Minimu's
DAY BY DAY

みにむー日記

おやっ?
みにむーなの?


★minimuの為(?)に大食い。9週間★

食事中に「ウッ!?」と言って、洗面所に駆け込んでゲホゲホと咳き込んだ後、ふと正面にある鏡に映った不安げな自分の顔を見て「もしかして、妊娠・・・?」というドラマの典型的つわりシーン。妊娠初期の山場はやはりつわり攻略なのだろう。

私には、結局一度も「ウッ!?」は来なかった。吐き気も食欲不振も偏食も・・・多分、ほとんど無かった。この辛さには個人差があるというし、人によっては衰弱のあまり点滴を受けるというから、私はとても幸せな部類のようだ。つわりのない分よく食べて、むくむくと体重増加のスタートダッシュをかけてしまった。中学生の頃からほとんど変化の無かった体重が、右上がりの線に乗って増えてゆく。今までと同じように食べる=太るという、不思議な体質の変化に戸惑いつつ、お菓子を愛する私にとって変更はナシである。

お菓子をはじめ、その他にも一般にはタブーと言われる食生活をしていたかもしれない。高炭水化物、高脂肪、低たんぱく質、低ビタミン、低ミネラル。・・・最悪である。まがいなりにも栄養学を学んでいた頃は、妊婦への食事指導のレポートに取り組んでいたクセして、自分の時にはこの有様である。それでも自分が指導する立場にいたら、バランスの取れた食事を取るようにと言うのだろうなぁ。

3-4ヶ月の時期は、ただひたすら眠かった。困った事に朝がなかなか起きられないので、目覚まし時計を部屋の隅に配置し、ベッドから降りなければベルを止められないようにした。学校の授業でも眠いし、朝8時半からの授業は厳しいものだった。それでも身体は元気その物だったから、サルサ(覚えてる?)も毎週欠かさず通っていたし、調子に乗って誰が私を妊婦だと思うだろうか?という快進撃を続けていた。

吐くようなきついつわりが無かったけれど、私の場合は食べる方向に走るつわりだったらしい。モリモリと一気に食べてから、後から胸焼け感に襲われて苦しんでいた。きっと私は満腹中枢が狂ってしまったのだ。依然として体重の増加は続いていた。でも、minimuの推定体重は10gほどだというから私の体重は一体どこにいったのだ!?答:ぜい肉


★minimuと旅に出る、13週間★

妊娠がわかってから、私たちは今後の計画を練り直した。やりたい事のリストを作り、それを今のうちに出来る事と、赤ちゃんが生まれてからでも出来る事に分類した。出産予定日から逆算して標準的な身体の変化を見比べながら、どの辺りまでどんな活動ができるかなどを検討した。

2人の間に是非ともやっておきたいことの筆頭は、まず旅行だった。私の体調が非常に良かったこともあり、妊娠4ヶ月であるこの時期にパリーロンドン旅行を敢行した。あちこち歩き回るような観光と、美術館での時間の掛かる観賞は幼い子供と一緒では出来ない。せっかくの旅行を大切にしようと、私はいつになく綿密に計画を立てた。

つい“今のうちに・・・”という欲が出てしまい、旅程はぎゅうぎゅう詰めだった。体調はどうなるかと気にかけていたけれど、幸い健康的に毎日を過ごすことが出来た。朝から晩まで歩き回ってエネルギーを消化したはずなのに、それを補って余りあるほど食べていた。アメリカと比べると食べ物がどれも美味しく感じられてしまい、朝のクロワッサンに始まって夜中のクレープまで、モリモリと食べてしまうのだ。帰宅して体重を量るのが怖い・・・。

過度に体重が増えてしまうのは日本ではあまり歓迎されないのだが、ここアメリカでは「エクセレント!」とお褒めの言葉を頂くことになる。体重の増加がゆっくりの人ほど「もっともっと食べなさい!」と指導されてしまうのだ。家で体重を量り、その増加に憂鬱になっていても、検診の日になれば私は優秀な健康妊婦となるのだった。先生は満足気味で、素晴らしい言葉をかけてくるのだが・・・これがまずい。アメリカ式に洗脳されてしまいそうだ。

4ヶ月だというのにすでに私の下腹部は膨らみ出していて、着られる物が少なかった。これまで大きくて着られなかった洋服が大活躍して、捨てるはずだった服たちがとうとう日の目を見たのだった。この頃に超音波で見たminimuは頭と身体がはっきりと別れていて、人間のようになっていた。その身体は100g足らず。それでもおなかが大きいから、子宮自体は着々と育っているようだ。

何はともあれ、こうして元気一杯に過ごせる事をとてもありがたく感じた時期である。


★minimu育つ。16週間★

私は血液検査が嫌いだ。アメリカの医療は分業化しているので、血液検査の日は別のオフィスに行かなければならない。日本の総合病院のように一箇所で全て行ってくれたら楽だろうなと思いつつ、産婦人科のオフィスで貰った血液検査の依頼書を持って採血の場所に行くのだ。

血液関係の検査を行う場所に行くと、私は用件を告げて依頼書を出す。そして腕を出して採血をしてもらい、終わったら帰る(だけ)。だいたいいつも3本の小さな試験官に血液を採る。腕に太目の針を1本さしてから、そこに採血用の試験官を次々に取替える。けっこう痛い。頼むから上手な人に当たって欲しいと願う。私はいつも採血の時、強がって技師の人と世間話をしているけれど、本当はかなり我慢しているのだ。

夫の会社のクリスマスパーティがあった。着られる服が無いけれど新しく買うのも勿体ないと、タンスの中にある服を総試着した。以前はちょっと大きくて格好悪かったスーツが、身体の線にピタッと合うようになっていた。外見ではわかりにくいけれど、明らかに体形が変わって来ているのだ。この変化はものすごい。しかし、まだ誰も私の変化には気づいていないようだ。そう、意外と人って見ているようで見ていない。余談ながら、バーティの途中で音楽に合わせて軽く踊った。初めてサルサが役に立ったのでちょっと感動!

9月から続いていた秋の学期も終了した。つわりが無かったとはいえど週に4日間通っていたので、眠かったりして大変だった頃もあった。次は1月から5月にかけて春の新学期が始まるけれど、どうしようかと悩む。出産予定日には間に合うけれど、5月といったらもう臨月真っ只中のはずなのだ。

もしかしたら、学校もこれが最後になるかもしれない。そう考えたらますます、「やっぱり私はもっと続けたいんだ!」と痛感した。身体が大切なのだし辛かったら無理はしないから・・・と、私はminimuにもう1度だけ自分でやりたい事をやらせてもらえるようにとお願いした。そうだよ、一緒に学校へ行こう!この計画には夫も快く応援してくれた。今後はもっと楽が出来るように、カリキュラムを週に2回にして、朝8時半のクラスはやめよう。最後まで続けられるかどうか分からないけれど、出来るところまで頑張ろう。






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