Minimu's
DAY BY DAY

みにむー日記

おやっ?
みにむーなの?


★minimu、出て来い! 39週間その2★

病院に到着したら、産科は猛烈に混んでいた。こちらはLabor(陣痛)・Delivery(出産)・Recover(産後のケア)を一室で行うLDRという出産が一般的なのだが、私が行った時には普通の病室が満室という状態だった。LDRのベッド数は限られているため、私は手術室のような部屋に通されてしまった。医療機械がたくさん並んだかなり広い部屋である。殺風景な室内の壁にはTVが設置されていて、メジャーリーグの試合が流れていた。誰か他の人と相部屋になることはなく完全にプライベートの空間で出産できるのだが、満室では仕方ない。

私はこの部屋で出産着に着替えてから、ベッドに横になった。お腹の上にminimuの心音を聞く聴診器と陣痛を測るモニターが取り付けられ、だんだん強くなる陣痛を感じながら目を閉じて、次々とやってくるアップダウンの坂道を歩いているイメージを作っていた。点滴によって体が浮腫んでいくのを何となく感じていた。そしてEpiduralについて考えていた。



日本での出産が自然分娩なのに対して、アメリカではEpidural(硬膜外麻酔)を施して行う無痛分娩が主流となっている。通常の出産ならば産後約2日で新生児と共に退院となるので、母体が
出産だけでエネルギーを使い切らないように、体力を温存するという考え方をするからだ。それに加えて痛みに“耐える”というのではなく、取り去れる痛みは軽減しようという発想がある。

Epiduralはあくまでも患者の選択肢の1つに過ぎないので、針を刺す直前まで「Epiduralをしますか」と聞かれる。私はEpiduralを選んだ。出産後にどれほど身体がきついのかは想像できないけれど、退院後は夫と2人きりで山場を乗り越えなければならない。出産は妊娠期間のゴールであると同時に赤ちゃんとの共同生活のスタートなのだ。

麻酔によって陣痛が弱まるのを避けるため、陣痛が中盤に差し掛かった頃にEpiduralが施された。この時リラックスするようにと言われたが、陣痛の間隔が短い上に痛いときには全身が固く硬直するため、リラックスは難しい。しかも点滴のために身体が震える。でも、がっちりした体形の麻酔医の先生が被っていた帽子がテディベア柄だったのが可笑しくて、私はつい「かわいいですね」と言ってしまった。これが患者をリラックスさせるアイテムならば、大成功なのではないだろうか。麻酔の注入によって下半身がふわっと温かくなり、陣痛は感じられなくなった。しかし、心配していたように陣痛が弱まってしまい、陣痛促進剤を投与することになった。すでに破水している場合、出産まであまり長時間は待てないのだ。



LDRの部屋が空いたので、途中でベッドごと部屋を移動した。私は横になっているので、天井を見ながら運ばれていった。今度は手術室とは打って変わって木目調の落ち着いた病室である。まるで誰かの家の一室であるかのようにソファなどの家具が入っている。このソファは簡易ベッドになるので、パートナーも同室で仮眠が取れる。

夕方に入院してから、その日がだんだん終わりに近づく。いきみだすにはまだ陣痛が弱いので、段階的に陣痛促進剤の投与量が増えていった。夫が先生にいつ産まれるのかと聞くと、あと少しだという。その頃、私は足の感覚と陣痛が再び戻ってきているのを感じていた。麻酔が切れてきたのだと思って聞いてみても、確かに麻酔は続いていると言われた。赤ちゃんが下に降りてきているから痛いのだという。でも、次第に下半身の感覚が正常に戻ってきていたので、麻酔の効き目には個人差があるのかもしれない。

深夜近くになって、先生が子宮口の広さを確認して「いきみを始めるわよ」と言った。ようやくと言うべきか、いよいよと言うべきか・・・ついにminimuが産まれる時がきたのだ。深呼吸で酸素を十分取り入れて呼吸を整えてから、陣痛の波に合わせて1・2・3・・・とカウントし、ありったけの力でPushする。力みすぎて汗やら涙やら、じわじわと流れ出す。

もうすぐだと励ます声が聞こえる。全神経を集中している時だというのに、「頭が見えてる!毛がいっぱい生えてる!」という言葉には笑ってしまった。私は髪の毛が多い方なので、それがとても可笑しく嬉しく思えたのだ。でも腹圧をかけているので上手く笑えない。

一体どのくらい時間が経ったのだろうか?限界まで高まっていた圧力が急激に下がってゆくのを感じた。それと同時に、身体の力が一気に抜けた。・・・そして胸の上にminimuがいた。まだ弱々しいけれど、元気な泣き声が聞こえた。



私の目の前で小さな生き物が泣いていた。minimuの重たさと、体温と、息づかいをこの時初めて感じた。細い手足にはきれいに揃った指がならんでいて、そのあまりの小ささに無条件に笑顔になった。

ああ、うまれたんだね!そう思ったとき、妊娠してからの出来事や思い出が頭に浮かんでは消えていった。上手く言葉に出来ない感情の高まりに涙が溢れ出した。ギリギリの5月28日、minimuはこの世に飛び出してきた。
頑張ったね、よかったね、ありがとうね。

さて
産後はやっぱり大変だった・・・の打ち明け話は、まだまだ続くのだった。






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