miyamu's
DAY BY DAY

アメリカ徒然日記
アメリカ生活いい感じ。
いいトコ探せばいい感じ。
いいコト出来ればいい感じ。
いいヒト出会うといい感じ。

December2002
Back Numbers ★過去の徒然日記
Dec 31, 2002

晦日に、今年一年の事を思い返すのは毎年の事。私にとっても今年はどんな一年だったろう。気合を入れなおす始まりはいつもと同じで、でも去年とさほど変わりなくしているうちに、いつの間にか何ヶ月も生きてしまったというのが正しい所だ。途中にいる時はいつも一生懸命だったり、喜怒哀楽の色々な気持ちを味わったりしていても、こうして1年の一番最後に振り返るといつも凝縮されすぎてよく分からなくなる。

年は・・・まずコミュニティカレッジに通った。初めてのクレジットクラスを体験した。新しい友達も出来た。1人でちょくちょく出かけた。旅行に行った。日本に行った。1つ年も取って、アメリカで2年経った。それに、このサイトを立ち上げた(これは大きいね!)。書き出してみれば盛りだくさんである。

うとう今年も最後の日になってしまった。なんてあっけなく、そっけなく。そのように感じるのはアメリカと日本の新年の迎え方がまるで異なるためなのだろう。今、これを書いている時間は朝の9時50分。日本時間は31日の夜、11時50分。年末のカウントダウンを間近に、1番気持ちも盛り上がる頃なのだ。

メリカは、カレンダー上の祝日として1月1日だけが休みである。こうも短い期間では、日本のように家族で新年の挨拶をしたり、御節やお雑煮をつついたり、お年玉授与式があったり、初詣や初夢があったり・・・全然しない。年賀状の束を届けに来る郵便のバイトさんを待つソワソワした気持ちも、もちろん無い。日本で生まれ育って、長年お正月を迎えていた私にはサッパリとしすぎで物足りなさを感じる。きっと体に染み付いた習慣があるのだ。やはり私は生粋の日本人。ピザよりも餅が好き。

のニュースでオーストラリアだったか、南半球の国で新年を祝う花火が放映されていた。あと数十分で日本は新年になるため、ニュースで日本の映像(お祭騒ぎ、渋谷の交差点など)が映し出されたらどうしようかと楽しみのような、不安のような・・・あまりに盛り上がりすぎて大騒ぎする若者が「これが日本の年越し風景です」として報じられるのは困る。アメリカでは自国以外のニュースはほんの小さな切り口だけしか流れないのだ。(しかも思い込みが激しい)

夜はNYのタイムズスクエアでカウントダウンがあるので、あと半日もしたらこちらも一時のお祭り騒ぎの時を迎える。夜の天気は曇りか雨なので、お出かけになる人はくれぐれも防寒対策を欠かさずに!ああ、こうしているうちにもうすぐ新年の瞬間(日本)がやってくるぅ〜!では・・・改めて、

年は一年を通じ、お世話になりました皆様方には心より御礼を申し上げます。
しい年も、どうぞよろしくお願いいたします。       管理人 miyamu


Dec 30, 2002

メリカのプールは塩素臭いように思う。きっと日本よりも規定の濃度が高いのだろう。泳いだ後にシャワーで体を洗っても、乾くとまだ体に塩素の匂いが残っていることに気付くのだ。自宅でゆっくり体を洗うとさすがにスッキリするけれど、残留塩素で肌が荒れたりしないだろうかと、ちょっと心配なお肌の曲がり角・・・。

ールで泳いでいる時、ターンの前にしばらく立ち止まっていると隣のレーンから話し掛けられる。いつも「あなたの泳ぎはきれいね」と言われるのだ。声をかけてくるのは年配の女性が多く、これは私にとって嬉しい誉め言葉だ。子供の頃に水中で目が開けるのを恐れていた頃、私はカナヅチだった。スイミングスクールに通いだしてからは水にも慣れて一気に上達したけれど、今でも初めて水中で目が開けられた時のことを覚えている。だから今こうして泳げていることに、自分でも満足しているのだ。

は泳ぐ時に、余計に水しぶきをあげないでのびのびとするのが好きだ。自称、省エネ泳法で長い距離をゆっくりと泳ぐ。ただがむしゃらに水を蹴っても進まないものだ。静かに延々と泳いでいる姿は、豪快に水しぶきをあげて泳ぐアメリカ人から見ればとても大人しいのだろう。それで私の泳ぎがきれいに見えるのかもしれない。

日、いつものように「あなたの泳ぎはとてもきれい!」と言われた。でも、その後で「まるでeelみたい。」と続いた。え・・・うなぎ?思わず自分の耳を疑った。何と・・・私はうなぎ泳法だったのか!?思わずうなぎが泳ぐところを想像した。静かそうだけど、似ているといわれるとちょっと微妙な心境だ。でも、もちろん純粋にお褒めの言葉を頂いたのだし、喜んでおかなくっちゃ。eelでもいいじゃない、一応、魚だし!


Dec 29, 2002

び、乾燥の話。冬の炊事、洗濯などの主婦業は手が荒れる。まして乾燥地帯のNYである。外出時は必ず手ぶくろを付けて、事ある毎に保湿クリームを塗っておかないと、ちょっと油断した隙に人前に出すのがちょっと恥ずかしい手荒れになってしまう。

こで私が思い出すのは、学生時代のアルバイト場所にいた不良中年のHさんである。Hさんは40代くらいの独身男性で、昼間は謎の販売業を、夕方から夜は私と同じアルバイトをしている人だった。かといってお金に困っているわけでもなく、時に羽振りがよさそうにさえ見えた。乾燥の話をしている途中で何故にHさんの話題が出るのかというと、この人は、手や肌の状態で年齢を当てるという特技を持っていたからだ。

さんは、さすが独身の不良中年というだけあって、時々銀座赤坂あたりのクラブに出没してはきれいなお姉さんとお酒を飲んだり、ちょっと口説いてみたりしていたらしい。(こういう話を仕事中にしていたのだ。)プロのお姉さんは、年齢をごまかしていることが多いらしく、ここでHさんの技が磨かれていったというのだ。

は、顔や指先などのように目に見えている場所には気を配り、こまめにケアをするけれど、死角はほったらかしになってしまいがちだというのが、Hさんの持論であった。そんな彼にはクラブのお姉さんに年齢を聞いては疑いを抱いた場合、必ずすることがあり、それは「女性の肘を見せてもらう」ということだった。肘は体の見えにくい場所で、なおかつ乾燥や皮膚の老化が著しく現れるところなのだそうだ。

時の私は、肘に特別気を使ったことなど無く、そのひとことにドキッとしたのだ。鏡の前で腕をねじって、肘のたるんだ皮膚を見てみた。すると、毎日保湿クリームを塗っているような他の場所よりも明らかに老化しているように見えたのだ!Hさんおそるべし。それ以来、すでに長い時が経過した今も、いまだにHさんの言葉を肝に免じ(?)保湿は肘も!を心がけている私なのだ。


Dec 28, 2002

今年最後の週末・・・。

本からわざわざアメリカ宛てでポツポツと年賀状が届く。来年の干支が羊年なのかとか、平成は15年なのかとか、こういう時に思い出される。そうか、平成も15年・・・。

成といえば、平成の天皇陛下が癌の集中治療を受けることになったと、アメリカのニュースでも聞いた。さすがに皇室の大きな話題ともなるとアメリカのCNN等でも放送されるようだ。ちなみにこの前にアメリカで聞いた日本の皇室ニュースは、皇太子夫妻に誕生した子供が女の子だったというニュースだった。日本国内では年末の何かと騒々しく忙しい時期で、この話題はどのように扱われているのだろうかと気になる。

つぶしに借りてきた日本語のビデオを見た。2002年の総集編的なスペシャル番組が多い中で、本当に久しぶりに歌番組を見た。かなり私の知らない歌手が増えている。ファッションを見ても、今年も知らない流行が沢山あったらしい。さらになんと言っても、日本の歌手が低年齢化していることに驚くばかり。ううむ・・・そんな風に感じる事自体、私も年をとっている証拠なのだ。

と思ったのは、日本の芸能界は大丈夫なのか?ということだった。もしもこのままどんどん低年齢の芸能人がTVを引っ張るようになったら、年末や新年などの夜遅くまで続く番組に出られる人はそのうち売れない芸能人ばかりになってしまうのではないかと思うのだが。

