らしにこだわりたいこと、気持ち良い主婦生活をキープするのに心がけたいことなどをいくつか書き出してみた。

ひとつ。朝起きたままの格好で半日以上すごさない。
ただでさえ冬は着替えが面倒に思える。天気が悪いと下手すると1日中そのまま・・・なんて日もあって、そうなると完全にだらけモードになってしまう。着替えると気分もスッキリ、やる気もムクムク沸いてくる。

ひとつ。1日1回は外に出る。
外と言っても玄関やベランダではない、どこかへ行こう。天気が良い日はガラス越しではない日光を浴びよう。外の空気を吸い、人と会話をし、家以外の場所に自分の存在感を見つけよう。

ひとつ。部屋の中には常にいくつか植物を置く。
緑がある部屋が気持ちが良いという、それだけの理由。育ってくると、また愛着が湧くもので。

ひとつ。豆を挽いてコーヒーを入れて、お気に入りのお菓子を食べる。
私はコーヒー派ながら、時間がないとインスタントやレギュラーに走りがちである。だから、これは出来るだけ豆を挽いてコーヒーを飲みたいという希望というか、理想だったりする。せっかく豆をいくつか買い置いてあるのだから、お茶に一手間を惜しまない時間の使い方をしたい。豆を挽いただけで部屋に漂う匂いだって、なんだか幸せになれる。毎日とは言わないけれど、3日に1日はやろう!

ひとつ。ゴミは溜めない、特に紙類を散らかさない。
片付け下手な人間は、ざくざく捨てるに限る。しかし。実は土曜日のごみ収集に、寝坊して間に合わないことが最近の悩みなのだ。何でよりによって週3で、しかも土曜日の朝、9時前に来るのだ?横浜市よ・・・。

ひとつ。寝る前には布団乾燥機をかけておく。
冷たい布団に入るのは悲しいので。冬限定。

ひとつ。洗濯は寝ている間にしてしまう。
朝の8時過ぎ、夫が会社に行った後で洗濯を始めると、私が洗濯物を干す頃にはご近所の真面目な奥様方のベランダにはすでに洗濯物がきれいに並んでいる。これには何故か、ひどく自分だけが出遅れた感じがして、ちょっと悔しい。そんな訳で、私は洗濯タイマーを駆使し、今や8時半には洗濯を干し終えているというハイパー主婦(?)に変貌を遂げたのであった。めでたしめでたし。

ひとつ。包丁はいつも磨いでおく。
固い野菜もサクサク切れる包丁でないと、私は料理する気持ちがいまいち乗らなくなる。これはきっと学生時代からの習慣のせいだろう。切れる包丁は、料理をとても楽にする。

ひとつ。この日記を書く。それが、やっぱり基本です。


Feb 5, 2004

分を過ぎ、暦の上では春だといっても、2月の上旬はまだまだ寒い。それにしても今年は全然雪が降らないから、片や雪が大当たりのNYが別世界のよう・・・(実際、まるっきり別世界だけど)。

レッジに通っていた頃、大雪の日は学校に行く前に授業がキャンセルされていないかチェックするのが習慣だった。夜のうちに雪が積もった日は朝の光が眩しくて、これは雪だなとベッドから起き上がる前から分かった。思い出すのは、どんなに吹雪がシリアスな状況でも、私にはいつも冒険のようなドキドキ感があったことで、こればかりは大人になっても変わらないのだと知った。そういえばESLは中南米からの留学生が多かったので、雪の日は妙に盛り上がっていた。長年そこに住んでいる人々よりも、雪が珍しい場所から集まった私たちの方が感じるものが新鮮だったのだ。いくつになっても、雪にウキウキと心躍るほうが楽しい。こうして、今も横浜に雪がつもる日を心待ちにしている私である。

まりにも雪が降り過ぎると次第に“希少価値”が下がってしまい、だんだんロマンティックに感じられなくなって、いつしか疎ましい存在に思えてきそうだけれど、逆に全然雪が降らないと今度は物足りなくて、今か今かと待ちわびる。確かに自分が子供だった頃よりも、今の方が雪が降らなくなっている。ずっと昔に原っぱで雪合戦をしたり雪だるまを作った事があったけれど、いつか自分の子供にも同じような経験をさせてあげることが出来るだろうか?


Feb 4, 2004

メリカ本国のみならず、ゴシップ大好きな日本のワイドショーまでも騒がせているジャネット・ジャクソンの“おっぱいポロリ”事件。こんな話を日記で書くのも下世話な感じだと思いつつ、アメリカのメディア事情を考えると「ひえ〜信じられない!」という思いがしたので、そのことを書いておこうと思ったのだ。 

題とされるジャネットのパフォーマンスが行われたのは、アメフトの祭典、NFLスーパーボウルのハーフタイムショーである。NFLスーパーボウルとはアメリカ最大のスポーツイベントで、生中継は毎年高視聴率を記録している。シーズンが近づくと人々は徐々に盛り上がり、試合当日は家族や友人とTVの前に集まってゲームを観戦する。ビール片手に応援したり野次ったり、楽しく大騒ぎするような伝統の一大イベントなのだ。

ーパーボウルのハーフタイムに行われる一流歌手を招いた豪華ライブもイベントの大きな目玉で、近年ではこのショーがどんどん派手になり、あまりにも過度な盛り上がり方をしてしまうのが本来の意図(スーパーボウルがメインで、ショーはおまけであるということ)と逆転してしまっているような感がある。ジャネットのパフォーマンスはこのハーフタイムショーのトリだった。