本には児童福祉法や労働基準法などがある。そのため、生放送の場合、9時過ぎにはスタジオからだんだん若い芸能人の数が減ってしまうし、さらに10時過ぎには18歳以下の人は姿を消さなければならないはずだ。去年の紅白のビデオを借りた時にも、モーニング娘。の人数が少しずつ減って行き、最後にはほんの僅かに(お姉さん組だけ)なってしまっていた。これはなんだか寂しい。でも、やはりあまりにも若い人に深夜労働をさせることは良くないし、こういったの法律が変わることはないのだろう。


Dec 27, 2002

近の乾燥のせいで、唇の皮が毎日のように剥がれてしまうので困っている。保湿をしても、唇の回復が追いつかずに1日1回は脱皮しているような感じ。乾燥した唇の皮が中途半端に剥がれていると、私はそれがどうしても気になって、それを取ってしまいたくなるから余計に治らないのだ。唇が縦に切れてしまうとかなり痛い。早く醤油やトマトが染みないようになりたい・・・。

昨日の大雪は1日だけでやんだものの、深夜にはかなり深く積もっていた。翌日のことを心配しつつ、寝ることにした。翌朝、目覚めてから家の前の通りを覗いたら、夜中の間に雪かきのトラックが来たらしく、雪が道路の脇に寄せられていた。この対応の速さはさすがである。その代わり、みやむー号は外観がわからないほど雪に覆われており、これだけは自力で何とかしなければならない。

が積もったみやむー号を雪かきするのは、夫の役割になっている。ガラスに付いた雪や氷と、ボディに積もった雪を落としてワイパーを立てて、車の周りにある山の雪をどかす。それだけでも非常な重労働なので、どんなに寒い日にも雪かきが終わることには夫は汗をかいて戻ってくる。雪は見かけによらず重たい。

の雪かきも、車の屋根に積もってしまった分は簡単には全て降ろす事が出来ないので、大抵はそのまま放っておく。日中の暖かな日差しを受けてある程度は融けるし、その内無くなるからだ。(でも、雪が積もったままで車に乗ることもある。そうすると、高速道路に乗ったときに私の車の屋根から次々に舞い落ちる雪と水滴で、後ろを走る車はひどい迷惑を被る・・・ゴメンなさい。)

の住む辺りでは、雪が降るとそれが凍らないように砂や塩の合成物を撒く。これは確かに効果があるものの、雪と塩が混ざってぐしゃぐしゃになった道を走った後の車は非常に汚くなってしまうのが玉にキズだと思う。ガレージに入っていた夫の車も、外出の後には塩の乾燥した白い汚れがこびり付いて、相当汚れていた。この塩を放置しておくと車が錆びやすくなるので、早めに洗車しなければ!


Dec 25, 2002

気予報のとおり、朝からの雨が午後になって雪に変わった。とても勢いよく降るものだから、すぐに外は銀世界になってしまった。本当にホワイトクリスマスになった。この雪は夜になっても止まず、今も降り続いている。大分積もってきたようなので、明日はバーゲンと勇んでいたのに朝いちで雪かきかも!?それにしても風が強いので、吹雪のよう・・・。

んな寒い夜には、停電だけは勘弁して!と祈るしかない。実はあまりの強風で、さっきから時々窓枠がミシッと鳴っている。さらに電圧が不安定になっている。これは停電の兆し・・・。日本で停電というと、丸っきりの闇で電気が完全に停止する感じだが、私の近所では強風などで波があるのか、いきなり部屋の照明が半分くらいのパワーになったり、すぐにまた明るくなったりする。だからこのような停電の兆しがある時は危ない。いつ本当に電気が止まるかも分からない。

ーゴーと鳴る風を聞きながら、ふと日本のことを想像する。クリスマスが過ぎると、日本国中で気分はもう大晦日、お正月になってしまっているのだろう。クリスマスケーキの半額から、のし餅の販売、お年玉袋の用意、アメ横、レコ大に紅白、年越しそばに除夜の鐘。そしてやってくる新しい年。子供達には冬休み。情緒があって楽しい季節だ。

越しといえば、NYのタイムズスクエアで毎年催される12月31日のカウントダウンはこちらでは大きなイベントだと思う。アメリカのように国内に4つの時間帯がある国は、新年を迎える瞬間にも4種類あるのだから不思議に思うが、なにしろNY(東海岸時間)では最初の年越しが出来るのだ。

はこのカウントダウンをいつもTVで見ている。実際に現場に行くとなると躊躇してしまうし、気合が足りない。これは体力勝負の長期戦なのだ。多くの人は場所取りのために半日前からタイムズスクエアに行き、そこで深夜0時を待つ。あまりの混雑で動けず(動いたら最後自分の場所などなくなってしまう)、トイレにも行けず、お腹が空いて、飲み物も飲めず(トイレに行きたくなるから)、何よりとてつもなく寒い。冬の夜を動けない場所で過ごす寒さはハンパではない。(靴に入れるホカロンやチョコレートバーなどを大量に持ち込み、商売が出来てしまうらしい!?)

分が消極的なくせに勧めるのは何なのだが、生でカウントダウンを体験するのは素晴らしいと思う。もちろん寒さや苦痛をこうむるけれど、その代わりにその場所でしか得られない感動や興奮があることは確かだ。カウントダウンの雰囲気はTV越しでも存分に伝わってくる。紙ふぶき舞い散る中で仲間と抱き合い、キスをして、隣近所の見知らぬ人と握手をして声を掛け合い、盛大に新年を祝うのだ。あまりの輝かしい光景に、誰だって幸せになれてしまう。これを実際に見たら・・・翌年はきっと頑張れる!

ういえば私にも似たような思い出がある。高校生のときに、除夜の鐘を聞きに鎌倉まで行き、そのまま初日の出を拝んで帰ろうという計画を実行したのだ。夜に仲間と待ち合わせをするなんて滅多にないことで、私にはそれだけでも十分気持ちが盛り上がってくるように思えた。11時半ごろから鐘を聞き、その後は海岸で何時間も日の出を待った。夜中の2時頃にはあまりの寒さに震えてもう日の出なんてどうでもよいと思ったけれど、頑張った!この頃の私だったらきっと、迷わずタイムズスクエアに行ってしまうんだろうなぁ、私も若くてパワーがあったのねぇ・・・。


Dec 24, 2002 ★Merry Christmas★

当はまだイヴだけど、日本はとっくに25日!数々のクリスマスカードやメールを頂き、とても幸せな私です。一足お先にメリークリスマス!素敵な1日が皆さんに訪れる事を心より祈りつつ。

日焼いておいたシフォンケーキは、我ながらなかなか美味しかった!スライスしたふわふわのケーキに7分立てくらいの軟らかいクリームを添えてチョコレートを削ったら、なかなか立派なクリスマスケーキになった。2人で食べきるには、これからしばらくはケーキが続くのだけれど、手作りも上手くいくと楽しい。ケーキ用の小麦粉を奮発した甲斐があったというもの。

メリカの小麦粉は色々な種類があるものの、一般的にいう小麦粉は中力粉のことである。中力粉はスポンジケーキを焼くには今ひとつ適していないので、今回は「ケーキ用」と銘打たれた専用小麦粉を選んだのだ。他にもパンを焼くには「パン用」、デニッシュには「デニッシュ用」という風に分かれているけれど、中でもケーキ用はやや高級品だ。けれど、美味しいものへの執念にはかなわない。

25日、こちらは本当にホワイトクリスマスの気配。ロマンチックな響きにも感じられる言葉ながら、ここ数日に雪で泣かされている街のニュースなども聞こえ、素直に喜んでいいものか・・・という感じ。予報では雪は夜頃というし、25日は出歩くこともなさそうだ。


Dec 23, 2002

日は近所のスーパーでさえクリスマス前の食材買出しにの人で混雑していた。買い物まで一苦労!でも、店頭で売り切り価格で$2という超安値になっていたリースを買って帰った。

れ違う人の巨大カートには、クリスマスはパーティなのか巨大カートに山積みになったアメリカーンな食材の数々・・・コーラやポテトチップス、冷凍食品やステーキ肉にターキーなどなどが飛ぶように売れてゆく。

は明日の為にケーキを焼くので、新鮮な卵とクリームを買った。夜のうちに作ったシフォンケーキは明日の朝には冷えているはず。キッチンから甘い香りが漂って、家中に充満している。この匂い、今すぐ食べたいっ!

メリカで購入したシフォンケーキの焼き型は直径が25cm以上あるので、日本から持っていったレシピでは上手くいかない。20cm型の1.5倍の分量で作ってみたけれど、ベーキングパウダーを使わないでメレンゲだけの膨らます力で焼き上げるには卵白を10個分も使わなければならなかった。この巨大焼き型は、もちろん日本に置いてきたオーブンには入らない。それに2人で食べきるサイズには大きすぎる。小さめサイズのシフォン型を探しているのだが・・・今度Zabar'sにでも探しに行ってみようかな。


Dec 22, 2002

やはや・・・なんとも絶句の人ごみであった。こんなホリデー真っ只中にマンハッタンを歩くのは覚悟がいる。それでも私のように無謀にも出かけようとする人がいるから混雑するのだし、文句は言えまい。突然決めた今日の予定は、「安くミュージカルを観よう」であった。

曜日の午前11時に売り出されるミュージカルの当日マチネチケットを求めて、久しぶりにTKTS(ディスカウントチケット売り場)に並んだ。11時ちょうどに到着した時は既に遅し、タイムズスクエアのTKTS前には恐ろしく長い行列が出来上がっていた。これは1時間では無理かなと、臨戦態勢に入る。

かし・・・季節は真冬。寒風吹きすさぶタイムズスクエアで並ぶのはとてもきつい。もちろんそんな展開を予想していたので、私は雪ん子状態に着込んでいた。格好の悪さなど気にしている場合ではない。外にいたって動いていれば、寒さはさほど気にならない。でも行列の中で動けない状態でいるのが辛いのだ。

フラーを顎の高さまでグルグル巻きにし、耳まで隠れる毛糸の帽子をかぶり、ジーンズの下にスキーの時に履くようなスパッツを履いて、スパッツの裾をしまうように長靴下をはき、地面から冷気が伝わってこないように靴底のしっかりしたスニーカーをはく。厚めのセーターの袖を手袋に被せてしまえば、外気に触れるのは顔面のみ。これで寒さには耐えられる。ロングのダウンでも着込めば、さらに完璧である。

つこと1時間強、チケットを手に入れた。もう何回目になるだろう、またまたLesMiserableである。とても残念な事に、このロングランミュージカルも3月中頃で上演終了が決まっているので、観られるうちに観ておかなくては!(まだご覧になっていない方は、今がチャンス。)手に入れた券はPartial View(舞台裾の方などに見えない場所がある席)のチケットながら、2階席の最前列だった。既に知っているミュージカルなので、多少見えない部分があっても大きな問題はない。

ュージカルが終わって、夕食を食べに行こうとミッドタウンの中ほどまで移動して行った。5番街、6番街あたりはすさまじい人の数で、もはやまっすぐ歩けない状態だった。バスに乗ろうとしても、休日の夜は大渋滞で、歩いた方が早そうなほどだった。地下鉄に乗るまでの道のりはウンザリするような人の波で、1ブロック歩くのに普段の何倍も時間が掛かった。

が多いだけではなく、多くの人がプレゼントの袋をいくつも引きずっているような、すごい買い込みをしているのでそれも障害物になる。もちろん歩道は一方通行ではないので、逆からやってくる人の波と押し合いへし合いになる。人によって歩くスピードが異なる上、グループは横に広がって歩いているので抜かせない。人が渋滞しているのだ。

〜・・・、クリスマスを少々甘く見ていた。去年はテロの後で静かだったからその反動なのか、この盛り上がりは本当にすごい。大人と子供とベビーカーと屋台と絵描きとプレゼントの袋がギュウギュウに詰まって進めない歩道を想像していただきたい。感心している場合ではないけれど、しばし呆然としてしまう。人ごみが苦手の人には絶対に無理である。

んなある意味貴重な(?)経験をした私は、あとはのんびりTVでも見て過ごす予定である。(あ、もちろん買い物は別よ。)


Dec 21, 2002

の土曜日からクリスマスの連休になっている人が多い中、私は普通に土日を過ごしている。クリスマスとはいえ特別な何かをする予定はないし、とりあえずささやかに、いつもより少し凝った食事でも作ろうかと思っているだけだ。夫の会社にはこの時期に有給を消化してバケーションを取る人が結構いるらしい。人気の少ないオフィスはなんだか寂しい・・・。

本ではクリスマス・イブの24日の方がメインのような感覚だが、こちらでは25日が本番である。本番などというとお祭りのように聞こえるが、実際アメリカ人の25日の過ごし方は静かなものである。25日はどこのお店もお休みを取るので、旅行などに出かけない人は家で家族と一緒にゆっくり過ごすのだ。この日は街中を出歩く人も少ないため、渡米したての最初のクリスマスに、私は空いた道路をいい事に初めての運転をしたのだった。

が今から楽しみにしているのは26日に始まるAfterChristmasのバーゲンである。26日になると前日までの静けさからは打って変わって、朝早くからお目当ての店に沢山の人が押し寄せる。私も例に漏れず、クリスマスの残り物を半額以下で手に入れようと狙っている。それに冬物が値下げを始めるのも嬉しい。NYの長い冬ならば、今買ってもまだまだ使える。

週はクリスマス前の最後の週末なので、街はどこもかしこも賑々しい。誰かに贈るはずのプレゼントを買っていない人は買い物に走るし、まだカードを送っていない人は郵便局に駆け込んでいる。それにスーパーには食材を買い込む人の群れがターキーを買ったりしている。

れは日本の年末の雰囲気に似ていると思う。お正月の前にはお年玉の為に銀行へ行っておいたり、年賀状を1月1日に間に合うように急いで出す人が多いし、スーパーはお正月のご馳走を買う客で込み合う。実は、アメリカにいても日本の年末を体感できる時がある。さすがというか、日本人を対象にした日本食料品店では歳末大売出しがあるのだ。このような歳末大売出しに行けは、特価品や正月商品を買える。私にとって年末は、この便利な住環境を改めて幸せに思う機会かもしれない。


Dec 20, 2002

ある駐車場。その駐車場はいつも混んでいる。

物の入り口に近い場所に車を停めたいという気持ちは私にもあるし、よく理解できる。それでも停められる場所が無ければ入り口から遠かろうが空いている所を探して停めるしかない。ほんの10mほど距離が伸びるだけだし、そのくらい歩けばいいではないかと思う。それなのに、中には絶対にそう思わない人もいるのだ。

車場に入ると、せまい通り道を斜めに塞ぐように1台の車が止まっていた。こんなところに停めるだなんて邪魔な奴だなと思いながらも、その車の横を通り抜けて奥に入った。と、私が自分の車を停めてから、建物の方に向かって歩き出した時に驚くべき光景を目にした。正確には光景というか、最初に驚くべきクラクションを耳にしたのである。

事かと思い、その音がした方を眺めた。すると、遠くに先ほどの邪魔だった車ともう1台の車が醜い争いをしているのが見えた。どうやら建物の入り口に近い駐車スペースを巡って口論をしているようだった。あの邪魔だった車は、ずいぶん長いこと便利な場所が空くのを待っていたのだ。でも、空いた場所に気付いて動き出す前に、そこに他の車が入り込んでしまったのだ。

の場所は私が入るのよと、主張するクラクションはいつまでたっても鳴り止まない。あまりにもうるさい。それでも先に入ってしまった車の運転手は「あなたの車は見えないところにいた」と言って譲らない。こうなるとお互い車の中で大声で口論するか、車から降りて戦うかになってしまう。車の運転手はどちらも女性だったため、大声とクラクションでの攻防となっていた。

いではないか、奥が空いているんだからちょっとぐらい遠くに停めたって・・・。こういうどうしようもない光景を目にすると、ただ呆れてしまう。私は鳴り止まないクラクションから逃げるように、急ぎ足で建物の中に避難した。それから10分ほどして、用事を済ませて建物から出てきた私の目の前には、相変わらず言い争う2台の車が・・・。何かがおかしいぞ、アメリカ人。


Dec 19, 2002

頃の寒さと比べれば、今日の寒さはMildだろうと朝の天気予報で言っていた。寒さを表現するのにMildを使うんだなぁ〜と思いながら、お昼に友人と約束があったので出かける支度をした。外に出ると、Mildとは言っても寒いものは寒い!