ョーの最中に何があったのかというと、ジャネットと共演していたサプライズ・ゲストのジャスティン・ティンバーレイク('N SYNCのベビーフェイスの人、元ブリトニー・スピアーズの彼と言えば有名かも)が、歌の最中にジャネットの胸元を掴んで衣装を引っぱった時に、ジャネットの片方の胸が丸ごと露出し、ばばーんとお茶の間に生中継されてしまったというハプニングだ。ハプニングといってもこれは彼らの仕組んだ演出で、まさかこんな大問題に発展するとは思いもしなかったらしい。

本と比べて、性的にずっと開放されて進んでいるというイメージがあるアメリカながら、実際にはテレビや出版物のように万人が見てしまう可能性がある事へのポルノ規制はとても厳しい。性的なこと以外にも、暴力やスラングのように人に悪影響を及ぼすかもしれないシーンが多く含まれていれば成人指定されてしまう。当然メディアへの行き過ぎた肌の露出や性的描写などはタブーとされている。アメリカのテレビ番組には必ずPG(Parent's Guide)というレートが付けられているけれど、これは親が子供の見る番組を選ぶ際に判断するための安全基準なのだ。

からこそ、家族揃って楽しむスーパーボウルの最中でいきなり登場してしまったジャネットの胸は普通では考えられないような大変な事だし、あちこちから非難が集中してしまった。なんてハレンチなんざましょー!といった感じだ。加えて、このイベント自体の伝統が汚されたというイメージもとても大きい。ジャネットは大変申し訳ない事をしたと謝罪しているけれど、後の祭りといった感じ・・・。マイケル・ジャクソンの子供への性的虐待が疑われているだけに、妹であるジャネットはキチッとしていないとまずいのではないだろうかと思うのは余計なお世話なのだろうか。


Feb 3, 2004

し振りに雨が降って、また寒さが戻ってきた。

00円ショップを徘徊する時は、買い物カゴを出来るだけ持たないようにしている。ひとたびカゴを持ってしまったら、きっと“100円の魔力”に引っ掛かって、思いつくまま手当たり次第にぽんぽん物を放り込んでしまうからだ。持てるだけの限界がきたら、人は買い物を切り上げるという調査結果もあるらしい(多分・・・)ので、無駄買いをしないためにも100円ショップには素手で乗り込むのだ。

ちきれないと買い物を切り上げるという調査結果という出所は何なのかというと、数年前に読んだ「アメリカのスーパーマーケット」という本で、そこに面白い事が書かれていたのだ。

メリカのスーパーマーケットにはじめてカートが導入される前、人々は各々の買い物カゴ(籐で編んだようないわゆるカゴ)を使って買い物をしていた。しかし、その買い物カゴがいっぱいになるか、または重すぎて持てなくなると、人々はそこまでで買い物を止めてしまう。そのことに目を付けたとある店が、カゴの代わりに巨大なカートを使うことを思いついたのだ。カートを使ってもらい大量に買ってもらえれば、カートをそろえるための初期投資は小さなものになるし、後々まで大きな利益をもたらしてくれるという訳だ。

ートの出現は人々の買い物を変えた。始めは戸惑っていたお客たちも、カートを使えば量も重さも気にせずに大量に買い物が出来るという便利さに気付くと、あっという間にカートがあらゆる店に浸透したのだという。アメリカのスーパーで見かけた巨大カートには、そんな誕生秘話があったのだ。そういえば、スーパーでカートを使わない日は確かに買い物が早かったよなぁ。・・・すっかり話が脇にそれたけれど、そんな訳で、100円ショップでは素手で!ということなのだ。


Feb 1, 2004

なとみらい線とともに、横浜に新しい変化の時がやってきた。1月末に、長年親しんできた東急東横線の高島町、桜木町の駅が無くなり、それに変わって横浜駅からみなとみらい地区に向かう新たな地下鉄が開通したのだ。東急東横線の横浜駅は地下に潜ってみなとみらい線との相互乗り入れ運転を行い、これまでの地上駅から桜木町までの線路跡は遊歩道になるという。どんどん変化する、ヨコハマ。

便利になったと思うのは、みなとみらい地区から山下、元町、中華街にかけての点在するスポットがぐぐっと身近な存在になったということで、おまけに特急電車を利用すれば渋谷から僅か35分で元町・中華街まで行けてしまうというのも信じられない進化だ。当然買い物も散歩も楽々になり、都内からでも、ちょっとお出かけしてみようかと思わせるほど距離感が縮まった。

急の横浜駅が地下深くに潜ってしまったというのは、遅刻魔の私にとっては少々不便かもしれないけれど、横浜駅での乗り換えはスムーズになったのは嬉しい。駅の構造は、現JR横浜駅の改札がある階よりも下に新しい地下駅を作ったような形で、何年も前から続いていた工事現場のような駅コンコースがようやく形になったということなのだろう。横浜は何本もの路線が交わる駅なだけに、工事も11年がかりだったらしいとニュースで見たけれど、11年も前から現在のようなみなとみらい地区の繁栄を予期していたということなら、なかなかの先見だと思う。

989年に桜木町で開催された横井浜博覧会のことを覚えている。その頃、みなとみらい地区はまだまだ発展途上の埋立地という感じで、博覧会の場所以外は何も拓けていなかったように思う。それから15年という歳月が流れ、次々と高層ビルやホテルが建ち並び、今やすっかり様変わりしたみなとみらい地区。子供の頃から何度となく訪れた街の移り変わりを眺めながら古い思い出を拾い集めてみると、自分も街と同じように年を重ねて変化しているということに気付く。

浜博覧会の時に作られた観覧車は、場所と大きさを変えて今もみなとみらいの名物となっている。そうだ、もう1度観覧車に乗ってみようかな。今度はminimuも連れて、変わり行く街の姿を空から見下ろしてみよう。もちろん、みなとみらい線フィーバーのほとぼりが冷めた頃にね。




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