昼に、中華街の一角にあるベトナム料理店へ行った。生春巻きは、メニューにSummerRollと書かれていた。春巻きというからにはSpringか?と思いきや、生の春巻きをSpringRollとは呼ばないらしい。ちなみに揚げ春巻きはSpringRollと書かれていた。友人と私は、生春巻きは冷たいから涼しげで、Summerにピッタリ・・・!?と勝手に分析し、納得してみた。(真相をご存知の方は教えてください。)

春巻きは、お皿に2本並んでやって来た。しかし、その春巻きはとても太くて、それだけでおなか一杯になってしまいそうなボリュームだった。それでも野菜がギッシリのサッパリ味で、実際のカロリーは低そうなのが良い。そういえばベトナム出身のクラスメイトが太っていないのは、食生活に秘密があるのかもしれない。

春巻きを食べ終わる頃、お目当てのpho(ベトナムの米ヌードル)が到着した。これがあっさり味で、出汁にコクがあって美味しかった。これは、思わず飲んだ帰りに食べたくなる味・・・と表現したくなる感じ。しかも安いというのが素晴らしい。ただ、秘伝の出汁なのだろうか、phoの白濁スープの中に入っていた“びろびろ”した物が気になった。内臓系っぽい雰囲気の、ゼラチン質のような・・・あれは何だったのだろう?アジア料理は奥が深い。

本でアジア料理がチェーン店などで一気に流行してきた頃に、学生やら社会人という“外食好きの時期”を経験したせいか、私は今でもアジア料理好きである。かつてはエスニック料理や辛いものがダメだったはずなのに、誰かと一緒に食べに行くうちに、自分では普段は頼まないような新しい味を気に入るようになってしまった。単に食わず嫌いだったのかもしれない。

事中、今日もそういう話題が出たのだが、男性よりも女性の方が食べることには好奇心旺盛ではないか?と思う。食べ物に関しては、男性は冒険をあまり好まないような気がする。もちろん男性にも食べ物への探究心が強い人もいるので一概には言えないけれど、一般的に男性の方が、いつものメニューや御馴染みの味を選びがちのように思えるのだ。

性は食べながらあれこれと料理の分析をするけれど、男性はあまりそうしないことの違いなのだろうか。食わず嫌いというか、保守的というか・・・私の近くにはこれに当てはまる男性が少なくとも数人はいる。ベトナム料理を食べながら、色々シェアして新しい味を楽しむのならば女友達と一緒がいいかもねと、そんなことを思ったのだった。


Dec 18, 2002

なかなか忙しかった秋の部も、本日をもって無事に終了しました〜!

れでこれから1ヶ月ほどの間は、しばらく学校にも足を運ばなくなる。そのため、私は今日中に来学期の申込みを済ませて、さらに次に使う教科書を一揃い買った。何かと出費の多いシーズンだからなのか、申込みの時に、学費を一括にするか分割にするかと聞かれた。出費はかさむけれど、先延ばしにしても仕方が無いからまとめて支払った。やることを片付けて、一気に冬休みモードに突入した方が気持ちが良い。

内の本屋に行った時、その狭い通路にはすごい行列が出来ていた。私はてっきり教科書を買うためにこんなに並んでいるのかと勘違いして、何の列なのかをよく確かめもせずに並んでしまったのだが、しばらくして実は今日は「本の買取り日」だと分かった。その行列は、学生が自分の使った教科書を売るために、買い取り専用レジに並んでいる列だったのだ。

の状況に、「本屋が教科書を買い取るって、一体どういうこと?」と気になったので、列に入ったままで周りの様子を眺めていた。そして、ふと思い出した。私が今学期の始めに買った教科書の中に古本が混ざっていて、その本は中古のために安かったけれどコンディションが酷く、耐え切れず返品したのだ。でもその本には書き込みがしてあったし、いかに安かろうと使いたくはないという代物だった。きっとあれも誰かが使った後で買い取った教科書だったのだろう。

科書の買取りとは、一体幾らで買い取ってくれるのかと思ってしまう。日本の古本屋は本のコンディションによって査定をするけれど、驚いた事に査定なんてものはなさそうだった。次の学期に採用されている本ならば、読めればOK!というくらいの太っ腹さである。私の前に並んでいた人のバッグの中には10冊以上もの教科書が入っていたけれど、彼の本はどれも折れていたり汚れていたりしていたのに、総額76ドルにもなったのだ。この本を次に誰かが買うのかと思うと、うーーん・・・という複雑な気持ちである。

て、この頃は年末の「やることリスト」をこなしているだけで一日が過ぎてしまって、このサイトの更新もなかなか出来ずにいたけれど、今日で学校も終わった事だし、ひとまず落ち着いたかと思う。どうしてか分からないけれど、11月が12月になった時からだんだん時間に追われてしまうようになってきたのだ。これが年末という言葉の力なのか、掃除をしなくちゃだとか、買い物をしなくちゃだとか、いつも以上に思いつく。

が作った「やることリスト」は冷蔵庫に貼られている。やることが多い時には、忘れないようにこうして書き出して表にするのだ。終わった事からチェックをして、次の予定を決める。こんなことを書くと、miyamuってとても計画的な性格なのではないかと誤解されてしまいそうだが、そんなことはない。これって、よくよく考えれば自業自得なのだ。

リスマスカードをいつまでも書かないでいたのも、学校の課題を放っておいたのも、読みかけの本が沢山あるのも、あちこちに掃除する場所を残しておいたのも、ウール用洗剤を買わないまま洗い物を放っておいたのも、みーんな自分のせいなのだ。それまで放っておいても大丈夫だったくせに、年末になると急に気持ちが焦りだしてしまうのは、日本の年末のせわしい感じを体が覚えているからかもしれない。(でも、リストになってしまうほどやることを残しておいたから、今頃になってツケが回ったとも言える。)


Dec 17, 2002

日は今学期最後の学校である。とはいっても、授業があるわけではない。成績の発表と来学期の申込み、それに提出していた課題の返却があるだけなのだ。これならば1時間もしないで終わってしまうかもしれない。

は、今回出会えたESLの教授にはとても感謝している。厳しい人だったけれど、愉快な人でもあって、何より学生思いの人だったからだ。英語を教える情熱や、学生のやる気を高める効果的な授業の進め方などは、私が今までに出会った教師達の中でも1番かもしれないと思う。

週、クラスの代表が花束を買ってきていて、授業の後で教授に手渡した。その時には教室の隅に隠していた花束を取り出した瞬間に、早くも教授は涙声になっていた。私も明日はお礼のクリスマスカードを書いて渡そうと思っているけれど、私はこういう感じに弱い。若かりし頃は自分の卒業式でだってそんなに感動しなかったのに(号泣する友人の側で、そういう自分はクールな奴なのかと思っていたほど。)私も年を取ったのかも。

あ・・・夕方から一気にハリーポッター(まだ第一巻)を読んで、止まらなくなってしまった。読み終わったら深夜になっているし、しかも文字を凝視しすぎて頭が痛い。今時の流行にはすっかり乗り遅れている私。でも、やっぱり原作は読んだ方が楽しさが増えるように思う。指輪物語にしても、レ・ミゼラブルにしても。さて、映画の為にもさっそく第2巻に取り掛からなくっちゃ。


Dec 16, 2002

YのMTA(都市圏輸送公団)のストライキも何とか回避されそうだし、良かった良かった・・・。本当に地下鉄もバスも無くなってしまったら、一体何万人の人達が仕事にも行けず、いつものように行動が出来ず、タクシーもつかまらない状態で、歩いて(?)過ごすのだろうかと想像したら、このストライキがとてつもない影響力を持っていることが分かる。

然ながら、最近みかんにはまっている。冬、コタツとくればみかん。アメリカで手に入るみかんの代替品といえば、マンダリンか、タンジェリンか、クレメンタインである。マンダリンもタンジェリンも、味は非常にみかんと似ているけれど、皮がさらに薄くて少し大ぶりで、房毎に大粒の種が入っている。これはおいしいけれど、とても食べにくい。その代わり一年中出回っている。

う1つのみかん、クレメンタインは冬になると大量に現れる。これはまさしく日本のみかん。私の求めていた味、品質その物である。皮といい味といい大きさといい、パーフェクト!クレメンタインには種も無いので、パクッと口に放り込んでも大丈夫。日本にいた頃、これほどまでにみかんに愛情を感じた事は無かったのだが・・・今となってはささやかな感動を求めてスーパーに行く。

も、この類の小さな柑橘類は一箱単位で売られている。マンダリンはバラ売りもあるのに、クレメンタインは常に箱に入っている。私一人で食べきるのはさすがに多いと思っていたけれど、みかんへの情熱にはかなわずじまい。とうとう一箱買ってしまったけれど、木箱を運んで家に帰るのもまたよし・・・。これで我が家にはコタツとみかん。

ういう訳で、ここのところずっと手がみかん臭い。これもまた、年末らしく、いい感じ。


Dec 15, 2002

ンピューターを起動して、まず1番最初にすることは何だろう?私の場合、決まってメールチェックから始まる。outlookを起動して待つこと数秒。新着メッセージがあるかしら?とドキドキする瞬間である。

「ピンポーン」

待していた音が聞こえた。あ、メールが来ている!とここで浮かれてはいけない。受信トレイに入っているか、削除済みトレイに入っているか、それを見なければ始まらない。削除済みに入っているメールは、まずジャンクメールと思って間違いないからだ。

かしながら、新着メールが仮に受信トレイに入っているとしても、浮かれてはいけない。受信トレイを開いた瞬間、見慣れないアドレスから届いたゴミの数々には散々ガッカリさせられているからだ。

メリカにいるからなのだろうか?どこからとも無く(きっとインターネットで予約した旅行やチケットやら、どこかから漏れているのだろうけれど)私のアドレスにジャンクメールが届くようになってしまった。少なくとも私のメールアドレスはアメリカの会社のドメインが付いているし、そこに届けられるゴミもアメリカ発信の物だ。

本でもこういった類の迷惑なメールが届く事は日常茶飯事なのだろうか。1〜2年前に、携帯のメールに迷惑メールが届いて問題になっていたけれど、携帯のアドレスではなくてパソコンを通じてもジャンクメールはやってくるのだろうか?

は出先での利用やホームページの運営の為などに、hotmailのように無料で取得できるアドレスも使っているけれど、こちらの方にも毎日のようにゴミが届く。全くのいたちごっこである。捨てても捨てても、送信者を禁止したって、次々に新しい「捨てアドレス・捨てドメイン」で送られてくるのだから・・・これぞ現代の悩ましさ。

止されたドメインだって、もういい加減に数十個になりつつある。@の後に続く「捨てドメイン」にもこんなに種類があるのかと感心してしまう。私は毎日のように新しくなる捨てドメインで届くジャンクメールに苛立ちながら、地道な戦いを続けるしかないのだ。


Dec 14, 2002

夜は夫の職場主催のクリスマスパーティに家族参加した。滅多に無い機会とばかりに、家族参加させていただく。見知らぬ人々との出会いにちょっと緊張しながらも、おしゃれをして出かけた。会場に着くと、そこは流石に西洋社会。アメリカ人のパーティ根性を見せ付けられたという感じ!

味しい食事と大音量の音楽、それに誘われるようにフロアに踊り出る老若男女。これがアメリカのパーティかぁ・・・と、ついつい観察してしまう私。学校の先生やクラスメイト達が「ダンスが無くてはパーティじゃない!」と言っていた通りの、盛り上がり。

円のテーブルがホールを囲むように配置されて、食事が始まった。ビュッフェの料理はどれもとても美味しくて、モリモリと食べてしまう。会話を楽しむ他の皆さんとは、ちょっと異色な存在・・・。そんな食事の途中、ダンスタイムが始まってしまった。そうすると落ち着いて食事をしている場合ではない。テーブルには出遅れがちの日本人が(つまり私たち)取り残されて、ディスコ風パーティに少々面食らってしまった。

ンスとはいっても形式ばったルールは無い。バラードからロックまで、ポピュラーな音楽がひっきり無く流れ、それに自然と体を動かすだけでいいのだ。それでも男性も女性もこういう場面に慣れているので、羨ましいほど様になって見える。そのうち踊りましょうよと誘われ、私達もフロアに紛れ込んだ。

ンスは照れないで踊るほどカッコよく見えるものらしい。恥ずかしがって、小さく不自然に動くほどノリが悪いように振舞ってしまうし、恥じらいを振り切って楽しむべきなのだ。フフフと笑ってしまうほど愉快に踊る人々を見ながら、みんな何て楽しそうなのだろう、これぞ本場のパーティの楽しみ方なのね!などと思うのだった。こうやって音楽に自由に体を揺らすだけなのに、どうしてこんなに楽しいのだろう?不思議。

ころでサルサはかからないのだろうか?と思っていたら、私の願いが叶ってか(?)サルサがかかった!しかし、パートナーと踊る数組のカップルに混じって1人で踊るにはまだ抵抗があったので、椅子に座ってささやかに音楽にのっていた。私にはパートナーいなかったので、今度は夫にサルサを教えるしかない!と心に思ったのだった。私も素敵に踊りたかったわ〜・・・。


Dec 12, 2002

泳を始めた。今週は2回泳いだ。1回目は30分、2回目は45分。なんだ、短時間じゃないかと思われるかもしれないが、この時間をぶっ通しで泳げばかなり疲れる。プールの長さは一瞬25mプールのように見えるけれど、実は25ヤードである。2回目の日、私は1000ヤード泳いだので約914m泳いだということになる。おおっけっこう頑張った。

ぐといっても、最初からそんなに張り切っていたらあっという間にばててしまうので、ビート板を使ってのキックが私のメイン泳法だったりする。それに、足に浮き具を挟んでのプル(手だけで泳ぐ)を組み合わせて、のんびりと時間をかけて距離をかせぐのだ。このようにしてだんだんと距離を延ばして、毎回1kmほど泳ぎたいと思っている。

ールには3種類のレーンがある。早い人用、普通の人用、遅い人用である。私は別に激しく泳ぐために行っているわけではないので、普通用か遅い人用で漂っている。しばらく泳いでから陸に上がる時にはゆっくり上がるべきなのに、勢い良くザバッと立ち上がったら、自分のあまりの体重の重さにビックリした。水の浮力は思っていたより強いのだ。

衣室は、はっきり言って寒い。温水のプールから上がった時から、私は唇を紫にしてぶるぶる震える小学生のようになる。アメリカ人はきっと寒さに強いのだ。大胆にも裸で更衣室を徘徊するアメリカ人に混ざって、私はカーテン付きのシャワーを浴びて温まる。(カーテンの無いシャワーでも、もちろんアメリカ人は大胆である!こうなると、同性だって目のやり場に困るのだ・・・)

の更衣室にはサウナがあって嬉しい。でも、サウナに横たわる皆さん、みんなタオル一枚、又は裸である。こんな所では水着を着ている自分の方がおかしい様に思えてしまうから不思議だ。う〜む、これも異文化なのか・・・。ところで、こんな話を書くと男性はグラマラスなアメリカ人のお姉さんに囲まれて、という想像をしてしまうかもしれないのだが、そういう訳ではない。お姉さんもいなくは無いが、主たる構成はおば(あ)さんだったりする。ちょっと残念!?


Dec 11, 2002

Yの繁華街にたむろす、怪しげなストリート・バイヤー(?)について。彼らの多くは黒人男性で、中の見えない黒いビニール袋(ゴミ袋ともいう)や風呂敷をサンタのように背負って歩き、人通りの多い路上で店を開く。このビニール袋には無造作に売り物が入っているのだ。

らの売っているものは、様々である。でも、季節によって取扱商品が微妙に変わる。夏にはサングラス、財布、時計、バッグ、CD等、冬にはサングラスやスポーツ調の時計に代わってマフラーやショール、毛糸の帽子、手袋などが入荷する。これらの商品の殆どがいわゆるブランドのコピー商品であることは、容易に察しがつく。

う1つ多いパターンは、同じく黒人男性が持ち歩く川のアタッシュケースだ。見るからにラフできれいな格好とは言いがたい彼らが、そのビジネス調の鞄を持っている姿はとてもミスマッチで、逆に目立つ。この鞄の中には、高級時計のコピーがギッシリと詰まっている。通りすがりの人にこの鞄をパカッと開いて見せて、「ロレックスだよ」のような事を言ってくる。興味がなさそうだと、鞄をまた閉じて次のターゲットを探す。

者のビニール袋に対して、こちらの高級時計のバイヤーは取扱商品ゆえに責任重大なのか、鞄を頻繁に開け閉めする。もしかしたらコピー商品にもグレードがあり、その利益率が高いほど罪が重いのかもしれない。でも、その挙動不審な姿だけでも十分怪しいのだが・・・。コピー商品を売る事、それに厳密に言えば買うことも犯罪だと思うが、あまりにもありふれた日常の光景なのか、このような取るに足らない小さな犯罪者達に関しては警察もほとんど野放し状態にしている様子である。

の間の週末にマンハッタンのあちこちで頻繁に見かけたのは、「5ドルの本皮手袋」だった。本当に寒い季節の到来に、手袋の売れ行きは悪くないように伺えた。近寄って見てみたいと思ったけれど、売りつけられるのは面倒なので通りすがりに観察するだけにした。

のサングラスにしても、冬の手袋にしても、あまりにも商品が溢れているところを見ると、こういう商品を作る大型施設が世界のどこかにあるのだろうと思う。高級ブランド店が立ち並ぶ5番街界隈の片隅で、本物そっくりのニセモノがビニール袋に入って運ばれてゆく。この対照的な事といったら・・・。オリジナルの数を大幅に上回る生産量で、NYの街角で売られているコピー商品をみると、物の価値についてふと考えさせられてしまうのだ。


Dec 10, 2002

本と比べてNYあたりの湿度は低い。特に冬は湿度の低さを体感する。外で手先が何かに触れるたびに静電気でバチッとなるし、寒風になびいてマフラーと擦れた髪の毛は、逆立って宙に漂っている。

内にいても、空気が乾いていると感じる。私の場合、朝に目覚めた時の鼻と喉の痛みが辛いので、この頃は加湿器が必需品だと思う。うっかり加湿器を付けないままで寝てしまった日には、翌朝に目が覚めると喉が乾ききって、声も出せない。(私は口で息をして寝ているのだろう。)

かとのひび割れも、こちらに来て初めて起こった。かかとの保湿を怠ると、どんどんガサガサになって行き、最後には固くなった皮膚がひび割れてしまうのだ。ひび割れはタイツを履こうとすると引っ掛かるので、お風呂上りの軟らかくなったかかとに、こってりしたハンドクリームを塗りこんでいる。空気が乾いていると、もともと乾燥肌の人は大変だろうなと思う。急にフケが出るようになったり、足が鮫肌になったり、手がささくれたりあかぎれが出来たり・・・。

近見たニュースで、乾燥と静電気のせいで火事が起こっていると言っていた。そのニュースによると、ガソリンスタンドで給油をする時に、給油ノズルの触れた場所に静電気が起こるとガソリンに引火してしまうことがあるというものだった。ガソリンスタンドで給油中の車の近くから、爆発的な勢いで火事が起こっている映像は恐ろしかった。湿度の低さも、場合によっては危ないらしい。

本でも、やはり冬は乾燥しているので火事が起こりやすい。古い話だが、私が子供の頃に、町内会の男性陣が「火の用心、マッチ1本火事の元」と言いながら近所を回っていたことがあった。拍子木を鳴らしながら「ひの〜よ〜じんっ」と聞こえてくると、冬なんだなぁと感じたものだ。そういえばこの習慣はいつも今頃、年末の夜に行われていたっけ。なんだか妙に懐かしい。こんな風に、古きよき習慣はまだ日本に残っているのだろうか?


Dec 9, 2002

較広告CMがご法度という感じの日本で、数年前に放映されて問題になったペプシのCMを思い出す。時は今となっては忘れ去られている感のある、MCハマーの全盛期。CMのストーリーは以下の通り。

場面:会場総立ちのMCハマーのライブ会場、ノリノリに歌って踊るハマー。
字幕「MCハマーはいつもペプシ」「それをコカコーラに変えておくと・・・」
ハマー、ライブ中に缶コーラを一口飲む。
するとハマーが突然バラード調にトーンダウン。会場ビックリ・・・!
と、会場の客(?)がそんな調子が狂ったハマーに一声「ハマーッ!」と叫んでペプシを手渡し。
で、ペプシを飲んで「コレだっ」と目が覚めたハマー、熱いライブが再開!めでたしめでたし。

めてこのCMを見たとき、私はTVの前で「おいおい、いいのか〜?」と思ったものだ。だってそのCMには思いっきりコカコーラと出ていたし、そこで映った缶はまさしくコカコーラだった。何の細工も無い、比較広告だったのだ。とはいえその刺激的ともいえるCM手法がツボにはまって、みんなけっこう楽しんだと思う。

のCMが放映されてすぐ、案の定コカコーラからのクレームがあり、残念なことに(?)ペプシはCMに少し手を加えてしまった。字幕の「それをコカコーラに変えておくと」が特定の商品名ではない他のコーラであるかのように変更され、さらに移っていた缶にはモザイクがかけられたのだ。

の顛末が明らかだっただけに、このわざとらしさがかえってバレバレな雰囲気を生み出していたようにも思えたが、改造されてしまっては最初と同じような勢いが半減になってしまう。それ以来、日本ではっきりとした比較広告が放送されていた記憶は無い。普段、何気なく見ているとアメリカのTVCMは比較広告が多いので、ふとペプシのCMがあったなぁと思い出したのだ。


Dec 8, 2002

付いてみれば、月曜日はPortfolioの締め切り日。今までに書いた私の作文やエッセイの類を全てまとめたファイルを提出する期限になっていた。これを数人の教授陣が閲覧した後に成績が付けられるというのだから恐ろしい。ファイナルで泣くか笑うか・・・。教授は、出来栄え次第では次の学期も同じレベルに据え置きにすると脅してくるので、このPortfolioは学生にとって大切なものなのだ。笑って新年を迎えたいよ・・・。

んなことで、夜中まで作文のまとめと改稿に追われてしまう。日本語で日記を書くのだってそこそこ時間が掛かったりするのに、まして英語なのだ。文章を考えながら同時にスイスイと書けるはずも無く、単語を調べては時間が過ぎるような状態である。クリスマスプレゼントに何でももらえるのなら、外国語を自由自在に操れるようになりたいなどと思ってしまうのは、そろそろ感傷的になって来ている証拠かも!?

れから学校は試験週間に入り、あっという間に慌しく終わってゆく。正月のないアメリカとはいえ、やっぱりホリデー直前はどこの国も忙しいのだ。


Dec 7, 2002

告通りというか思い立ったら即というかで、今日は朝食もろくに取らないままに家を出発し、空腹でチャイナタウンに乗り込むことにした。飲茶を食べまくって、本場式のお手軽グルメを満喫するのだ!

ざ食べまくりと豪語しても、参加者が私と夫の2人だけでは食べられる量は限られている。飲茶を提供している多くの店でそうであるように、今日もお店もワゴン式(店員さんがテーブル毎に様々な飲茶を乗せたワゴンを押して回る)だったので、2人ともワゴンの動向を探る目は真剣になる。

ゴンを正面から見ると、そのワゴンに乗っている飲茶の種類が書かれた札が付いているのだが、名前だけ見てイメージしていた食べ物と、実際に出てきた物とが違う事はしばしばある。特にセイロの積まれたワゴンの場合、中の状態が見えないので「見てもいい?」と言って中を確認してから取った方が良い。

ザートだけのワゴンや蒸し物だけのワゴンや、他にも炒め物用やおかゆ用などが回ってくる。2人のように少人数で飲茶に行くなら、美味しそうな食べ物を沢山載せたワゴンが近くにやってきても焦ってはいけない。どんなに美味しい食べ物であっても我々の胃袋には収容能力の限界があるし、よく吟味するのだ。

華ちまきがしっかりお腹にたまって、今日は8皿でストップにした。それでも、トータル約18ドル。地元の中国人が沢山いる店だったし、そこはチャイナタウンの中でも安い店のようだったらしい。チップを入れても1人当たり10ドルちょっとで、もう動きたくないというほどお腹を膨らませて帰れるのだからすばらしい。(ロンドンもこの安さを見習った方がいいね。)やっぱりいいね、チャイナタウン!


Dec 6, 2002

い間気にしていたのに、なかなか実行に移せないままでいたことを1つスッキリさせようと、今日はとうとう運動不足解消の為に、近所にある施設に水泳の回数券を買いに行った。プールを定期的に使うためにはそこの会員になればいけないので、仕組みもよく分からないし(単にパンフレットを読むのが面倒なだけという話?)渋っていたのだ。

んな私が申込みに行くのをようやく決心したのは寒さのせいで、寒風吹きすさぶ中で歩いたり走ったりするのも自転車に乗るのも辛すぎるからだ。それに対して水泳ならばある程度の経験もあるし、マイペースでできるし、しかも暖かい!私はスポーツジムの機械での運動があまり好きではないので、残された道は泳ぐしかない。

泳の券は、当日に1回っきりでも買えるのだが、25回、50回まとめ買いするほどに安くなる。その上は半年、1年と無制限で泳げるというパスがあるのだが、週に通うおおよその回数から計算すると、私の場合回数券の方がお得のようだった。

局、これから半年で使い切るという目論みで、50回分の回数券を購入した。例えば毎週3回泳いだら、月に4週だから12回・・・でも実際にはこんなに通えないだろうから、半年で50回くらいでちょうど良い。あまり張り切りすぎても後が続かなくなるから、「運動しているぞ」という自分への安心感のためにものんびり続けようと思う。

週末は時間があったら、ロンドンで食べた高〜い中華料理のリベンジにと、マンハッタンの中華街にでも行って、安くおなか一杯になるまで食べまくりたいなぁ・・・。最近私が感じる体中の怠慢は、運動不足というか、もしかしたら食べすぎなのかもしれない!?食べるといえば、Happy-Go-Luckyの番外編にお菓子の家について書いたけれど、たとえ食いしん坊と言っても、さすがにあれは食べられない!


Dec 5, 2002

気予報どおり、朝から雪が降り出した。この雪は夜まで続きそうだ。

んな日には家から1歩も出ないに限るのだが(というか、1歩出ることは車の運転を意味する)、私には予定があった。今日の午前中に、先週に欠席した分の補習を入れていたのだ。寄りによって・・・と思いつつ、身支度をする。雪はもう数時間前から降っており、5cmほど積もっていた。

車場に行くと、当然みやむー号は雪に埋もれている。車に積もった雪をどけて、ギアを滅多に使わない四駆モードにする。道には誰も通った跡が無く、私の車が一番の、まっさらな粉雪の上を走り出した。まっさらな粉雪とは聞こえが良いが、これほど運転しにくい雪質もないのではないかと思う。とても滑りやすく、埋もれやすい。車が前進するに従って、片栗粉を潰した時のような「ギシギシッ」という感触がした。こういう雪の時は、誰かが通った後についた轍や、土と混じって汚れた部分を通るほど安全なのだ。

発して間もなく、かなり怖い目にあった。私の家の前には急な坂があり、そこを下って右折するのだが、カーブに差し掛かったところでブレーキを踏んだら、信じられないことにブレーキが全く効かなかったのだ。とてもゆっくり動いていたのに、そのままのスピードのままでずるずると突き当たりに向かって落ちてゆく!まさにスローモーション。危うく路上駐車の車に衝突しそうになるが、ハンドルを切って横向きで停車できた。本当に滑ったわ〜・・・ドキドキ。

リップの後は、特に慎重になった。でも、家に近い路地ほど車通りが少ないので、大通りに出れば一安心なのだ。授業に遅刻しないようにと早く出たのに、どの車も走る速度を抑えているので時間がかかる。高速道路上にはスリップした車が数台停まっていたけれど、他人事じゃない。ようやく少し遅れてカレッジに着いた。

レッジのドアには「1時以降の授業はキャンセル」と張り紙がされていた。ああ、午後の予約にしなくて良かった。苦労して辿り着いてこれじゃ、悲しすぎる。校内は人が少なく、静まっていた。教授は私に「こんな天気なのに、来てもらっちゃってごめんなさいね」と言って課題をくれた。そして「これを今やるか、家でやるかはあなたが選んで。天気が酷くならないうちに帰った方がいいから」と、ありがたい申し出をしてくれた。私は「(もちろん、)家に帰ります。」と伝えた。せっかく来たけれど、仕方がない。さっさと家に帰ろう。


Dec 4, 2002

格的な寒さがやってきて、昨夜は最低気温が-10度程にまで下がっていたらしい。こんな夜の次の朝には困った事が起きている。出かけようと外に出ると、みやむー号が凍っているのだ。

早くから授業がある日は、いつもギリギリに家を出てしまう。今日もいつものように急ぎ足で駐車場に向かうと、車の全ての窓とボディの一面が凍り付いていた。結露が冷えて凍り付いてしまったのだ。結晶化した氷は模様のようになっていてきれいなのだが、そんな事を感心している場合ではない。私は遅刻しそうなのだ。

りあえず車のエンジンをかけ、温風を吹き出させながら氷の除去作業に取り掛かる。フロントガラスには視界を奪うように真っ白くかたまった霜が張り付いていたので、それを削り取らなければならない。固いゴムのついたへらでガリガリとガラスを擦るのだが、なかなか氷が取れない。これからますます寒い季節になるのに、今からこれでは先が思いやられる・・・。

まりにも氷が沢山ついていたので、途中で今日はもう遅刻だなぁと諦めた。もしかしたら上手く氷が溶けるのではないかと、試しにウォッシャー液を出してみたが、これが失敗だった。あまりの寒さで、ガラスの上でウォッシャー液共々凍りついてしまって逆効果だったのだ。こういう場合はお湯をかけるのが1番手っ取り早いらしい。結局、氷が溶けてくれるのを気長に待って、ようやくの出発になったので、今日は遅刻してしまった。

露や凍結は気温と湿度のバランスで起こる。どんなに寒い朝でも乾いた日には、窓ガラスに水滴の跡はついていなかったりするのだが、今日は今年で1番と言ってよいほど特にひどく凍っているようだった。その上明日は雪の予報。ううむ、どうなることやら。


Dec 3, 2002

日は遅ればせながらクリスマスカードを買いに出かけることにした。でもカードの前に、なんとしても確保しておかなければならないものがあった。それは、封書の国際郵便用の80¢切手である。

年の12月、私がようやく全てのカードを書き終えて切手を買いに行った時には、どこの郵便局に行っても80¢はおろか、80¢を作るためのあらゆる組み合わせが売り切れていた。この時は本当に困ってしまった。40¢や60¢や20¢まで無くなるとは信じられないけれど、無いものは無いのだから仕方が無い。やむを得ず、アメリカ国内用の34¢切手を(当時。今は37¢に値上がっている)3枚も貼り付けて日本にカードを送ったのだ。

の失敗を再び繰り返さないようにと、まず郵便局に行って見た。すると、なんと。もうすでに80¢の切手が売り切れているというではないか。しかも入荷予定も無いという。またまた出遅れたということか。少なからずショックである。幸い、今年はまだ40¢切手が売っていたので、それを大量に買い込んでおいた。きっと1週間もしたら40¢も売切れてしまう。

便局にある切手の自動販売機は使えない。今日も国内用の37¢切手を買おうとして10ドル札を入れようとしたら、お札がクシャクシャだったからなのか、何度試しても受け付けられずにでてきてしまった。財布の中には折り目の少ない20ドル札が入っていたけれど、これを使うのは避けたかった。なんとこの自動販売機、おつりが全て硬貨で出てきてしまうのだ。

動販売機にはすでに端数の硬貨を入れてしまった後だったので、今回は諦めようとキャンセルボタンを押した。しかし、なかなかお金が戻ってこない。よく見ると、一度入れたお金は切手を買うまでキャンセルできない仕組みになっているとメッセージが出ていた。こんなのってヒドイ・・・。

が立ち往生して10ドル札を何度も機械に入れているうちに、後ろには列が出来ていた。こういう状況はけっこう焦る。後ろの人に「先にどうぞ。この10ドル札は受け入れられないみたいで、私の40¢が戻ってこないままだけど」と順番を譲ろうとしたら、さらに後ろにいた女性がきれいな5ドル札を2枚差し出して、あなたの10ドルと交換してあげると申し出てくれた。親切な人がいるものだ。些細な事なのに、とても嬉しいではありませんか!!

便局の後で、カードを買いに近くのショッピングモールに行った。一応有料の駐車場になっているので、前の人が使い残した料金メーターの残量を見て、まだ時間が多いところに車を停めた。(そんな事をしなくても3時間で50¢という格安さなのだが・・・)

ールの中に入った時、駐車場のメーター用に1ドル札を25¢に両替する機械の前で60代くらいの女性に声をかけられた。その人は「これ、お札が入らないのよ。どうやるのかしら?」と私に尋ねた。これはさっきの親切のお返しだわと、その人の近くに歩み寄った。すると、なんとしたことか!!その人はお札の入り口に4つ折にしたままのお札をぐしゃっと差し込もうとしているではないか。それではお札は入るまい・・・。

の両替機には「お札は表を上にして入れる」という絵が書かれているのに、よりによって4つ折のままで機械に差し込もうというその勘違い振りはかなり可笑しかったけれど、「これは広げないと入りませんよ」と両替機にお札を入れた。「ああ、全部広げないといけないのね」と、その人は妙に納得した様子だった。アメリカ人の人でも、そんな事を間違えちゃうのねぇと思った出来事だった。

手もクリスマスカードも手に入れたし、さあ、後は書くだけ。ささっと取り組もうではありませんか!(とはいえこれが1番大変なのだけど・・・。)


Dec 2, 2002

昨日と引き続き、ロンドンのことも少しだけ・・・。

が最も驚いたことは、ロンドンの物価が思ったよりもずっと高かったということだ。ロンドンを訪れる前に、フランスの物価の安さに感動していただけに、その対照的なことたるや・・・許せん、といった気分。

ギリスの通貨は£(ポンド)で、EU(The European Union欧州連合)の加盟国なのにも関わらず単一通貨であるユーロを採用していない。ヨーロッパ旅行をする上で、ユーロを使えるということはとてもありがたい。各国の両替をしなくて済む上に「これって幾らぐらい?」といちいち暗算しなくても済む。今のところ1ユーロは約1ドルと考えてもよいので、フランスでお金を使う時の感覚はアメリカにいるときとさほど変わらなかった。
しかし何故にイギリスは未だに£なのだ??

ンドンは物価が高いと初めに感じたのは、地下鉄のせいだ。パリと比較して、約2倍の初乗り料金の設定に驚く。初乗りが約300円もする地下鉄って、一体どういうこと?300円で乗れる区間が広い事が唯一の救いか・・・しかし近距離の場合、とても損した気分になるのは否めない。

£は日本円にして約200円ほど。1ユーロは約120円。ロンドンのスターバックスでフラペチーノ(あの凍ったコーヒーシェイク)のSが1杯2.6£!?ユーロの間違いではないのか?っていうかそんなに高いもの誰が買うか〜!!しかもケーキが1つ2.9£?それは高いぞ・・・。こうなると何もかもが高く感じる。単に私が細かいだけなのか?レストランの料金もやけに高い。アメリカと同じだけ中華料理を食べて、2倍の金額だった!

れが当たり前なのだとしたら、私はロンドンには住めまい・・・そう痛感した、ロンドンの日々であった。


Dec 1, 2002

昨夜、無事に旅行から帰ってきました。

っとNYよりは暖かいだろうなどと思っていたら大間違いで、フランスもイギリスも思ったより寒かった。言いたい事は色々あれど、とりあえず今はフランスのことを少し話そう。

リに行って、私は太ったかもしれない。だって、どこに行っても何を買っても食べ物が当たり前のように美味しいのだ。しかも、安い。街歩きの途中で漂ういい匂いに誘われるがままに店頭まで歩み寄っては、輝くような(に見える)パンやお菓子をじっと見つめる。おいしそう!と思ったら最後、味を確認してみたいという欲求はなかなか収まらない。そういう訳で、街角では「あれ買っていい?」の連続になって、次から次へと朝から晩まで食べていた。

価はアメリカと同じか、もしかしたらフランスの方が安い。食品のクオリティの高さは既にお話したとおりで、もしも同じ値段を払うのならば、買える物の良さはフランスが勝るように思う。(ただし日本の食材はアメリカよりも需要が低いこともあり、高くなってしまう。)フランスは流石に本場ということで、ワインやチーズ、ミネラル水やお菓子などは多種多様に揃っていて、安い上にハズレが少ない。miyamuのお気に入りは、何と言ってもパン!パンの素晴らしさは特筆物で、パンを食べる幸せを感じる反面、毎回アメリカのまずいパンを嘆かわしく思い出すのであった。

ランスは朝の9時頃になるまで周囲が暗いままで朝らしくないし、それに夕方の日没も早い。夏季は9時を過ぎても明るいというのに、冬はとことん日照時間が短いのだ。そんなことからして異国だなぁと感じていたのに、旅行中はもっとすごい異文化を目の当たりにした。特にフランスで大規模なストライキ(労働行使)があったことにはかなり衝撃だった。行く先々で、エントランスに貼られた白い紙を見る羽目になり、「今日はストライキのためクローズ」と、一言だけ書かれたその素っ気無さに呆然とするのだ。怒る観光客たちの中で、私たちもガックリと肩を落とした。しかし、フランス人にはそんな事は関係無いのだろう。何しろ私たちは、フランスの日常や常識の中にほんの数日居合わせただけの観光客なのだ。

のストライキは良く起こるようで、まさか自分がその時期にぶち当たるとは思っていなかった。突然のストライキによる予告無き美術館の閉鎖や、停電、電車の運休など・・・日本では(アメリカでさえ)なかなか信じられない出来事であった。この旅行中は、パリーロンドン間に国の移動があったので「パリに何日、ロンドンに何日」とプランをはじめから決めていた。それだけに、予定の変更は痛かった。私はこの日にはどこへ行って何をして・・・などとかなり予定を詰め込んでいたのだ。外国なんだなぁ・・・。

安は悪いのかというと、どうだろう。日本の感覚で言えば、世界中治安が悪い事になるのだが、NYと比較すると良いも悪いも入り混じっていて±0のようだった。どちらにも路上生活者はいるし、物乞いもいるし、地下鉄は暗くて汚いし、スリもいるし・・・。ただ、フランスで暮らす東洋人は全体からすれば少なく、東洋人といえばその殆どが金持ちの旅行客と見なされているような気がした。

洋人、特に危険意識の低い日本人はトラブルに巻き込まれやすい。スリにとってはターゲットにしやすいのだろう。小奇麗な格好をして高いブランド店の紙袋をぶら下げて街を歩く姿からはそう判断されてもしかたがない。しかし、買い物袋なんて関係なく、日本人は注意しなければならないのだと感じたのは、今回の旅行で私は2度もスリのような人物にファスナーを引っ張られたからだ。まるで同じシチュエーションで、まるで同じ手口で。

ックパック(リュック)を使うのならば、鍵付きのものがよいと思う。私は、誰かにチャックを触られたらすぐに分かるような開きにくい形のバッグを背負っていたけれど、歩いている時に後ろからそれをそっと引っ張ろうとする感触がして、ドキッとして声をあげて振り返ったら男性が真後ろにいた。手をパッと上げ、自分も驚いたかのようにオーバーリアクションで訳の分からない言葉(多分フランス語)を言って、とぼけていたけれど、絶対にあれはスリだった。

初の1回は2人組で、相手も観光客のようにマップを持っていたので私の自意識過剰かもしれないと思ったが、2回目は声も出さずにすぐさま振り返ったら、相手の手が瞬時に隠されたのを見た。これも2人組で、まったく同じような経験にきっと1人は壁役なのだと悟った。今度は私が怒っていたからか、相手は何か言いながら(多分「何にもやってねーよぉ」的なフランス語)もと来た道を引き返していった。こんな奴らは許せない。

まで私はNYで一度もスリに遭遇していなかっただけに、フランスのスリ未遂事件に軽くショックを受けた。どんなに普通の格好でいて、周囲に気を払っていても、東洋人が目立つ環境では私は狙われる対象になるのだ。NYは人種のるつぼ・・・これはやはり事実で、NYの人種が入り混じって暮らす「目立たない気楽さ」をこういう所で再認識する出来事だった。



             
★11月の日記       Back Numbers ★過去の徒然日記。




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